21 / 46
16
しおりを挟む一つの傘に二人で入って歩くのは難しい。
普段女の子と行動をしない俺には、女の子の歩く速度やちょうどいい距離感というのが分からず、かなりぎこちない動きになっているが、藤谷さんは気にしないでいてくれているようだ。
「大丈夫?左側、濡れてない?」
「大丈夫だよ。ごめんね、気を遣わせて」
「いや、全っ然迷惑じゃないよ。俺が勝手に気を遣っただけだから」
むしろありがとうございますと言いたくなったが、気持ち悪がられそうだからやめておいた。
我ながら英断だと想う。
いつも遠くから眺めていただけの藤谷さんがすぐ隣にいる。
彼女の存在を意識すると、鼓動が高鳴る。
「教育実習どうだった?」
沈黙が気まずかったため、俺から話題を振った。
藤谷さんは前を向いたまま答えてくれた。
「うん、思ったより大変だったけど、生徒がみんないい子で、なんとか終わらせられたよ」
「そうなんだ。みんな、すごいなー。俺は、全然だめだった。塾の講師やってたから、少しは自信があったんだけど、やっぱり塾と違って、学力とか、意欲とか、全然違う子たちを一斉に教えるのって、難しんだなって」
「あ、それ分かる。物わかりのいい子に合わせると、分からない子が困っちゃうし、逆に理解するのに時間がかかる子に合わせると、分かる子は退屈しちゃうんだよね」
「そう、その部分、よく注意された」
「でも、橘君が行ったのは、たしか付属だったよね?生徒、みんな頭がいいから大変だったんじゃない?学力のある子は、物わかりの良い分、大人びているみたいだし」
「確かにみんな学力がすごかったけど、うまくいかなかったのは確実に俺の力不足だったよ。確かに中には、教育実習生を馬鹿にしているような子もいて少し怖かったけど、授業を邪魔する子がいたわけじゃないし、授業後とか質問に来るんだけど、理解できているようで簡単なところが理解できてなかったりして、やっぱり中学生なんだなって思えて、かわいかったよ」
「そうだったんだー。橘君、生徒のこと、いろいろ見てたんだね。先生になる気になった?」
「うん、なりたいなって思える実習だった。藤谷さんは?」
「私は、考え中かな」
「そっか」
そこで話が途切れてしまった。
何か好印象な会話をして少しでも好感度を上げたい。
俺は、慌てて次の話題を探した。
今までの人生で一番必死になったかもしれない。
いや、二番目だ。一番必死だったのは小学校の頃父親と山の中をドライブしている最中に腹痛を我慢していた時だ。
あれは地獄だったな。
そんな事はどうでもいい。
話題だ話題。
「雨、やまないね」
良い話題がなかったため、仕方なく天気の話を振った。
「あたしは雨好きだからいいけど、殆どの人は困るよね」
藤谷さんは自嘲気味に笑った。
しかし雨が好きな事を悪い事だとは思っていないようで、目はキラキラと雨模様を捉えている。
「だって、余計な雑音とか、全部雨の音でかき消してくれるし、気温が低くなるから夜寝苦しくないし、何より、運動会が中止になるんだよ。すごくない?」
彼女は俺を見て目を見開いて言った。
自論に熱が入ったようだ。
真面目でふざけたことを言わない女の子だと思っていただけに、今の発言があの藤谷さんから発せられていると認識するのに少し時間がかかった。
「運動会嫌いだったの?」
「わたしが運動得意そうに見える?」
俺はどうこたえるのが正解なのか考えたが、結局分からず、「ああ」とか「え」とか発したあと、うん、とだけ言った。
失礼だったかもしれないが他に答えようがなかった。
「でしょう?だから、運動会が中止になるように、小学校六年間、ずっとお祈りしてたんだから!」
「お祈り?」
「雨が降りますようにって」
彼女は毎年雨乞いをしていたらしい。
小学校時代の彼女が天に祈りを一生懸命捧げている姿を想像して顔が綻んでしまった。
「でもそういう時に限って降らないんだよね」
「結局降らなかったの?」
「一回だけ。五年生の時降ったよ。嬉しすぎて雨の中駆け回っちゃって、風邪ひいちゃった」
その頃から雨の中駆け回るのが好きだったんだな。
彼女の過去を知る事ができて少し嬉しかった。
「藤谷さんも、はしゃいだりするんだね」
「そりゃあ、するよ。人間だもの」
「あ、いや、いつも落ち着いているから、あんまり感情的になったりしてるの、見たことなくて」
俺は笑顔の藤谷さんをあまり見たことがない。
だからこそ、あの日の出来事が、あの笑顔が眩しく思えたのだ。
いつも無表情で口元だけで笑っている藤谷さんが、興奮して呼吸を荒立たせているところなど想像できない。
今日ここで笑顔を見せてくれている事さえ夢のように現実味がないというのに。
藤谷さんはケラケラ笑った。いつものクールな様子とは違う一面がたくさん見られて幸せな気分だった。
「まあ、そうだよね。あんまり愛想はいい方じゃないから」
「でも、今は笑っているよ」
「だって、橘君が思っていたより親しみやすくて、面白くって」
俺は少し驚いた。
藤谷さんにとって俺は背景の一部くらいにしか思われていないと思っていたが、ちゃんと存在を意識してもらっていたのか。
誰だ?クラスメイトAなんて言ったやつは。俺か。
藤谷さんの笑顔は上品でいて明るいプルメリアの花のようだった。
大きな眼を細め、頬を自然に上げて、顔全体で微笑んでいる。
彼女の周りだけ晴れ間が差し込んでいるように見えた。
「ていうか、思っていたより親しみやすいって、俺のことどう思ってたの?」
藤谷さんが俺の事をどう思っているかは非常に気になるところだ。
かといってマジな顔で聞いて引かれても嫌なので、少し自虐気味に笑って聞いた。
「うーん、どうって言われると難しいけど、クールであまり感情のない人だと思ってた」
第一印象としてはそれはあながち間違っていないと思う。
俺はあまり社交的ではない。
小学校から人付き合いがうまい方ではなかった。
もちろん、身体を理由に休み時間に一人でいることが多かったことも一つの原因であるのは間違っていないだろうが、そもそも他人が自分のことをどのように見ているか、人一倍気にしてしまうところが一番の原因であると思う。
誰かと話した後は、酷いことを言ったのではないか、傷つけてしまったのではないか。
一緒に遊べば、迷惑をかけたのではないか、自分といてもつまらなかったのでないか、といろいろと悪い方向へ考えてしまう。
かといって、人間が嫌いなわけではないので、話しかけられれば嬉しい。
自分からアプローチすることが少ないので、相手から働きかけさえあれば、飼い主を見つけた犬のように喜んで応じる。
人付き合いに関しては異様なほど臆病なのである。
だから、周囲からみると人とあまり付き合わない冷たい人間だと思われてもおかしくはない。
そんな人間がよく教師になろうとしてるもんだ。
「でも橘君みたいな人が話しかけてきてくれて嬉しかったな。わたしに話しかけてくる人って、ちょっと変わった人が多いから、橘君みたいな人ってちょっと新鮮」
それは良い意味なのか悪い意味なのか気になるところだ。
前者だったらこの上ない喜びだが、後者だったら立ち直る事が出来ないくらい悲しい。
「新鮮?」
「うん。わたしに話しかけてくる男の子って、ちょっとわたしを見下している感じの人が多くてさ。お嬢様だからね、とか、世間知らずだねって感じで上から目線なんだよね」
人を見下したり蔑んだりすることで優位に立とうとする人間はいる。
特に女性を下に見て相対的に自分が上だと横柄にふるまう自尊心の塊のような男がいるのも事実である。
まあおそらく誰しもが人より上になりたいと心の底では思っているだろうが、それを表に出すか隠す事ができるかが人間としての器の違いになるのだろう。
そして、おそらく藤谷さんのような美人だけど声をかけづらそうな高根の花のような女の子には、『自分に話しかけられてなびかない女はいない』という自信を持った器が小皿程度の男しか話しかけないのかもしれないな、などと考えを巡らせる。
「意外だった。いろんな男に声かけられているのかと思った」
「それ、どういう意味?軽そうってこと?」
藤谷さんは半目になって俺を睨め付けた。
大きく開いている時はかわいらしいが、半目になるとミステリアスな雰囲気が強い。
「いや、そういうことじゃなくて、えーと、ああ。失礼だったね、ごめん」
「ふふっ。冗談だよ。橘君は面白いなー」
藤谷さんはまた笑った。
俺は恥ずかしさと自分のふがいなさに、苦笑した。
「あ、そこの右側の幼稚園までで大丈夫。うち、そこから角を曲がってすぐなんだ」
「そうなんだ。この辺なんだ」
もう着いてしまったのか。
藤谷さんと過ごした時間はあっという間だった。
もう少し話していたかったが、時計を見ると図書館を出てから二十分ほど経っている。
アルバイトの時間にギリギリ間に合うかどうかだ。
「ありがとう。橘君の家はどのあたりなの?」
「えっと、山形駅の方」
「そうなんだ。近いようで遠いね。ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん。言い出したのは俺だから」
「ありがとう、助かっちゃった。じゃあ、また学校でね」
「うん。また……」
藤谷さんは傘から出た。
ああ、幸せな時間が終わってしまった。
明日からは、またクラスメイトAに戻ってしまうのだろうか。
「あの、藤谷さん」
無意識に俺は藤谷さんの背中に声をかけていた。
藤谷さんはは振り返ってくれた。
雨のしずくが藤谷さんの綺麗な髪や華奢な肩を濡らしていく。
やばい。長く呼び止めるわけにはいかないのに何も考えてなかった。
「えーと、あの」
俺が言いよどんでいると、藤谷さんはにっこりと笑った。
「また、傘を忘れたら、橘君の傘にいれてもらってもいい?」
思いがけない藤谷さんの言葉で、俺の気持ちに光が差し込んだ。
「え、あ、うん、もちろん」
「ありがとう。じゃあ、またね」
俺は藤谷さんの後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
藤谷さんの言葉一つ一つを反芻し、藤谷さんの光のような笑顔を思い出す。
今日一日で、一生分の笑顔を見てしまったのではないかと不安になるくらい俺の心は満たされていた。
アルバイトまではあと三十分。
急がなければいけないのに、俺はそこから動くことができなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎
倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。
栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。
「責任、取って?」
噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。
手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。
けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。
看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。
それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
その出会い、運命につき。
あさの紅茶
恋愛
背が高いことがコンプレックスの平野つばさが働く薬局に、つばさよりも背の高い胡桃洋平がやってきた。かっこよかったなと思っていたところ、雨の日にまさかの再会。そしてご飯を食べに行くことに。知れば知るほど彼を好きになってしまうつばさ。そんなある日、洋平と背の低い可愛らしい女性が歩いているところを偶然目撃。しかもその女性の名字も“胡桃”だった。つばさの恋はまさか不倫?!悩むつばさに洋平から次のお誘いが……。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる