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4.見張り
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昼が終わり、夕が訪れ、訓練は終わった。火が焚かれ、脚付きの大鍋がかけられる。ざく切りの根菜と豆と穀類が煮込まれ、夕食が用意された。
夕食が終われば、見張りを除いて、残りは休む時間になった。一同は三つの組に分けられ、一つ一つが交代で夜番をする。これも訓練の一部であり、今日と明日の晩は、こうして見張りを立てるのだ。
タカネたち年少の若者らは、最後の番になった。それで、食事を終えるとすぐ主塔に入り、その一階部分で横になった。一階の広間には厚く枯れ草と香草とが敷かれており、外套を体に巻いて横になれば、どこでも寝床になった。
仲間たちは一日の訓練で、みな疲れているようだった。鎧を着ての運動は体力をひどく消耗させた。そして冬のこと、かいた汗は冷たくなり、それも体力を奪った。
そうして疲れているのだが、すぐに寝付くことは難しい。襲撃があることを想定して、防具を身に着けたままだからだ。
一同の身に着けた胴鎧は、厚手の胴着に金属片を縫い付けたようなもので、柔軟性があった。寝るにも起きるにもひどく不便というわけではないが、それでも重みはあり、寝苦しいことには変わりなかった。
だがいくら寝苦しくとも、疲れていれば、どんな服を着ていても寝られるものだった。若者たちは無駄話をすることもなく、体を拭うこともできないことに不平を漏らすこともなく、一人また一人と眠りに落ちていった。
タカネは目をつむって他の者の寝息を聞きながら、眠れずに、物思いに耽っていた。
防具が重かったわけでも、汗に汚れた不快に苛立っていたわけでもなかった。もっとひどい環境で、もっと過酷な訓練をして、泥のように眠ったこともあった。鎧の重みと汗の匂いは、若い戦士には、すでに馴染みのものとなっていた。
タカネが眠れなかったのは、イワオのことを考えていたからだった。昼間のイワオとの訓練は、ひどく気持ちを荒立たせた。
おそらくその理由は、暴れ足りなかったからだろう。型を練習するだけでは、足りなかった。むしろ闘争心が煽られる。もっとちゃんとした試合をしたかった。イワオと、しっかりと力比べをしたかった。
だが同時に、それが虚しいことだとも思っていた。もしも試合をすれば、タカネはそう困難なく打ち勝つだろう。戦士として鍛錬してきたのだから、当然だった。力では勝てずとも、技では負けるはずはない。
それでイワオに勝ったとして、どんな意味があるのだろう。別に、イワオのことが憎いわけでもないのに。そんなことで、あの時の悔しさが無くなるわけでもないのに。
では一体自分がなにを求めているのかと考えると、途端に分からなくなった。イワオとの諍いを忘れて仲良くするのも違っているが、かといってきらっているわけでもない。むしろイワオのことは、あの時の喧嘩の後も、変わらず慕っていたのだった。
そういえば、とタカネは思った。イワオは、自分のことをどう思っているのだろうか。訓練の最中も、食事の間も、イワオとは言葉を交わしていない。
そんなことをぐるぐると考えていると、いつのまにやらタカネは眠りに落ちていた。
やがて、タカネはひとりでに目を覚ますと、上体を起こした。そして起きるとともに、出入り口から人が静かに入ってくるのが見えた。交代の時間だった。
周りの若者たちは、みな寝入っていた。タカネはなにか得意な気がした。そして、不思議でもあった。夜番に慣れているからちょうどいい時間に起きてしまえるのか、それとも、交代に来た人の立てる微かな気配でも感じ取ったのだろうか。
タカネは手近な者の肩を揺すり、起こしていった。先輩のツムジも来て、若者たちを揺らしていく。すぐに、眠たげな若者たちが起き上がり、交代に来た青年たちは、広間で倒れるように横になっていった。
砦を囲う木の壁の間に、いくつか櫓がある。見張り番の若者たちは主塔を出ると、それぞれの櫓と門を持ち場にして分かれ、いくらかは櫓の間を巡回した。
タカネは門のすぐそばの櫓に割り当てられた。梯子を登り、狭い上部に立つ。タカネの他にハルもいた。
見張りは、つまるところただ立って起きているだけだった。タカネは慣れていたが、ハルはとても眠そうで、しきりに目を瞬いていた。櫓には手摺があるから外に落ちる心配はないだろうが、登ってきた梯子のある穴から落ちないとも限らなかった。もしも落っこちたら、ひどいことになりそうだな、とタカネは思った。
ハルは身を縮め、寒そうにしていた。冬の深夜だから、しょうがなかった。しかもこの若者は細身で、外套を引き寄せてかちかちと歯を鳴らす様が、痩せ衰えたように見えてなんとも痛ましい。
タカネはハルのそばに近づくと、腰に腕を回して身を寄せた。こうしていれば、少しは暖まるだろう。本当なら肩でも抱きたいところだったが、あいにく背が低いのでそれは叶わなかった。
しばらく、タカネは静かに立って、村があるはずの暗闇を眺めていた。ときおり、ハルはふらふらとしたが、それ以外には問題もない。寒々と震える友人にあえて言葉をかける気も起こらず、二人はなにも話さなかった。
タカネは、イワオが一緒の持ち場でないことにほっと息をついた。もしもここにイワオと二人でいたら、どうしたらいいか分からないだろう。きっとひどく緊張した夜になるはずだった。
そうして黙って見張りをしていると、ハルが囁いた。
「悪いなあ、タカネ。」
村のほうを見ていたタカネは、顔を上げた。ハルは疲れた顔をしていて、小さく震えていた。
「別になんでもないぜ。お前、本当にひどくなったら言えよ。毛布でももらってきてやる。」
タカネが答えると、ハルは眉を上げた。そして、ああ、というような笑みを零すと、首を振った。
「違う、タカネ。そういう意味じゃなくて――」
と、ハルは目をつむり、息を吐いた。考え込むように、しばし黙る。それから再び口を開いた。
「――おれじゃなくて、イワオだったらよかったのにな。」
ハルの言葉を聞いた途端に、タカネの胸に刺々しい思いが頭をもたげた。問い返す声にも、視線にも、苛立ちが滲むのが自分でも分かった。
「なんでだ。」
タカネの問いかけに、ハルは寂しそうに、薄く笑った。言葉を探すように目をつむる。タカネは急がず、相手が答えるのを待った。
「たぶんな、お前たち、ちゃんと話したほうがいいぜ。」
やがてハルは言って、また口をつぐんだ。疲れていて、言葉が思うように出ないのだろう。タカネは、その続きを辛抱強く待った。
「こんな機会、ないんだから。一発、あいつの肩でも叩いてやってくれよ。ずっと、寂しそうにしてたんだ。」
タカネは、鼻で笑った。
「そんなの、あいつの勝手だ。おれの知ったことじゃない。」
そう答える自分の声が、自分でも胸が悪くなるくらい刺々しく聞こえた。
ハルは沈んだ顔をした。
「だけど、お前しかこんなこと頼めないよ。」
「そんな話、あいつにしてやれ!」
タカネはどなった。
「おれに近づきたいなら、あいつから来ればいい。なんでおれが気にしてやらなけりゃならないんだ。」
タカネは、あの誓いの日を思い出した。イワオとの初めての、本気の喧嘩だった。あの屈辱、あの悔しさを思うと、血が沸き立った。
「タカネ――」
「あいつのせいなんだからな。あいつこそ、おれに言うことがあるだろう。なのにあいつ、うじうじ黙りこくりやがって。」
「――タァ。」
と、ハルはタカネの肩を掴み、揺すった。
「お前たちの間になにかあるのは、おれも知ってる。でもそのままじゃ、だめだろ。お前、すぐにまた、離れちまうんだぜ。」
タカネはなにも答えなかった。いかりが薄れ、熱くなっていた血が冷えていくような気がした。
「タァ、お前はどうしたらいいと思うんだ。お前は、あいつにどんなことを言って欲しい。それとも、ほんとうにこのまま離れちまっていいのか。」
これにも、タカネは答えなかった。どう答えたらいいのか、自分でも分からなかった。
二人が黙って見つめ合っていると、ふと、梯子が軋む音が聞こえた。床に空いた穴から、戦士のツムジが頭を出した。ツムジは二人を見て、首を傾げた。
「喧嘩でもしているかと思った。タカネ、声が大きいぞ。」
「すみません。」
タカネは俯いた。ツムジはタカネに向かって言った。
「降りてこい。――ああ、お前さんはいい。すぐ別のやつを上げる。」
ツムジは穴から降りていった。タカネはハルとしばし見合ったが、視線を外すと、ツムジに続いて降りた。
タカネが降りると、櫓の近くに少しばかり人だかりができていた。恥ずかしくて俯くしかなかった。そんなに大きな声でどなっていたのだということに、自分では気づいていなかった。
ツムジは人だかりから一人選ぶと、櫓に登らせた。そしてみなに持ち場に着くように言ってから、タカネを連れて中庭を歩き出した。
ツムジはタカネの肩を抱いていた。少年時代、イワオによくこうやって抱かれていたことが思い出された。それでなのか、大きな腕に抱かれると、心が落ち着いた。もっとも、いまではイワオは、戦士のツムジよりも大きくなっていたが。
人から離れたところで、ツムジが声をひそめて言った。
「どうして言い争っていた?」
先輩の問いに、タカネはすぐには答えなかった。しばし考えてから、口を開く。
「ツムジさんには関係ありません。」
そう突き放すように答えると、ツムジは小さく笑った。
「寂しいことを言ってくれるなよ。可愛い後輩のことを、心配したらいけないのか?」
タカネは答えず、ただ口を尖らせた。ツムジは大きな手で、小柄な後輩の頭をがしがしと撫でた。
「言ってみろ、タカネ。」
タカネはそれでも答えなかった。すると、ツムジは目を細めた。
「――恋だな。」
その言葉に、タカネはあんぐりと口を開けた。それから、すぐに首を振った。
「違いますよ。なんであんなやつ。おれと一言も口を利こうとしないくせに。」
ツムジは眉をひそめ、首を傾げた。
「なんだと。さっき言い争っていたところだろう。」
そう言われて、タカネは自分の勘違いに気づき、顔をさっと赤らめた。ツムジはハルのことを言っていたのだ。てっきり、イワオのことだと思ってしまったのに。
ツムジは、どうやらタカネの表情から、ことを読み取ったようだった。にやっと笑うと、囁いた。
「昼間に相手していた、あのガタイのいいやつだな。たしかイワオだったか。ぴったりな名前だよなあ、巌ってのは。なるほどな。」
タカネはツムジを睨みつけた。冗談じゃなかった。
「別に恋しているわけじゃありません。おれは恋なんてしたことない。」
ツムジは、タカネの言うことを聞いて、しばし口を閉ざした。にやにや笑いは薄れ、真剣な面持ちになる。
「で、なにを話していたんだ。」
タカネはやや躊躇したが、ハルと話したことを教えた。つまりタカネが戦士団の見習いとなって村を出てから、イワオが寂しそうにしていたということを。しかしあの喧嘩のことも、タカネの戦士団入団への誓いのことも、話さなかった。
すると、ツムジは半ばあきれたような顔をした。
「よく分からんな。お前が帰ってきたんだから、喜べばいいじゃねえか。」
「そうですよ。なのにあいつ、一言もおれに口を利こうとしない。」
「じゃあ、お前が声をかけてやればいいだろ。なんでそんなこともできないんだ。」
ツムジが聞くと、タカネは口をきつく閉ざした。ツムジは眉を上げた。
「イワオのことがきらいなのか。」
タカネは首を振った。
「すきなのか。」
それには、肩を軽くすくめた。
「昔から、あいつを――その――まあ――慕っていたというか、よく遊んでいましたよ。」
「それで、いまは、仲が悪くなったのか。」
ツムジが言う。タカネは苦々しく思いながら、俯いた。きらいではないが、確かに、仲は悪くなっていた。だがそれは、あくまでイワオのせいだ、としか思えなかった。
答えないタカネに、ツムジは溜め息をついた。
「なにか言えないような事情があるわけだ。おれが心配しているのはな、お前たちが会える機会は少ないからだ。いまのうちに、どうにかしておいたほうがいいと思う。一言か二言話せばいい。」
ツムジの顔を、タカネは見上げた。ハルと同じことを言う。たぶん、二人の言うことは正しいのだと、タカネは思った。
だが、なにがあっても、自分からイワオに近づいてやる気にはならなかった。イワオが自分で、タカネを遠ざけたのだ。だったら自分で近づいてこればいい。
ツムジはまた溜め息をついた。
「まあ、お前のすきなようにしな。これで今生の別れというわけでもないしな。ただ、後悔のないように。」
そう言って、ツムジは離れた。タカネは砦の中庭の隅にただ一人、しばらくの間突っ立っていた。
夕食が終われば、見張りを除いて、残りは休む時間になった。一同は三つの組に分けられ、一つ一つが交代で夜番をする。これも訓練の一部であり、今日と明日の晩は、こうして見張りを立てるのだ。
タカネたち年少の若者らは、最後の番になった。それで、食事を終えるとすぐ主塔に入り、その一階部分で横になった。一階の広間には厚く枯れ草と香草とが敷かれており、外套を体に巻いて横になれば、どこでも寝床になった。
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そうして疲れているのだが、すぐに寝付くことは難しい。襲撃があることを想定して、防具を身に着けたままだからだ。
一同の身に着けた胴鎧は、厚手の胴着に金属片を縫い付けたようなもので、柔軟性があった。寝るにも起きるにもひどく不便というわけではないが、それでも重みはあり、寝苦しいことには変わりなかった。
だがいくら寝苦しくとも、疲れていれば、どんな服を着ていても寝られるものだった。若者たちは無駄話をすることもなく、体を拭うこともできないことに不平を漏らすこともなく、一人また一人と眠りに落ちていった。
タカネは目をつむって他の者の寝息を聞きながら、眠れずに、物思いに耽っていた。
防具が重かったわけでも、汗に汚れた不快に苛立っていたわけでもなかった。もっとひどい環境で、もっと過酷な訓練をして、泥のように眠ったこともあった。鎧の重みと汗の匂いは、若い戦士には、すでに馴染みのものとなっていた。
タカネが眠れなかったのは、イワオのことを考えていたからだった。昼間のイワオとの訓練は、ひどく気持ちを荒立たせた。
おそらくその理由は、暴れ足りなかったからだろう。型を練習するだけでは、足りなかった。むしろ闘争心が煽られる。もっとちゃんとした試合をしたかった。イワオと、しっかりと力比べをしたかった。
だが同時に、それが虚しいことだとも思っていた。もしも試合をすれば、タカネはそう困難なく打ち勝つだろう。戦士として鍛錬してきたのだから、当然だった。力では勝てずとも、技では負けるはずはない。
それでイワオに勝ったとして、どんな意味があるのだろう。別に、イワオのことが憎いわけでもないのに。そんなことで、あの時の悔しさが無くなるわけでもないのに。
では一体自分がなにを求めているのかと考えると、途端に分からなくなった。イワオとの諍いを忘れて仲良くするのも違っているが、かといってきらっているわけでもない。むしろイワオのことは、あの時の喧嘩の後も、変わらず慕っていたのだった。
そういえば、とタカネは思った。イワオは、自分のことをどう思っているのだろうか。訓練の最中も、食事の間も、イワオとは言葉を交わしていない。
そんなことをぐるぐると考えていると、いつのまにやらタカネは眠りに落ちていた。
やがて、タカネはひとりでに目を覚ますと、上体を起こした。そして起きるとともに、出入り口から人が静かに入ってくるのが見えた。交代の時間だった。
周りの若者たちは、みな寝入っていた。タカネはなにか得意な気がした。そして、不思議でもあった。夜番に慣れているからちょうどいい時間に起きてしまえるのか、それとも、交代に来た人の立てる微かな気配でも感じ取ったのだろうか。
タカネは手近な者の肩を揺すり、起こしていった。先輩のツムジも来て、若者たちを揺らしていく。すぐに、眠たげな若者たちが起き上がり、交代に来た青年たちは、広間で倒れるように横になっていった。
砦を囲う木の壁の間に、いくつか櫓がある。見張り番の若者たちは主塔を出ると、それぞれの櫓と門を持ち場にして分かれ、いくらかは櫓の間を巡回した。
タカネは門のすぐそばの櫓に割り当てられた。梯子を登り、狭い上部に立つ。タカネの他にハルもいた。
見張りは、つまるところただ立って起きているだけだった。タカネは慣れていたが、ハルはとても眠そうで、しきりに目を瞬いていた。櫓には手摺があるから外に落ちる心配はないだろうが、登ってきた梯子のある穴から落ちないとも限らなかった。もしも落っこちたら、ひどいことになりそうだな、とタカネは思った。
ハルは身を縮め、寒そうにしていた。冬の深夜だから、しょうがなかった。しかもこの若者は細身で、外套を引き寄せてかちかちと歯を鳴らす様が、痩せ衰えたように見えてなんとも痛ましい。
タカネはハルのそばに近づくと、腰に腕を回して身を寄せた。こうしていれば、少しは暖まるだろう。本当なら肩でも抱きたいところだったが、あいにく背が低いのでそれは叶わなかった。
しばらく、タカネは静かに立って、村があるはずの暗闇を眺めていた。ときおり、ハルはふらふらとしたが、それ以外には問題もない。寒々と震える友人にあえて言葉をかける気も起こらず、二人はなにも話さなかった。
タカネは、イワオが一緒の持ち場でないことにほっと息をついた。もしもここにイワオと二人でいたら、どうしたらいいか分からないだろう。きっとひどく緊張した夜になるはずだった。
そうして黙って見張りをしていると、ハルが囁いた。
「悪いなあ、タカネ。」
村のほうを見ていたタカネは、顔を上げた。ハルは疲れた顔をしていて、小さく震えていた。
「別になんでもないぜ。お前、本当にひどくなったら言えよ。毛布でももらってきてやる。」
タカネが答えると、ハルは眉を上げた。そして、ああ、というような笑みを零すと、首を振った。
「違う、タカネ。そういう意味じゃなくて――」
と、ハルは目をつむり、息を吐いた。考え込むように、しばし黙る。それから再び口を開いた。
「――おれじゃなくて、イワオだったらよかったのにな。」
ハルの言葉を聞いた途端に、タカネの胸に刺々しい思いが頭をもたげた。問い返す声にも、視線にも、苛立ちが滲むのが自分でも分かった。
「なんでだ。」
タカネの問いかけに、ハルは寂しそうに、薄く笑った。言葉を探すように目をつむる。タカネは急がず、相手が答えるのを待った。
「たぶんな、お前たち、ちゃんと話したほうがいいぜ。」
やがてハルは言って、また口をつぐんだ。疲れていて、言葉が思うように出ないのだろう。タカネは、その続きを辛抱強く待った。
「こんな機会、ないんだから。一発、あいつの肩でも叩いてやってくれよ。ずっと、寂しそうにしてたんだ。」
タカネは、鼻で笑った。
「そんなの、あいつの勝手だ。おれの知ったことじゃない。」
そう答える自分の声が、自分でも胸が悪くなるくらい刺々しく聞こえた。
ハルは沈んだ顔をした。
「だけど、お前しかこんなこと頼めないよ。」
「そんな話、あいつにしてやれ!」
タカネはどなった。
「おれに近づきたいなら、あいつから来ればいい。なんでおれが気にしてやらなけりゃならないんだ。」
タカネは、あの誓いの日を思い出した。イワオとの初めての、本気の喧嘩だった。あの屈辱、あの悔しさを思うと、血が沸き立った。
「タカネ――」
「あいつのせいなんだからな。あいつこそ、おれに言うことがあるだろう。なのにあいつ、うじうじ黙りこくりやがって。」
「――タァ。」
と、ハルはタカネの肩を掴み、揺すった。
「お前たちの間になにかあるのは、おれも知ってる。でもそのままじゃ、だめだろ。お前、すぐにまた、離れちまうんだぜ。」
タカネはなにも答えなかった。いかりが薄れ、熱くなっていた血が冷えていくような気がした。
「タァ、お前はどうしたらいいと思うんだ。お前は、あいつにどんなことを言って欲しい。それとも、ほんとうにこのまま離れちまっていいのか。」
これにも、タカネは答えなかった。どう答えたらいいのか、自分でも分からなかった。
二人が黙って見つめ合っていると、ふと、梯子が軋む音が聞こえた。床に空いた穴から、戦士のツムジが頭を出した。ツムジは二人を見て、首を傾げた。
「喧嘩でもしているかと思った。タカネ、声が大きいぞ。」
「すみません。」
タカネは俯いた。ツムジはタカネに向かって言った。
「降りてこい。――ああ、お前さんはいい。すぐ別のやつを上げる。」
ツムジは穴から降りていった。タカネはハルとしばし見合ったが、視線を外すと、ツムジに続いて降りた。
タカネが降りると、櫓の近くに少しばかり人だかりができていた。恥ずかしくて俯くしかなかった。そんなに大きな声でどなっていたのだということに、自分では気づいていなかった。
ツムジは人だかりから一人選ぶと、櫓に登らせた。そしてみなに持ち場に着くように言ってから、タカネを連れて中庭を歩き出した。
ツムジはタカネの肩を抱いていた。少年時代、イワオによくこうやって抱かれていたことが思い出された。それでなのか、大きな腕に抱かれると、心が落ち着いた。もっとも、いまではイワオは、戦士のツムジよりも大きくなっていたが。
人から離れたところで、ツムジが声をひそめて言った。
「どうして言い争っていた?」
先輩の問いに、タカネはすぐには答えなかった。しばし考えてから、口を開く。
「ツムジさんには関係ありません。」
そう突き放すように答えると、ツムジは小さく笑った。
「寂しいことを言ってくれるなよ。可愛い後輩のことを、心配したらいけないのか?」
タカネは答えず、ただ口を尖らせた。ツムジは大きな手で、小柄な後輩の頭をがしがしと撫でた。
「言ってみろ、タカネ。」
タカネはそれでも答えなかった。すると、ツムジは目を細めた。
「――恋だな。」
その言葉に、タカネはあんぐりと口を開けた。それから、すぐに首を振った。
「違いますよ。なんであんなやつ。おれと一言も口を利こうとしないくせに。」
ツムジは眉をひそめ、首を傾げた。
「なんだと。さっき言い争っていたところだろう。」
そう言われて、タカネは自分の勘違いに気づき、顔をさっと赤らめた。ツムジはハルのことを言っていたのだ。てっきり、イワオのことだと思ってしまったのに。
ツムジは、どうやらタカネの表情から、ことを読み取ったようだった。にやっと笑うと、囁いた。
「昼間に相手していた、あのガタイのいいやつだな。たしかイワオだったか。ぴったりな名前だよなあ、巌ってのは。なるほどな。」
タカネはツムジを睨みつけた。冗談じゃなかった。
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ツムジは、タカネの言うことを聞いて、しばし口を閉ざした。にやにや笑いは薄れ、真剣な面持ちになる。
「で、なにを話していたんだ。」
タカネはやや躊躇したが、ハルと話したことを教えた。つまりタカネが戦士団の見習いとなって村を出てから、イワオが寂しそうにしていたということを。しかしあの喧嘩のことも、タカネの戦士団入団への誓いのことも、話さなかった。
すると、ツムジは半ばあきれたような顔をした。
「よく分からんな。お前が帰ってきたんだから、喜べばいいじゃねえか。」
「そうですよ。なのにあいつ、一言もおれに口を利こうとしない。」
「じゃあ、お前が声をかけてやればいいだろ。なんでそんなこともできないんだ。」
ツムジが聞くと、タカネは口をきつく閉ざした。ツムジは眉を上げた。
「イワオのことがきらいなのか。」
タカネは首を振った。
「すきなのか。」
それには、肩を軽くすくめた。
「昔から、あいつを――その――まあ――慕っていたというか、よく遊んでいましたよ。」
「それで、いまは、仲が悪くなったのか。」
ツムジが言う。タカネは苦々しく思いながら、俯いた。きらいではないが、確かに、仲は悪くなっていた。だがそれは、あくまでイワオのせいだ、としか思えなかった。
答えないタカネに、ツムジは溜め息をついた。
「なにか言えないような事情があるわけだ。おれが心配しているのはな、お前たちが会える機会は少ないからだ。いまのうちに、どうにかしておいたほうがいいと思う。一言か二言話せばいい。」
ツムジの顔を、タカネは見上げた。ハルと同じことを言う。たぶん、二人の言うことは正しいのだと、タカネは思った。
だが、なにがあっても、自分からイワオに近づいてやる気にはならなかった。イワオが自分で、タカネを遠ざけたのだ。だったら自分で近づいてこればいい。
ツムジはまた溜め息をついた。
「まあ、お前のすきなようにしな。これで今生の別れというわけでもないしな。ただ、後悔のないように。」
そう言って、ツムジは離れた。タカネは砦の中庭の隅にただ一人、しばらくの間突っ立っていた。
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