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最近母と祖母に会っていなかったので、久しぶりに会いに行く事にした。
わたしのアパートから車で山々を越えて一時間、片田舎にある実家は、住んでいた時より少し古ぼけて見えた。
家のインターホンを押すと、すぐに母の声がスピーカーから聞こえてきた。
「わたし。帰ってきたよ」
そう言うと母はすぐに鍵を開け、出迎えてくれた。
母は前に会った時より少し老けたように見えた。
「久しぶりね。もうちょっとマメに帰ってきてくれた方がお母さんもおばあちゃんも嬉しいんだけど」
「悪いとは思ってるよ。でもこう見えて結構忙しいんだから」
荷物を下ろし、リビングのソファに座って伸びをした。
実家のなんとも言えない独特なにおいが私を包む。
住み慣れた実家はわたしをリラックスさせてくれる。
母がお茶を淹れてくれたので、温かいうちに飲んで喉を潤した。
「あんた、すこし痩せたんじゃない?」
母はアイロンがけをしながら話しかけてきた。
「そうかな?」
確かに最近食欲がわかず、食事を残す事が多くなったし、食べない事もあった。
ここしばらく体重計にはのっていないけど、スカートが緩くなった様な気はしていたので、やはり痩せたのだろう。
「仕事のストレス? あんた昔から悩み過ぎるから」
「ダイエットだよ」
「ウソおっしゃい。仕事なんて、そんなに身体壊してまでやることじゃないでしょ」
「働かないと生活できないし」
「おばあちゃんと一緒に畑仕事でもして暮らしたらいいじゃない。健康になれるよ」
「こんな田舎に閉じ籠ってたら結婚できないよ」
「あんた結婚する気あるの!?」
母は予想外の回答にびっくりしていた。
アイロンがけの手を止め、目を見開いてわたしの顔をまじまじと見ている。
そこまで変な事を言った覚えはないのに失礼なものだ。
「それはまあ、人並みには」
「相手はいるの?」
「内緒」
母親に友希哉のことを伝えたら、恋愛なんてやめなさいと反対されるだろうから黙っていることにした。
昔から母は、恋だの愛だのと言うものに否定的だった。
わたしに恋人が出来たと知ったら発狂してしまうかもしれない。
自分は父と結婚してわたしを産んだのに、娘にはそれをさせないなんて親とは身勝手なものだ。
「結婚なんてそんなに良いものじゃないわよ。独身の方が楽しいわよ」
何故か母は焦った様子でわたしを説得し始めた。
何故こんなに必死になって止めるのか不思議で仕方がない。
「それ親の言う台詞?」
「昔は結婚なんてしないって言ってたじゃない」
「それは毎日のようにお母さんから結婚はロクなものじゃないって聞かされてたからだよ」
「実際そうだもの」
母の、父に対する怒涛の愚痴が始まりそうだったので、わたしは外で畑仕事をしている祖母の手伝いをする事にした。
汚れてもいい服装に着替え、首にタオルを掛ける。
「帽子は持ってるの?」
母が聞いてきた。
「ないからお母さんの貸して。手袋と長靴も」
「はいはい、帽子は箪笥の上。手袋と長靴は外の物置にあるから」
「はいよ」
身支度を整えて、祖母のいる畑に向かった。
祖母はしゃがんで草むしりをしていた。ただでさえ小柄な祖母が、さらに小さく見えた。
「おばあちゃん、久しぶり。帰ってきたよ」
「あら、いらっしゃい」
祖母はのんびりとした口調で言った。
祖母の周囲だけ、ゆっくりと漂うように時間の流れている様だ。
「手伝うよ」
「あらあら、悪いわね」
「いいよ。おばあちゃんの作る野菜、好きだし」
祖母の周囲は綺麗に草が取り払われている。
わたしは祖母から少しだけ離れた場所で草むしりを始めた。
祖母が常に手入れをしているのでそこまで雑草が育っているわけではないが、それでも雑草は有り余る生命力を存分に発揮して自分を大きく育てている。
「天気がいいと雑草が伸びて大変だね」
「そうだねえ。お天道様の光は野菜にも雑草にも人間にもいいからね」
「これはトマトの苗?」
「そうだよ。あとキュウリとトウモロコシも植えたからね。夏になったら食べに帰ってきなさい」
トマトの苗は華奢な茎を支柱に預け、深緑色のたくさんの枝と葉をしならせている。
わたしは祖母の作った野菜が好きだ。
特にトマトが大好きだ。
祖母の作ったトマトは格別で、フルーツのように甘くて優しい味をしている。
日々丁寧に愛情をもって世話をしているから、トマトもそれに応えてくれるのかもしれない。
以前実家からもらった祖母のトマトを友希哉に食べさせたら、美味しいって言ってくれた。
今年も喜んで食べてくれるかな。
草むしりを終えたわたしと祖母は、畑を囲うように植えられた木々の一つに腰掛け、休憩をした。
「そっちの方にはウルシが生えてるから気をつけなさい」
「はいはい」
「ウルシは近くを通るだけでかぶれることもあるからね」
わたしは昔ウルシに触れてかぶれた時の事を思い出した。
腕に多量の水膨れができ、痛みと痒みで苦しんだ。
あんな思いは二度とごめんだ。
「わかってるよ。もう子どもじゃないし、大丈夫だよ」
腰や肩に疲労は溜まったが、清々しい気持ちで満たされた。
会社で感じる疲労とは正反対だ。
同じ労働なのに、あちらはストレスが澱んだドブのように蓄積されるが、こちらはそのドブを綺麗に取り除いてくれる。
母が言っていた、祖母と畑仕事をしながら暮らすのも、案外悪くないのかもしれないな。
畑仕事を終え、祖母はまだやる事があると言ったので私だけ家に戻った。
下っ腹の中央のあたりが痛い。
ゾゾっと寒気がするような痛みだ。
わたしはトイレへ向かった。
用を足して、痛みの原因が分かった。
トイレの水が赤い血で染まっている。
最悪だ。
水を流し、落ち着かない気持ちでトイレを出る。
昔、母も同じ症状になっていたのを見たことがある。
わたしが五歳ぐらいの時だっただろうか。
母が履いていた白いスボンのお尻のあたりに、赤い血が滲んでいた。
幼い子どもにはショッキングな出来事だった。
「ママ、お尻から血が出てる!」
「え!? あ!」
「ママ、死んじゃう!」
「大丈夫よ! 大したことないから!」
「やだああ! ママぁ!」
何も知らなかった小さい頃のわたしは、母の出血を見てパニックになり、何か病気にかかって死んでしまうのではないかと大泣きしてしまった。
当時、母親が病気で入院している姉妹のアニメ映画を観ていたのもあり、その姉妹に自分を重ねてしまったせいか、わたしはいっそう不安になった。
母がなだめても、わたしは一向に泣き止まなかった。
わたしは母のいるリビングに向かった。
母はアイロンがけを終えたようで、リビングでテレビを観ていた。
「膀胱炎の薬ない?」
「あら、あんたもなりやすいのね」
「出血しちゃったよ」
「前に使った時の余りがあるけど、病院行ってもらってきた方がいいんじゃない?」
「面倒だからいい」
「身体を冷やさないようにね。これ、使いなさい」
母は膝掛けを手渡してくれた。私はふわふわの膝掛けを腰に巻いてソファに座った。
「はい、薬」
母は棚の薬箱から錠剤を出して手渡してくれた。
「お茶でも淹れようか」
「うん。あ、薬飲むから白湯の方がいいな」
そう言って立ち上がろうとしたら、母はわたしを制した。
「せっかく実家に帰ってきたんだからゆっくりしてなさい」
「ありがとう」
母の世話焼きっぷりに、わたしは昔入院した時のことを思い出した。
幼い頃のわたしは、何の病気かは分からないけどかなり重い病気に罹っていたらしく、母が私に付きっきりで世話をしてくれたのを朧げに覚えている。
病気が治り大人になった今もで同じだ。
結婚は面倒だとか子育ては大変だとかなんだかんだ言っても、結局母はわたしには優しい。
実家を出てから一層甘くなった。
わたしにも子どもが生まれたら、こんな風に世話を焼くのかな。
わたしのアパートから車で山々を越えて一時間、片田舎にある実家は、住んでいた時より少し古ぼけて見えた。
家のインターホンを押すと、すぐに母の声がスピーカーから聞こえてきた。
「わたし。帰ってきたよ」
そう言うと母はすぐに鍵を開け、出迎えてくれた。
母は前に会った時より少し老けたように見えた。
「久しぶりね。もうちょっとマメに帰ってきてくれた方がお母さんもおばあちゃんも嬉しいんだけど」
「悪いとは思ってるよ。でもこう見えて結構忙しいんだから」
荷物を下ろし、リビングのソファに座って伸びをした。
実家のなんとも言えない独特なにおいが私を包む。
住み慣れた実家はわたしをリラックスさせてくれる。
母がお茶を淹れてくれたので、温かいうちに飲んで喉を潤した。
「あんた、すこし痩せたんじゃない?」
母はアイロンがけをしながら話しかけてきた。
「そうかな?」
確かに最近食欲がわかず、食事を残す事が多くなったし、食べない事もあった。
ここしばらく体重計にはのっていないけど、スカートが緩くなった様な気はしていたので、やはり痩せたのだろう。
「仕事のストレス? あんた昔から悩み過ぎるから」
「ダイエットだよ」
「ウソおっしゃい。仕事なんて、そんなに身体壊してまでやることじゃないでしょ」
「働かないと生活できないし」
「おばあちゃんと一緒に畑仕事でもして暮らしたらいいじゃない。健康になれるよ」
「こんな田舎に閉じ籠ってたら結婚できないよ」
「あんた結婚する気あるの!?」
母は予想外の回答にびっくりしていた。
アイロンがけの手を止め、目を見開いてわたしの顔をまじまじと見ている。
そこまで変な事を言った覚えはないのに失礼なものだ。
「それはまあ、人並みには」
「相手はいるの?」
「内緒」
母親に友希哉のことを伝えたら、恋愛なんてやめなさいと反対されるだろうから黙っていることにした。
昔から母は、恋だの愛だのと言うものに否定的だった。
わたしに恋人が出来たと知ったら発狂してしまうかもしれない。
自分は父と結婚してわたしを産んだのに、娘にはそれをさせないなんて親とは身勝手なものだ。
「結婚なんてそんなに良いものじゃないわよ。独身の方が楽しいわよ」
何故か母は焦った様子でわたしを説得し始めた。
何故こんなに必死になって止めるのか不思議で仕方がない。
「それ親の言う台詞?」
「昔は結婚なんてしないって言ってたじゃない」
「それは毎日のようにお母さんから結婚はロクなものじゃないって聞かされてたからだよ」
「実際そうだもの」
母の、父に対する怒涛の愚痴が始まりそうだったので、わたしは外で畑仕事をしている祖母の手伝いをする事にした。
汚れてもいい服装に着替え、首にタオルを掛ける。
「帽子は持ってるの?」
母が聞いてきた。
「ないからお母さんの貸して。手袋と長靴も」
「はいはい、帽子は箪笥の上。手袋と長靴は外の物置にあるから」
「はいよ」
身支度を整えて、祖母のいる畑に向かった。
祖母はしゃがんで草むしりをしていた。ただでさえ小柄な祖母が、さらに小さく見えた。
「おばあちゃん、久しぶり。帰ってきたよ」
「あら、いらっしゃい」
祖母はのんびりとした口調で言った。
祖母の周囲だけ、ゆっくりと漂うように時間の流れている様だ。
「手伝うよ」
「あらあら、悪いわね」
「いいよ。おばあちゃんの作る野菜、好きだし」
祖母の周囲は綺麗に草が取り払われている。
わたしは祖母から少しだけ離れた場所で草むしりを始めた。
祖母が常に手入れをしているのでそこまで雑草が育っているわけではないが、それでも雑草は有り余る生命力を存分に発揮して自分を大きく育てている。
「天気がいいと雑草が伸びて大変だね」
「そうだねえ。お天道様の光は野菜にも雑草にも人間にもいいからね」
「これはトマトの苗?」
「そうだよ。あとキュウリとトウモロコシも植えたからね。夏になったら食べに帰ってきなさい」
トマトの苗は華奢な茎を支柱に預け、深緑色のたくさんの枝と葉をしならせている。
わたしは祖母の作った野菜が好きだ。
特にトマトが大好きだ。
祖母の作ったトマトは格別で、フルーツのように甘くて優しい味をしている。
日々丁寧に愛情をもって世話をしているから、トマトもそれに応えてくれるのかもしれない。
以前実家からもらった祖母のトマトを友希哉に食べさせたら、美味しいって言ってくれた。
今年も喜んで食べてくれるかな。
草むしりを終えたわたしと祖母は、畑を囲うように植えられた木々の一つに腰掛け、休憩をした。
「そっちの方にはウルシが生えてるから気をつけなさい」
「はいはい」
「ウルシは近くを通るだけでかぶれることもあるからね」
わたしは昔ウルシに触れてかぶれた時の事を思い出した。
腕に多量の水膨れができ、痛みと痒みで苦しんだ。
あんな思いは二度とごめんだ。
「わかってるよ。もう子どもじゃないし、大丈夫だよ」
腰や肩に疲労は溜まったが、清々しい気持ちで満たされた。
会社で感じる疲労とは正反対だ。
同じ労働なのに、あちらはストレスが澱んだドブのように蓄積されるが、こちらはそのドブを綺麗に取り除いてくれる。
母が言っていた、祖母と畑仕事をしながら暮らすのも、案外悪くないのかもしれないな。
畑仕事を終え、祖母はまだやる事があると言ったので私だけ家に戻った。
下っ腹の中央のあたりが痛い。
ゾゾっと寒気がするような痛みだ。
わたしはトイレへ向かった。
用を足して、痛みの原因が分かった。
トイレの水が赤い血で染まっている。
最悪だ。
水を流し、落ち着かない気持ちでトイレを出る。
昔、母も同じ症状になっていたのを見たことがある。
わたしが五歳ぐらいの時だっただろうか。
母が履いていた白いスボンのお尻のあたりに、赤い血が滲んでいた。
幼い子どもにはショッキングな出来事だった。
「ママ、お尻から血が出てる!」
「え!? あ!」
「ママ、死んじゃう!」
「大丈夫よ! 大したことないから!」
「やだああ! ママぁ!」
何も知らなかった小さい頃のわたしは、母の出血を見てパニックになり、何か病気にかかって死んでしまうのではないかと大泣きしてしまった。
当時、母親が病気で入院している姉妹のアニメ映画を観ていたのもあり、その姉妹に自分を重ねてしまったせいか、わたしはいっそう不安になった。
母がなだめても、わたしは一向に泣き止まなかった。
わたしは母のいるリビングに向かった。
母はアイロンがけを終えたようで、リビングでテレビを観ていた。
「膀胱炎の薬ない?」
「あら、あんたもなりやすいのね」
「出血しちゃったよ」
「前に使った時の余りがあるけど、病院行ってもらってきた方がいいんじゃない?」
「面倒だからいい」
「身体を冷やさないようにね。これ、使いなさい」
母は膝掛けを手渡してくれた。私はふわふわの膝掛けを腰に巻いてソファに座った。
「はい、薬」
母は棚の薬箱から錠剤を出して手渡してくれた。
「お茶でも淹れようか」
「うん。あ、薬飲むから白湯の方がいいな」
そう言って立ち上がろうとしたら、母はわたしを制した。
「せっかく実家に帰ってきたんだからゆっくりしてなさい」
「ありがとう」
母の世話焼きっぷりに、わたしは昔入院した時のことを思い出した。
幼い頃のわたしは、何の病気かは分からないけどかなり重い病気に罹っていたらしく、母が私に付きっきりで世話をしてくれたのを朧げに覚えている。
病気が治り大人になった今もで同じだ。
結婚は面倒だとか子育ては大変だとかなんだかんだ言っても、結局母はわたしには優しい。
実家を出てから一層甘くなった。
わたしにも子どもが生まれたら、こんな風に世話を焼くのかな。
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