ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 5-1

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「あれ、鳳乱は?」
 ある朝、まどかとみちるがキッチンに入ると、獅子王が皆の分のコーヒーを淹れていた。
「体調悪いって。なんか吐いてた。大丈夫だと思うけどね。ごく稀にあるんだよ」
 まどかはみちると顔を見合わせた。
 とりあえず、二人は彼が差し出したカップを受け取り、熱いそれを啜る。
「ほわ~、ほんと、このコーヒー美味しいわあ」
「オレが淹れるからだろ」
「いや、普通に豆が良いからでしょ」
「少しは褒めろ」
 二人のやり取りの間に、まどかは割り込んだ。
「鳳乱、大丈夫って、本当に大丈夫なの? 村の癒し手とかお医者さんに診せたの?」
 みちると獅子王は揃って目を丸くした。
「なに? おまえ、気になるの? 普段あんな扱いされて。大丈夫だろ、あいつは薬持ってるし、医者嫌いだから一人で適当に処置してると思うぞ」
「そうだよ、気にすることないよ。鳳乱先生様は豊富な知識をお持ちですから」
 おまえは冷たいな、と獅子王はみちるの額を軽く弾く。
 まどかはカップをテーブルの上に置いた。
「ごちそうさま。私、ちょっと診てくる」
「おい、待てよ! そんなんムダ……」
 獅子王の声が追いかけたが、まどかは振り向かず、キッチンを出た。
 今のまどかには、心配するなという方が無理だ。

 外はいつもと変わらず、むっと、湿気と熱の混じった空気が漂っていた。
 朝の強い光線が巨大な木々の間を貫き、斜光線を作る。
 住人もちらほら家から出て、水を汲みに行くもの、家畜を連れ出すもの、それぞれに働きだしている。まどかは鳳乱の部屋に急いだ。
 ドアの前に立った時、やっぱり来ない方が良かったかと後悔しかけた。
 普段、まるで空気のように無視されるか、口を開いたと思えば人が傷つくようなことしか言わない男に関わって、一体自分は何を求めているのか。
(部屋に入れてもらえるかさえ、わからないのに)
 考えていても仕方が無い。「ここまで来たのだから、やれるだけのことはやろう」そう自分を奮い立たせ、ドアを開けた。
 鍵はかかっていない。
 この村に来た時に、一度入っているので勝手は分かる。靴を脱いで、奥にある鳳乱の部屋のドアをノックした。
「私。まどかだけど。大丈夫?」
 声を掛けても返事は無い。当たり前か。
 そっとドアを開けてみる。部屋はブラインドの隙間から弱い光が入っていたが、薄暗かった。目の先のベッドに鳳乱が丸くなり、断続的に低いうめきが微かに聞こえた。
「入るよ」
 一歩足を踏み入れると、苦しげな呼吸まじりに「来るな」と掠れ声がした。
「いや、入ります」
 ドアを後ろ手に閉めて、部屋に入る。
 横向きにうずくまる鳳乱は、控えめに言ってもかなり苦しそうだった。
 眉間の皺はいつもにも増して深く刻まれている。額には汗。顔色は蒼白だ。
「ちょっと……大丈夫じゃないよね、これは」
 無精髭がうっすらと生えている。まどかはさすがに焦った。
「放っておけばいい」
 喉から絞り出す様な声で、やはり彼は拒絶した。
「黙って」
 苦しむ患者を目の前にした途端、まどかのプロ意識が呼び起こされた。
 額に手を当てる。かなり熱い。
「おまえの世話にはならん」
「はい、黙ってって言ったでしょ。こんな状態でわがまま言わない」
 彼が薄目を開けて始めてまどかを見た。しかし、すぐに目を閉じて、顔を背ける。
 まどかは鳳乱の腕を毛布の下から出して、脈を調べた。できれば舌診もしたい。でも彼に舌を出せ、と言った所で大人しく従わないだろう。まどかは諦めて足元に移動した。
「はい、失礼しますよ」
 今度は彼の足を手に取る。
「おまっ……!」
 彼は低く唸ったが、それを無視してまどかは眉をひそめた。熱は高いのに、足は冷たい。
「今脈診でみた、必要な経絡をちょっと押して調整するだけ。それで体のバランス整えたら自己治癒高まるから。ほんとは鍼を打ちたいところだけど。でも、押すだけでも効くから大丈夫。黙って寝ていて。というか、黙っていてもらった方が集中できる」
 まどかは、綺麗に筋肉のついた形の良いふくらはぎに手を滑らせ、いくつかツボを探り当てていく。
「ここどう?」
 押して反応を見る。……反応無し。
(黙れ、って言ったから? ま、いっか)
 まどかは、その場所をさらに押した。
「痛っ!」
 手の中の脚が跳ねた。
「あれ、そんなに痛かった? やっぱり弱ってるのね」
 再び脚を押さえて、順々に施術していく。
 鳳乱は諦めたのか、随分おとなしいが、場所によっては痛いのだろう。時折、呼吸が荒く乱れる。
 それでも、血流が良くなったようで、まどかの触れている手に相手の温もりが伝わり始める。
 その変化を、まどかは密かに喜んだ。
 脚と、腕と、背中と。彼にその度に押し易い姿勢をとらせた。諦めたのか、相手は素直に協力してくれた。
「次は、ええと――」
「もういいから、帰れ」
 とうとう我慢出来なくなったのか、鳳乱は少し体を起こし、心底迷惑そうな顔をしてまどかを睨んだ。
 いつもなら、彼のそんな顔を見たら、本当に迷惑なのだと傷つき、その視線を避けて彼から離れて行くところだ。
 だが、この時まどかは久々に病人を治療したせいで、気持ちが高揚していた。
 やっぱり、自分はこうしてるのが好きなんだ。それがわかると、鳳乱の批難の眼差しなどなんでもなかった。
 それに、彼の近くにいられる、この状況を楽しんでいた。
「ちょっと、病人は文句言わずに寝ててください」
 まどかは一度部屋を出てタオルを湿らせると、彼の額の汗を拭った。
 彼はすでに静かに目を閉じ、美しい横顔を見せていた。呼吸まだ早かったがさっきよりもずっと落ち着き、眉間の皺は消えている。
 まどかは「お大事に」と声を掛け、静かに部屋を出た。


「獅子王!」
 まどかは部屋を出ると、今日の課題の植物を両手に抱えている獅子王を捕まえた。
「どうだった? 随分時間かかった所みると、一応、なんらかの処置はできたんだろ」
「うん。でも、お茶をね、作りたいの。私、もう一度あの原っぱに行って、いらくさを探しに行ってもいいかな。あと、タンポポも摘みたいし」
「はぁ!? 薬飲ませときゃ、治るだろ」
「ううん、あれくらいなら、水分をもっととって、毒素をどんどん出した方がいいと思う。汗もいっぱいかいてるし。ね、お願い。キマイラ、呼んで?」
 必死に頼んだ。
 獅子王は、「まいったなぁ」と、しばし考えていたが、
「わかったよ。でも、オレも行くからな。おまえ一人じゃ心配だし」
 植物をまどかに渡した。
「これ、明日使うから、冷蔵庫に入れて。それと、あいつらには今日は休講って伝えておけ」
 じゃあ、またここで。と言って獅子はジャングルの方へ駆けて行った。
 結局、獅子王とまどかが薬草摘みから戻ったのは、陽がすっかり暮れてからだった。
 まどかは獅子王とキマイラにお礼を言うと、すぐにキッチンへ行き、摘んで来た植物を洗って水気を良く切り、オーブンで乾燥させた。
「何やってるの?」
 みちると男達が興味深そうにまどかの手仕事を覗き込む。
「お茶を作ってるの」
「ねえ、ワミさんが村の人の結婚パーティーに誘ってくれてるんだけど、行かない? ご馳走とお菓子と、あと、花火があがるらしいよ」
「うーん、これが終わったら追いかける」
「じゃあ、後でね」
 ぞろぞろと皆キッチンを出て行く。
「あ、有吉」
 まどかは背中に声をかけた。
「ん?」
「お腹、大丈夫?」
「もう、大丈夫。ありがとな。それと……おまえがそうやって集中してるとき、いい顔してる。あ、集中してる時も」
 「も」を強調して彼は笑った。
 まどかも笑みを返す。有吉が出て行くと、まどかは作業を続けた。
 乾燥した植物を手で細かくして器の中で混ぜ合わせ、獅子王が用意してくれた木製の茶筒入れて蓋を閉める。これで終了。
 それから、いらくさに触れてうっかりできた左腕の水泡の応急処置をした。
 本当にユランのエネルギーは強い。植物の持つ力もとても強い。いらくさで肌がかぶれるのは知っていたが、こんなにひどくなるとは思わなかった。まだジンジンと痺れている。
 茶筒を抱え、すっかり暗くなった村を小走りで抜ける。獅子王の部屋の窓をコンコンと軽く叩いた。窓際に小さな明かりが見えたので、多分居る。
「なんでこんな所から呼ぶの?」
 窓を開け、呆れ顔で獅子王は私を見下ろす。
「鳳乱にバレると嫌だから。これ、お茶が出来たの。よーく煎じて沢山飲ませて。私が作ったなんて言ったら、彼は飲まないでしょうから、絶対に秘密ね」
 まどかは、おやすみ、と獅子王に手を振ると、婚礼の義には行かず、部屋に戻った。
 半日かけた遠出で、さすがに体はくたくただった。シャワーを浴びて、ベッドに潜り込む。
 出来ることはやった。その達成感に酔いたかったのかもしれない。今日は良くやった、自分。褒めてあげよう。たとえ誰からも褒められなくても。完全に自己満足。でも、それで良いと思う……。
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