見つけた、いこう

かないみのる

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 俺は今、児童相談所の応接室にいる。

トオルが虐待を受けていること、一人で毎日公園にいることを話し、保護してもらおうと思ったのだ。



この先俺がずっとついていられるわけではないし、一人でいる時に何が起こるかわからない。

本当はずっと一緒にいられればいいのだが、俺はトオルの親でもないし保護者でもない。

トオルについての全責任を終えるほどの覚悟が俺にはない。

母親はあの調子だし、保護してもらったほうがトオルの安全は守られるのではないか。

親と離すのは可哀想だが、トオルのためにできることはこれしかない。



授業の方は先週に後期最後の講義を終えており午前中が空いていたので、児童相談所へ足を運んだのだ。

俺は小さな会議室のようなところに通された。

対応してくれた職員は、五十代くらいの女性で、眞壁さんというらしい。

眞壁さんは書類をクリップボードに留めて、何か書き込みを始めた。



「橘さん、分かる範囲で構いません。虐待を受けている子の名前や住所などを教えていただけますか?」



いざ聞かれると、俺はトオルの事をあまり知らないな。

フルネームも知らないし、両親の名前も知らない。

かなりあやふやな情報しか提供できなかったが、眞壁さんは幸いにも俺の話を親身になって聞いてくれた。

そして、速やかにトオルの保護及び虐待の事実の調査をすると言ってくれた。



「では、何か気になることがあったら言ってください」


「トオルはこの後どうなりますか?」


「私たちも速やかにトオル君と両親に接触し、一時保護が必要だと判断したら一時保護します。安心してください」


「お忙しい中すみません。どうかよろしくお願いします」



俺は眞壁さんの対応に少し胸を撫でおろし、児童相談所を出た。

トオルの問題がひと段落したら、次は自分の問題に向き合わなければいけない。



午後、大学に行ったら拓也が化け物でも見るような顔で俺を見た。

どうやら死人のような青白い顔をしていたらしい。

奈菜とけんかをしたと伝えると、さすがにからかう気は起きなかったのか、黙っていてくれた。


何事もなく授業が終わり、奈菜に声をかけようとしたら奈菜は俺から逃げるように帰ってしまった。



「かーなーとーくんっ」



嫌な気分のときは、どうして嫌なことが重なるのだろう。

学校を出ようとしたところ、聞覚えのある声の中で最も不快な声───川田五大の声だ。

声がした方を振り返ると、案の定、川田五大がニタニタとした目障りな笑顔で立っていた。

手にはミネラルウオーターのペットボトルを持っている。



「ずいぶん元気ないねえ。彼女と喧嘩でもした?」



俺は答えなかった。

ただでさえ体力がないのに、川田と話したら歩く気力さえも消耗しきってしまう。

川田に背を向けて歩き出した。



「なんだよ、シカトするんじゃねえよ」



川田が肩をつかんでくる。俺は振り向き、川田を睨み付ける。



「なんなんだよ!俺に何の用だ!そもそもなんでお前がここにいるんだよ!」



俺は声を荒らげた。



「うーんと、人探し?」



川田は持っていたペットボトルの水を勢いよくあおる。

ごぽっという耳障りな音が鳴る。



「そしたら、可那人君がずいぶんひどい顔をしているから、慰めてあげようと思ってねえ」


「余計なお世話だよ」


「可那人君の彼女、ずいぶん可愛いね。いじめたくなっちゃう」



これほど神経を逆なでするような発言をできるとは、こいつは人に嫌われる才能でもあるのではないか。



「ほら、可那人君、水だよ。お前の嫌いな水、かけちゃうよー?」



川田はフタを外したペットボトルを顔の前で揺らし、俺を挑発した。

俺はふと小学校時代のことを思い出した。

小学校の頃もこうやって馬鹿にされていた。

当時は恥も外聞もなく、一目散に逃げて、散々臆病者呼ばわりされていたが、今は違う。


俺が反応しないでいると、川田はエスカレートしてペットボトルの水をかけるふりをした。

反射神経で持っていたトートバッグを盾代わりに胴体の前に出す。

それを見た川田は「やっぱり臆病者じゃねえか。」と言って、構内に消えていった。



俺はカタツムリのような足取りで正門を通ろうとしたところで腕を乱暴に掴まれた。

公佳さんだ。



「橘くん、良かったら乗って行かない?家まで送っていくよ」



公佳さんは車で大学に通っていると、前に奈菜から聞いていた。

口調とは裏腹に声は強く、有無を言わせぬ迫力があった。

しかし今の俺には彼女と話す気力はなかった。



「いや、自分で帰れるよ」


「奈菜のことで話したいの」


「……俺、この後バイトがあるから長くは話せないけど」



奈菜の名前を出されたので、無視するわけにはいかず、俺はしぶしぶ公佳さんに従った。

彼女の車が停まっているという駐車場まで歩いて行き、黒いモコの助手席に座った。

車内は芳香剤のレモンの甘いにおいで満たされていた。

俺がシートベルトを締めた途端にモコは急発進した。

公佳さんの運転を奈菜が怖がっていた理由が分かった。

俺は家の場所を説明したら、すぐに分かったようで特に道案内は不要だった。



「単刀直入に聞くけど、最近奈菜とうまくいってないの?」



本当に単刀直入だ。

文字通り、刀で急所を一突きされたような気分になる。



「うん、けんかが長引いてる」


「そうだと思った。最近、あの子、様子が変だもん」


「様子が変?」


「うん。最近、何か隠し事をしているような気がする。いつもそわそわしてるし、授業が終わると、逃げるように帰るし。わたしが送って行こうと思って、車で追いかけると、あの子、逃げていくの」


「公佳さんを避けているの?」


「いや、普段学校では避けられてるわけじゃないんだけど、わたしが車に乗っている時は、慌てたように逃げていくの」


奈菜はなぜ、公佳さんにおびえているのだろう。

モコは左のカーブに差し掛かる。

俺の身体は遠心力で右に傾いた。

頼むからもう少し減速してくれ。

路面が凍結していなくて本当によかった。



「わたし、奈菜とは幼稚園から中学校まで一緒だったの。高校は別々のところに行ったけど、十年以上一緒にいるから、あの子のこと、だいたいは分かる。あの子、単純で分かりやすいんだよ。嬉しいことあったらえくぼが出るくらいにこやかだし、イライラしてると、今にも寝るんじゃないかってくらい目を細めてる。恭平君に話しかけられたあとはたぶん一ミリくらいしか開けてない」



俺はそれを聞いて驚くと同時に感心した。

今まで俺が何気なく見てきて「可愛い」で済ませていた奈菜の表情を、公佳さんはそんな風に観察し分析していたのか。

この洞察力は、奈菜と公佳さんが二人で過ごした十年以上の歳月がもたらしたのか、それとも二人だからこその深い関係がもたらしたのか、俺には分からない。

公佳さんと奈菜の関係に、畏れ多くも少し羨ましくなってしまった。



「十月頃は、幸せの絶頂って顔をしてた。あんなに嬉しそうな奈菜の顔、初めて見た。橘くんと付き合い始めたのってそのころでしょ?」



公佳さんがそう言った直後、俺の身体は前にのめり込み、シートベルトが食い込んだ。

急ブレーキをかけたらしい。


「ちょっと、何事?」


「歩行者がいる時は止まってあげないと」


前を見ると、信号のない横断歩道で小学生が手を挙げてこちらを見ている。

公佳さんが、渡っていいよと手で促すと、小学生はぺこりと頭を下げ駆け足で道路を渡り、そのまま歩道を全速力で走って行った。

それにしてもひどい運転である。

俺は後ろに車がいないか確認したが、あまり車通りの多い場所ではないので、運よく後ろを走っている車はいなかったようだ。

もしいたとしたら確実に事故だ。

俺は安堵の溜息をついた。

ふとリアガラスを見ると、大きなステッカーが貼ってあった。

外に向けて貼ってあるため、良く見えないが、透けたシルエットから推測するに、子どもに人気の、アンパンの顔を持つキャラクターだ。

ステッカーの下部には、「Chaild in Car」の文字が書いてある。



「公佳さん、子どもを車に乗せるの?」



よく見ると後ろにチャイルドシートも搭載されている。



「お姉ちゃんと姪っ子を載せて運転するときもあるからね」



俺は前に公佳さんの車を学内で見たと思っていたが、あのステッカーは初めて目にした。

ということは、前に学校で見た黒のモコは公佳さんのものではないということか。

そうなると、奈菜のあとを追っていた、あのモコは誰だったのだろうか。

俺は急に血の気が引くような不安に襲われた。



「それでさ、さっきの話の続きなんだけど、奈菜ね、ほんっとうに分かりやすいの。あの子、今、何か隠している。今まで何かあったら言ってくれたのに、今回ばかりは何も言ってくれないし。でも、わたしのオンナの勘が言っているんだけど、たぶん他のオトコ関係だよ」


「オトコ関係?」


「悪いオトコに引っかかった可能性が高いよ」


俺はまたも刀で急所を突かれたように、公佳さんの言葉にダメージを受けた。

自分でも薄々と感づいてはいたが、向き合うのが嫌でずっと目を背けてきたが、そうもいかなくなったようだ。


「浮気ってこと?」


可能性はゼロじゃないと公佳さんは言う。


「橘君がモタモタとケンカを長引かせてるから奈菜が変な事に巻き込まれちゃったのかもしれないじゃん!どうするの?」


「どうするっていわれても」


「浮気をしたことを責める?」


「そんなつもりはないよ」


ここ数日間の奈菜への態度を顧みると、浮気されても致し方ないと思う。

浮気されたとしたら、自分のせいだ。

俺に責める資格はない。



なんだ、と公佳は安堵した表情になるが、すぐにまた捲し立てる。



「じゃあどうするの?早く仲直りしちゃいなよ。そうしないと、奈菜が他の人に取られちゃうかもしれないよ?いいの?」


「いいわけないじゃん!」


つられて俺の語勢も強くなる。

言われっぱなしで苛立ちが募っていたのかもしれない。

言ったあとで我に返り、自分の醜い振る舞いに自己嫌悪状態になる。


「いいわけないけど、でも、もし奈菜が、仮にその男を選んだとしたら、その男といる方が幸せなんだとしたら、俺はもう何もできないよ。奈菜の幸せを願うことしか出きない」



俺は弱気なことを口にする。

公佳さんは呆れたような、悲しんでいるような、複雑な顔をしていた。

おそらく前者の方が強い。



「そう言われるとそうだけどさ───
わたしは、奈菜があんなに嬉しそうに話せる男の人って、橘君だけだと思う。だからわたし、橘君と奈菜のこと、結構応援してたんだけどな。悔しいけど」


「悔しい?」


「なんか、奈菜を取られたみたいで悔しい。橘君に見せる笑顔、わたしには見せてくれないのかって思うと、橘君、ムカつく」


公佳さんは前方を睨みつけている。

それはただの嫉妬ではないか。



「だーかーらっ、橘君には他のオトコに負けてほしくないの!橘君が負けたら、相対的にわたしの立場がなくなるじゃん!」



後半部分の理屈はめちゃくちゃだ。

でも、公佳さんの言葉に、どこか吹っ切れたような、元気をもらったような気がした。



「公佳さん、奈菜のことが大事なんだね」


「橘君より、ずっと奈菜と一緒にいるから。わたしの方が奈菜のこと知ってるんだから!」



公佳さんは口をとがらせる。

子供が拗ねるようなあどけなさが感じられて、ほほえましく思えた。



「公佳さん、ありがとう。勇気が出たよ」


「……奈菜のこと、お願いね」


「うん」



気付くと俺の家のすぐそばだ。

路肩に車を停めてもらい、俺は公佳さんにお礼を言って、車を降りた。



アルバイト後はずっとトオルのことが気になっていた。

一人で遊んでいたのだろうか。

誘拐などされていないだろうか。
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