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第六十四話
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紅成と龍翠を、おそらくここだろうと見当をつけたところに入らせた。あるかどうかはわからないが、一応銀を盗ってくるように言っている。今後、役に立つかもしれないからだ。一気にだと危ないので、少しずつ持ってこいと言った。
鍵は、やはり合っていたようだ。初日は、銀だけを持ってきた。しかし、必ず何かあるという気はしているらしく、その後も何度か潜入を試みた。怨念を抱えている二人にとって、地下というのはもっともつらい場所であろう。仕方のないことだった。
何日か続けて、二人がたくさんの書物を持ってきた。ほとんどが、扈珀の日記なのだという。これはいい、と思ったが、自分は字が読めない。今まで、読める必要がないと勉強もしてこなかった。少しだけ、後悔した。
大きなものを、背負いすぎているからだろうか。龍翠と紅成は、やはり苦しそうだった。何か、裏で個人的な事情もあるらしい。耳を傾けてやる時間はなかったが、本当は寄り添ってやりたかった。龍翠が復讐に失敗すれば──あわよくば、死んでしまうことになるのなら。俺は、更に罪を重ねてしまうことになる。それだけは、何としてでも避けなければならなかった。どれだけ、李順の目がきつくても、紅成と龍翠だけは守りきる。その為ならば、自分の身がどうなってもかまわない。たとえ、信用されなくてもいい。二人をいくらか安心させてやれないのは、ただただ申し訳なかった。
「鄭義」
紅隆の、部屋。新たな芸人が必要か、と聞きに行って、帰ろうとした時だった。
「はい」
「少し、聞いてもいいか」
心臓が、僅かに締め付けられる。紅隆の物言いには、ひとつひとつ、気をつけなければならない。
「……どうぞ」
紅隆が、じっと自分を見つめてくる。
「李玲玉という女に、惚れていたか?」
息が、詰まった。李玲玉。その言葉が、どうして、今。
「……なぜ」
「ふと、思い出した。それだけだ」
違う。もっと、詳しく。でないと、俺は喋ることすらできない。心臓が、暴れはじめた。
「もう、忘れたか」
「まさか」
「なら、いい。変なことを聞いてしまったな」
「忘れては、おりません」
紅隆が、笑った。背筋に、冷たいものが流れていく。拳を、強く握りしめた。何故。何故、それを……。
「惚れていたのだな」
「あ……」
忘れた、と言っておけばよかった。もう、後の祭りだ。全身が、冷たくなっていくようだった。手の先が、震えそうになる。
「従順で、それ故に不幸な女だった。この意味がわかるか」
冷たい体の、奥の奥が──かっ、と熱くなる。息を、荒らげた。駄目だ。取り乱しては、いけない。
「お前の存在には、昔から感謝しているよ。お前がいてくれて、本当によかった」
紅隆の口角が、更につり上がった。震える足で、後ずさる。目を、離してはいけない。離すのが、こわい。そのまま、部屋を出た。やってしまった、と思った。
戸の向こう側から、微かに笑い声が聞えた。紛れもなく、紅隆のものだった。
*
高延亮の件は、大半の人間が事故だと思っている。ところが、龍翠の口から李順の名前が出た。目を、かっと見開いた。事件の前日に、李順が龍翠に接触したらしい。湧き上がる怒りに任せて、俺は走った。龍翠に、手を出したのは許せない。絶対に許せない。
李順を探そうと走りながら、考える。李順を問い詰めたところで、危険なだけだ。それよりも、事故について調べなければならないのではないか。走るのをやめて、歩いた。李順が関わっているとしたら、あれは事故でははいはずだ。一度、深呼吸をした。冷静になって、考えようとした。
調べてみると、確かにその証拠はあった。李順が、関わっている。何故。意図が読めなかった。ということは、紅隆が絡んでいそうだ。それより先は、いくらなんでも考えられない。李順とともに仕事をするのが、こわくなった。向こうも、それに勘づいているのかもしれない。ひとりになった。李順は、もう俺について回るということを、しなくなった。
*
「──白藍、施安」
嫌な気がした。だから、飛び起きた。紅成が熱を出したことも、龍翠が引きこもっていることも、知っている。ただ、二人の元へは行けなかった。李順の目を、恐れていたからだ。
今は、そんな自分を激しく責めることができる。責めている場合ではないと、わかっていても。自分がもっと早く、龍翠のもとへ行って、話を聞いてやるべきだった。目の前に転がる、二つの無惨な死骸を見て、ただただ息を荒らげるしかなかった。
龍翠が、やって逃げたのか。
彪林が、気を失っている。こっちは、死んでいないようだ。目を覚まされては困る。混乱する頭で、俺はとりあえず武器を持って、紅隆の部屋へ向った。しかし、そこには誰もいなかった。
不安が、更に募る。扈珀の部屋へ向った。扈珀は、そこに静かに立っているだけだった。不気味なくらいに、冷たい目で。
「紅隆様は、もうここを出ていかれた」
扈珀が、言う。わけがわからなかった。駄目だ。取り乱してはいけない。無抵抗な扈珀を、地下に投げ入れた。紅成のもとへ行った。龍翠を探せと言って、俺は銀を急いで小分けにして、他の芸人や使用人、用心棒を起こして回った。何も言わずに、この銀を持ってここから逃げてくれ。二度と戻ってくるな、と言って。
皆、顔を蒼白にさせて、ざわざわとしながらも散って行った。問題は、彪林だった。担ぎあげても、目を一向に覚まさない。目覚めていたら、記憶がすべて飛んでいるかもしれない。それを願って、俺は彪林を庭の茂みの中に捨てた。白藍の部屋を、厳重に閉ざした。
あとは、李順だ。
李順を探さなければならない。何としてでも。口の中で何かを呟きながら、俺は屋敷の周りをぐるぐると回った。満月が、不気味に明るい夜だった。
鍵は、やはり合っていたようだ。初日は、銀だけを持ってきた。しかし、必ず何かあるという気はしているらしく、その後も何度か潜入を試みた。怨念を抱えている二人にとって、地下というのはもっともつらい場所であろう。仕方のないことだった。
何日か続けて、二人がたくさんの書物を持ってきた。ほとんどが、扈珀の日記なのだという。これはいい、と思ったが、自分は字が読めない。今まで、読める必要がないと勉強もしてこなかった。少しだけ、後悔した。
大きなものを、背負いすぎているからだろうか。龍翠と紅成は、やはり苦しそうだった。何か、裏で個人的な事情もあるらしい。耳を傾けてやる時間はなかったが、本当は寄り添ってやりたかった。龍翠が復讐に失敗すれば──あわよくば、死んでしまうことになるのなら。俺は、更に罪を重ねてしまうことになる。それだけは、何としてでも避けなければならなかった。どれだけ、李順の目がきつくても、紅成と龍翠だけは守りきる。その為ならば、自分の身がどうなってもかまわない。たとえ、信用されなくてもいい。二人をいくらか安心させてやれないのは、ただただ申し訳なかった。
「鄭義」
紅隆の、部屋。新たな芸人が必要か、と聞きに行って、帰ろうとした時だった。
「はい」
「少し、聞いてもいいか」
心臓が、僅かに締め付けられる。紅隆の物言いには、ひとつひとつ、気をつけなければならない。
「……どうぞ」
紅隆が、じっと自分を見つめてくる。
「李玲玉という女に、惚れていたか?」
息が、詰まった。李玲玉。その言葉が、どうして、今。
「……なぜ」
「ふと、思い出した。それだけだ」
違う。もっと、詳しく。でないと、俺は喋ることすらできない。心臓が、暴れはじめた。
「もう、忘れたか」
「まさか」
「なら、いい。変なことを聞いてしまったな」
「忘れては、おりません」
紅隆が、笑った。背筋に、冷たいものが流れていく。拳を、強く握りしめた。何故。何故、それを……。
「惚れていたのだな」
「あ……」
忘れた、と言っておけばよかった。もう、後の祭りだ。全身が、冷たくなっていくようだった。手の先が、震えそうになる。
「従順で、それ故に不幸な女だった。この意味がわかるか」
冷たい体の、奥の奥が──かっ、と熱くなる。息を、荒らげた。駄目だ。取り乱しては、いけない。
「お前の存在には、昔から感謝しているよ。お前がいてくれて、本当によかった」
紅隆の口角が、更につり上がった。震える足で、後ずさる。目を、離してはいけない。離すのが、こわい。そのまま、部屋を出た。やってしまった、と思った。
戸の向こう側から、微かに笑い声が聞えた。紛れもなく、紅隆のものだった。
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高延亮の件は、大半の人間が事故だと思っている。ところが、龍翠の口から李順の名前が出た。目を、かっと見開いた。事件の前日に、李順が龍翠に接触したらしい。湧き上がる怒りに任せて、俺は走った。龍翠に、手を出したのは許せない。絶対に許せない。
李順を探そうと走りながら、考える。李順を問い詰めたところで、危険なだけだ。それよりも、事故について調べなければならないのではないか。走るのをやめて、歩いた。李順が関わっているとしたら、あれは事故でははいはずだ。一度、深呼吸をした。冷静になって、考えようとした。
調べてみると、確かにその証拠はあった。李順が、関わっている。何故。意図が読めなかった。ということは、紅隆が絡んでいそうだ。それより先は、いくらなんでも考えられない。李順とともに仕事をするのが、こわくなった。向こうも、それに勘づいているのかもしれない。ひとりになった。李順は、もう俺について回るということを、しなくなった。
*
「──白藍、施安」
嫌な気がした。だから、飛び起きた。紅成が熱を出したことも、龍翠が引きこもっていることも、知っている。ただ、二人の元へは行けなかった。李順の目を、恐れていたからだ。
今は、そんな自分を激しく責めることができる。責めている場合ではないと、わかっていても。自分がもっと早く、龍翠のもとへ行って、話を聞いてやるべきだった。目の前に転がる、二つの無惨な死骸を見て、ただただ息を荒らげるしかなかった。
龍翠が、やって逃げたのか。
彪林が、気を失っている。こっちは、死んでいないようだ。目を覚まされては困る。混乱する頭で、俺はとりあえず武器を持って、紅隆の部屋へ向った。しかし、そこには誰もいなかった。
不安が、更に募る。扈珀の部屋へ向った。扈珀は、そこに静かに立っているだけだった。不気味なくらいに、冷たい目で。
「紅隆様は、もうここを出ていかれた」
扈珀が、言う。わけがわからなかった。駄目だ。取り乱してはいけない。無抵抗な扈珀を、地下に投げ入れた。紅成のもとへ行った。龍翠を探せと言って、俺は銀を急いで小分けにして、他の芸人や使用人、用心棒を起こして回った。何も言わずに、この銀を持ってここから逃げてくれ。二度と戻ってくるな、と言って。
皆、顔を蒼白にさせて、ざわざわとしながらも散って行った。問題は、彪林だった。担ぎあげても、目を一向に覚まさない。目覚めていたら、記憶がすべて飛んでいるかもしれない。それを願って、俺は彪林を庭の茂みの中に捨てた。白藍の部屋を、厳重に閉ざした。
あとは、李順だ。
李順を探さなければならない。何としてでも。口の中で何かを呟きながら、俺は屋敷の周りをぐるぐると回った。満月が、不気味に明るい夜だった。
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