見つけた、いこう

かないみのる

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 夏休みが終わり、明日から後期の授業が始まる。

始業日である今日はオリエンテーションと前期の成績表配布で終わるので午後は空いているので、俺は拓也と学食でゆっくりと昼食をとっていた。



「可那人、教育実習どうだった?おれのところ、指導員の先生がめちゃくちゃ厳しくて本当教師になるの諦めようかと思ったわ。マジつらかったー」



拓也が顔を顰めながら言った。

少し顔周りが痩けたように見え、いかに大変だったのかが伺える。



「俺のところも大変だったよ。指導員は優しかったから何とかなったけど」


「いいなあ。おれなんか、君は本当に教師になる気があるのかって毎日ネチネチ言われたわ。胃に穴空いて無くなってないのが奇跡だわ。なんかトラブルとかあった?」


「特にないよ。秋広が、授業で使うんだとか言ってヘリウム風船を学校に持ってきて破裂させて、テロリストの襲撃と勘違いした生徒と先生が軽くパニックになったくらいかな」


「愉快だな」


「周りから見ればな。事件後、実習生集められてお説教だよ」


「先生たちもテロと勘違いしたのかよ」


「教頭が一番ビビってた」


「平和だな」


「平和だよ」



拓也は鯖の味噌煮を箸でつつきながら溜息をついた。

教育実習の疲れと前期の成績で随分気を落としているようだ。

俺は、落としていたと思っていた代数学Cの単位も無事取得できていたし、スタートとしては悪くなかった。
 


昼食の後、拓也はサークルがあるといって俺と別れた。

俺は夜にアルバイトがあるからそれまで時間をつぶすため、図書館に来た。

席に座り、勉強をするつもりだったが、気付いたら寝ていた。

時間は十六時前。

一度家に寄って準備をしてからアルバイトに行くには丁度いい時間である。

俺はは立ち上がり、荷物をまとめた。

エントランスに向かうと、わきに誰かが立ち止まって外を眺めていた。


藤谷さんだ。


藤谷さんに会うことができるなんて、なんてツいているんだろう! 

しかし一方で、俺は急激に緊張した。

俺は意気地なしだから、あの出来事以来、大学生活二年半が過ぎても藤谷さんとはまともな会話すらした事がないのだ。

情けない、なんと情けない! 



藤谷さんはぼんやりと外を眺めていた。俺も、少し離れたところから外に視線を向けると、結構激しい雨が降っており、外を歩いている人はほとんどいなかった。

もう一度藤谷さんに目を向ける。

儚げなまつげ、白い肌。

横から見ても美しい。



周囲には誰もいない。

声をかけるチャンスである。

しかしほとんど話したことがない俺が声をかけたら気持ち悪がられるかもしれない。

嫌われたくないし、もし既に嫌われているのであればその事実を確認するのが嫌だ。



でもせっかくのチャンスを捨てるような事をしていいのか?

臆病な自分と積極的な自分が俺の中でケンカをしている。


 余計なことを考えているうちに、俺の存在に気付いたのか、藤谷さんがこちらを向いた。

目が合ってしまった。



「あ、橘君」


「あ、藤谷さん、あ、久しぶりだね」



結果、話しかけられるのを待っていたような形になった。

話しかけられて嬉しい気持ちと情けない気持ちが半分ずつだった。

もっと落ち着いて話せないのか。

自分の挙動不審ぶりに呆れてしまい、心の中で溜息を吐く。

自分のコミュニケーション能力に失望しつつ、せっかく話しかけてくれたのだから、このチャンスを逃したくないと必死に話題を探した。

が、無い。



「どうしたの?こんなところで」



 当たり障りのない言葉しか思い浮かばない。

拓也や健吾のような気の置けない友人となら緊張せず話せるのに、今まで遠くで眺めていただけだった藤谷さんがこんなに近くにいると思うと、緊張して口が回らない。



「雨が降ってるなーって思って」


「そうなんだ。それは大変だね」



なんだ「それは大変だね」って、他人事のような返答は。

雨が降って大変なのは俺も同じだろうが。

当たり障りのない会話をしようとし意識すぎて逆に意味不明な返事になってしまい慌ててしまう。



「いや、大変だねっていうか、大変だよね。みんな大変」



慌てて取り繕ったがさらに意味が分からなくなってしまった。

藤谷さんは表情を崩さずに顔を傾げた。

俺の言っている事が理解できないのだろうな。

顔に『?』が書いてあるようだ。



そう言えば藤谷さんは、雨に濡れるのが好きだったのではないか?

俺はあの雨の日の出来事を思い出した。

あれは夢じゃなかったよな?



「いつもなら走って帰るんだけど、今日成績表渡されたじゃん?クリアケースもクリアファイルも忘れてきちゃったから、雨に濡れたら大変なことになるんだよね」



俺の疑問を見透かしたように彼女は言った。


こういう時、できる男はどう行動するのだろうか。

傘を忘れて困っている人を、どのように助けるべきか。

このままじっとしているわけにもいかない。

俺にとっては、時間さえ許せばずっとこうして藤谷さんの横顔を眺めいたいところだが、そうもいかない。



もちろん俺は傘を持っている。

どんな時でも折り畳み傘と雨合羽、タオルなどを持ち歩いている。

そのせいで旅行バッグのような大きな鞄を持ち歩いているため、拓也に「俺が旅行に行く時よりも荷物が多い」と馬鹿にされるくらいだ。



しかし、いくら荷物が多いと言っても、傘は一つしか持っていない。

無言で傘を置いていき、男らしく走って帰ればいいのだろうか。

残念ながら俺にはそんなことできない。

この雨の中を傘もささずに歩いたら、全身ずぶ濡れになり身体が透けてしまうのは確実だ。

帰り道に誰かに見られるかもしれないし、アルバイトに行くまでに乾かせる自信もない。



困っている藤谷さんをこのままにして帰るか?

否、そんな事絶対にしてはいけない。



だったら、一つしかないじゃないか。


───いけ。


積極的な自分が急かす。


───やめておけ拒否されるぞ。


臆病な自分が邪魔をする。


───好きな女の子が困っているんだ。見捨てるのか?


───うるさい。下手に気を遣って逆に嫌われる可能性だってあるんだぞ。


───いいじゃねえか、ただのクラスメイトAから嫌われ者にランクアップだ。


───それはランクダウンだ。


───勇気を出せ。


───やめておけ。


───勇気を出せ。


───勇気を出せ。


 
「あの、藤谷さん」


「ん?」


「俺と一緒で良ければ、傘、入らない?」


「え?」



藤谷さんは驚いていた。パチクリと二度瞬きをした。


やっぱりだめか。



「ご、ごめん。いやだよね。傘、一本しかなかったから。ごめん」


「いや、違うの」


「もう少しすれば雨も弱くなるかもしれないから待ってた方がいいよね」



俺が照れ隠しに早口で捲し立てると、急に自動ドアが開いた。

俺は予測不能な事態に驚き、「ひえあっ」と情けない声を上げてしまった。

自動ドアを通ってきた男子学生は傘をたたみながら、「これが宇宙人だよ」と言われた物体でも見たかのような、これでもかというくらい不信な眼差しで俺を見て、図書館の奥に消えていった。



ただでさえ変な事を言ってみっともない姿を見せているのに、さらに恥を晒すことになるとは。


人生の汚点だ。


恐る恐る藤谷さんの方を見ると、彼女は笑っていた。

普段、あまり感情を表に出さない人形のような藤谷さんが、顔全体で笑っている。


「ごめん。笑っちゃって。橘君が面白くて」


「え、俺が?」



他に誰がいるのだ。

我ながらアホな受け答えである。



「うん。あの、傘、入れてもらってもいい?」


「え?本当にいいの?いやじゃない?彼氏とかに怒られない?」



藤谷はうなずいた。



「彼氏なんていないよ。ていうか、橘君こそ迷惑じゃないの?雨、嫌いなんでしょ?」



そんな事まで覚えていてくれたのか。

胸がじんわりと熱くなった。

そしてさりげなく聞いた「彼氏がいない」というワードに飛び跳ねたくなった。

よし、恭平は彼氏じゃないんだな。



「ああ、俺はこれもあるから」



鞄から雨合羽を取り出すと、藤谷さんはさらに笑った。



「準備いいね」



俺は藤谷さんに待っていてもらい急いで雨合羽を身につけた。

二人で自動ドアをくぐり、俺は傘を広げ、藤谷さんを自分の左側に来るよう誘導した。

藤谷さんは素直に従がってくれた。
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