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1章
3 選んだものは
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向かいに座るハランが、一瞬呆けた顔をしてからくつくつと笑いだす。
「なるほど、それは面白い」
笑いながら手を叩き、ルディオとシェラを交互に見た。
「うん。なかなかお似合いだよ、君たち」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
突拍子もない提案に、慌てて声をあげる。
聞き間違いでなければ、いま確かに……妻、と言ったはずだ。
それはつまり、この敵国の王太子と婚姻を結ぶということで――
「アレストリアの王太子とヴェータの王妹が結婚なんて、世界中の人たちがさぞかし驚くだろうねぇ。いやぁ楽しみだ」
シェラの言葉など耳に届いていないのか、決定事項かのようにハランが言う。
たたでさえ白かった顔をさらに青くさせ、シェラは震える声で言った。
「……本気なのですか?」
「悪くはない話だろう? ヴェータの王妹を娶るとなれば、両国の関係が良好だとアピールできる。ヴェータがアレストリアに攻め込もうとしても、抑止力になるしな」
確かに一理ある。
シェラが嫁げば、表向きは下手に手を出せなくなるだろう。
「君を私のそばに置いておく、正当な理由にもなる。君が嫌でなければ、だが」
王太子の妻になる。それは、ゆくゆくはアレストリアの王妃になることを意味している。
聖女であり、重大な国家機密を知っているシェラが彼の妻になるなど、あのバルトハイルが許すはずがない。
それに、素直に頷けない理由はもうひとつあった。
記憶違いでなければ、今年27歳になるこの王太子には、ある噂が囁かれている。
彼がこの歳になるまで結婚を拒んだ理由として、貴族であれば誰もが知っていることだ。
「あなたは……女性が苦手なのでは?」
問いかけに質問で返すと、彼は片眉を吊り上げて、小さく息を吐いた。
アレストリアの王太子は極度の女嫌い、それが彼に付きまとっている噂である。女嫌いだけならまだしも、実は男色家なのではとも言われているのだ。
特に次期宰相候補である男性との仲を噂されており、アレストリア国王は息子の嗜好に頭を悩ませているとかいないとか。
「ルディオ殿下には、想い人がいらっしゃると聞いておりますが」
シェラが真面目な顔で言うと、向かいの席から、ぷっと吹き出すような笑い声が聞こえた。
「あはは。あの噂、やっぱり随分と広まってるみたいだねぇ。安心して、噂されている人物とは変な仲じゃないから」
「そうなのですか?」
「そうだよ。だってそれ、僕のことだし」
「え……」
思わず横目でハランを見る。目尻にたまった涙を拭いながらも、まだおかしそうに笑っていた。
噂されている次期宰相候補というのが、このハランという男のようだ。
「ルディとは長い付き合いだけど、ただの友人だよ。それに僕、既婚だから」
次々と明かされる事実に、ついていくのがやっとだ。
ハランが既婚者だというのなら、この噂は王太子の不倫を示唆していることになる。そんな噂が流れるほどの出来事があったのか、気になってしまったが、今はそれを考えている場合ではない。
「そういうことだ。ハランとは健全な仲だから、気にしないように」
「でも、女嫌いというのは……」
思わず直接的な言葉を口にしてしまい、反射的に口元を手で押さえる。
恐る恐る隣に座る人に視線を向けると、不思議そうな顔をして言った。
「仮に私が女性嫌いだとしたら、その方が君には都合がいいんじゃないのか?」
「……どういう意味でしょうか?」
言葉の意図が掴めず、怪訝な表情で問い返す。
「好きでもない男に求められても嫌悪感しかないだろう? それならば、最初から形だけの夫婦でいる方が、君にとっては楽じゃないか?」
身の保護を理由に婚姻を結ぶのであれば、形式上だけの夫婦でいればいい。ルディオが女嫌いであれば、たとえ夫婦になってもシェラに手を出すことはない、と言いたいのだろう。
言い分としては間違いではないのだが、何か腑に落ちない。始めからシェラを好きになることはないと言われているようで、眉間に寄せたしわが深くなっていく。
そんなシェラを見たルディオは、意外そうな顔をしながら苦笑を浮かべた。
「まあ残念ながら、その噂は真実ではないんだが」
おもむろにシェラへと手を伸ばすと、指先の甲でそっと頬に触れる。
冷えた頬に彼の体温が染み込んでいくような、なんとも言えない感覚がした。
「少なくとも、君にこうして触れたいと思うくらいには、私も普通の男ということだ」
どうやら噂はあくまで噂で、この人は女嫌いでも男色家でもないようだ。その事実に、何故か少しだけほっとしている自分がいた。
「では改めて問うが、君は名誉と命、どちらを選ぶ?」
はじめの質問を、繰り返される。
名誉を選ぶなら、バルトハイルのもとに戻るしかない。今回の計画は失敗したが、シェラの利用価値はまだあるはずだ。その先に、未来はないとしても。
命を選ぶとしたら、それは彼とともに生きることを意味する。
この人がどのような人物なのか、詳しくは知らない。つい一時間ほど前に、初めて顔を合わせたばかりなのだ。
それでも、あのヴェータの王よりは信頼できるだろうと、そう思わせる何かがこの王太子からは感じられた。
いつまで生きられるかは分からないが、少なくとも、バルトハイルのもとにいるよりはずっとましだろう。
答えは、ひとつしかない。
「わたくしは――命を、選びます」
「決まりだな」
ふわりと笑ったその顔が美しすぎて、つい見惚れてしまう。シェラ自身も可愛らしい顔立ちをしていると言われる方ではあるが、この人には到底敵わないだろう。
「よろしく、シェラ王女。……いや、この呼び方は他人行儀すぎるな、シェラと呼んでも構わないか?」
「はい」
自然と笑い返すと、彼は一瞬動きを止めてから、今度は控えめに頭を撫でてくる。
つい先ほど会ったばかりの人に触れられているというのに、不思議と嫌な感じはしない。
「私のことは、好きなように呼んでくれ」
そう言って、シェラの頭の上から手を引こうとする。
指先が離れる瞬間、脳内に映像が映りこんだ。
今まで幾度となく経験してきた、この現象。聖女の、ちから。
断片的に流れてくる情景の中で、はっきりと見えたのは――
「黄金色の――獣?」
言葉をもらすと共に、映像は途切れた。
現実へと戻った視界に映ったものは、目を見開いて固まる、ルディオの姿だった。
「なるほど、それは面白い」
笑いながら手を叩き、ルディオとシェラを交互に見た。
「うん。なかなかお似合いだよ、君たち」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
突拍子もない提案に、慌てて声をあげる。
聞き間違いでなければ、いま確かに……妻、と言ったはずだ。
それはつまり、この敵国の王太子と婚姻を結ぶということで――
「アレストリアの王太子とヴェータの王妹が結婚なんて、世界中の人たちがさぞかし驚くだろうねぇ。いやぁ楽しみだ」
シェラの言葉など耳に届いていないのか、決定事項かのようにハランが言う。
たたでさえ白かった顔をさらに青くさせ、シェラは震える声で言った。
「……本気なのですか?」
「悪くはない話だろう? ヴェータの王妹を娶るとなれば、両国の関係が良好だとアピールできる。ヴェータがアレストリアに攻め込もうとしても、抑止力になるしな」
確かに一理ある。
シェラが嫁げば、表向きは下手に手を出せなくなるだろう。
「君を私のそばに置いておく、正当な理由にもなる。君が嫌でなければ、だが」
王太子の妻になる。それは、ゆくゆくはアレストリアの王妃になることを意味している。
聖女であり、重大な国家機密を知っているシェラが彼の妻になるなど、あのバルトハイルが許すはずがない。
それに、素直に頷けない理由はもうひとつあった。
記憶違いでなければ、今年27歳になるこの王太子には、ある噂が囁かれている。
彼がこの歳になるまで結婚を拒んだ理由として、貴族であれば誰もが知っていることだ。
「あなたは……女性が苦手なのでは?」
問いかけに質問で返すと、彼は片眉を吊り上げて、小さく息を吐いた。
アレストリアの王太子は極度の女嫌い、それが彼に付きまとっている噂である。女嫌いだけならまだしも、実は男色家なのではとも言われているのだ。
特に次期宰相候補である男性との仲を噂されており、アレストリア国王は息子の嗜好に頭を悩ませているとかいないとか。
「ルディオ殿下には、想い人がいらっしゃると聞いておりますが」
シェラが真面目な顔で言うと、向かいの席から、ぷっと吹き出すような笑い声が聞こえた。
「あはは。あの噂、やっぱり随分と広まってるみたいだねぇ。安心して、噂されている人物とは変な仲じゃないから」
「そうなのですか?」
「そうだよ。だってそれ、僕のことだし」
「え……」
思わず横目でハランを見る。目尻にたまった涙を拭いながらも、まだおかしそうに笑っていた。
噂されている次期宰相候補というのが、このハランという男のようだ。
「ルディとは長い付き合いだけど、ただの友人だよ。それに僕、既婚だから」
次々と明かされる事実に、ついていくのがやっとだ。
ハランが既婚者だというのなら、この噂は王太子の不倫を示唆していることになる。そんな噂が流れるほどの出来事があったのか、気になってしまったが、今はそれを考えている場合ではない。
「そういうことだ。ハランとは健全な仲だから、気にしないように」
「でも、女嫌いというのは……」
思わず直接的な言葉を口にしてしまい、反射的に口元を手で押さえる。
恐る恐る隣に座る人に視線を向けると、不思議そうな顔をして言った。
「仮に私が女性嫌いだとしたら、その方が君には都合がいいんじゃないのか?」
「……どういう意味でしょうか?」
言葉の意図が掴めず、怪訝な表情で問い返す。
「好きでもない男に求められても嫌悪感しかないだろう? それならば、最初から形だけの夫婦でいる方が、君にとっては楽じゃないか?」
身の保護を理由に婚姻を結ぶのであれば、形式上だけの夫婦でいればいい。ルディオが女嫌いであれば、たとえ夫婦になってもシェラに手を出すことはない、と言いたいのだろう。
言い分としては間違いではないのだが、何か腑に落ちない。始めからシェラを好きになることはないと言われているようで、眉間に寄せたしわが深くなっていく。
そんなシェラを見たルディオは、意外そうな顔をしながら苦笑を浮かべた。
「まあ残念ながら、その噂は真実ではないんだが」
おもむろにシェラへと手を伸ばすと、指先の甲でそっと頬に触れる。
冷えた頬に彼の体温が染み込んでいくような、なんとも言えない感覚がした。
「少なくとも、君にこうして触れたいと思うくらいには、私も普通の男ということだ」
どうやら噂はあくまで噂で、この人は女嫌いでも男色家でもないようだ。その事実に、何故か少しだけほっとしている自分がいた。
「では改めて問うが、君は名誉と命、どちらを選ぶ?」
はじめの質問を、繰り返される。
名誉を選ぶなら、バルトハイルのもとに戻るしかない。今回の計画は失敗したが、シェラの利用価値はまだあるはずだ。その先に、未来はないとしても。
命を選ぶとしたら、それは彼とともに生きることを意味する。
この人がどのような人物なのか、詳しくは知らない。つい一時間ほど前に、初めて顔を合わせたばかりなのだ。
それでも、あのヴェータの王よりは信頼できるだろうと、そう思わせる何かがこの王太子からは感じられた。
いつまで生きられるかは分からないが、少なくとも、バルトハイルのもとにいるよりはずっとましだろう。
答えは、ひとつしかない。
「わたくしは――命を、選びます」
「決まりだな」
ふわりと笑ったその顔が美しすぎて、つい見惚れてしまう。シェラ自身も可愛らしい顔立ちをしていると言われる方ではあるが、この人には到底敵わないだろう。
「よろしく、シェラ王女。……いや、この呼び方は他人行儀すぎるな、シェラと呼んでも構わないか?」
「はい」
自然と笑い返すと、彼は一瞬動きを止めてから、今度は控えめに頭を撫でてくる。
つい先ほど会ったばかりの人に触れられているというのに、不思議と嫌な感じはしない。
「私のことは、好きなように呼んでくれ」
そう言って、シェラの頭の上から手を引こうとする。
指先が離れる瞬間、脳内に映像が映りこんだ。
今まで幾度となく経験してきた、この現象。聖女の、ちから。
断片的に流れてくる情景の中で、はっきりと見えたのは――
「黄金色の――獣?」
言葉をもらすと共に、映像は途切れた。
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