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しおりを挟む「どうして今日までお願いしていた資料が準備出来てないの?」
サポートセンター長の声がフロアに響いた。
俺はコードを書いていた手を止めて、声のする方をチラリと見た。
「今日までなんて知らなかったし」
不貞腐れた吉川麻里奈が答えた。
「何回も言ったろう?」
「体調が悪くて出来なかったんですぅ。フォローは真由子ちゃんがしてくれてるはずなんですけど……」
「え!? わたし!?」
「真由子さん、なんで気付いてあげなかったの?」
サポートセンター長は怒りの矛先を佐藤真由子に変えた。
彼女は吉川より理解力があり話が通じるから、吉川に話すよりもストレスが少なくて済むのだろう。
「そんな事言われても、わたしだって自分の仕事があって」
「真由子さん、吉川さんの指導役でしょ? ちゃんと見ていてあげないとダメだろう!」
声が一層大きくなる。
「わたしは指導役じゃありません! 仕事を頼んだ人が指導する事になっています!」
今日も彼女は理不尽な目に遭っている。
俺の席からは管理部の様子がよく見えるし、オフィス内は静かなので離れている人の声もよく聞こえる。
彼女の様子を遠くから眺めていると心配になって仕事が手につかない。
納期が近いというのに。
「真由子さんと吉川さんは仲良いんだろう?仕事だって助け合わないと」
真由子さんは黙っている。
何か否定したそうだがーー恐らく吉川さんと仲が良いという箇所だと思うがーー彼女は当事者が目の前にいる状況でそんなことを言えるほど性格が悪くない。
悔しそうに唇を噛んでいる彼女を見ると、こちらも悔しくなってくる。
助け舟を出しに行こうと立ち上がった瞬間、プロジェクトマネージャーがやってきて進捗の具合を聞いてきた。
なんてタイミングが悪いんだろう。
マネージャーの言葉は耳に入らず、管理部の状況に耳をそば立ててしまう。
「じゃあ、今すぐやってよ。二人でやればすぐ終わるだろう?」
「頑張りたいけど、今日は生理痛が酷くて」
吉川は長い人工の睫毛を瞬かせながら俯いている。
「仕方ない、真由子さんやっといて」
「わたしだって今日中に終わらせないといけない仕事があって」
「こっちは今すぐやってもらわないといけない事なんだよ。そっちは後回しでいいだろ?」
「……はい」
俺は素早く進捗を報告しマネージャーと別れたが、あちらのトラブルは話が進展した様で、俺の出る幕はなかった。
まただ。
真由子さん一人が損をする。
いつも結局こうなるのだ。
それでも耐えて仕事をやりきる彼女の強さには本当に感心する。
そして何もしてあげられなかった自分の無力さに腹が立つ。
後で差し入れでもしよう。
慕っている女性が落ち込んでいる時くらい何かしてあげたい。
俺はそういう男でありたい。
「真由子さん、ちょっとちょっと」
真由子さんに声をかけたのは、営業の中嶋さんだ。
真由子さんは声の主を見て少し笑顔を見せた。
名前を呼んだだけで喜ばれるんだから、恋人は羨ましい。
「これ、みんなに配っておいてくれない?」
そう言って大きめの箱を渡していた。
おそらくお菓子でも入っているのだろう。
「ありがとうございます! あとで配っておきますね」
彼女は嬉しそうな笑顔を見せる。
お菓子が嬉しいのか、愛する人に頼られたのが嬉しいのか、彼女の性格を考えると恐らく後者だろう。
「わぁ! それって、長野のゆるキャラですよね? 嬉しい! 友希哉さん長野に行ってきたんですかぁ!?」
吉川麻里奈が割って入った。
二人の邪魔をしようとわざと口を挟んだのか、それとも空気が読めないだけなのか、彼女の性格を考えると恐らく前者だと思う。
真由子さんがあからさまに顔を歪める。
「うん、出張でね。じゃあよろしく」
中嶋さんは二人に背を向けた。
「また買ってきてくださいね!」
吉川は甘ったるい声を出した。
おそらく媚を売っているのだろうが、あんなワザとらしい振る舞いに引っかかる男がいるとは思えない。
真由子さんは何か言いたそうだったが、面倒になったのか黙って席に座り仕事に取り掛かった。
俺は複雑な気持ちで一部始終を眺めていた。
同期の真由子さんは、ここ数年で綺麗になった。
入社したばかりの頃は地味で野暮ったい女の子だったが、いつの間にか肌の艶や髪の輝きが増し、表情が明るくなった。
ここ最近はストレスのせいか疲労が溜まっているようだが、それでも以前に比べたら女性としての魅力が増している。
そしてそれに伴い、急にモテ出した。
男性社員がこぞって真由子さんにアプローチしだした。
恥ずかしながら、自分もその中の一人である。
しかし、彼女は天然なのか鈍いのか、男性諸君のアプローチに一切気づかず、大半は早々に諦めて次第に彼女に近づかなくなった。
後から知った話だが、彼女が女性の魅力に溢れたのはちょうど中嶋さんと付き合い始めてかららしい。
女性は恋をすると綺麗になると聞くが、ここまで変わるのかと感心してしまった。
そして、彼女を綺麗に染め上げた中嶋さんに嫉妬し、中嶋さんの恋人として完成された彼女に惚れ込んでしまった自分が惨めになった。
中嶋さんは二年先輩だが、向こうは大卒で俺は院卒だから年齢は同じ。
彼はコミュニケーション力もあり仕事もできる。
人望も厚い。
すべてを兼ね備えた完璧な人だ。
一方俺は根暗で人と話すのがどちらかというと苦手で、機械と向き合っている方が得意だ。
もちろん、恋愛経験もないわけではないが乏しい。
過ごしてきた時間の長さは同じでも、持っているものは全然違う。
そしてそんな中嶋さんに、俺の思い人である真由子さんはベタ惚れなのである。
悔しいが、俺には勝ち目はなかった。
しばらくすると仕事がひと段落したのか、真由子さんが中嶋さんのお土産を配りに来てくれた。
よくわからないご当地キャラクターが書かれたクッキーだ。
俺には良さがわからないが、女性陣は喜んでいる。
お土産を選ぶセンスもあるのか。
嬉しそうにお菓子を配る真由子さんを見ていると、彼女の笑顔をここまで引き出せる中嶋さんへの嫉妬で悔しくなった。
クッキーを置いて立ち去っていく彼女の背中を見送っていると不意に声をかけたれた。
「健気だねえ、横山君」
同期の武田さんがいつの間にか後ろにいて、憐れむような揶揄うような声で話しかけてきた。
「え?」
「真由子さんのこと見てたんでしょ」
どうやら俺の視線の先に真由子さんがいることは武田さんにバレていたらしい。
「分かる?」
「悪いけど、モロバレだよ」
「誰にも言わないでくれよ」
「本人は気づいてないから大丈夫。本人はね」
「これあげるよ」
照れ隠しに中嶋さんからの土産クッキーを武田さんに渡した。
「わたしももらったよ」
「いいから」
「いらないの? じゃあ遠慮なく」
正直に言うと、中嶋さんからの施しを受けるのが嫌だっただけだ。
醜い嫉妬心だと我ながら思う。
だからと言って配っている真由子さんから受け取るのを拒否する事は気が咎めた。
だから武田さんに受け取ってもらえると非常に助かる。
「ねえ、アプローチしてみたら?」
「いいよ。俺なんて相手にされないし」
「見てるともどかしくてさー」
「彼女の幸せを壊したくない」
「純愛だねえ」
本当は武田さんの言う通り、アプローチすればいいのだが、その勇気はない。
彼女の中嶋さんへの気持ちを考えると、玉砕するのは分かっているし、何か行動を起こして気まずくなるのは嫌だ。
他の男性社員同様に早々に諦めて新たな出会いを求めれば良かったのだが、俺の真由子さんへの気持ちは思った以上に強いようで、身動きのできない苦しい状況に追い込まれてしまった。
だから、俺は幸せな彼女を見ることで、自分の気持ちを満たそうとした。
彼女が幸せならそれでいい。
隣にいるのが俺じゃなくても。
そう言い聞かせ、悲恋の男になりきる事で自分を保っていた。
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