ジュンケツノハナヨメ

かないみのる

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 武田さんがチョイスしてくれた店はとてもお洒落なイタリアンで、落ち着く内装や暖かいオレンジの照明が居心地の良い空間を作っていた。


わたしたちの席は窓際で、外の様子もよく見える。


 金曜日だけあって人出もそこそこ多い。



 久しぶりの同期との飲み会、隣に武田さん、正面に横山君が座っている。



 元々は五人だった同期も、一人は半年、もう一人は二年で退職していった。


 少なくなってしまった分集まりやすくなったこと、三人とも気が合うことから、三人で集まってよく飲んでいた。


 横山君にいたっては、部署の飲み会は苦手だけど、こっちの飲み会は居心地が良いと言って、誘えばノーということはまずなかった。



「武田さん、今日はお子さんは?」



 わたしは武田さんに尋ねた。


 武田さんには今年三歳になる子供がいる。



「旦那が見てくれてるから大丈夫。遅くまで飲めるよー」



 そう言った彼女は一杯目のビールのグラスを早々に空にしていた。



「武田さん、次は何にする? 真由子さんはまだいい?」



 横山君が気を利かせてくれる。


 彼は社交的な方ではないが、人が何かを求めている時にいち早く気付いて声をかけてくれる、とても気の利く人だ。


 ただ、目立つ方ではないのでなかなか周囲に評価されない、ちょっと可哀想なところがある。


 男性の多い職場だからか、現在は彼女もいないらしい。



 彼自身があまり恋愛に積極的ではないようで、婚活などをすればすぐに見つかりそうだがその様子もない。


 本気を出せばモテそうだし勿体ないと思うけど、それは余計なお世話というものだろうから、わたしは特に何も言わない。


 たまに武田さんはふざけて弄っているが。



「んじゃ、生レモンサワーで」


「わたしまだあるから大丈夫」


 わたしのグラスには 杏露酒しんるちゅうのロックがまだ半分以上残っていた。



わたしはグラスを揺すって氷の音を鳴らし、オレンジ色の液体を口に含んだ。


 氷が溶け、いい塩梅となった杏露酒の甘さがが口に広がり、ふんわりとしたいい気分になる。



 横山君がボタンを押して店員さんを呼び、テキパキと注文をしてくれた。


 この手際の良さは、友希哉にもぜひ見習って欲しい。


 しばらくすると、武田さんの生レモンサワーが運ばれてきた。



 テーブルの上にはシーザーサラダにサーモンのカルパッチョ、生ハムやチーズの盛り合わせなど、お洒落で美味しそうな料理が並んでいる。


 自由につまみながら、好き勝手に喋り、飲む。


 縦の繋がりではできないような気楽な雰囲気が、わたしたち同期の飲み会のいいところである。



「武田さんのお子さんの保育園は、運動会あるの? この間、若菜さんと話してたら、若菜さんのところは来週あるらしいんだけど」


「うちのところは秋なんだよねー。まだまだ先」



 武田さんの子どもには何回か会ったが、彼女に似て愛嬌のある可愛らしい女の子だった。


 そして武田さんも、とても我が子を可愛がっていて、親子二人で仲良くしている様子を見るのがわたしは好きだった。



 入社したとき、同期の中で女子はわたしと武田さんの二人だった。


 お互いに技術職のシステムエンジニアとして採用されたが、文系大学出身で未経験のわたしと違い、情報科を出てプログラミングをばっちり学んできた武田さんとは最初から戦力として活躍しているように見えた。


 そしてわたしは彼女に少なからず劣等感を抱いていた。


 
 武田さんの人生は絵に描いたように順風満帆に見えた。


 大学時代から付き合っていた彼氏と結婚して子どもを産み、育児のために残業の少ないお客様サポートセンターに異動して短時間勤務で働き、仕事と家庭の事を両立している。


 彼女の優秀さを見て、肥大する劣等感と醜い嫉妬心に押しつぶされそうになったこともあった。


 同期なのに、彼女は高層ビルの最上階にいるように感じていた。


 ビルの外からてっぺんを見上げるわたしの惨めさよ。


 しかし、彼女はカラッとした性格で、わたしの事を見下したり馬鹿にしたりすることもなく、意外にも仕事で苦労していることや育児の大変さなど、愚痴や弱みも打ち明けてくれた。


 彼女はわたしが思っていたよりずっと近くにいるのだと感じ、少しずつ距離が縮まっていった。


 彼女に対して負の感情を抱くこともだんだんなくなっていき、数少ない同期として、わたしにとって大切な存在となった。。


「子どもってすごく動き回るから、毎日が運動会みたいなものなんだよねー。身が持たないよ」


 武田さんはため息を吐くように言った。


 嬉しさ半分、疲弊が半分といった様子だ。



「子育てって、大変なんだね。自分の子どもとか、全然想像つかないな。ちょっと不安」



 子育てなんて自分には無縁のものだと何となく思っていたが、友希哉との今後を考えると、そう遠くないのかもしれない。


 自分みたいな人間に、子どもを幸せにしてあげることができるだろうか。



「あたしも最初は不安しかなかったよ。なんて言ったけ? マリッジブルーの妊婦版みたいなやつ」



「マタニティーブルー」



 横山君が生ハムを食べながら淡々と言った。


 クイズ番組の回答者ようだ。



「そう、それ! でも、産んでみると、やっぱり自分の子どもは可愛いんだよねー。仕事でムカついた事があっても、世の中の汚れを何も知らない娘の顔見ると、力抜けて癒されるし、寝る時なんてほっぺたをペターってくっつけるの」


「うわーかわいい!」



 武田さんの子どもの話を聞くと癒される。


 そして自分も子どもが欲しいと思えてくるから不思議だ。


 まだ知らない自分の子どもに会うのが、今から楽しみになる。



「横山君は、子ども欲しい?」



 わたしは横山君の方を向いた。


 急に話題を振られて、横山君はびっくりしたようだ。



「子どもって、誰の?」


「自分の子どもだよ。自分と、自分の奥さんの」


「あー、俺奥さんまだいないからなあ」


「結婚したらの話だよ。あ、横山君は結婚願望ないんだっけ?」


「ないわけではないけど」


 横山君はいつのまにか頼んでいたらしいサングリアを口に運んだ。


 グラスを揺らしたり、頬杖をついたりしているのを見ると、ちょっと無神経な質問をしてしまったかなと反省する。


 わたしはただ、男性が子どもを欲しいと思う時とはどんなときなのか聞きたかっただけなのだが、横山君を困らせてしまった様だ。



 女性は自分の身体に子を宿す。


 好きな人との遺伝子が自分の中で融合し、自分の身体の中で新たな生命ができる。


 成長を共にし、痛みに耐えて子どもを産む。


 だからこそ、子供について、出産について色々考えを巡らす。



 自分の胎内で子どもとずっと一緒に過ごす女性と違って、一歩離れた場所にいる男性は、子供ができて身体が変わるわけではないし、どのような時に子どもが欲しいという心境になるのだろうか?



 そして友希哉は果たして父親になりたいと思う瞬間が来るのだろうか?



 横山君の意見を参考に友希哉に迫ってみようと思ったが、横山君には答えづらい質問だったらしい。



「まあ、結婚したら変わるんじゃない? 結婚とは程遠い俺にはわからんけど」



 横山君は椅子の背もたれにふんぞり返って、照れ隠しのように、ちょっと投げやりに答えた。


 武田さんは同情するように目を細めて頷いた。



「そうだよね。変なこと聞いてごめん」


「いや謝る事じゃないけどね。やっぱ、男も女も、周りの親子連れとか見て、徐々に欲しくんじゃないかなあ?幸せそうな親子とか」



 それはある、と武田さんは同意した。



「うちの旦那は友達に子供ができた時、自分も欲しくなったみたい。影響されやすくて単純だよねー」



 武田さんは酔いがまわってきたのか、舌足らずになりながらもよく喋る。



「そっかー。でも、他の人の子どもを見て自分も欲しくなるって、そんな単純に考えて大丈夫かなあ? 物と違って子どもは産んだら取り返しつかないし、嫌になっても投げ出せないじゃん。自分に育てられるかって考えると、私は自信がないなあ。出産も怖いし、帝王切開とか本当に無理!」



「難しく考えすぎだよー」



 武田さんはけらけら笑った。



「まあ確かに産むのは痛いけど、産まれちゃえば案外なんとかなるもんだよー。ここに証明している人間がいるじゃん?」


「それもそうだね! ありがとう、自信ついた!」


 わたしは友希哉との子どもに想いを馳せた。


 人数は何人がいいか、男の子か女の子か。


 できれば、友希哉に似た二重まぶたの、目がぱっちりした子がいいな。



「そういえば、来月ボーナスだね」



 前の話題がひと段落つき、わたしは新たな話題を提供した。



「何に使う?」



 蜂蜜とマスカルポーネチーズが乗ったクラッカーを食べながら二人を見た。


「うちは貯金かな。マイホームを買うための資金」


「すげー。夢があるね。俺は特に趣味も何もないから、食べることに使うかな」



 それぞれ言った後、武田さんと横山君は、わたしの方を見た。

「わたしも貯金かな。将来の結婚式のドレス代にあてるんだ」



 友希哉と付き合ってから、わたしの結婚式に対する理想は上がり続けていた。


 特にドレスは、自分が気に入ったものを着たい。


 お金の問題で誰にも文句を言わせないために、ドレス代は自分で出すと決めている。


「気合い入ってるね!」


 武田さんが嬉しそうに言う。


 人の事でも自分の事のように喜んでくれるのが武田さんの良いところだ。



「まあ、まだ結婚できるかどうかもわからないけどね」


 わたしは苦笑した。


 横山君も苦笑いのような哀しい顔のような、複雑な表情をした。


 また話題が横山君の苦手分野に移ったからだろう。


 でも、酔いが回ったわたしは話したくてたまらないので、横山君にはちょっとの間我慢してもらう事にした。



「ドレスは何着、着る予定?」


 武田さんが聞いた。女二人で盛り上がってしまう。



「二着で十分だよ。さすがにお金がかかるし」


「お色直しのカラードレスの色は決めているの?」


「絶対水色!」

 わたしは結婚式のドレスは絶対に水色と決めていた。


 一番好きな色だし、ポール・モーリアの『恋はみずいろ』という曲が小さい頃から大好きだからだ。


 わたしにとっての恋の色は、ピンクや赤ではなく、空と同じ水色だ。


 私服も水色が多いし、友希哉からも一番似合う色だとお墨付きをもらっている。



「いいねー。夢がある」


「もちろん! もしその時が来たら、二人とも式に来てね!」


「もちろん!」


「え? 俺も?」


「あれ? 嫌?」


「嫌な訳じゃ無いけど、ほら、そういうの慣れてないから」


 武田さんはまたうんうんと頷いた。


 そして横山君の頭を撫でる振りをした。


 横山君は店員さんを呼んでウイスキーを注文した。



「あれ、麻美さんじゃない?」



 武田さんがパスタを食べながら、窓の向こうを見て言った。



「ええ!? どれ!?」



 わたしは思わず驚きの声をあげてしまった。



「本当だ。隣は、和泉さんじゃん」



 横山君が嫌悪感丸出しで言った。


 横山君も佐藤麻美を嫌っていると前に言っていた。


 佐藤麻美のような尻の軽い女は好きではないらしい。


 さらに仕事では彼女が客に適当なことばかり言うから、その皺寄せが来ているらしく、視界に入れるのも嫌だとのこと。



「本当色々な人に手を出すね。新卒の男の子には最低一人手を出すし、年上の独身エンジニアさんにも手を出すもんね。彼女持ちでも関係ないし」



 武田さんは吐き捨てるように言った。



「本当に呆れるよ。よくトラブルにならないよな」



 横山君はしかめ面で同意した。



「いや、なってるよ。麻美さんが図太いから気にしていないだけで、相手側は麻美さんが原因で人間関係が気まずくなってやめてる人、結構いるし。この間退職した新卒くんだって、表向きは違う仕事がしたいって言ってたけど、実際は麻美さんとの関係が、学生時代から付き合っていた彼女にバレてドロドロになって別れて、さらに麻美さんの超絶尻軽な本性を知って絶望したみたいだね」



 わたしは武田さんがそこまで知っていることに感心した。


 サポートセンターはほぼ女性しかいない部署だし、その手の話は広まりやすいのだろう。


 そして、佐藤麻美の節操のなさに呆れて何も言えなくなってしまった。


 でも、武田さんの口から不倫の話題が出ないところを見ると、不倫を知っているのはどうやらわたしだけのようだ。



「不倫とかもしてそうだよね」



 わたしはわざと言った。



「社内ではさすがにしないでしょ。社外では知らないけど」



 横山君は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「社外だったらしてそうだね」


 武田さんも同意した。


 やはり二人とも知らないらしい。



「だって営業先のお客さんにも手を出すくらいだよ。前にサポートセンターにクレーム入ってきたからね。もう怒りを通り越して感動しちゃった。ついにここの人にも手をだしたのかって」



 武田さんは普段から佐藤麻美への不満が溜まっているのだろう。


 かなり苛立っていることが分かる。


 わたしも同じである。


 佐藤麻美の行動に対する批判が自分の中で沸々と沸いてくる。


 そんなに色々な人と関係を持って、万が一、子どもができた場合など考えないのだろうか?


 百パーセントの避妊なんて今のところ無いのに。


 まあ佐藤麻美のことだから、おそらく何にも考えてないのだろう。



 佐藤麻美がズブズブと不幸の沼に堕ちることを望んでいる自分に気づき、自己嫌悪に陥った。


 自分の中でムクムクと膨らんだ醜い感情を、酒と一緒に飲み下す。



 飲み会が終わったのは十一時過ぎだった。


 武田さんの旦那さんが車で迎えに来てくれて、わたしは乗せてもらった。


 武田さんが横山君も一緒に乗るよう促したが、横山君は酔い覚ましのために歩くと言って断った。


 車の中で、武田さん夫婦の微笑ましい会話を聞きながら、わたしも早く友希哉とこんな関係になりたいと、酔いが回った頭で考えていた。



 アパートに着くと、友希哉はパジャマを着てテレビを見ていた。



「ただいま」


「おかえりー。楽しかった?」


「うん。料理も美味しかったし、武田さんも横山君も相変わらずでいろいろ話せたよ」


「良かったじゃん」


「良いお店だったし今度二人で行こうよ!」


「良いよ、マユの運転でね」


「それじゃあわたし飲めないじゃん!」


「まあまあ」


 話しながらも友希哉はテレビのお笑い番組に夢中だ。


 テーブルに頬杖をついて、お笑い芸人のリアクションを観てケラケラ笑っている。



 わたしは急いでシャワーを浴びて、酔いが冷めないうちに、友希哉に抱きついた。



「マユ、ずいぶん酔ってるね」


「ねえ、最近してないし、久しぶりに」


「しょうがないなあ」


 そう言って友希哉はわたしの頭を撫でてくれた。


 面倒そうにしているが、嫌ではないことを知っている。


 二人で寝室に移動した。


 無造作にベッドの中央に置かれたアザラシのぬいぐるみを脇によけて、二人でベッドに潜り込んだ。


 友希哉が宮棚をゴソゴソと探り、避妊具を手に取った。



「ねえ。それ、もう要らなくない?」



 私は甘えた声を出した。上目遣いで彼を見る。



「だめ。子どもできたらどうするの」


「できたら結婚しようよ」


「子どもを作るのは結婚してから」



 友希哉は甘ったるい雰囲気の中でも案外冷静だった。


「はーい」


 作戦が失敗し、わたしは少し不貞腐れた。


 そんなわたしの気持ちなどお構いなく、友希哉は優しくキスをしてくれた。


 それだけで機嫌が直ってしまうのだから我ながら単純だ。


 友希哉の首に腕を回し、彼の温もりを近くで感じようと抱き寄せた。



 確かに、既成事実を作って無理に結婚を迫ろうとするのは少しズルい気がするし、いつか彼が決心してくれる日を心待ちにしていよう。



 事を終えた後ベッドで二人寝転んでいると、ふと初めての時を思い出した。


 初めての時は、あまりの痛みに野太い呻き声上げながら涙を流した記憶がある。


 今思い出しても恥ずかしい。


 あんな色気のない声に、よく彼が萎えなかったなと思う。


 でも、あの時の彼の優しい顔や、頭を撫でてくれた手から、彼の愛情をたくさん感じたから、わたしはあの痛みも含め彼を全て受け入れることができた。


 行為後、シーツに血が滲んでいたが、それも彼と一緒になれた証だから、自分の傷も含めて全てが愛おしかった。



 友希哉の顔を見た。


 彼はわたしの視線に気付き、笑って抱き締めてくれた。



 何か音楽が聴きたくなり、携帯で『恋は水色』を流す。


 切なげなイントロが、私の興奮を落ち着けてくれる。


「マユ、この曲好きだよね」


「うん! 大好き」


「『愛は水色』だっけ?」


「恋だよ、『恋は水色』」


「恋って普通赤とかピンクじゃないの?」


「この曲では水色なんだよ。わたしも水色好きだから丁度いいんだよ」


「丁度いいって何がだよ」


 友希哉が笑った。


 わたしもつられて笑う。


 この幸せがいつまでも続きますように。
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