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6章

6-1 図太く生きる(1) 

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 山を越えると、懐かしい領都の風景が現れた。
 綺麗に整備された街道を荷馬車は下っていき、やがて辺りに田園が広がっていく。

「豊かな領地ですね。王国の端っことは思えないくらい」

 辺りの様子を食い入るように見つめながら、ファリンダは言った。

「そうね。このあたりは真ん中に一本大きな川が通っているだけの広大な平原なのよ。まさに食料地帯にするのに適した地勢。だから、昔から戦争が絶えなかった場所でもあるし、この豊かな最前線を長年守り抜いているカスマン・アブドゥナー辺境伯は国王からその手腕を評価されているのよ」

 私は言った。
 ファリンダが私のことをきょとんとした目つきで見る。

「レーア様。お父上のことを評価されているのですか?」

「……手腕はね。人格と能力の評価は別よ。父親と貴族としての評価もね。第一、父が愚かで無能な人物だったら、頭を上げる必要なんてないわ」

 ファリンダは微笑する。

「レーア様らしいですね」

「褒め言葉として受け取っておく」

 私は笑った。

「ところで、レーア様。領都には岩飴は売っているでしょうか?」

 岩飴。私がファリンダと初めて会った時にあげた、この辺りの名産の、黒い石のようなゴツゴツした飴だ。見た目こそグロテスクだが、味は甘くて美味しい。

「売っているだろうけど買わないわよ」

「えー」

「えー、じゃない。あれは値段が高いって、いつか言ったのを覚えていないの? 私達にそんな財布の余裕はないのよ」

 はぁ、と私にわかるようにわざとらしく溜め息をつくファリンダ。
 見るからにファリンダは、はしゃいでいた。幼い頃から教会の孤児院で育った彼女にとってはこれが生まれて初めての遠出だからだろう。

「ったく……、これは旅行じゃないのよ」

 私はつぶやいた。

「買えはしないけど、岩飴だったらたぶん城の中にもあるわ。城に着いた後、私に持ってこいと言われたと言って、いくらかもらいなさい」

 ファリンダは途端、明るい顔をした。

「はい!」

 現金なファリンダの様子に、私は思わず苦笑いをした。
 『ただの里帰り』とは以前言ったが、ファリンダは本当に旅行気分だった。
 けれど、これから父と対峙することになる私にとっては、そんなファリンダが傍に居てくれることが何より心強かった。



 領都の中へ入り、大通りを抜けていく。
 四年前とは変わらぬ賑やかな市中の様子を私が懐かしんでいると、気づけば荷馬車は城の門の前までたどり着いていた。
 そして、四人の門番が私達の目の前に現れ、御者は馬の歩みを止める。

「止まれ! 何の用で、城に立ち入ろうとしている!?」

 門番は言った。
 私は荷台の上で立ち上がり、彼らを見下ろすようにして言った。

「用がなければ入ってはいけないのですか? 私はオーレリア・アブドゥナー。この城の主、カスマン・アブドゥナーの娘です。まさか、あなた達、私のこの顔を見覚えがないとは言いませんよね?」

 私は日除けのベールを取って、彼らに素顔をさらした。
 彼らの表情が一気に凍りつく。それはまるで、死人が生き返って戻ってきたような驚き方だった。

「オーレリア・アブドゥナー……様? どうしてこちらに? 修道院に居られたはずでは?」

「用が出来たので帰ってきました。――門を開けなさい。私はあなた方ではなく、父に話があるのです」

 話し合いを始める門番達。

「早くなさい! 主の娘をいつまでこうして荷馬車の上に立たせておくつもりですか!」

 私は彼らの判断をうながすため、あえて声を荒げて叫んでみせた。
 するとその時、私達が門の前で騒いでいるのに気付いたのか、門の脇にあるゲートハウスから、革鎧を着込んだ警備隊長が現れた。

「……おお。これはオーレリア様。お久しぶりですな。私のことを覚えておいでですか。ずいぶん凛々しくなられましたな。見違えました」

 彼はすでに十年以上この城の警備隊長をしていて、父の信頼も厚い男だった。しかし、それは私の味方ではないということを意味している。

「親に捨てられ修道院に放り込まれれば、そうならざるをえないでしょう。父に話があるのです。すぐに門を開けなさい」

 私は強く言った。
 けれど、警備隊長は首を横に振った。

「それはできません」

「なぜ? 理由を聞かせなさい」

「オーレリア様は、今は修道院にいらっしゃるはずだからです。いらっしゃるはずの方を、城にお通しするわけにはいきません。要件があればここで取り次ぎいたします。そして、そのまま修道院へとお帰りください」

 私をじっと見つめる警備隊長。彼の目には絶対に私を通さないという強い意志がこもっていた。

「できません。私は修道院に帰れません。私はシスターを辞めてきたのです。頼るあてもなく故郷へ帰ってきた主の娘を、あなたは城の外で眠らせるつもりですか」

 それから、警備隊長はしばらく黙って考えた。
 やがて、

「わかりました。確認をしてまいります。しばしお待ちを」

 そう言って、彼は城の中へ入っていこうとした。
 その時だった。

「その必要はありません」

 城の方から、白いドレスを身にまとった一人の夫人が現れた。
 長いしなやかな髪、気品ある面立ち、その姿はロンバルド公爵家に嫁いだ私の姉――メリッサ・ロンバルドだった。

「レーアは私が呼んだのです。門を開けなさい。あなた達は私の最愛の妹を不審者として扱うつもりですか?」

 そう言ったメリッサ姉様の後ろには、貴族服に身を包んだクリストフ兄様の姿もあった。

「そのとおりだ。数年ぶりに兄妹三人が再会できたというのに、お前達はそれに水を差す気か? 責任も父上の小言も全て俺が引き受ける。今すぐ門を開けろ」

 そんな二人の命令で、門番達はしぶしぶ門を開け始めた。
 私は荷馬車を駆け下り、二人のところへと走っていく。

「メリッサお姉様! クリストフお兄様!」

 私は数年ぶりに会えたメリッサ姉様に、勢いよく抱きついた。

「しばらく見ない間に、ずいぶん大きくなったわねえ。元気そうで何よりよ」

「お姉様こそ、どうしてこちらに?」

「シスター・アメルに手紙をもらったのよ。あなたが修道院を辞めて父のところへ行くから、何かあったら力になってやってくれと。父達にはホームシックになったから、しばらくこちらに滞在したいと嘘をついてしまったけれどね」

 メリッサ姉様はいたずらっぽく微笑んだ。
 その時、メリッサ姉様の視線が私の背後へと移った。

「レーア、この子は?」

 メリッサ姉様がそう言うと、ファリンダは小さく会釈をして見せる。

「私はファリンダ。レーア様の小間づ――」

「この子はファリンダ。修道院で出来た、私の新しい妹よ。仲良くしてやって」

 私はファリンダの言葉をさえぎって言った。ファリンダが真っ赤になって照れる。

「あら、そうなの。それじゃあ、私達の新しい妹でもあるわね。よろしくね、ファリンダ」

 そう言いながらメリッサ姉様は、ファリンダと握手をした。
 そんな二人の様子を眺めていた後、黙っていたクリストフ兄様は城の方を向きながら口を開いた。

「さて、再会の挨拶も終わったところで、そろそろ行くとするか。父上はおそらく、城の礼拝堂だ」

 そして、私達四人は並んで城の入り口へと歩いていった。
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