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夏休みの初め、サークル等に入っていない俺は特に予定もなく、アルバイト漬けの日々を送っていた。
夏期講習は稼ぎ時であり、生徒の数も講師の数も増える。
夜も遅い時間まで授業だ。
隣のブースで保護者との面談をしている太田先生の声を聞きながら、俺は優実に数学を教えていた。
「二次関数って何、これ何に使うの?こんなの知らなくても生活するのに困らないよね。今すぐ教科書から取り除くべきじゃない?」
「ぶつぶつ言わない。場合分けが複雑に思えるだけで、実際はそんなに難しくないよ」
「そうやってセンセイはあたしを 誑かす」
優実ちゃんがまた減らず口を叩いている。
無視をすればいいだけなのだが俺もついつい話に乗ってしまう。
そうやって話してしまうのは、優実ちゃんの人当たりが良いからだろう。
「 誑かしてない。今回の問題はaの値がプラスかゼロかマイナスか、三つのパターンしかないんだから。同じ二次関数でも、もう少し授業が進めばもっと難しい問題が出てくるよ」
「aがプラスかマイナスかで答えが変わるなんて、男か女かで態度が変わるちょっと性悪なオンナみたいであたしキライ。橘センセイはそんな女がいいの?」
「俺の好みのタイプはどうでもいいの。数学の話だよ。ほら、いつもみたいにやってみなよ。どうせこの問題も理解してるんでしょ?」
「ああ、彼女ナシはこれだから。橘センセイ、それじゃ悪女に騙されるよ」
「ご親切にどうも。ほら、早く」
いつも通り、優実ちゃんは散々不平を漏らしてから問題に取り掛かった。
この程度の問題ならおそらく五分とかからず解き終わるだろう。
不平を言う時間をきちんと問題に取り組む時間にあてれば、三倍は効率よく進むのに。
まあ、本人にやる気がないのでしかたないのだが。
授業を全部終え、日報を書いていると優実ちゃんが話しかけてきた。
「センセイ、うちの親、今日迎えに来れないみたい。家まで送ってってー」
「あれ?自転車は?」
「今日は来る時送ってもらったの。帰りはなんでかわかんないけど来れないみたい」
明らかに何かを誤魔化している。優実ちゃんは何事もはっきりというタイプの人間だ。
来られない理由が分からなければ分からないなりに、「連絡しても返信が来ない」とか「理由は教えてもらえなかった」と、自分の分かる範囲で正直に説明をするはずだ。
こんな曖昧な言い方をすることなど滅多にない。正直に言えない理由が何かあるのだろうか。
もし優実ちゃんが「親と連絡が取れない」と言ったら、俺はどう行動するか。
おそらく塾から家に電話をかけ、連絡が取れるまで待機になるだろう。
きっとそれでは困る理由があるから、優実ちゃんはあんなに歯切れの悪い言い方をしたのだろう。
俺に話したいことでもあるのか。
いや、考えすぎだろうか。
とにかくあまりいい予感はしないな。
とは言っても若い娘をこんな夜遅くに歩いて帰らせるわけにはいかないから、俺は優実ちゃんに自習席でもう少し待つように言い、急いで日報を書き上げた。
日報の提出をして太田先生から帰宅の許可を得られたので、声をかけようと自習席に座る優実ちゃんを見た。
離れて見ると、気品のある少女であることに気付く。
普段の授業では悪戯っぽい笑みを浮かべているせいか、あどけなさが目立つが、まじめな顔をしていると知的な雰囲気がうかがえる。
「優実ちゃん」
優実ちゃんは考えごとでもしていたのか、体をびくりと震わせたが、すぐに立ち上がって鞄を持ち、俺のところへ来た。
塾を出て駐車場に止めている俺の車に乗り、俺はエンジンをかけて車を走らせた。
「家は病院のそば?」
「うん。病院のそばのコンビニを曲がってまっすぐ。よろしくー」
「はいはいお嬢様」
車を走らせている間、優実ちゃんは学校のことを話したり、ラジオのパーソナリティーの問いかけに一方的に答えたりと、普段より喋っていた。
俺は特に話すこともないのでただひたすら相槌を打っていた。
途中、優実ちゃんが「喉が渇いたから何か飲みたい」と言ったため、途中にあったドラッグストアに車を止めた。
「俺は車で待ってるよ」
「えー、ツマんないの。何か買ってくる?」
「いや、いい」
「あ、そう。じゃ、行ってきまーす」
十分ほど経って優実ちゃんが戻ってきた。
手には桃味の清涼飲料水のボトルが握られていた。
車を走らせようとエンジンをかけ、シフトレバーに手をかけると優実ちゃんは「出発するのは待って」と焦ったように言った。
「え?」
「もう少し、センセイとお話ししたい」
優実ちゃんは少し恥ずかしがるように言った。
普段の優実ちゃんからは想像もできないような内気な態度である。
少しだけ可愛らしい。
同時に嫌な予感がした。
塾講師をして二年以上経つが、女子生徒から二人で話したいと言われる時は決まって 碌なことがない。
ひょっとしたら重大な悩みかもしれない、と思って真剣に話を聞くものの、ほとんどの場合は学校の男性の先生が気持ち悪いとか、男子生徒に迫られて困っているという、非常に反応しづらいものである。
男である自分も非難されているような気持になり居心地が悪くなる。
返事に困った挙句、「大変だね」と素っ気なく伝え、相手からは「冷たい」と文句が飛んでくるというのが一連の流れだ。
もしも本当に困っているのであれば力になってあげたいが、面倒なことはできれば避けたいとも思っている。
俺は卑怯な人間なのだ。
「あんまり遅くなると親御さんが心配するよ」
「遅くなるって言ってあるから平気だよ」
「あれ?親御さん、迎えに来られないって言ってたんじゃなかった?優実ちゃんが来なくていいって言ったの?」
「オトコだったら細かいことを気にしちゃいけないヨ」
「帰るよ」
俺は再度シフトレバーに手をかける。
「お願い!あと五分でいいから」
俺は小さくため息を吐いてシフトレバーから手を放し、エンジンを止めた。
「何かあったの?学校?」
話したいとは言ったものの優実ちゃんがなかなか話し出さないので、俺から話しかけた。
「俺は男だから、女の子がどういうことに悩んでいるのか分からないけど、話だけなら聞くよ。本格的に相談したいなら学校の先生とか女友達に」
「そういうのじゃないの。エーと」
俺の話を遮って優実ちゃんが発言した。
優実は落ち着かない様子で髪を弄り、手を膝に置いて意を決したように切り出した。
「今度、神社でお祭りがあるでしょ?アタシ、センセイに一緒に行ってほしいの」
「えっ、俺に?」
「そう。橘センセイに」
予想外の言葉に俺はたじろいだ。
女の子、しかも塾の教え子である優実ちゃんからお祭りの誘いが来るなど思ってもみなかった。
本気だろうか?いつものように俺をからかっているだけではないか。
優実ちゃんの方を見ると、優実ちゃんはうつむき気味に膝の上に置いた手を握ったり開いたりしていて落ち着きがない。
「なんで俺?他に行く人いないとか?」
「もうっ、センセイって本当に鈍いね。そこまで言わないと分からない?アタシは橘センセイと一緒にお祭りに行きたいのっ」
優実ちゃんは声を荒立たせた。
普段は余裕に満ち溢れている優実ちゃんが取り乱しているのを見て、俺はさらに混乱した。
「センセイ、アタシはね、センセイのことが好きなの。だから、一緒にお祭り行きたいの。少しくらいアタシの気持ちを察してくれてもいいでしょ。鈍感なんだから!」
優実ちゃんは目に涙を浮かべている。
俺は混乱しつつも、優実ちゃんを泣かせるまで気づかない自分の鈍感さを反省した。
俺のことが好き?本気か?
嬉しいか嬉しくないかで言ったら、正直嬉しい。
自分に好意を持ってくれる人間がいるというのは気分に悪いものではない。
それと同時にかなりの困惑が俺の心を覆っている。
勝手に幻滅された過去の嫌な思い出、教師と生徒という許されない関係性、藤谷さんの事が好きだという自分の感情、藤谷さんと恭平の関係の疑惑。
全てがパレットの上の絵の具のように混ざり切らずに合わさって、俺の頭を混沌とさせている。
何と声をかけるか考えあぐねている間に優実ちゃんは声を出して泣き出してしまった。
自分が優実ちゃんをこんなに苦しめていたとは、想像もしていなかった。
優実ちゃんのために、俺に今できることは、気持ちが落ち着くまでそばにいることだけだ。
優実ちゃんが泣き止むまで、何も言わずに車に備え付けていたティッシュを差し出し続けた。
そして優実ちゃんが落ち着いたタイミングを見計らって、ゆっくりと車を発進させた。
「センセイ、さっきのやつの返事、ちゃんと考えといてね。ゼッタイだよ」
優実ちゃんの家に車を停止させ、優実ちゃんは車を降りて、ドアを閉める直前に言った。
「わかった。もう少し待ってて。じゃあ、おやすみ」
俺は優しく言ったつもりだったが、気に障ったのだろうか、優実ちゃんは少し乱暴にドアを閉めて家に入って行った。
さて、どうするか。
俺は車を走らせながら、頭を整理しようとした。
優実ちゃんがなぜ自分なんかを好きになったのか。
いつから好きになったのか。
何かアプローチされていたのかもしれないが、俺には心当たりが全くなかった。
それは俺が優実ちゃんを、女性としてまったく見ていなかったのが原因かもしれない。
俺と優実ちゃんの関係はあくまで講師と生徒だ。
それ以外の関係性など一切ない。
俺はそう思っていた。
しかし、優実ちゃんは違っていたらしい。
太田先生には生徒とは絶対付き合うなと言われ続けている。
俺はそのたびに、なぜそんなに忠告してくるのか理解できなかったが、いまこの状態に置かれ、ようやく太田先生の意図を理解できた気がした。
きっと今までにも生徒と講師の間で恋愛に関するいざこざがあったのだろう。
優実ちゃんへの返事はどうするか。
俺は優実ちゃんに特別な感情を抱いていない。
とは言っても、優実ちゃんが嫌いなわけではないが、好きかと言われたらノーだ。
俺の頭には藤谷さんの顔が浮かんでいだ。
俺にとって唯一憧れの存在である女の子。
俺は不器用な人間だから、二人の女の子を同時に愛するなんてできないし、したくない。
もし優実ちゃんとの関係を選んでしまえば、藤谷さんとの関係が深くなることはおそらくない。
俺は何故かそれを口惜しく感じている。
この先藤谷さんと仲良くなる保証なんてどこにもないのに。
そもそも俺は藤谷さんのことを美人で憧れの存在だと思っているが、もしかしてそれは一人のファンのようなものであって、心から好きだと断言できるだろうか。
それに俺の存在を藤谷さんに覚えてもらっているのかさえ怪しい。
そして何より、藤谷さんには恭平という彼氏がいるかもしれない。
だから、優実ちゃんを振ったとしても、藤谷さんと仲良くなれる可能性など低い。
だったら優実ちゃんと付き合ってしまえばいいのではないか。
今は好きじゃなくても付き合っていくうちに好きになる可能性がある。
しかし、恭平のことは誤解で、藤谷さんと仲良くなれる、あわよくば付き合える可能性が数パーセントでもあれば、俺は期待してしまう。
だから優実ちゃんの気持ちに応えていいものかどうか、踏ん切りがつかない。
煮え切らない中途半端な男だと嫌になるほど痛感する。
藤谷さんと優実ちゃん、どちらを選ぶのか───と言っても藤谷さんについては選ぶ権利はないのだが───俺は決めかねていた。
家に着き、車を止めた後も、俺は車から降りずに頭を抱えて考え込んでいた。
夏期講習は稼ぎ時であり、生徒の数も講師の数も増える。
夜も遅い時間まで授業だ。
隣のブースで保護者との面談をしている太田先生の声を聞きながら、俺は優実に数学を教えていた。
「二次関数って何、これ何に使うの?こんなの知らなくても生活するのに困らないよね。今すぐ教科書から取り除くべきじゃない?」
「ぶつぶつ言わない。場合分けが複雑に思えるだけで、実際はそんなに難しくないよ」
「そうやってセンセイはあたしを 誑かす」
優実ちゃんがまた減らず口を叩いている。
無視をすればいいだけなのだが俺もついつい話に乗ってしまう。
そうやって話してしまうのは、優実ちゃんの人当たりが良いからだろう。
「 誑かしてない。今回の問題はaの値がプラスかゼロかマイナスか、三つのパターンしかないんだから。同じ二次関数でも、もう少し授業が進めばもっと難しい問題が出てくるよ」
「aがプラスかマイナスかで答えが変わるなんて、男か女かで態度が変わるちょっと性悪なオンナみたいであたしキライ。橘センセイはそんな女がいいの?」
「俺の好みのタイプはどうでもいいの。数学の話だよ。ほら、いつもみたいにやってみなよ。どうせこの問題も理解してるんでしょ?」
「ああ、彼女ナシはこれだから。橘センセイ、それじゃ悪女に騙されるよ」
「ご親切にどうも。ほら、早く」
いつも通り、優実ちゃんは散々不平を漏らしてから問題に取り掛かった。
この程度の問題ならおそらく五分とかからず解き終わるだろう。
不平を言う時間をきちんと問題に取り組む時間にあてれば、三倍は効率よく進むのに。
まあ、本人にやる気がないのでしかたないのだが。
授業を全部終え、日報を書いていると優実ちゃんが話しかけてきた。
「センセイ、うちの親、今日迎えに来れないみたい。家まで送ってってー」
「あれ?自転車は?」
「今日は来る時送ってもらったの。帰りはなんでかわかんないけど来れないみたい」
明らかに何かを誤魔化している。優実ちゃんは何事もはっきりというタイプの人間だ。
来られない理由が分からなければ分からないなりに、「連絡しても返信が来ない」とか「理由は教えてもらえなかった」と、自分の分かる範囲で正直に説明をするはずだ。
こんな曖昧な言い方をすることなど滅多にない。正直に言えない理由が何かあるのだろうか。
もし優実ちゃんが「親と連絡が取れない」と言ったら、俺はどう行動するか。
おそらく塾から家に電話をかけ、連絡が取れるまで待機になるだろう。
きっとそれでは困る理由があるから、優実ちゃんはあんなに歯切れの悪い言い方をしたのだろう。
俺に話したいことでもあるのか。
いや、考えすぎだろうか。
とにかくあまりいい予感はしないな。
とは言っても若い娘をこんな夜遅くに歩いて帰らせるわけにはいかないから、俺は優実ちゃんに自習席でもう少し待つように言い、急いで日報を書き上げた。
日報の提出をして太田先生から帰宅の許可を得られたので、声をかけようと自習席に座る優実ちゃんを見た。
離れて見ると、気品のある少女であることに気付く。
普段の授業では悪戯っぽい笑みを浮かべているせいか、あどけなさが目立つが、まじめな顔をしていると知的な雰囲気がうかがえる。
「優実ちゃん」
優実ちゃんは考えごとでもしていたのか、体をびくりと震わせたが、すぐに立ち上がって鞄を持ち、俺のところへ来た。
塾を出て駐車場に止めている俺の車に乗り、俺はエンジンをかけて車を走らせた。
「家は病院のそば?」
「うん。病院のそばのコンビニを曲がってまっすぐ。よろしくー」
「はいはいお嬢様」
車を走らせている間、優実ちゃんは学校のことを話したり、ラジオのパーソナリティーの問いかけに一方的に答えたりと、普段より喋っていた。
俺は特に話すこともないのでただひたすら相槌を打っていた。
途中、優実ちゃんが「喉が渇いたから何か飲みたい」と言ったため、途中にあったドラッグストアに車を止めた。
「俺は車で待ってるよ」
「えー、ツマんないの。何か買ってくる?」
「いや、いい」
「あ、そう。じゃ、行ってきまーす」
十分ほど経って優実ちゃんが戻ってきた。
手には桃味の清涼飲料水のボトルが握られていた。
車を走らせようとエンジンをかけ、シフトレバーに手をかけると優実ちゃんは「出発するのは待って」と焦ったように言った。
「え?」
「もう少し、センセイとお話ししたい」
優実ちゃんは少し恥ずかしがるように言った。
普段の優実ちゃんからは想像もできないような内気な態度である。
少しだけ可愛らしい。
同時に嫌な予感がした。
塾講師をして二年以上経つが、女子生徒から二人で話したいと言われる時は決まって 碌なことがない。
ひょっとしたら重大な悩みかもしれない、と思って真剣に話を聞くものの、ほとんどの場合は学校の男性の先生が気持ち悪いとか、男子生徒に迫られて困っているという、非常に反応しづらいものである。
男である自分も非難されているような気持になり居心地が悪くなる。
返事に困った挙句、「大変だね」と素っ気なく伝え、相手からは「冷たい」と文句が飛んでくるというのが一連の流れだ。
もしも本当に困っているのであれば力になってあげたいが、面倒なことはできれば避けたいとも思っている。
俺は卑怯な人間なのだ。
「あんまり遅くなると親御さんが心配するよ」
「遅くなるって言ってあるから平気だよ」
「あれ?親御さん、迎えに来られないって言ってたんじゃなかった?優実ちゃんが来なくていいって言ったの?」
「オトコだったら細かいことを気にしちゃいけないヨ」
「帰るよ」
俺は再度シフトレバーに手をかける。
「お願い!あと五分でいいから」
俺は小さくため息を吐いてシフトレバーから手を放し、エンジンを止めた。
「何かあったの?学校?」
話したいとは言ったものの優実ちゃんがなかなか話し出さないので、俺から話しかけた。
「俺は男だから、女の子がどういうことに悩んでいるのか分からないけど、話だけなら聞くよ。本格的に相談したいなら学校の先生とか女友達に」
「そういうのじゃないの。エーと」
俺の話を遮って優実ちゃんが発言した。
優実は落ち着かない様子で髪を弄り、手を膝に置いて意を決したように切り出した。
「今度、神社でお祭りがあるでしょ?アタシ、センセイに一緒に行ってほしいの」
「えっ、俺に?」
「そう。橘センセイに」
予想外の言葉に俺はたじろいだ。
女の子、しかも塾の教え子である優実ちゃんからお祭りの誘いが来るなど思ってもみなかった。
本気だろうか?いつものように俺をからかっているだけではないか。
優実ちゃんの方を見ると、優実ちゃんはうつむき気味に膝の上に置いた手を握ったり開いたりしていて落ち着きがない。
「なんで俺?他に行く人いないとか?」
「もうっ、センセイって本当に鈍いね。そこまで言わないと分からない?アタシは橘センセイと一緒にお祭りに行きたいのっ」
優実ちゃんは声を荒立たせた。
普段は余裕に満ち溢れている優実ちゃんが取り乱しているのを見て、俺はさらに混乱した。
「センセイ、アタシはね、センセイのことが好きなの。だから、一緒にお祭り行きたいの。少しくらいアタシの気持ちを察してくれてもいいでしょ。鈍感なんだから!」
優実ちゃんは目に涙を浮かべている。
俺は混乱しつつも、優実ちゃんを泣かせるまで気づかない自分の鈍感さを反省した。
俺のことが好き?本気か?
嬉しいか嬉しくないかで言ったら、正直嬉しい。
自分に好意を持ってくれる人間がいるというのは気分に悪いものではない。
それと同時にかなりの困惑が俺の心を覆っている。
勝手に幻滅された過去の嫌な思い出、教師と生徒という許されない関係性、藤谷さんの事が好きだという自分の感情、藤谷さんと恭平の関係の疑惑。
全てがパレットの上の絵の具のように混ざり切らずに合わさって、俺の頭を混沌とさせている。
何と声をかけるか考えあぐねている間に優実ちゃんは声を出して泣き出してしまった。
自分が優実ちゃんをこんなに苦しめていたとは、想像もしていなかった。
優実ちゃんのために、俺に今できることは、気持ちが落ち着くまでそばにいることだけだ。
優実ちゃんが泣き止むまで、何も言わずに車に備え付けていたティッシュを差し出し続けた。
そして優実ちゃんが落ち着いたタイミングを見計らって、ゆっくりと車を発進させた。
「センセイ、さっきのやつの返事、ちゃんと考えといてね。ゼッタイだよ」
優実ちゃんの家に車を停止させ、優実ちゃんは車を降りて、ドアを閉める直前に言った。
「わかった。もう少し待ってて。じゃあ、おやすみ」
俺は優しく言ったつもりだったが、気に障ったのだろうか、優実ちゃんは少し乱暴にドアを閉めて家に入って行った。
さて、どうするか。
俺は車を走らせながら、頭を整理しようとした。
優実ちゃんがなぜ自分なんかを好きになったのか。
いつから好きになったのか。
何かアプローチされていたのかもしれないが、俺には心当たりが全くなかった。
それは俺が優実ちゃんを、女性としてまったく見ていなかったのが原因かもしれない。
俺と優実ちゃんの関係はあくまで講師と生徒だ。
それ以外の関係性など一切ない。
俺はそう思っていた。
しかし、優実ちゃんは違っていたらしい。
太田先生には生徒とは絶対付き合うなと言われ続けている。
俺はそのたびに、なぜそんなに忠告してくるのか理解できなかったが、いまこの状態に置かれ、ようやく太田先生の意図を理解できた気がした。
きっと今までにも生徒と講師の間で恋愛に関するいざこざがあったのだろう。
優実ちゃんへの返事はどうするか。
俺は優実ちゃんに特別な感情を抱いていない。
とは言っても、優実ちゃんが嫌いなわけではないが、好きかと言われたらノーだ。
俺の頭には藤谷さんの顔が浮かんでいだ。
俺にとって唯一憧れの存在である女の子。
俺は不器用な人間だから、二人の女の子を同時に愛するなんてできないし、したくない。
もし優実ちゃんとの関係を選んでしまえば、藤谷さんとの関係が深くなることはおそらくない。
俺は何故かそれを口惜しく感じている。
この先藤谷さんと仲良くなる保証なんてどこにもないのに。
そもそも俺は藤谷さんのことを美人で憧れの存在だと思っているが、もしかしてそれは一人のファンのようなものであって、心から好きだと断言できるだろうか。
それに俺の存在を藤谷さんに覚えてもらっているのかさえ怪しい。
そして何より、藤谷さんには恭平という彼氏がいるかもしれない。
だから、優実ちゃんを振ったとしても、藤谷さんと仲良くなれる可能性など低い。
だったら優実ちゃんと付き合ってしまえばいいのではないか。
今は好きじゃなくても付き合っていくうちに好きになる可能性がある。
しかし、恭平のことは誤解で、藤谷さんと仲良くなれる、あわよくば付き合える可能性が数パーセントでもあれば、俺は期待してしまう。
だから優実ちゃんの気持ちに応えていいものかどうか、踏ん切りがつかない。
煮え切らない中途半端な男だと嫌になるほど痛感する。
藤谷さんと優実ちゃん、どちらを選ぶのか───と言っても藤谷さんについては選ぶ権利はないのだが───俺は決めかねていた。
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