紅の呪い師

Ryuren

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第六十八話

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 小さいながらも、裕福そうな村を探すのが鍵だった。呪い師とは直接言わずに、「世にも不思議な力を持った人間」などと言って、道行く人に聞いて回る。旅はつらかったが、村にいた頃に比べればどうってことはなかった。

 呪い師が、他の人間と明らかに違う生き物であるということを、もっと知りたかった。そもそも、自分は呪い師である呂江の母を見ていたというだけで、呪いに関する詳しいことは何も知らないのだ。何か、興味深い事実が他にもあるのかもしれない。いや、死んでも尚、怨念となり生き人の体に巣食うことができるのだ。それだけでも、十分な魅力である。十分すぎるほどに。ああ、あの優雅に立ち上る黒い影が、やがて美しい女人に成り代わっていくさま。あれを越えるものが、この世に存在するのだろうか。

「不思議な力、ねえ。南宮ってやつが治めてる村がな、怪しいとは聞くぜ。山の中にぽつりと孤立しているからか、他の村との交流を滅多に持たないが、何やら裕福ではあるんだ。不自然なくらいにな」
 とある商人から、そんな話を聞いた。南宮、と頭の中で繰り返して、俺はそいつに村への行き方を聞くと、頭を下げて、早速その方に向かった。
 道のりは、思ったよりも遠かった。途中で寄った村を訪ねると、ちょうど何かの宴をしていたようで、自分もその中に歓迎してくれた。はじめて、酒を飲んだ。美味いとも不味いとも思わない、こんなものなのか、と思った。
「南宮家村へ、行きたいのだが」
 ようやく馴染んだ頃に、村の男たちに聞いた。男たちは、一瞬呆気に取られたような表情をすると、すぐに顔を引き攣らせて笑い始めた。
「おい若いの、旅のもんだろう。南宮家村に、一体なんの用があるんだね」
「そこに不思議な力を持った人間がいる、と聞いた」
 男たちの顔が、強ばった。言わない方がいいことを、言ってしまったらしい。しかし、そんなものは自分の知ったことではない。素直に、自分のことを話しただけだ。
「……それで、どうする気だ」
 低い声で、男が言う。
「何も。その不思議な力とやら、見てみたいと思った」
 男の表情が、ちょっとだけ動いた。
「本当か?」
「ああ。やはり、この辺りでも有名なのか」
「知らねえやつはいねえくらいだぜ。南宮家村の長の姉だそうだが、その不思議な力を村中に見せびらかしているんだと。馬鹿だよな」
「おい。あんまり喋るなよ」
  男の話を聞きながら、俺は眉間に皺を寄せた。村中に、見せびらかす、だと。
「その女は、監禁されていないのか?」
「監禁? 普通だって聞いたな。昔はそれこそ、崇められるくらいの存在だったらしいが。最近そいつの両親が死んでから、死人みたくなっちまったんだ。扱いも、見て見ぬふり、だよ」
「そう、か……」
 俯く。呪い師の存在は、確保した。しかし、やはりあの村と環境は違うらしい。詳しいことは、行ってみなければわからない、と思った。

 村人たちに、もうしばらくここに滞在しないか、と言われた。早く南宮家村に行きたいのだと言うと、何やら色々説得され、半ば強引に引き止められた。怪しんで、俺は夜中、こっそり夜中に出歩いた。とある家屋で、男たちがひそひそと話しているのを見つけた。聞き耳を立てる。男たちの声音は、飲んでいる時と打って変わって、どこか緊張の色を帯びていた。
「予定より早く、南宮家村へ行くぞ」
「本当に、大丈夫なのか?」
「旅の男が怪しい。それだけ、あの女の噂が外まで広まってるっていうことだ。その前に、俺たちがあの女を奪う」
「いや、だから……そのさ、女が不思議な力を使って、俺たちを攻撃してきたら、そりゃあもう、ひとたまりもないと思うぜ」
「馬鹿野郎。女を先に捕らえちまえばいいんだよ。どうせあの村、すぐ潰せるくらいにはちっぽけなもんなんだ」
 聞きながら、なるほど、と思う。呪い師である女を、この男たちが奪おうとしているらしい。そのまま、俺は家屋から離れ、そっと身支度をした。今のうちに出ていって、先に南宮家村へ向かう。せっかくの呪い師だ、そう簡単に見つからないであろうものを、他の人間に奪われてはなるものか。

 村を出て、歩いていた。空は、無数の星が瞬いていて明るかった。呪い師というものはまるで、欲深い人間たちに利用されるために生まれてきたかのようだ。まあ、それも一種の代償というものなのかもしれない。ふと、呂江の顔を思い出した。自分の欲望のために、無責任なことを言って、玉陽に置いてきてしまった──呂江の顔。絶望にも似た顔。口の中で、そっと呟いてみた。俺は、俺の進みたい道を行っている。どうかお前もそうであるように、と。



 南宮家村にて、南宮珀という青年に出会った。村長だと言うのだが、自分よりも歳下らしく、聊かそれに驚いた。女のことを聞くと、南宮珀は冷たい目を怪しげに細めながら、更にやつれた女を連れてきた。やつれていることに、むしろ安心感に似たようなものを覚えた。考えてみれば、自分は今までに健康そうな呪い師というのを見たことがない。この女は、そういや両親を失ったのだったか、と思い出す。
 自分が呪い師を探している理由を、南宮珀につたえた。父親が呪い師だった──などという、嘘を。自分の目的は、知られるべきではないと思った。南宮珀。姉との関係は、何やら複雑そうだ。姉──南宮水晶の、顔を見る。この女を妻にする、と言った。すると、弟の方までついて来たいと言った。まあ、邪魔にならなければいい。自分よりも歳下なのだ。扱いにそれほど苦労することもなかろう、と思った。

 はじめは、普通の旅の者と同じように、宿を転々としながら移動していった。時には、野宿をすることもあった。本人が望んだので、南宮珀に新たに『扈』という姓を与えた。一緒にいるうちに、姉弟についての関係性はなんとなく明らかになった。ただ、仲が悪いだけではない。憎しみや嫉妬、互いが互いを嘲り、哀れみ、なんとも不思議な糸で結びあっている。結ばっているのだ。仲が悪いながらにも、どこか──。
 扈珀は、呪いの力を取り戻したいと言っている。普通の人間とは、やはりまた違った欲望だ。そこが、なんとなく魅力的に思えた。扈珀は、俺を慕った。目的は少し違えども、たどる道は同じだと思っているのだ。間違ってはいない。しかし、本当の目的を明かすことはできない。呪い師の、怨念が解き放たれる瞬間が見たいなどと。明かす必要は、全くないからだ。これは、自分ひとりで果たすべき目的だった。

「水晶」
 扈珀が寝静まったのを確認してから、水晶の泊まっている部屋に赴いた。水晶は、寝台に腰掛けて俯いていた。未だ、まともに俺と口をきいたことがない。
「眠れないのか」
  隣に、腰掛ける。水晶が、ふいと横を向いた。今日、無茶な呪いを試されたことを怒っているらしい。いずれ怨念を抱かせるとはいえ、今は自分の妻だ。自分の女、ということを自覚して貰わねばならない。
「悪かったな。俺にお前の体をどうにかして癒せれば、いいのだが」
「出て行ってくれませんか」
  冷たくて、低い声。口調は、弟に対してよりいくらか丁寧だ。水晶は、多少俺を畏怖しているところがある。何が怖いのだろう、と不思議に思って鏡を見たが、無理もなかった。周りと比べれば、多少強面なのかもしれない。村ごと殺してきたということが、少しでも表れているのだろうか。思ったが、どうでもいいことだった。
「お前は、両親のことが好きだったのか?」
「……」
「賊に襲われて、死んだのだと言っていたな。まあ、人間いつどんなふうに死ぬかもわからん」
「……」
「お前は今、孤独か?」
 水晶が、ぴくりと頬を動かした。血の気の無い肌は、まるで人形のように青白く、しかし美しい。目は、弟とよく似ていた。
「寂しいのだろう。俺は、夫の務めとして、お前のその寂しさを紛らわせなければならない」
 女の口説き方など、何もわからなかった。旅をしている間に、立ち寄った酒屋の女が自分に擦り寄ってきたことなら何度かあるが、大して自分から何か言ったわけではない。しかも今度は、相手が相手だ。
「水晶」
 更に近づいて、肩に腕を回す。水晶の体が、僅かに跳ねた。耳に、唇を寄せる。掌の中の水晶は、かつてないくらいに固まっていた。
「俺に、すべて委ねてみろ。力を抜け」
「や、やめ……」
「お前のことが好きだ。呪いの力も魅力的だが、それ以上の──女としての魅力に、俺は惹かれた」
 水晶が、息を深く吸い込む。一瞬、自分は何を言っているのだろうという気になってきた。が、すぐにどうでもいいと思い直した。
「お前のすべてを、見せてくれよ。持っている力も、心の内も、その体の隅々までも」
 首筋に、唇を落とす。水晶が身をよじって、微かに声をあげた。何も考えずに、そのまま押し倒す。水晶は、抵抗しなかった。熱情に満ちた期待の瞳で、俺のことをぼんやりと見つめているだけだった。
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