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1.苛立ち
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「さて、私は出かける。後は頼んだぞ。」
外套を羽織りながら、秘術師のアマミズが、二人の弟子に言った。師の荷物を持った人足は、すでに仕事場を出て、戸口で待っていた。
下の弟子であるツカは、苦々しい気持ちを胸に抱いていた。
そこは町にいくつかある秘術師の仕事場の一つだった。それも、治療や修理のような実際的な技を施す工房ではなく、なによりもまず、研究のための施設だった。その傍証に、ふつうの工房なら様々な呪術道具が置かれているはずの一階には、ただ手狭な玄関があるだけだった。本来の仕事場は、人目につかぬ建物の奥にあった。
このような仕事場で働けるということを、ツカは心から喜び、誇りに思っていた。治療や修理の術で金を稼ぐということを、この若者は軽んじていたのだ。
ツカはまだ見習いであったが、才能ある呪術師だった。師を手伝って、変幻自在で神秘に満ちた、この世の根源たる隠り世を探る仕事は、やりがいがあった。ツカにとっては、この世を超えたところを扱うことこそが呪術師にふさわしい仕事であり、癒やしや直しの術は、手の技に任せておくべきことだった。
しかしそうした仕事は、師がいなければできないことだった。そして、師はこれから数日、町の秘術師たちの後援者の一人の下で滞在するのだ。その間、ツカには実質的な仕事ができなかった。
なにが起こって師が呼ばれたのかには、ツカは興味もなく、聞いてもいなかった。だが、おそらくは家の誰かがちょっとした怪我でもしたか、物でも壊したか、なにか見世物でも欲しがったか、それとも、気まぐれに講義でも求めたかしたのだろう。後援者は秘術師の生活の面倒を見る代わりに、いろいろな口実で呼び出し、仕事をさせるのだ。裕福な後援者がいてこそ研究ができるのだから、必要な仕事ではあったが、それでも、まったく下らない仕事であることには変わりがなかった。
そんな下らない仕事のために師が何日も拘束され、残されるツカは実質的な仕事など許されず、資料の整理や掃除くらいしかすることがない。せめて、師に連れて行ってもらえれば、勉強することもできるかもしれない。しかし、いつもはツカを伴うというのに、今回は、師は見習いを連れて行こうとはしなかった。これでは不満を抱くなと言われても、無理な話だった。
しかし、とツカは思い、ちらと隣に立つ青年に横目を向けた。カゲリは、ひょっとして、師が留守にするのを楽しんでいるのではないだろうか。
カゲリはツカよりも五つは歳上で、短身で小太りなツカとは違って、長身で細く、器量のいい若者だった。もう何年か前に見習いではなくなり、正式な秘術師の仲間入りを果たしていた。
だがツカは、カゲリよりも自分のほうが術の腕は上だと思っていた。ツカは幼い頃に大地の魔力に取り憑かれ、それを制御するために呪術の手ほどきを受けねばならなかった。そしてそれからもずっと、修行と学習に精力を傾けていたのだ。
それに対して、カゲリは真面目な学習者とは言いがたかった。どんな仕事もそつなくこなすが、しかし秀でた秘術師とは言えず、加えて、放蕩なところがあり、夜な夜な遊び歩くことは多かった。
ツカは、師がいない隙に、カゲリがきっと夜遊びに耽るだろうと思って、軽蔑した笑みを小さく浮かべた。
すると、カゲリは横目でツカを見て、みるみるうちに顔色を変えた。しかしカゲリがなにか言い出す前に、師が再び口を開いた。
「お前たち二人に、仲良くせよとは言わん。だが、仕事を任されたからには、果たしてもらう。こんな機会でもなければ、整理やら掃除やらなどせんからな。」
そう言ってから、師はツカに顔を向けた。
「不満そうな顔をするな。お前も、もうじき正式に秘術師となる。我らが後援者殿のためにする講義など聞いたところで、なにも得られまい。お前を残すのは、そちらのほうが我々すべてのためになるからだ。理解するようつとめなさい。」
「分かっています。」
ツカは俯き加減に答えた。師は二人の弟子の顔を交互にじっと見つめた後、振り返り、戸口から出ていった。
師が去ってしまうと、残された二人はしばし立ち尽くしていた。しかしすぐに、カゲリが言った。
「さあ、仕事に取り掛かるぞ。お前にはつまらん仕事かもしれないけどな。」
ツカは鼻で笑った。
「実際、つまらない仕事さ。おれがしなくったって、誰かにやってもらえばいいようなもんさ。」
すると、カゲリはじろりとツカを睨んだ。
「やらなけりゃいけない仕事が、なんでもやりがいのある、面白い仕事だと思ってるなら、間違いだぞ。」
カゲリはふいと後ろを向いて、部屋の奥へと歩き出した。ツカは苛立ちを隠しもせずに、荒々しい足取りでその後に続いた。
玄関の突き当りには扉があり、それを抜けると、そこは幅の広い廊下になっていた。突き当りの壁には大きな窓があり、明かりを室内に取り込んでいる。廊下の壁には棚が備え付けられており、部屋には書物がたくさんあった。しかしそれらは棚に収まることなく、積み重なった本の山や、書類の束や、覚え書きが、そこら中に散らかっていた。
廊下の左右には一つずつ扉があって、その向こうが本来の仕事場だった。いずれも、他の工房の仕事場と同じくらいの広さがあった。秘術師アマミズの研究所は、大きく分けて二つの仕事をしていたから、二つの仕事場がなければいけなかった。
二人は何も言わず、黙って整頓をはじめた。この廊下の書物を散らかしたのは、主に師のアマミズとツカだった。二人には、物を片付けようという意識がほとんど欠落していた。曲がりなりにもまっすぐに歩くことができるだけの踏み場が残っているのは、それなりに几帳面なカゲリのおかげだった。
二人は書物を抱えては、大雑把な分類に従って、それを棚に戻していった。一番多いのは、隠り世を探索するための占術や、それによって得られた情報の覚え書きだった。これらが、この研究所の主要な産物だった。これはたいてい書類の束で、ときどき冊子の形をしているものもあった。それらは異界の六つの領域に合わせて、六つの棚に分類された。
その他に、たくさんの雑記があった。それらは、もはやいちいち読むことも大変なので、まとめて棚に放り込まれた。それから数少ない本――いくら後援者を持った秘術師にとっても、本はなお高価なものだった――は、扉付きの本棚に収めた上に、鍵をかけた。
しばらく整頓をしてから、ツカは溜め息をつき、手を止めた。まだ半分も仕事が終わっていないうちから、早くも飽き飽きとしていた。
「もっと重要な仕事を任せてくれたっていいのにな。」
ツカは言った。するとカゲリが後輩に、苛立ちの浮かんだ顔を向けた。
「お前にはまだ早いってことだろう。おれにだって、大掛かりな術は、師匠の監督がなけりゃ許されていないんだ。ちょっとは見習いとしての分をわきまえたらどうだ。」
その言葉にツカは、かっとなってどなり返した。
「見習いの分だって? おれに向かって、そんなこと言うなよ。おれだったら、師匠がいなくたって、霊体になって隠り世に行くことくらいできる。」
「おれにはそれができない、とでも言うのか?」
カゲリの端正な顔は、いかりで歪み、目は鋭くなった。
「霊体の分離なんざ、ここで働くなら当たり前の術だ。ああ、もちろん、お前だってあの世に行くことができるだろうよ。そんでいろいろなもんを見てこれるだろうよ。だがそこから、確実に、帰って来られるか?」
「帰ってこられるさ。おれはそのために、昼も夜も準備してきたんだからな。あんたとは――」
言いかけて、ツカは口をつぐんだ。とはいえそれは、言い過ぎだと思って止めたわけではなく、言わんとしたことをわざと途中で切って、いやらしく当てこすったのだった。
カゲリはその意図をしっかりと感じ取ったようで、その顔色はいかりにますます色濃く染まった。
「あんたとは違って、か?」
「そうだ。あんたが夜、ほっつき歩いている間にも、おれは勉強してきたからな。」
カゲリは黙ったまま、ツカの顔を睨みつけた。ツカは正面からその視線を受け止めた。二人はしばらく敵意の込もった目で睨み合っていたが、カゲリが、ふっと笑みを零し、視線を逸した。その軽蔑するような仕草に、ツカは喰い付いた。
「なにを笑ってんだ。」
「いや、なに、お前が重要なことは学ばなかったようだから、笑っちまっただけだ。」
「重要なことってのはなんだよ。誰かの腕に抱かれて、ひいひい喘いで見せることか?」
ツカの言葉に、カゲリはまた嘲笑った。
「お前、いやにおれのことに喰い付くじゃねえか。溜まってんのか? 抱いて欲しいんなら、いつでもいいぜ。」
色めき立ち、反論しようとしたツカを制して、カゲリは続けた。
「だが、ああ、重要なことか。そいつは、呪術に確実なものなんてないってことだ。お前がいくら呪術の腕がよくても、間違いが起こることは避けられない。」
「子どもの頃の他は、おれはこれまでに、失敗なんてしたことなんてない。夜遊びばかりしているお前とは違うんだ。」
ツカは大声で言った。カゲリは鼻を鳴らし、苛々と首を振った。
「いつか失敗するぞ。いつか痛い目を見る。遅かれ、早かれな。どうして師匠が、いつも助手がいなければ、異界に繋がる術を使わないと思う。危険だからだ。どんな呪術師にだって、隠り世は完全には支配できない。それが分かっていないお前には、大きな仕事なんて任せられるはずがない。」
ツカはいかりに息を荒げた。だが、何も言わなかった。言葉で言っても意味はなかった。自分の力を見せつけるためには、実際に、なにか大きなことをして見せなければならなかった。そうすれば、この先輩も、自分の力を認めるだろう。
カゲリが、大げさに溜め息をついた。
「疲れた。もう片付けは明日にするぞ。どうせ、師匠だってすぐに帰ってくるわけじゃないんだ。」
カゲリはそう言って、部屋を出て、玄関に向かった。ツカはその後ろすがたを黙って見送った。それから、廊下の奥にある、本を収めた戸棚に向かった。
両開きの戸棚には、鍵がかかっていた。その鍵は、カゲリと師のアマミズだけが持っていた。だが、ツカには鍵などなんの意味もなかった。
秘術師見習いは錠に指で触れた。それは金属でできていた。目を瞑り、指先にある冷たい感触に集中する。そして、口を開いた。
「地の腹から出た者よ。土と石と金属よ。暗がりに眠る者、鎚と火をもって鍛えられた者よ。お前たちは我が下僕。我が前より退き、お前の蔵する秘密を明かせ。地の腹から出た者よ――。」
ツカは何度か繰り返し呪文を唱えた。そうしながら、その命の霊は肉体から少し滲み出て、指で触れた錠に入り込んでいった。すると、ツカは地の底へと引き込まれるような感じを覚えた。それは大地との繋がりを作った時に覚える感覚だった。
秘術師であるだけでなく、地の魔術師でもあるツカは、大地とそこから生じるものを支配する術に長けていた。それも、秘術を使うためには必要となる元素的な材料も、大地の術を使うに当たっては不必要だった。ツカにとっては、金属でできた錠は、なんの障壁にもならなかった。
錠が、かちっと音を立てた。ツカは溜め息をついた。いくら慣れていても、術の使用には消耗が伴う。しかしツカは、ことに大地の術を使う時には、それほどの疲労を覚えることはなかった。少しばかり走って息を切らしたという程度だ。
ツカは戸を開き、師の蔵書を見た。そして目的の本を手に取ると、戸を閉めた。そして、通路にある二つの扉の一つを開き、作業場の一つである、呼び出しの間へと入った。
外套を羽織りながら、秘術師のアマミズが、二人の弟子に言った。師の荷物を持った人足は、すでに仕事場を出て、戸口で待っていた。
下の弟子であるツカは、苦々しい気持ちを胸に抱いていた。
そこは町にいくつかある秘術師の仕事場の一つだった。それも、治療や修理のような実際的な技を施す工房ではなく、なによりもまず、研究のための施設だった。その傍証に、ふつうの工房なら様々な呪術道具が置かれているはずの一階には、ただ手狭な玄関があるだけだった。本来の仕事場は、人目につかぬ建物の奥にあった。
このような仕事場で働けるということを、ツカは心から喜び、誇りに思っていた。治療や修理の術で金を稼ぐということを、この若者は軽んじていたのだ。
ツカはまだ見習いであったが、才能ある呪術師だった。師を手伝って、変幻自在で神秘に満ちた、この世の根源たる隠り世を探る仕事は、やりがいがあった。ツカにとっては、この世を超えたところを扱うことこそが呪術師にふさわしい仕事であり、癒やしや直しの術は、手の技に任せておくべきことだった。
しかしそうした仕事は、師がいなければできないことだった。そして、師はこれから数日、町の秘術師たちの後援者の一人の下で滞在するのだ。その間、ツカには実質的な仕事ができなかった。
なにが起こって師が呼ばれたのかには、ツカは興味もなく、聞いてもいなかった。だが、おそらくは家の誰かがちょっとした怪我でもしたか、物でも壊したか、なにか見世物でも欲しがったか、それとも、気まぐれに講義でも求めたかしたのだろう。後援者は秘術師の生活の面倒を見る代わりに、いろいろな口実で呼び出し、仕事をさせるのだ。裕福な後援者がいてこそ研究ができるのだから、必要な仕事ではあったが、それでも、まったく下らない仕事であることには変わりがなかった。
そんな下らない仕事のために師が何日も拘束され、残されるツカは実質的な仕事など許されず、資料の整理や掃除くらいしかすることがない。せめて、師に連れて行ってもらえれば、勉強することもできるかもしれない。しかし、いつもはツカを伴うというのに、今回は、師は見習いを連れて行こうとはしなかった。これでは不満を抱くなと言われても、無理な話だった。
しかし、とツカは思い、ちらと隣に立つ青年に横目を向けた。カゲリは、ひょっとして、師が留守にするのを楽しんでいるのではないだろうか。
カゲリはツカよりも五つは歳上で、短身で小太りなツカとは違って、長身で細く、器量のいい若者だった。もう何年か前に見習いではなくなり、正式な秘術師の仲間入りを果たしていた。
だがツカは、カゲリよりも自分のほうが術の腕は上だと思っていた。ツカは幼い頃に大地の魔力に取り憑かれ、それを制御するために呪術の手ほどきを受けねばならなかった。そしてそれからもずっと、修行と学習に精力を傾けていたのだ。
それに対して、カゲリは真面目な学習者とは言いがたかった。どんな仕事もそつなくこなすが、しかし秀でた秘術師とは言えず、加えて、放蕩なところがあり、夜な夜な遊び歩くことは多かった。
ツカは、師がいない隙に、カゲリがきっと夜遊びに耽るだろうと思って、軽蔑した笑みを小さく浮かべた。
すると、カゲリは横目でツカを見て、みるみるうちに顔色を変えた。しかしカゲリがなにか言い出す前に、師が再び口を開いた。
「お前たち二人に、仲良くせよとは言わん。だが、仕事を任されたからには、果たしてもらう。こんな機会でもなければ、整理やら掃除やらなどせんからな。」
そう言ってから、師はツカに顔を向けた。
「不満そうな顔をするな。お前も、もうじき正式に秘術師となる。我らが後援者殿のためにする講義など聞いたところで、なにも得られまい。お前を残すのは、そちらのほうが我々すべてのためになるからだ。理解するようつとめなさい。」
「分かっています。」
ツカは俯き加減に答えた。師は二人の弟子の顔を交互にじっと見つめた後、振り返り、戸口から出ていった。
師が去ってしまうと、残された二人はしばし立ち尽くしていた。しかしすぐに、カゲリが言った。
「さあ、仕事に取り掛かるぞ。お前にはつまらん仕事かもしれないけどな。」
ツカは鼻で笑った。
「実際、つまらない仕事さ。おれがしなくったって、誰かにやってもらえばいいようなもんさ。」
すると、カゲリはじろりとツカを睨んだ。
「やらなけりゃいけない仕事が、なんでもやりがいのある、面白い仕事だと思ってるなら、間違いだぞ。」
カゲリはふいと後ろを向いて、部屋の奥へと歩き出した。ツカは苛立ちを隠しもせずに、荒々しい足取りでその後に続いた。
玄関の突き当りには扉があり、それを抜けると、そこは幅の広い廊下になっていた。突き当りの壁には大きな窓があり、明かりを室内に取り込んでいる。廊下の壁には棚が備え付けられており、部屋には書物がたくさんあった。しかしそれらは棚に収まることなく、積み重なった本の山や、書類の束や、覚え書きが、そこら中に散らかっていた。
廊下の左右には一つずつ扉があって、その向こうが本来の仕事場だった。いずれも、他の工房の仕事場と同じくらいの広さがあった。秘術師アマミズの研究所は、大きく分けて二つの仕事をしていたから、二つの仕事場がなければいけなかった。
二人は何も言わず、黙って整頓をはじめた。この廊下の書物を散らかしたのは、主に師のアマミズとツカだった。二人には、物を片付けようという意識がほとんど欠落していた。曲がりなりにもまっすぐに歩くことができるだけの踏み場が残っているのは、それなりに几帳面なカゲリのおかげだった。
二人は書物を抱えては、大雑把な分類に従って、それを棚に戻していった。一番多いのは、隠り世を探索するための占術や、それによって得られた情報の覚え書きだった。これらが、この研究所の主要な産物だった。これはたいてい書類の束で、ときどき冊子の形をしているものもあった。それらは異界の六つの領域に合わせて、六つの棚に分類された。
その他に、たくさんの雑記があった。それらは、もはやいちいち読むことも大変なので、まとめて棚に放り込まれた。それから数少ない本――いくら後援者を持った秘術師にとっても、本はなお高価なものだった――は、扉付きの本棚に収めた上に、鍵をかけた。
しばらく整頓をしてから、ツカは溜め息をつき、手を止めた。まだ半分も仕事が終わっていないうちから、早くも飽き飽きとしていた。
「もっと重要な仕事を任せてくれたっていいのにな。」
ツカは言った。するとカゲリが後輩に、苛立ちの浮かんだ顔を向けた。
「お前にはまだ早いってことだろう。おれにだって、大掛かりな術は、師匠の監督がなけりゃ許されていないんだ。ちょっとは見習いとしての分をわきまえたらどうだ。」
その言葉にツカは、かっとなってどなり返した。
「見習いの分だって? おれに向かって、そんなこと言うなよ。おれだったら、師匠がいなくたって、霊体になって隠り世に行くことくらいできる。」
「おれにはそれができない、とでも言うのか?」
カゲリの端正な顔は、いかりで歪み、目は鋭くなった。
「霊体の分離なんざ、ここで働くなら当たり前の術だ。ああ、もちろん、お前だってあの世に行くことができるだろうよ。そんでいろいろなもんを見てこれるだろうよ。だがそこから、確実に、帰って来られるか?」
「帰ってこられるさ。おれはそのために、昼も夜も準備してきたんだからな。あんたとは――」
言いかけて、ツカは口をつぐんだ。とはいえそれは、言い過ぎだと思って止めたわけではなく、言わんとしたことをわざと途中で切って、いやらしく当てこすったのだった。
カゲリはその意図をしっかりと感じ取ったようで、その顔色はいかりにますます色濃く染まった。
「あんたとは違って、か?」
「そうだ。あんたが夜、ほっつき歩いている間にも、おれは勉強してきたからな。」
カゲリは黙ったまま、ツカの顔を睨みつけた。ツカは正面からその視線を受け止めた。二人はしばらく敵意の込もった目で睨み合っていたが、カゲリが、ふっと笑みを零し、視線を逸した。その軽蔑するような仕草に、ツカは喰い付いた。
「なにを笑ってんだ。」
「いや、なに、お前が重要なことは学ばなかったようだから、笑っちまっただけだ。」
「重要なことってのはなんだよ。誰かの腕に抱かれて、ひいひい喘いで見せることか?」
ツカの言葉に、カゲリはまた嘲笑った。
「お前、いやにおれのことに喰い付くじゃねえか。溜まってんのか? 抱いて欲しいんなら、いつでもいいぜ。」
色めき立ち、反論しようとしたツカを制して、カゲリは続けた。
「だが、ああ、重要なことか。そいつは、呪術に確実なものなんてないってことだ。お前がいくら呪術の腕がよくても、間違いが起こることは避けられない。」
「子どもの頃の他は、おれはこれまでに、失敗なんてしたことなんてない。夜遊びばかりしているお前とは違うんだ。」
ツカは大声で言った。カゲリは鼻を鳴らし、苛々と首を振った。
「いつか失敗するぞ。いつか痛い目を見る。遅かれ、早かれな。どうして師匠が、いつも助手がいなければ、異界に繋がる術を使わないと思う。危険だからだ。どんな呪術師にだって、隠り世は完全には支配できない。それが分かっていないお前には、大きな仕事なんて任せられるはずがない。」
ツカはいかりに息を荒げた。だが、何も言わなかった。言葉で言っても意味はなかった。自分の力を見せつけるためには、実際に、なにか大きなことをして見せなければならなかった。そうすれば、この先輩も、自分の力を認めるだろう。
カゲリが、大げさに溜め息をついた。
「疲れた。もう片付けは明日にするぞ。どうせ、師匠だってすぐに帰ってくるわけじゃないんだ。」
カゲリはそう言って、部屋を出て、玄関に向かった。ツカはその後ろすがたを黙って見送った。それから、廊下の奥にある、本を収めた戸棚に向かった。
両開きの戸棚には、鍵がかかっていた。その鍵は、カゲリと師のアマミズだけが持っていた。だが、ツカには鍵などなんの意味もなかった。
秘術師見習いは錠に指で触れた。それは金属でできていた。目を瞑り、指先にある冷たい感触に集中する。そして、口を開いた。
「地の腹から出た者よ。土と石と金属よ。暗がりに眠る者、鎚と火をもって鍛えられた者よ。お前たちは我が下僕。我が前より退き、お前の蔵する秘密を明かせ。地の腹から出た者よ――。」
ツカは何度か繰り返し呪文を唱えた。そうしながら、その命の霊は肉体から少し滲み出て、指で触れた錠に入り込んでいった。すると、ツカは地の底へと引き込まれるような感じを覚えた。それは大地との繋がりを作った時に覚える感覚だった。
秘術師であるだけでなく、地の魔術師でもあるツカは、大地とそこから生じるものを支配する術に長けていた。それも、秘術を使うためには必要となる元素的な材料も、大地の術を使うに当たっては不必要だった。ツカにとっては、金属でできた錠は、なんの障壁にもならなかった。
錠が、かちっと音を立てた。ツカは溜め息をついた。いくら慣れていても、術の使用には消耗が伴う。しかしツカは、ことに大地の術を使う時には、それほどの疲労を覚えることはなかった。少しばかり走って息を切らしたという程度だ。
ツカは戸を開き、師の蔵書を見た。そして目的の本を手に取ると、戸を閉めた。そして、通路にある二つの扉の一つを開き、作業場の一つである、呼び出しの間へと入った。
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