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5章
5-2 オーレリアの選択(2)
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状況は日に日に悪化していった。
聖アルメヌアス教会で逃げ込んだ旧ディアック伯領兵達が受け入れられたという噂が広まったことで、各地に逃げていた兵士達が集まってしまい、日を追うごとに野営の規模は大きくなっていく。
そして、いつしか旧ディアック領民までもが教会へ保護を求めてやって来るようになってしまい、その規模は数百人にまで膨らんでいた。
そうなると、当然起こるのは食糧問題だ。
教会は、それほど多くの人間を抱えられるほど裕福をしているわけではない。
食料の備蓄も腐らせないように、必要なだけしかしておらず、余りそうであれば早めに他の教会へ輸送してしまう。
教会が逃げ込んできた彼らに分け与えられる食料は、あっという間になくなった。
そんなある日、備蓄倉庫でボヤ騒ぎが起きた。
幸い、見張りがすぐ近くに居たので火は大きくならなかったけれど、代わりに食料がいくらか盗まれた。
それを契機として、教会側は逗留者達の行動を厳しく監視するようになり、それに反発する逗留者達との間で、一触即発の状態が続いていた。
私もまた、本が盗まれては困ると思い、地下書庫にいる時間を今までよりも少し増やした。
とはいえ、読み書きの出来ない人々には本の価値がわからないのか、外の緊迫した状況とは裏腹に、地下書庫はいたって平穏そのものだった。
そんな中、地下書庫で私が仕事を続けていると、一人の人物が私の元へとやってきた。
「サイード様。私などめがお呼び出しをして、大変申し訳ありませんでした」
それは私に地下書庫番の仕事を与えた神学者のサイード様。
私はこの状況を打開するために彼の知恵を借りようと考え、他の教会に伝言を頼んでいたのだ。
「なに、気にすることはない。司教に呼び出されるよりは、シスターに呼び出される方が気分はいい」
いつものようにからからと笑いながら、サイード様は地下書庫の椅子に腰かけた。
「しかし、ずいぶんと状況は切迫しているようだな」
「はい。日を追うごとに保護を求めるディアック伯領の領民が増えており、教会関係者が彼らと衝突するのは時間の問題かと思われます」
「そうなれば、追い出すしかない……が、おそらく大半が飢えて死ぬか野盗になるだろうな」
私はうなずく。
「全ては私が原因なのです。私がアルに、逃亡したディアック伯領兵を逗留させてもらえるよう司教様に頼めと言ってしまったから」
「アル?」
サイード様は口元をゆるめながら首をかしげた。
私は顔を熱くしながら答える。
「アルバート・ディアック。この教会の修道士で、レオノール・ディアック伯の弟です。……その、なんというか……、私の大事な人です」
途端、地下書庫にサイード様の笑い声が響いた。
「なるほど。つまり、これはいわゆる、恋愛相談というわけか」
うんうん、と一人で納得するサイード様。
「ち、違います! 私が聞きたいのは、教会はこの状況をどう切り抜ければよいかという話で……」
「それだけなら話は簡単だろう。そのアルバートという修道士を、理由をつけて破門にして追い出せば良い。おそらくは、すでに司教もそんなことを考えていると思うぞ。お前だって、それを考えつかなかったわけはあるまい」
サイード様は言った。
それは図星だった。
けれど、私はその選択をあえて考えないようにしていた。
「だがな、シスター・オーレリア。残念ながら、私は恋愛相談というものを受けるのは初めてなのだ。……ほら、私は神学者だから」
「……でしょうね」
教会最高の賢者様に、何てことを相談してしまったんだと気づき、私は顔を赤くしてうつむいた。
サイード様は立ち上がり、そんな私のすぐ傍までやって来る。
「私は賢者と呼ばれることは多いが、その実、それほどものを知らん。一部の分野でならば、今のお前にすら知識は劣るだろう。それは人間という定命の存在である以上、仕方のないことだ」
「はい。それは今の私にならわかります。私はよく賢いとまわりから言われるけれど、自分ではいつも失敗ばかりをしていると思っています。今回のことだって」
サイード様は笑った。
「それでいいのだよ。シスター・オーレリア。人に全てをわかる必要などない。人は失敗してもいいのだ。間違いながら前に進むしかない。人生も、おそらく恋愛というものも」
溜め息をついて落ち込むサイード様。
「……それらしいことを言おうと思ったが、全然言えとらんな。しょせん、こんなものだよ、賢者などと言っても」
「いえ、言えてましたよ。私の心には刺さりました」
私は微笑みながら言った。
私にフォローされたことに、サイード様は苦笑いをした。
「では、心優しきオーレリアに、最後に一つ先人として忠告しておこう」
「……なんでしょうか?」
サイード様は私の目をじっと見た。
「知に聡い者は理屈を優先させて、自分の感情をないがしろにしがちだ。しかし、自分の感情をないがしろにしたことの後悔は、どんな聡い者にとっても等しくおとずれる」
私はしばらく黙って、サイード様の言葉を頭の中で咀嚼した。
「それは……道理、でしょうか?」
サイード様は笑った。
「違う。若い頃の経験を踏まえての、私の経験則だよ」
私は笑った。
私達の笑い声が地下書庫の中に大きく響き渡った。
その時、ぎいっ、と音を立てて地下書庫の扉が少し開く。
扉を開けたのはアルバートだった。彼は私とサイード様が話をしているのを見て、目を伏せて扉を閉めようとした。
「あっ、お話中でしたか。申し訳ありません」
「いいのよ、アル。この方はサイード様。私達の関係のことも知っているわ」
私がそう言うと、アルバートはおそるおそる部屋の中へ入ってくる。
「おお。この青年が噂のアルバート・ディアックか」
サイード様は明るくそう言うと、アルバートを地下書庫の中へと招き入れ、自分はそのまま入り口の方へと歩いていった。
「サイード様? もう行ってしまうのですか?」
サイード様は苦笑いをする。
「若い男女の語らいに、私の助言など必要あるまい。司教もそろそろ呼びに来る頃だろうしな」
悪い後悔をしないようにな、と言い残して、サイード様は書庫の外へと出て行った。
聖アルメヌアス教会で逃げ込んだ旧ディアック伯領兵達が受け入れられたという噂が広まったことで、各地に逃げていた兵士達が集まってしまい、日を追うごとに野営の規模は大きくなっていく。
そして、いつしか旧ディアック領民までもが教会へ保護を求めてやって来るようになってしまい、その規模は数百人にまで膨らんでいた。
そうなると、当然起こるのは食糧問題だ。
教会は、それほど多くの人間を抱えられるほど裕福をしているわけではない。
食料の備蓄も腐らせないように、必要なだけしかしておらず、余りそうであれば早めに他の教会へ輸送してしまう。
教会が逃げ込んできた彼らに分け与えられる食料は、あっという間になくなった。
そんなある日、備蓄倉庫でボヤ騒ぎが起きた。
幸い、見張りがすぐ近くに居たので火は大きくならなかったけれど、代わりに食料がいくらか盗まれた。
それを契機として、教会側は逗留者達の行動を厳しく監視するようになり、それに反発する逗留者達との間で、一触即発の状態が続いていた。
私もまた、本が盗まれては困ると思い、地下書庫にいる時間を今までよりも少し増やした。
とはいえ、読み書きの出来ない人々には本の価値がわからないのか、外の緊迫した状況とは裏腹に、地下書庫はいたって平穏そのものだった。
そんな中、地下書庫で私が仕事を続けていると、一人の人物が私の元へとやってきた。
「サイード様。私などめがお呼び出しをして、大変申し訳ありませんでした」
それは私に地下書庫番の仕事を与えた神学者のサイード様。
私はこの状況を打開するために彼の知恵を借りようと考え、他の教会に伝言を頼んでいたのだ。
「なに、気にすることはない。司教に呼び出されるよりは、シスターに呼び出される方が気分はいい」
いつものようにからからと笑いながら、サイード様は地下書庫の椅子に腰かけた。
「しかし、ずいぶんと状況は切迫しているようだな」
「はい。日を追うごとに保護を求めるディアック伯領の領民が増えており、教会関係者が彼らと衝突するのは時間の問題かと思われます」
「そうなれば、追い出すしかない……が、おそらく大半が飢えて死ぬか野盗になるだろうな」
私はうなずく。
「全ては私が原因なのです。私がアルに、逃亡したディアック伯領兵を逗留させてもらえるよう司教様に頼めと言ってしまったから」
「アル?」
サイード様は口元をゆるめながら首をかしげた。
私は顔を熱くしながら答える。
「アルバート・ディアック。この教会の修道士で、レオノール・ディアック伯の弟です。……その、なんというか……、私の大事な人です」
途端、地下書庫にサイード様の笑い声が響いた。
「なるほど。つまり、これはいわゆる、恋愛相談というわけか」
うんうん、と一人で納得するサイード様。
「ち、違います! 私が聞きたいのは、教会はこの状況をどう切り抜ければよいかという話で……」
「それだけなら話は簡単だろう。そのアルバートという修道士を、理由をつけて破門にして追い出せば良い。おそらくは、すでに司教もそんなことを考えていると思うぞ。お前だって、それを考えつかなかったわけはあるまい」
サイード様は言った。
それは図星だった。
けれど、私はその選択をあえて考えないようにしていた。
「だがな、シスター・オーレリア。残念ながら、私は恋愛相談というものを受けるのは初めてなのだ。……ほら、私は神学者だから」
「……でしょうね」
教会最高の賢者様に、何てことを相談してしまったんだと気づき、私は顔を赤くしてうつむいた。
サイード様は立ち上がり、そんな私のすぐ傍までやって来る。
「私は賢者と呼ばれることは多いが、その実、それほどものを知らん。一部の分野でならば、今のお前にすら知識は劣るだろう。それは人間という定命の存在である以上、仕方のないことだ」
「はい。それは今の私にならわかります。私はよく賢いとまわりから言われるけれど、自分ではいつも失敗ばかりをしていると思っています。今回のことだって」
サイード様は笑った。
「それでいいのだよ。シスター・オーレリア。人に全てをわかる必要などない。人は失敗してもいいのだ。間違いながら前に進むしかない。人生も、おそらく恋愛というものも」
溜め息をついて落ち込むサイード様。
「……それらしいことを言おうと思ったが、全然言えとらんな。しょせん、こんなものだよ、賢者などと言っても」
「いえ、言えてましたよ。私の心には刺さりました」
私は微笑みながら言った。
私にフォローされたことに、サイード様は苦笑いをした。
「では、心優しきオーレリアに、最後に一つ先人として忠告しておこう」
「……なんでしょうか?」
サイード様は私の目をじっと見た。
「知に聡い者は理屈を優先させて、自分の感情をないがしろにしがちだ。しかし、自分の感情をないがしろにしたことの後悔は、どんな聡い者にとっても等しくおとずれる」
私はしばらく黙って、サイード様の言葉を頭の中で咀嚼した。
「それは……道理、でしょうか?」
サイード様は笑った。
「違う。若い頃の経験を踏まえての、私の経験則だよ」
私は笑った。
私達の笑い声が地下書庫の中に大きく響き渡った。
その時、ぎいっ、と音を立てて地下書庫の扉が少し開く。
扉を開けたのはアルバートだった。彼は私とサイード様が話をしているのを見て、目を伏せて扉を閉めようとした。
「あっ、お話中でしたか。申し訳ありません」
「いいのよ、アル。この方はサイード様。私達の関係のことも知っているわ」
私がそう言うと、アルバートはおそるおそる部屋の中へ入ってくる。
「おお。この青年が噂のアルバート・ディアックか」
サイード様は明るくそう言うと、アルバートを地下書庫の中へと招き入れ、自分はそのまま入り口の方へと歩いていった。
「サイード様? もう行ってしまうのですか?」
サイード様は苦笑いをする。
「若い男女の語らいに、私の助言など必要あるまい。司教もそろそろ呼びに来る頃だろうしな」
悪い後悔をしないようにな、と言い残して、サイード様は書庫の外へと出て行った。
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