ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 3-2

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どれほど歩いただろうか。木々の間から岩肌が見えた。
 鳳乱はその前で一旦足を止め、岩の隙間からちろちろと流れる細い清流のまりを指し、「飲め」と短く指示する。五人は順番にその溜まりにに屈んだ。水は冷たく、手ですくって飲むと、喉から胃の辺りまで水が落ちて行くのを感じた。水はほのかな甘みがあり、何度かすくっては、十二分に喉を潤した。
 顎から滴(したた)る水をシャツの袖で拭う。そして目の前にはばかる、黒い岩壁を見上げた。高さは10メートルほどだろうか。
「登るぞ」
 鳳乱は手前の岩の出っ張りに手をかけ、体を持ち上げた。
 内心予想していたものの、本当にそんな展開になるとは。まどかは重い溜息をついた。
 暑さのためにTシャツを腕まくりしていた山口に、獅子王が目を留めた。
「山口、シャツを下ろしておかないと擦りむくぞ。森の中を歩くのにもいつも気をつけておけ。草や虫にやられる」
 ああ、長袖なのはそのためなのか。まあ、通気性のいいシャツだからすぐに汗は引くのだけど。
 五人は無言で岩に手をかけ、足場を探りながら注意深く登った。獅子王は一番後ろで、足場を教えてくれる。鳳乱がまどかたちをフォローすると言ったのは、まんざら嘘ではないようだ。
 やっと頂上に着くと、緑のジャングル一帯を見下ろせた。後ろには、緑にこんもりと包まれたとても大きな山がそびえている。
「火山だよ」
 最後に頂上に立った獅子王が目を眇めた。
「すげーデカいな。死火山?」
 山口は額の汗を手の甲で拭う。
「いや、休火山」
「じゃ、ヤバいじゃん。こんなでかいのが噴火したら」
 吉野が驚く。
「いや、大丈夫。フェニックスの……」
「必要の無いことは言うな」
 鳳乱が珍しく声高に獅子王の言葉を素早く遮った。獅子王は不満げに唇を尖らせる。
 だが、それを無視して鳳乱は、段々と低くなって行く岩棚の反対側を降り始めた。まどかたちも岩にへばりついている蔦に足を引っかけないように注意しながら下りていく。岩棚から祠までは、また単調な道のりだったが距離があるだけに、祠のある洞窟近くまで来たときにはやはり全員がかなり疲労困憊していた。
 洞窟の前には、陽の光にきらめく湖があり、開けた小さな空間は今にも鹿の親子でも水を飲みに来そうな雰囲気だ。一行はその空き地を挟んで、茂みの間から洞窟の入り口を見ていた。
「あの中だ。あの中に三人いる」
 鳳乱は声のトーンを落とした。
「どーしろって言うんだよ。誰かがあそこまで行くのか?『こんにちはあ』ってよ」
 山口は木の幹によりかかって座り、膝を立てている。疲れで多少いらついているようだ。
「いや、僕が呼び出す。きみ達はヤツの話している言葉を聞き、可能ならばコミュニケーションを計ってくれ。いや、可能なはずだ。そうでなければここにいる理由が無いからな」
 鳳乱は全員を見回した。
 ここにいる理由。
 その一言が妙に耳に残った。ふと鳳乱とまどかの視線が交わる。すぐに相手が顔を背けると、何故か彼がものすごく遠くにいる寂寥感に襲われた。
 距離はこんなに近いというのに。
(鳳乱はいつも、私から遠ざかろうとしている)
 まどかには、それが少し悲しかった。
 あれだけ蔑まされた態度を取られても、邪険にされても、そう思ってしまう自分は相当おかしい。
 でも、鳳乱の姿を目にするだけで、胸が疼いてしまうのだ。
 無言で、鳳乱が茂みから静かに出て行く。
 静寂が彼から漂ってくるようだ。
 落ち着き払った、美しい横顔が通り過ぎる。洞窟に近づく背中を、強い陽の光が後押しするように照らす。
 何をも恐れていない、その広い背中。 
(行かないで)
 脳裏に自分の声が響く。
 茂みと洞窟の真ん中あたりで、鳳乱は立ち止まり、顎を上げた。
「話をしに来たぞ。出て来い」
 ざわっ、と思いだしたように風が木々の間を走った。それとも彼が風を呼んだのか。
「うわ、いきなり高飛車!」
 みちるはぽかんと口を開ける。刹那、パンパン、と乾いた音が響き、近くの葉が散った。まどかは一瞬、何が起こったのかわからず、フリーズした。見開いたまどかの瞳が、鳳乱が素早く振り返った姿を捉えた。光のせいだろうか、その顔は少し青白く見えた。
「うそ! 武器持ってんじゃないのよ! 相手は!!」
 みちるは腰を上げて逃げようとする。
「動くな! 撃たれたいのか!」
 獅子は声を殺しながら、みちるの腕を取って無理やり屈ませた。
 そのとき、洞窟の入り口から男が一人顔を出した。赤茶けた髪に白い肌。顔中髭だらけだ。遠目だが見た感じは欧米人のようだった。彼は小銃を片手に、体半分、岩の陰に隠している。彼の服装もまた、だいぶ汚れているようだったが、完全にミリタリーの迷彩服だった。
 鳳乱はもう一度「話がある。銃を置いて出て来い」、静かに、それでもはっきりと声を張った。
 すると男は突然、何やらわめ喚きだした。派手な身振りで、鳳乱を威嚇するように、ただ怒鳴っている。
『会話の焦点が合っていない』
 もし、鳳乱の話していた、この惑星の人たちとのコミュニケーションの最初の一歩である、『相手に焦点を合わせること』が出来なければ、この惑星の言語を話せない限り、意思疎通は不可能だ。男は恐怖からか、自分を大きく、強く見せるためだけに必死なようだった。
 脅し、または自分の要求だけを乱暴に吐き出しているだけだ。
 とにかく五人は、男の激しい怒声に注意深く耳を傾けた。しかし、わかったのは英語も、アジア一帯の言葉ではないということだった。
 鳳乱は今はすでに口を閉ざして、微動だせずに男を見ていた。
「オレ、わかるぞ」
 有吉が目を輝かせた。
「山口……あれ、ドイツ語だな」
 有吉が嬉しそうに山口に目配せする。
「お、おう」
 そうだ、山口は歯学部で一応ドイツ語を勉強したはず。ただし喋れるかはまた別の問題だけど。
 獅子王も有吉に顔を寄せた。
「本当にわかるんだな」
「おう。余裕。オレ、話してみる。ただ、あの銃はこえーな、正直」
「心配するな。鳳乱を盾にしろ。あいつなら上手くやるから」
 獅子王は片目を瞑る。
「鳳乱の後ろから。わかったな。行け!」
 そして有吉の背を叩いた。
 有吉は身を低くしたまま、しかし素早く茂みから飛び出した。そのまま鳳乱の背後から一直線に彼へ近づいて行く。
 パン。
 有吉に気づいた男が、再び発砲した。
「きゃっ」
 みちるとまどかはぎゅっと目を閉じ、身を縮める。
(有吉……鳳乱……戻って来て)
 まどかは、ただそれだけを願う。
 恐る恐る目を開けると、鳳乱はまだ背筋を伸ばして立っており、有吉もすでにその後ろに立っていた。
 男はもう怒鳴るのをやめていた。一瞬、辺りが静寂に包まれた。
 風も、時間も全て止まった気がした。
 ごくり、と吉野の喉が鳴った。
 有吉が一声を発した。多分、ドイツ語だ。
 男が少し体を岩陰から現したのを見て、有吉はすぐに何か言葉を繋ぐ。
 そして有吉は一度ここで相手の様子を伺った。
 無反応。彼は再び試みる。何かを言って、反応を待つ。
 すると始めて男が口を開いた。
 まどかの緊張はマックスで、激しく高鳴る動悸が耳の中で騒がしい。皆の視線は有吉一人に集中している。
 有吉は鳳乱の背後から出た。隣でみちるが息をのんだ。彼はそのまま両手を上げて、ゆっくり一回転した。
 有吉が丸腰なのがわかると、男は岩陰から完全に体を出し、銃をベルトに掛けて、また、何か叫んだ。
 そして有吉が男に近づき、その姿が洞窟の中へ消えた。
 残された全員の視線は洞窟に釘付けになり、仲間が出てくるのを今か今かと待った。
 それでも、まどかは時折、まだその場に立ち尽くす鳳乱の背中を盗み見ずにはいられなかった。
 しばらくして、最初の男と有吉が並んで、その後ろにブロンドの痩せた男が付いて来た。
 有吉はまどかたちの隠れている方へ向かって、胸の前で親指を立てて軽くサムアップをしてみせた。それから鳳乱と男達を引き合わせた。今度こそ彼らは普通に鳳乱とコミュニケーションがとれる状態になったらしい。
 結局、相当衰弱している彼らの仲間の残りの一人を、獅子王の呼んだ、あの獣に乗せると全員はゆっくりと帰路に付いた。獅子王は有吉の頭を腕に抱え込んでその頭を小突き、「お前、やるじゃん!」と乱暴にねぎらった。
 仲間も有吉の周りで興奮気味に、それぞれが声をかけている。まどかはそんな様子を少し遠くから見ていた。
 ぽん、と私の頭に手を置く者がいた。顔を上げると、鳳乱だった。急に心拍数が上がる。
「よかったな。これで、お前達の役目は終わり、かな……」
 一仕事終わって緊張が解けたためか、彼の、一瞬見せた笑みは柔らかかった。そしてすぐに私の横を過ぎて行ってしまった。有吉に労いの言葉をかける彼。
 まどかの胸はまだ騒いでいた。どうしよう、なんだかこれって。
 まどかは、今はっきりと感じている自分の気持ちから目を背けたかった。
 帰ることが約束されているなら、この気持ちは邪魔なだけなのに。
 まどかは頭を二、三度振って、仲間の元へ急いだ。
 帰りは岩棚を迂回したため、かなり時間がかかった。

 村に着くと、鳳乱と獅子王は男達を長の元へ連れて行き、まどかたち五人は憩いの場である、ダイニングキッチンでソファに沈み、しばし、死んでいた。
 その間に村の女性がスープの入った鍋と、米の入った器を運んでくれた。
 皆、食卓を囲みながら、有吉の話を聞く。空っぽの胃に温かいスープは優しく沁みた。
「なんで出てくるのに、あんなに時間がかかったんだよ。何喋ってたんだ?」
 吉野が皆のグラスに水を注ぎながら訊いた。
「いや、オレじゃなくて相手がさ。話が長いんだよ。久々に話の通じる人間に会ったからだと思うけど。それをうんうんうん、って聞いてたら、時間がかかった。まぁ、あいつら、中東に派遣されていた連合軍の軍人よ。激戦区を移動中に襲撃されて、目の前が真っ白になったと思ったらジャングルの中。始めはまだ地球外だなんて全然わからなかったらしくて……、そりゃそうだよな、パニクったまま迷いに迷ってあの洞窟にたどり着いた、ってわけ。祠に来た住民はおびえて逃げるし、そのうち仲間は病気になるし、かなりもう、テンパってたみてーだな。だから村の連中の言葉に耳を傾けようとしなかったんだ。でかいくせに意外と小心ってやつ?」
 有吉は話し終えると、スープのお代わりをし、黙々と食べた。皆もあとは無言でスプーンを動かし続けた。
 食事を終えて食器を片付けたあと、それぞれ部屋へ引き上げた。まどかはキッチンを出るとき、シャツを肘まで上げてテーブルを拭く有吉に声をかけた。
「お疲れさまでした」
「うん。マジで疲れたな。でもこれで帰れるかも、だしな」
 彼は腕を組んでテーブルに寄りかかった。
「ほんとだね。早く帰って天ぷらが食べたいなあ」
「オイ、日本離れて数日しかたってねーのに、もうホームシックかよ。それになんで天ぷら?」
 かかか、と有吉は笑う。それでも、すぐに真顔になり、
「金目さあ。帰ったらオレたち……」
 そこで口をつぐむ。
「ん?」
 まどか首を傾げ、彼の目をまっすぐに見た。有吉はふっと表情を崩すと、
「『宮内』の天ぷら食べに行こうぜ」
「やったっ! 奢り!?」
「ばーか、おまえの奢りだろ。この場合、オレの手柄なんだから」
「わかったわよ」
 まどかは頬を膨らましてみせる。
 その頬を有吉が指で軽く突いた。
「ゆっくり休めよ」
「うん、有吉もね」
 まどかは新しいパジャマに身を包むと、夢も見ずにぐっすり眠った。
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