ELYSIUM

久保 ちはろ

文字の大きさ
上 下
18 / 62

Part 7-1

しおりを挟む

 鳳乱と獅子王、そしてまどか達五人は、バーシスの巨大な建物の屋上に立っていた。
 建物全体は、青白くぼんやりと光っている。少し風が強く、追い風に煽られる髪を片手で押さえ、まどかはにび色の空の向こうを見ていた。
 時差があるため、こっちではやっと薄暗くなり始めた、と獅子王が船の中で説明してくれた。
 まどかの脳裏には、ここまで飛んで来た鳥瞰図ちょうかんずが広がっていた。
 宇宙は本当に、闇だった。そして想像以上にたくさんの小さな星。星と言っても球状でもなければ発光もしていない、無数のいびつな岩の塊が、終わりの見えない闇の中に浮かんでいた。その変化の無い広がりの中を、ずっと飛んでいた。一向に景色が変わらないので、船は静止しているようにも思えた。
 それでもやがて、高度がどんどん下がり、ぼうっと光の霧が下から湧き上がり、船を包んだか思うと、ずっと下にあった点々としたものがその形を浮かび上がらせていった。
「ようこそ。イリア・テリオへ。そしてメトロポリス、アカルディルへ」
 操縦中の獅子王の声が弾んでいる。
 久々に街に戻って来た喜びが、声音から伺えた。
 眼下に広がる街。映像でよく見る『近未来の街』というものをリアル化したらこうなるのではないか。
 空に突き出る高層ビル群、街のイルミネーション……と言うよりは建物それ自体が黄色やピンクやライトグリーンの光の粒子を放っている。
 その建物の間を縫う様に、上へ下へ、何本もの透明な線が宙を縫うように行き交い、その上をーー流線型の車だろうか、淀みなく、光の流れのように速やかに移動している。ビルの屋上に装飾された羽のある女神の象は、まどか達の乗る船がその横を通った時に首をひねり、微笑んだ。
「バーシスは都から少し離れている。郊外の方がいろいろ都合がいいから」
 獅子王は言った。
 街の上を過ぎると、川の流れや、草原を走る何か動物の群れも見えた。
 それからだんだん遠目に、バーシスらしき建造物が見えてきた。それは上から見ると巨大な「H」の字をしていた。バーシスの敷地も広大で、「H」の建物の隣に、真っ白な円柱の塔が建っていた。
「でかい方が母体で、白い方が寮だ。ここに残るなら、お前達はあそこで寝起きすることになる」
 獅子王がその白い塔で高度を下げながら、船を少し旋回させた。
 敷地内にはテニスコートらしき競技場の数々、湖まであった。周囲は森に囲まれていたが、何本かバーシスの方に通っている道を辿っていくと、森を越えた辺りにぽつぽつと家も見える。
 船はそのHの字をした建物の右の先端に静かに着陸した。
 そして今、遥か向こう、空に薄桃色のもやに包まれて、ぼおっと浮かび上がるアカルディルの蜃気楼を不思議な気持ちで眺めている。
 ぞくっと冷気を感じ、まどかは両腕で体を抱いた。
 ユランと違い、空気が乾いていたし、涼しかったざわざわと周りの森から木の震える音が聞こえてくる。
 船の側で立ち尽くして景色に見入っている五人を、獅子王と鳳乱は特に急かさず、そのままにさせていた。
「そろそろ行こうか」
 鳳乱はいつの間にかまどかの横に来て、そっと肩を抱いた。
 そして獅子王に向かって軽く頷く。
 獅子王はズボンのポケットからキーホルダーを出し、じゃらっと音をさせて、そのうちの一つを取った。そして屋上の一角のある一点に向ける。その場所が小さく点滅すると、底が正方形にすっと開き、下りの階段が現れた。
「すっげーなー」
 山口がため息まじりに言う。
「うん、すごいね」
 吉野はさすがゲーマーというか、制作者の血が騒ぐのか、目が生き生きとしている。
「ねえ、なんでエレベーターじゃないの? 歩かせるのよ」
「お、鋭い」
 先頭を行く獅子王がみちるを振り返る。
「そらぁ、全てフロアをオートウォークにしたり、リフトをあちこちに付けられるけどな、体力落ちるだろ? 一応、体が資本の世界なんで。バーシスは。だから基本的に歩き、階段、ってわけ。まあ、でも資源を運び込むにはリフトの別の搬入口がある」
 まあでも、さすがに司令長官室はこっからちょっとあるな……と彼は苦笑した。
 薄暗い無機質な廊下が続く。
 建物の中は全体がメタリックブルーで、廊下にはいくつものスライド式のドアが連なる。ブーツの足音はすぐにフロアに吸い込まれ、ほとんど聞こえない。タス、タス、タス、と、軽い音が付いてくる。
「誰も、いないの?」
 あまりの静けさに少し不安になり、まどかは隣を歩く鳳乱に訊いた。
「ああ、こっちの棟は『お偉いさん』の部屋ばかりだから用のない限り、ほとんど人の行き来はない。もう、この時間だと勤務外だしな」
 鳳乱は何も心配するな、と柔らかく口の端を上げた。それでもやはり彼も少し緊張しているように見えた。
「あのさ、バーシスって実は何? 軍隊? オレ、微妙に良く分かってないんだけど」
「あ、私も」
 山口とみちるは獅子王に#纏__まと__#わりつく。
 獅子王は歩みを弛めずに、答えた。
「いや、軍隊じゃない。イリア・テリオは一応、軍事機関を保持しないことになっている。だから、『平和活動の維持、貢献している組織』って考えてくれればわかり易いか。具体的には他の惑星で戦争や革命が起こったらそれを仲介するとか、残留兵器の処理とか。生物兵器もあるから、それを死滅させる薬の開発とか。まあ、そこら辺はオレとか鳳乱も携わってるわけだけど……あとは医療にも力入れてるし、つまり何でも屋だ。こき使われるぜ。でもまぁ、表向きはそんなもんだけど、やっぱり何かあったら前線に立つから、『軍』か、って言ったら裏の顔はそうだろうな、やっぱり。それにしても組織総人数は千に満たないから、そんなんじゃ『軍隊』っていえねーよ。あ、ここだ」
 獅子王は一つのドアの前で立ち止まった。
 他のドアと、全く変わったところはない。獅子王はドア横の小さなパネルに瞳を近づけた。すると静かにドアがスライドして、部屋の中の光が暗い廊下を四角くくり抜いた。
「失礼します。獅子王です」
 彼はことわり、中へ進む。
 部屋は自然光に近い光で満ちていた。
 まどかは緊張しながら、黙って仲間の後ろに続く。まどかの背後、最後尾の鳳乱が入ると。シュッと空気が抜けるような音がして、ドアが閉まった。
「久しぶりだな、鳳乱、獅子王」
「お久しぶりです。エステノレス長官」
 鳳乱は短く答えた。
 まどかは部屋に入った瞬間から、この、初めて会う声の主に目が釘付けになっていた。
 バーシスの長官と言うから、どんな強面かと思えば、大きな乳白色のデスクの向こうに座っているのは、端麗な面立ちの青年だった。
 しかし、ただの端麗さではなかった。何と言っても一度見たら目が離せないのは、その切れ長の一重まぶたの下のエメラルドグリーンの瞳だった。
 その輝きを前にしたら、本物の宝石は石ころ同然だろう。
 そして胸まであるワンレングスの艶やかなうぐいす色の髪。シャープな顎。
(光源氏様?)
 みちるはまた一言、まどかの耳に囁いた。
 まどかは思わずそれに吹き出してしまい、慌てて口を手で押さえて鳳乱を上目で見た。鳳乱は「大丈夫だ」とまどかに目配せし、言葉を続ける。
「今日は正装されているようですが、総会か何かあったのですか。まさか我々を迎えるためだけに正装されることはありますまい」
(正装……)
 エステノレス長官は紫紺のベレー帽を斜めに被り、さらに同色で、縁は金色のローブを羽織っていた。
 まどかは、その彼の醸し出す、繊細だが、絶対の威圧感と、高貴な紫紺のオーラに圧倒されていた。威圧感はあっても、それで人をねじ伏せる様な厚かましい雰囲気は全くない。むしろ彼の前に立つ者が、その力の下に支配されたい、と自らこうべを垂れ、膝を折りたくなるのではないか。
「いや、センジェルがさっきまで来ていた」
「そうでしたか」
 長官はそこで顎をしゃくり、無駄話は終わりだ、と合図し、五人に視線を投げた。
「この者たちか。ゼルペンスの神に呼ばれたのは。ああ、自己紹介はいい。詳細は後でミケシュから聞く。それで鳳乱。おまえは彼らをどうするつもりだ?」
「まず、なぜ今、彼らは元の場所に帰れないのか、その説明が必要でしょう。彼らに納得してもらった上で、ここに留まるのか、ユランに行くかを選択させましょう。しかし、私個人の意見を言わせていただくと、やはり読み書きなど、こちらで生活する上で基本的なことを学ぶには、バーシスの方が何かと他の者の交流も多い分、習得するスピードが違うと思われます。これもまた彼らと話しますが、とりあえず今日のところは、それぞれに部屋を与えて休ませた方が良いと思いますが……」
 鳳乱が、長官とはまた違った存在感のあるオーラを放ちながら、凛とした声音で答える。そんな彼をまどかは横目でみつつ、またドキドキと胸が高鳴るのを感じた。
「オレは休むより、今すぐにでも説明が聞きたいんだけど」
 有吉は胸の前で腕を組み、ぐっと長官を睨みつつ、きっぱりと言った。
「オレも」
 吉野が続き、みちると山口も強く頷く。
 長官はデスクの上で、手を組んで今一度五人を見回し、鳳乱に視線を戻した。長官は頭を椅子にあずけた。
「彼らの意に沿うようにすればいい。まあ、そう複雑な話でもないようだ。すぐに済むだろう。フーアのところへ行ってくれ」
 鳳乱と話している長官の目が、時々素早くまどかの上を走る気がした。
「ああ、それから説明が済んだ時点で、ここに留まるか、ユランに戻るかだけは答えを出しておいてくれ。ユランに戻るなら、明日にでも戻れる手配をしておく。それから、全ての手続きをミケシュに頼んだ。部屋も彼女に任せてある」
「了解しました」
 鳳乱は軽く頭を下げる。そしてふと、思いだしたように顔を上げて言った。
「あ、彼女の……」
 そっと、まどかの肩に手を置く。
「ああ、それも了承済みだ」
 長官は鳳乱の言葉を封じるように手を上げた。その動きはとても優雅だ。
 鳳乱はふっと鼻で笑った。
「さすがにシャムは話がわかるな」
 まどかは耳を疑った。
 (何の話? シャム?)
「まあ、鳳乱が我が侭(まま)言うのは珍しいからな。最初は何の冗談かと思ったけど」
 二人のやり取りが急に砕けたものになったのは気のせいか。
 まどかは隣のみちると顔を合わせる。
 長官はそんな二人に目を細め、微笑した。
「そうか、その子か……悪くない」
 その視線を遮るように、鳳乱の腕がまどかの前に伸びた。
「あまり見るな。減る」
 まどかは思わず、その横顔を見つめた。
(今度はオ、オレ様口調!?)
 仲間達も180度変化した彼の態度に戸惑っている。
「取って喰いやしないよ」
「いや、おまえならやりかねん。もう話は済んだな。じゃあまた明朝。連絡する」
「昼でも良いぞ。おまえ、起きられないだろ」
 長官のさっきまでの威厳ある麗しい表情は何処へやら、今やガキ大将、と呼ぶに相応しい笑みを浮かべている。
「そんな心配は無用だ。行くぞ」
 鳳乱はさっと背を向け、ドアへ向かった。獅子王も慌てて追いかける。その背に長官が声をかけた。
「獅子、今度一緒にメシにいこう」
「あ、ああ」
 肩越しに彼も軽い調子で返事をした。
 まどかは早足で先を行く鳳乱に追いつくと、その腕に触れた。
「ね、ねえ、あんな言い方して大丈夫だったの?」
「ああ。別に構わない。あいつは僕の弟みたいなもんだから。というか、幼馴染みってやつか。僕と、獅子とシャムと、あと、ルイ」
 そこでやっと彼は歩調を弛める。
「シャムって長官のこと?」
 皆も追いついて、二人の会話に耳を傾けている。
「シャム・エルジオ・エステノレス。二十八にしてバーシスの最高司令長官。まあ、就任したのは去年だから二十七歳で、か。あいつはタダ者じゃない。ま、昔から妙に変わった奴だとは思っていたが、とんだキワモノだったってことか。あ、変わっていると言えば奥方も変わっているしな」
「へえ、もう結婚しているんだ。もっと若く見えたから。下手したら十代かと……で、どうして変なの? 奥さん」
「制服フェチ」
「へ?」
 そこで鳳乱は笑いを堪えきれなくなったようで、歩きながら少し腰を折ると「ぶっ……くくくっ」と変な笑いを漏らした。
「そんなに笑わんでもいいだろ」
 獅子王はまどかの後ろから声をかける。しかし、鳳乱は既に片手をお腹に当て、忍び笑いを止められない。
 まどかを含め、皆、始めて見る彼のそんな姿に呆気にとられた。
「だ、だって……やっぱり笑える……シャムの格好見ただろ。あのまま入学式に出られるぞ。僕は毎回、総会であいつの正装見る度に顔の筋肉が弛んで仕方が無いんだ。しかも、センジェルのデザインだろ。奥方の制服フェチがあそこまで来るともう、あっぱれだな。その上センジェルがバーシスに来た日にゃ、あれ着てないとご立腹ときたもんだ」
 まどかは鳳乱がいつまでも笑っているので、長官が少し不憫に思え、慌てて言った。
「で、でもすごく素敵だったよ? 鳳乱も着たらきっと似合いそうだし」
 鳳乱はやっと笑い止み、再び姿勢を正すと、まだ涙目のまま、真顔でまどかを見下ろした。
「『似合いそう』じゃなくて、似合う、んだよ。僕の正装見たら、まどかヤバいよ? 着たのに脱がせたくなるかもよ」
 まどかはその軽口のお返しに彼の腕を叩き、少し離れた。すると彼はすぐに手をつなぎ、意味深な眼差しでまどかを覗き込んでくる。
 たちまち鼓動が高くなり、それを悟られまいと、すぐ廊下の奥に視線を移した。
「獅子、それに聞いたか? あいつ、まどかのこと『悪くない』って言ったぞ。相当悔しいらしいな」
「ハイハイ、しっかり聞いてたよ。ちょっとヒヤヒヤしたな。オレは嫌だよ。雄のプライド合戦に巻き込まれるのは」
 うんざり顔で獅子王は言った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

モブS級

青春 / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:0

契約婚しますか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:71

【完結】不可説不可説転 〜ヨキモノカナ、ワガジンセイ~

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:6

盾の剣士はドS少年魔王の犬になる

BL / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:48

【完結】めぐり逢い

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:34

レッスンはホット&スウィート

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:33

蜜は愛より出でて愛より甘し

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:113

まさか転生? 

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:170pt お気に入り:1,469

処理中です...