ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 6-2

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 まだ足元にもやが浮かぶ、それでも既に眩しい日差しの中を二人並んで歩いた。
 まどかは彼の近くにいるのにまだ慣れず、少し離れて歩いていた。
 鳳乱はそんなまどかの手をおもむろに取った。指を絡ませて、しっかりと握られる。
「あのっ……」
「なんで離れて歩くの?」
 熱っぽく見つめられ、まどかは顔を俯かせる。
「だ、だってこんなに近い距離にいると落ち着かなくて……いつも、遠くにいたでしょ」
「そんなこと言ったって、昨日は繋がったのに」
「それは!」
 思わず足を止めたまどかに、鳳乱は眩しそうに目を眇めた。
「何考えてんの。繋がっただろ? 心が」
 まあ、体もだけど。と、彼はひょうひょうとした横顎を見せて再び歩きだす。
「鳳乱て、そんなこと言う人だった?」
 まどかが噛み付くと、彼は「さあね」と躱す。
 そんな彼の態度に小さな反抗を試みて手を振りほどこうとしたが、逆に強く握られてしまう。
 まどかも立派な大人だ。こんな些細なことで、いちいち心に波風を立てるのは馬鹿げている。
 それでも、こうして隣にいると、鳳乱の言葉や仕草が気になって仕方がない。
「あ……」
「何?」
「鳳乱の歳っていくつかな、と思って。私よりは年上だと思うけど」
「まどかの住んでいたところと時間の進み方が一緒かどうかは知らないけど、三十になった」
「へぇ」
「まどかは?」
「二十五」
「五つ離れてるのか」
 そうかー、と彼はふわりと笑う。
 鳳乱の外見からは、二つ三年上に見えなくもないが、やはり彼には三十といわれれば、それなりの落ち着きがあった。
「獅子王は?」
 鳳乱は横目でまどかを一瞥し、「二十七」と短く答えた。
 獅子王の名前を出して機嫌を悪くしたのは、明らかだ。すごくわかりやすくて、嬉しさがこみ上げる。
 広場に入る。何度も通っているところなのに、隣に鳳乱が並んで、それも手をつないで歩いていると、眼に映る景色が新鮮だ。
「なんか景色が違って見えるな……。こんなこともあるのか」と、鳳乱が呟く。
「あ、私も今、そう思った」
 ふと足を止めて、鳳乱はまどかの額にキスをした。
「なんだ、両思いだな。よかった」
「……うん」
 遠目に仲間達の建物が見えてきた。急にまどかの足が重くなる。
(ど、どうしよう……皆になんて言えばいいんだろう、なんて言われるだろう)
「どうした?」
「だって……」
 鳳乱は握っている手にきゅっと力を込めた。そして喉の奥で小さく笑う。
「まどか、ホント、かわいーな」
 たちまち幸せで胸がいっぱいになり、何も言えない。二人は無言で歩いた。
 部屋の前に到着すると、鳳乱は躊躇せずドアを開けて入って行く。
「ちょ……っ……」
 彼が手をつないだままなので、仕方なく引かれるままに、奥のキッチンへ入る。
 鳳乱の背後から部屋を覗くと、テーブルを囲む四人と、その向こうにコーヒーのカップを手に立っている獅子王が見えた。
「よう、鳳乱」
 獅子王の声に、一斉が振り向く。
 皆、鳳乱の突然の出現に動揺しているようだ。
 みちるの目がまどかの目が合うと、ホッとしたように「おはよう~」と声をかけてくる。だが、同時に繋がった二つの手を認めると、目と口を同時に大きく開いた。
「口を閉じろ」
 鳳乱が普段の口調でみちるをたしなめると、みちるは慌てて口を閉じた。
 山口、吉野の視線も鳳乱とまどかの二人にしばし留まり、それは獅子王へと移った。獅子王は困った様に肩をすくめる。
 ただ一人、有吉は全く普段と変わらない様子で
「よう、鳳乱、コーヒー飲む?」
 湯気の立つカップを持ち上げた。その一言で皆がやっと我に返り、コーヒーに砂糖を入れたり、テーブルに皿を並べ始めたりした。
 それでも、誰も二人の関係に突っ込もうとしない。
「ああ、もらおう」
 鳳乱は、まだ手をつないだまま有吉に近寄り、片手でカップを受け取った。
 有吉は苦笑し、「おはよう、金目。おまえは?」と訊いてきた。
「あ、欲しい」
 有吉は頷いて、温めたミルクがたっぷり入ったそれを差し出しす。
「鳳乱……」
 まどかが困って見上げると、彼はやっと解放した。
 まどかは有吉に「ありがとう」と言って、両手でカップを受け取ったが、相手の顔はまともに見られなかった。そこにやましいものはないとはいえ……。
 それぞれがテーブルにつき、朝食が始まった。焼きたてのパン(今朝は白パン)、サラダとチーズ、薄切りのベーコンにフルーツだった。食べている間、やはり皆一言も喋らず、食器の立てるかすかな音が、やけに大きく聞こえた。
 しかし、もちろんまどかには、彼らの心の声がはっきりと届いていた。
『一体どーなってるんだよ』
『あとできっちり、話し聞かせてもらうからね』
 鳳乱は獅子王と全く普段通りに静かに打ち合わせをしながら食事を進めていたが、まどかは焼きたてのパン、新鮮なフルーツの味も全くわからなかった。
 やがて、鳳乱は食べ終わった皿を脇に押しやって言った。
「今日はお前達に伝える事が二つある」
 皆は困惑しながらも、彼に注目する。
「一つ目。バーシスから連絡がきた。今日、夕方頃に迎えが来る。とりあえずここはこのままでいいから、君達は自分の持ち物の整理と掃除をしておくように。持っていくものは何もない。向こうで用意をしているはずだ。夕食が済み次第出発するからそのつもりで。それから二つ目だが、まどか、おいで……」
 まどかは、獅子王と並んでシンクに寄りかかって話を聞いていたが、突然のバーシスの知らせを聞いて、思考は完全にそこに囚われていた。
 呼ばれたことに気づかず、腕を突く獅子王の肘を感じて、やっと我に返る。
「え? あ……」
 何事かと鳳乱に近づくと、彼は座ったまま、隣に来たまどかの腰を抱き、顔をそこへぴたりと寄せた。
「僕とまどかは、この通り相思相愛なんだ。君達を驚かせるつもりはなかったんだが……まあ、そういうことで今後頼むよ。……まどかから何かないか?」
 まどかの顔を見上げた鳳乱の瞳は、明らかにこの場を楽しんでいるように輝いていた。
「べ、別に……」
 皆は目のやり場に困り、それぞれ顔を見合わせている。そんな様子を獅子王は始終ニヤニヤして見ていた。
「そうか、それなら夕方まで解散だ。僕たちは長に報告したり、いろいろと仕事があるから」
 彼はそう言うと、まどかを抱いたまま椅子から立ち上がり、さらに引き寄せ、額にキスをした。
 場の空気が一瞬凍ったのを肌で感じた。
 いや、自分の体温が急上昇しただけか。
「夕方まで会えないのは淋しいけど」
 鳳乱は耳元で囁き、まどかをぎゅっと抱きしめてから獅子王と一緒に出て行った。
 まどかはそのまま崩れる様に、鳳乱の座っていた椅子に座った。火照った両頬に手を当てて、皆の顔を順々に見回した。
 有吉は隣にいた。
 有吉が近くにいるのは居心地のいいものではなかったが、正面から顔を見るよりはまだ良かった。
「で、あれは何?」
 みちるが最初に口を開く。まどかに好奇の視線が集中する。あまり他人の事に深く首を突っ込まない吉野でさえもだ。
「え……だから……それはさっき鳳乱が言った通りで……」
 まどかは視線をテーブルに落とし、指先をモジモジと動かした。
「だから、何でいきなりそうなるのよ? なんか毒盛られた?」
「まあまあ、みちる、落ち着いて」
 吉野が手をひらひらさせた。
「これが落ち着いていられますか!! 昨日まで私たち、特にまどかをネチネチいじめていた男が、突然、手の平返したように『まどかが好きなんだ』って、どんだけツンデレなのよ!? ほどがあるでしょうが!!」
「もしくはドS」
 山口は言葉をつなげる。そしてすぐにハッとして
「じゃあ何か? 金目はドMか!? そうなのか!?」
「え……ち、違うと思うけど……」
 まどかは今にも火が吹き出そうな顔を、手で完全に覆った。
「ていうか! お父さんは許さんぞ! あんな男は!」
「いつからあんた、まどかの父親になったのよ?」
「大体、あいつのどこがいいんだ? あいつは多分、かなりの曲者だぞ。時々見せる冷酷な眼差し。人を殺したこともあるかもしれない! だめだ! 謎が多すぎる! 確かにそういう類の男は女にとって魅力的にかもしれない。だが、目を覚ませ、金目」
 山口は言い放ち、ふん、と鼻を鳴らした。
「確かに彼は背は高いし、イケメン。おまけに仕事も出来るようね?」
「うわ、みちる、味方に矢を放つのか!? おい、カズ、なんとか言えよ。金目はおまえのお気に入りだろ。いーのか? とんび鳶に油揚げさらわれて!」
「鳶じゃないわ、フェニックスよ」
 まどかは勢いにのまれ、つい口走ってしまった。そして、まどかは油揚げか。
「な! その上、人間じゃないのか!! 妖怪!? ますますお父さんは許せん!!」
 山口が大げさに頭を掻きむしった。
「半人半獣だって。獅子王から聞いた。獅子王も半分ライオンだけど」
「今日び、ハーフなんて珍しくもないけど、ケモノのハーフって!! 金目え~、いいのかそれで!」
 ずっと上がりっぱなしだった山口の眉尻が、今度は思い切り下がる。ある意味芸がこまかい。
「まあ、なんかもともと普通の人とはかけ離れた外見だけどね。獅子王といい」
 吉野はそう言って、窺うような視線を有吉に投げた。それに気がつき、彼は小さくため息をついた。
「まあ、でもさ、金目があいつを好きなら、そういうことでいいんじゃないの? オレたちが口出すことじゃないだろ。な?」
 有吉はいつものように、まどかの頭にポン、と手を置く。
「う、うん……私自身驚いているんだけど……好きか好きじゃないか、っていったら好きだし……それもかなり……」
 想いを口にすると、ものすごく照れくさくなり、最後はほとんどしりすぼみになる。
 だが、皆にはまどかの気持ちが十分伝わったのだろう。張り詰めていた空気が弛んだ。
 山口は椅子の背に体を投げ出した。
「あーあ、こんなこと、誰が想像出来たよ?」
「まったく」
 みちるが伸びをする。
「それに今夜はとうとうイリア・テリオだって。全く何がなんだかわからないよねえ」
「細かいことを考えるのはよそう。とにかく、どうして今すぐに帰れないかの説明があるだろ。オレはまずそれが聞きたい。そしたら少しはここに居る覚悟が出来ると思うんだ。オレは今の、足元が地に着いていない状態が一番嫌だ」
 吉野がきっぱりと言った。
「だよな」
 有吉も頷く。
「たぶん、これからもオレたちの想像を超えることが起こると思う。でも、オレはきっと帰れると信じているから」
 有吉の口調は揺るぎない。まどかはそっとその端正な横顔を見た。茶色の前髪が、少し伸びた気がする。
 有吉は必ず帰れると信じている。
 それはまどかにとっては、鳳乱との別れを意味するものだ。でも、まどかはその事実を今は考えたくなかった。
 考えられなかった。

 私物を整理、といっても支給された洋服をまとめてしまうと、他にやることが無くなってしまった。ワミから借りた箒で掃除をしたら、手持ち無沙汰になった。
 最後に体の埃も落としておこう。
 まどかはシャワーの下で、自分の体に付けられた赤い小さな跡を目で追った。腕、胸、お腹を、内腿うちもも、さらに脚……。
 (全て服に隠れる場所といえ、いくら何でも付け過ぎでしょ)
 瞼を閉じると、体を伝うシャワーの流れが、昨夜の鳳乱の手の感触とぶれる。
 (鳳乱と一つになっちゃった……)
 まどかはつぶやき、一人照れた。
 そのあとは、ワミのところに箒を返しがてら、イリア・テリオに行く前にお別れの挨拶をしに行った。
 彼女はテントの近くで、乾燥した埃っぽい地面に座って、果物を数人の女性たちと篭に分けているところだった。
 まどかは近づき、声を掛けた。
「ワミさん」
 彼女は立ち上がり、微笑んだ。
「行ってしまわれるのでしょう?」
「どうしてそれを?」
「鳳乱さんが先ほど、長のところへ来ましたから。私もその場に居たのです」
「ええ。短い間でしたけど、いろいろお世話になりました」
 ぺこりと頭を下げる。そして持っていた箒をお礼を言って彼女に渡した。
「でも、また帰って来るかもしれませんよ? 私は何回か見ているんです。ここへ勉強しに来るイリア・テリオの方達」
「そしたら、また、髪を切ってください」
「いやだ。イリア・テリオには良いサロンがたくさんあるわ」
 二人は笑った。
 しかし、ワミはすぐに真顔になる。
「それで、まどかさんの願は叶いました?」
 まどかは目の奥がじわっと熱くなるのを感じながら、「はい」とだけ答えた。
「よかった」
 ワミは手を伸ばし、まどかを優しく抱きしめた。まどかも、彼女の背中に腕を回した。

 ***


 太陽が最後の光をかろうじて地に這わせ、代わりに紺青の空がじわじわと降りてくる。
 まどか達五人と鳳乱と獅子王は、静かに広場に到着した迎えの船の前に立っていた。
 それは、少し潰れた楕円形で、バイオレットブルーの船体はぼんやりと光を放っている。大きさは、例えるなら大型ツアーバスくらいか。
 地面から少し宙に浮いた状態で静止している。
「誰も乗ってないの?」
 みちるは鳳乱に尋ねた。
「ここに、この場所をインプットすれば、寸分たが違わずに着く」
 獅子王の代わりに鳳乱が、物珍しげにわらわらと船に近寄る五人の後ろから、明滅するタブレットを操作しながら説明した。
 五人は指示通り手ぶらだったが、獅子王は銀の書類ケースのようなものを持っていた。まどかの好奇心が頭をもたげる。
「何が入ってるの?」
「これ? こっちで集めた植物とか、動物のうろことかツメとか土とかいろいろ。研究対象。収集と分析がオレたちの本職だからな」
「そうなんだ……」
 まだまだ鳳乱と獅子王については知らないことばかりだ。これがイリア・テリオに行ったらどうなるのか、少し不安になる。
 さっき、鳳乱と獅子王が五人を迎えに来た時、鳳乱はまどかを見ると、安堵したように表情を和らげた。
 朝のような大胆な振る舞いをする様子は無かったが、まどかを見つめる彼の熱い眼差しは、昨日のことは夢ではないと物語っていた。
 改めて、嬉しさに胸が震えた。
 獅子王が船体の一部に指で触れると、すっと入り口が開いた。皆、こぞって中を覗き込む。
 船内は無人であったが、前には一人用の操縦席があり、その後ろには卵を縦に半分に切ったような席が二列に四つ、並んでいた。中は落ち着いたクリーム色で、意外と空間に余裕があった。
「おもしろーい。ね、乗っていい?」
「早く乗れ」
 はしゃぐみちるを、鳳乱が短く促した。
「やーだ。もう少し愛想良くなれないの? これが恋している男の態度かしらね」
 鳳乱は無視して船内に入ったが、片方の、美しい眉尻がぴくりと上がったのをまどかは見逃さなかった。
「獅子、どうする? 操縦するか?」
「いいね。ユランではぬるい生活を送ってたからな。久々にマシン触るのも悪くないな」
「なっ! 久々って何だよ。大丈夫なんだろうな!」
 有吉が慌てて獅子王に突っ込んだ。
「ばーか。オレだってお前らと心中したくねーよ」
 全員が乗り込んだ。皆が気を使ったのか、まどかと鳳乱は並んで最後尾に落ち着いた。ドアが閉まる。
 椅子は体を包み込むようで、とても座り心地がいい。外側からでは分からなかったが、船内からは底の床以外全てが透けて外観が見えた。
 ふわっと下が浮き上がる感じがし、すぐにジャングルが真下になっていった。
「ほわあ~」
「すげえ」
 それぞれが席から身を乗り出し、眼下にみるみる小さくなっていく景色を見ている。
 鳳乱がそっとまどかの手を取る。風景に目を奪われていたまどかは、一瞬驚いたが、鳳乱がそのまま顔を寄せると同じように彼との距離を縮めた。そっと唇が重なる。触れ合う軽いキスを密かに二、三度交わすと、鳳乱は満足したのか、シートに体を深く沈ませた。
 まどかは再び外を見る。
 村はもう点になり、深い緑の木々にのまれていた。
 あの巨大な火山が不気味に真っ黒な口をぱっくり開けているのが見えた。船は深い藍色の空に吸い込まれていく。
 こうして五人は、ユランを離れた。
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