見つけた、いこう

かないみのる

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 翌日も優実ちゃんの授業は入っていた。

昨日の今日で顔を合わせるのは非常に気まずいが、仕事である以上はやるしかない。

心の奥底では優実ちゃんが授業を休むことを期待していたが、優実ちゃんはいつもの騒がしい様子で現れた。

俺は緊張し身体を強張らせながら本日の授業の準備をした。今日の科目は化学だ。



「センセイ、モルって何?モルモット?」


「原子とか分子を取り扱う時の単位だよ。原子分子はかなり小さいでしょ?炭素12グラムは6×10の23乗個の炭素原子が含まれているんだよ。だから、原子一つずつ取り扱っていたんじゃ、大変でしょ?そこで、6×10の23乗個の原子または分子を1つの単位として、取り扱うことにしたんだよ。その単位がモル。6×10の23乗個の原子分子の塊を1モルって言うんだよ」



「12個の集まりを1ダースって呼ぶような感じ?」


「そう。分かってるじゃん」


「モルモットが6×10の23乗匹いたら、いやだよね」


「モルモットはもういいから」


「はーい。問題解けって言いたいんでしょ。センセイってほんとスパルタ」


「君の成績が上がらないと俺が困るの」


「アタシのパパに怒られちゃう?」


「怒られるのは面談をする太田先生だから別にいいんだけどね」



 昨日の告白などなかったように優実ちゃんはいつもと変わらず接してきたため、俺は心底ほっとした。

ひょっとしたら夢だったんではないか。

そう思えるくらいにいつもと変わらない関係だった。

このまま無かったことにしてやり過ごしてしまおうか。



「センセイ、終わったよー」



 優実ちゃんはいつものように間延びした声で俺を呼んだ。

問題を解くのは相変わらず早い。

俺が高校生の時はこんなに早く解くことは出来なかったな。

これが医学部進学を目指す者の実力か。



「お、早いね。じゃあ答え合わせするね」



 優実ちゃんはノートを見せるなり、ここを見ろと言わんばかりにシャープペンでノートの端の方をコツコツと叩いた。

そこには優実ちゃん特有の丸っこい字で、こう書いてあった。



『今日も帰り、送って行ってください。この間の返事を聞きたいのではありません。話したいことがあるんです。』



予想外の展開に少し驚いた。

やはり告白されたのは現実らしい。

俺は黙ってうなずいた。頷くしかなかった。



 話したいことがある、か。

その文字を見て、急に気が重くなった。

まだ俺は優実ちゃんからの告白について考えがまとまっていない。

返事を求められているわけではないらしいが、その話題である事は確実だろう。



 いや、今は授業中だし余計な事は考えずに集中しなければ。

俺は頭を切り替えて問題の答え合わせを始めた。

多くの高校生が壁にぶつかる化学のモルの概念を優実ちゃんは容易く理解していた。

外は強い雨が降っており、雨粒が建物を叩く音が鳴り続けた。



 「センセイ、この間の返事、まだ出さなくていいよ」



 優実ちゃんを車で送る途中、優実ちゃんの要望でこの間と同じようにドラッグストアの駐車場に車を停めた。

二人の間を流れる重く長い沈黙の後、優実ちゃんは口を開いた。

昨日とは違い、いつものような明るさが彼女から溢れ出ていた。



「え?どうして?」


「アタシはセンセイのこと、好きだよ。塾でしか関わってないし、プライベートな部分は何も知らないけど、それでも好きだよ。でも、アタシもセンセイも、お互いの知らないところ、いっぱいあるでしょ」



優実ちゃんはあどけない笑顔を見せた。



「これからアタシはセンセイに、アタシの全部を知ってもらいたいの。アタシもセンセイの事、もっと知りたい。アタシの事を知ってもらって、センセイの事もよく知って、センセイに好きになってもらえるようアピールして、それから好きか嫌いかを決めてほしいの。だから、アタシにもう少し時間を下さい」



先程とは打って変わって、優実ちゃんは真剣な眼差しで俺を見つめる。

俺はその力強い瞳を受け止められず、すぐに視線をそらしてしまった。

まだ子どもだと思っていたが、思った以上に大人の女性の顔をしている。

そのギャップに俺は困惑した。

優実ちゃんの眼差しに顔が熱くなるのが分かった。



 優実ちゃんの言う通り、お互いをもっと知れば何か変わるだろうか。

しかし俺の性格上、優実ちゃんの事を先延ばしにしたら、もう取返しがつかなくなってしまうような気がする。

なあなあのままで彼女の気持ちを受け入れ、優実ちゃんに失礼な態度のまま付き合っていくことになるような気がする。



 優実ちゃんに、気持ちを受け取ることはできないと、断るなら今しかない。

しかしそう考える一方で、断っていいのかと止める自分もいる。

優実ちゃんを傷つけたくないのだろうか。

いや、断ることで自分が後悔することを恐れているのかもしれない。

もうすでに優実ちゃんに何か感情を抱いているのか。

考えがまとまらない。優実の視線が俺を焦らせる。早く答えを出さなければ。



「うん。分かった」



結局苦し紛れの返事をしてその場をやり過ごしてしまった。

相変わらず煮え切らない男である。

味の染みにくいおでんのこんにゃくですらもっと煮えているだろうに。

情けない男だな!

いつからそんなに臆病になったんだ?

うるさい元々だ。



 それでも優実ちゃんは俺の返事を聞くや否や、緊張の糸が切れたように安堵した表情になり、シートに深くもたれかかった。



「良かった。じゃあ、まだまだチャンスがあるってことだよね」



 優実ちゃんは目を細めてにっこりと笑った。

大人の顔から、年相応の女の子の顔に戻っている。

あどけない笑顔が、少し可愛らしく思えた。罪悪感がジワジワと胸に広がっていく。



「じゃあ、今度のお祭り、一緒に行ってくれる?」


「う、うん。いいよ」



後ろめたさを感じつつも流されるように誘いに乗ってしまった。

断る勇気というものがない。



「やったー。センセイありがとう。楽しみにしてるね!」



そのお礼がつらかった。

俺の良心は紙ヤスリで擦られるように痛んだ。

自分の臆病さのせいでぬか喜びさせているような気分になる。



「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


「うん」



車を走らせ、優実ちゃんの家の前に車を止めた。

優実ちゃんは車から降り、ドアを閉める直前に「お祭り、忘れないでね。」とだけ言って、ドアを閉め家に入っていった。



 俺は優実ちゃんの事を、以前と違った見方をしていることに気付いた。

優実ちゃんの表情に反応してしまっているし、確実に女性として意識している。

なんだか上手い事やられてしまった気がするが、まあ仕方ない。



 一方で藤谷さんの顔が不意に頭をよぎる。

これで本当にいいのだろうか。

煮え切らない自分に、俺は言いようのない苛立ちを覚えた。

恋愛というのはどうしてこうも面倒なのだろう。



 俺は憂鬱な気持ちで車を発車させた。
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