ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 14-2

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 鳳乱がフェニックスに姿を変えた後、金目が山頂で倒れ、オレは彼女をラオに乗せた。自分もその後ろに股がった。片手で短く締めた手綱を、もう一方の手で、ぐにゃりとした金目の体を引き寄せて、山を駆け下りた。
 ジャングルの中で葉で顔をしたたか打たれたが、キマイラの脚を弛ませはしなかった。
 ゼルペンスの村は騒然としていた。皆、断続的な地震が起きたときから、マンチャ・カタルヤの噴火を確信したようだ。
 オレはワミを探した。頼れるのは彼女だ。
 彼女はまだ自分のテントにいた。

「有吉さん!」
 ワミは、金目を抱えたままテントに入って来たオレを見て、血相を変えた。
「な、何があったんです? それよりも、避難してください! マンチャ・カタルヤが噴火しそうなんです」
「ワミ、噴火はしない。地鳴りももうすぐ収まるはずだ。鳳乱が、フェニックスになった」
 ワミは一瞬言葉を無くした。そして肩を落とした。
「そうですか……それなら、もう大丈夫ですね……あ、まどかさんをこちらに」
 彼女はベッドの上の毛布を捲り、場所を作った。
「まどかさんは私が見ていますから、有吉さん、今の話をどうか長に伝えてください。村は混乱しています」
 オレは黙って外に出ると、疲れ果てているラオの代わりにリキの背に飛び乗り、神殿まで走らせた。
 長に、事実を最初から話した。長は男を数人呼び、村を鎮めるように指示をした。

 バーシスからの迎えが来たのは、それから少し経ってからだった。
 すでに陽は傾いていた。
 その頃には地鳴りも治まり、再び静かな村に戻っていた。風にそよぐ木々の葉ずれの音まで、いつも通りだった。
 鳳乱は本当に石になったのだろうか。

 二艘の船が、広場に到着した。
 オレたちが始めてバーシスに連れて行かれたときと同じ卵形の、大きさはひと回り程大きなものだった。
ーー誰が連絡したんだ?
 最初に船から降りた、長身の若い男が、その疑問に答えた。
「バリアの装置に異常があると、自動的にバーシスへ信号が届く。それを受けて、母体はユランの駐在員に連絡を取る。この場合鳳乱と獅子王だが、今回どちらとも連絡がとれなかった。だからわざわざ飛んで来たんだが、まさかこんな事になっているとは……」
「ところで君は……」
「有吉です」
 オレが名乗ったとたん、男はオレの肩を掴んで体を揺らした。
「金目は!? 一緒じゃなかったのか? 他の奴らと一緒なのか!?」
ーーすごい勢いで、たたみかけるように質問するこの男は一体何者だ?
 彼の、落ち着きを失った声音は、オレの警戒心を呼び起こした。
「金目は……鳳乱がフェニックスになったショックで……意識を失って倒れました。今、ワミの所で寝ています。他の仲間は、村の人と狩りに行ったんで、様子を見て戻って来ると思います」
「ああ……鳳乱……」
 彼は大きくため息をつき、空を仰いだ。顔が青ざめたように見えた。
「金目は無事なのか。じゃあ、彼女の様子を見に行こう」
 そう言われて案内しないわけにはいかなかった。
 彼はオレの横を歩いていた。
 オレは頭一つ分高い所にある顔を、横目で盗み見た。
 シャープな顎。濃い栗色の髪。やや長めの前髪が横から見た目を隠しているが、さっき正面から見た限り、その目尻の下がった甘めの顔は、かなり女ウケするだろう。右の泣きぼくろもその効果を一層高めている。
 彼がワミのテントに入ると、ワミはこの訪問者を見るなり、目を丸くした。
「イルマさん! お久しぶりですね」
「ああ、ワミ、元気か」
 イルマと呼ばれた男はワミに挨拶をしながら、金目が横たわっている部屋の隅に近づいた。
 イルマは名字か? 名前か?
 男の背中を見ながら思った。
ーーオレは生理的に、この男が気に入らない。
 イルマは金目の顔を覗き込み、そっと額に手を当て、前髪を柔らかな手つきで払った。それから脈を診、シャツのポケットからピースを取り出すと、親指の腹で瞼を押し上げて、瞳に光を当てた。その横顔に心からほっとした表情が浮かんだのを、オレは見逃さなかった。
「大丈夫。大事には至らない。でも、船に移動させよう。君の仲間が戻って来たら、すぐにでも出発出来るように。ワミ、世話になったな。ありがとう」
 そう言ってイルマは金目を軽々と抱き上げて、テントを出た。
 しばらくして、吉野、山口、そしてみちるが帰って来た。
 地震が起きた時点で、マンチャ・カタルヤに近づかない方がいいと判断し、狩り場に留まっていたのだ。

 興奮気味の仲間を、イルマは上手く言い含めて船に乗せた。
「詳しい事は、有吉が船の中で説明するから」
 ヤツはそうとも言った。
 勝手な男だ。
 オレだって今の状態じゃ、何が起こったのか実感すら出来てないってのに。
 もう一艘の船と、調査員を残してオレたちはユランを離れた。

 *

 エステノレスは、有吉が全て話し終わるまで一言も発しなかった。
 彼は話を聞き終わると、大きく息を吸った。
「つまり、こういう事か。獅子王はトカゲの脱獄を助ける条件に、『火の石』を動かす事を提案した。自分で手を下すには、万が一事が露見した場合、被る罪が重すぎると考えたから。獅子王は鳳乱を驚かし、彼の命があたかも獅子の手に握られているかのように見せることで、子供の頃からの長年の、恨みにも近い心のわだかまりを晴らそうとでも思ったか。獅子は皆既食を合図にバリアを外し、トカゲが石を取る。鳳乱の目の前でトカゲを始末した後は、もったいぶった手つきでその石をもとの場所に戻す……。優越感に浸れたことだろうなあ。最高の瞬間だったに違いないな。全てが計算通りに行ったならば。ただ一つ、狂った数字はお前達だ。金目とおまえが鳳乱より先にトカゲと鉢合わせてしまった。……ふん。石が砕けた瞬間、獅子は心底ビビっただろうね。鳳乱が石にならなくてはいけない状況になったことにね。そして、実際に石になってしまったことにね……そこまでは考えなかっただろうな。あんな事をしても、実際獅子は鳳乱を慕っていたからさ」
 エステノレスは、事の顛末を見て来たかのように、有吉の話だけで全てを理論整然とまとめ上げた。
 それは話の内容を確認するために、自分自身に向けた言葉のようでもあり、新聞の記事を誰かに読み上げているようにも聞こえる口調だった。
(慕っていたからこそ、憎しみが募ったのか?)
ーー分からない。
 有吉は軽く頭を振った。
「あ、ところで、獅子王は金目のこと、好きだったとか。そういうことは、無い?」
ーーえ?
 有吉は一瞬、長官の質問の意味が分かりかねた。
「な、無いと思いますけど……オレが知る限りでは、ありません」
「……ふうん」
 彼は鼻を鳴らした。
(まさか)
 金目と獅子王なんて、なんの接点も無かったじゃないか。全く形の合わない、パズルのピースみたいだ。
(慕っていたからこそ、憎しみが募ったのか?)
 有吉は自分の言葉を頭の中で反芻した。これは一体誰に当てはまる言葉だろう。
 それ以上考えたくなかった有吉は、相手に別の質問をした。
「トカゲは、バーシスとなにか関連があったんですか。ヤツは『お前達もバーシスで訓練したのか』という言い方をしたので」
 エステノレスは、艶やかなうぐいす色の髪を肩に流しながら、少し天井の方を見やり、また有吉に向き直った。
「トカゲは、優秀な戦士だったよ。あいつはああ見えてかなりの古株なんだ。まだ私が子供の頃に、つまりこの星や、この星の周りの治安が良くなかった時に、争いが起これば彼が真っ先に駆けつけて、上手く治めていた。それは父から聞かされた話でもある。それから、平和が訪れて暫くした頃、彼はね、自分の妻と、まだ小さい子供を殺して喰ったんだ。それも、殺された妻は、妊婦だった。彼はお腹の子も引きずり出して、喰ったらしいよ」
「どうしてそんなこと……」
 有吉の脳裏に、血だらけになって横たわる三体の、殆ど形が分からなくなった死体の映像が浮かんだ。
 そしてその横に立つ、血だらけの口をぱくりと開けているトカゲが。
「知らん。人の胸の内なんて誰が分かる?」
 やけにあっさりとエステノレスは言い切った。
「供述とったり……裁判とか、一通りしたんじゃないんですか」
「トカゲは黙秘したよ。まあ、そんな時って、自分が何をしたかわかってないんじゃないか。自分が本当に家族を喰ったなんて信じても無かったかもな。一時の激情に駆られたとかさ、他の人格が出て来たとかさ……戦場のストレスと緊張は君の想像出来る域じゃないよ。戦争は本当に、モノだけじゃなくて、人をも破壊するね。徹底的に。あぁ、知ってる? 多重人格者って、自分のなかの人格Aが卵アレルギーを持っていても、人格Bが表に出ている時に卵食べたって、体にアレルギー反応って出ないらしいよ。もしかしたらトカゲもそういう事だったのかもしれないね。今となってはもうそんなこと言っても何もならないけど」
 有吉にとって、そんなことはもう、どうでも良かった。金目の様子を見に、病室へ戻りたい。
 エステノレスはゆっくりと脚を組み代えた。
「ああ、何か欲しいものある?」
「え?」
「有吉は、よくやってくれたよね。本当に。だからさ、褒美とか、そういう類いの」
「あぁ……別に……」
(もう、疲れた……精神的にも、肉体的にも……)
「あ、一つだけ……」
 エステノレスのエメラルドグリーンの瞳が濃さを増した。
「なるべく早く、俺たちを帰らせてください……ホントに……頼みますよ」
 それはもう、心からの哀願の響きでしかなかった。
「分かっている。急がせるよ」
 エステノレスは同情するようにかすかに眉を寄せ、ゆっくり、深く頷いた。
 有吉が席を立ち、部屋を出る前に、まだアームチェアに身を沈めているエステノレスが短く呼び止めた。
「金目はさ、誰のキスで目覚めるんだろうな。アレだろ、王子がキスすれば、王女は目覚めるんだろ? 地球のそんな話を昔、ルイにしてもらったんだが」
 そう言って、始めて満面の笑みを浮かべた。
 非常に美しかったが、一番嫌いなタイプの笑い方だった。有吉は黙って軽く頭を下げ、長官室を後にした。
 左腕のダイバーズウオッチに目をやった。地球からずっと肌身離さず付けている唯一のもの。
 もう面会時間は過ぎていた。そして、こっちに来てから二年近く経っていた。
 晩メシくらいは、腹に入れないといけない。

 ***

 金目は誰のキスを受ける事も無く、目覚めた。
 正確に言うと、起こされた。
 エステノレスとの面会二日後、彼は朝、一人でふらりと病室にやって来た。
「やっぱりそろそろ起きてもらわないとね。体には異常がないんだからさ。寝過ぎは彼女のためにも良くない」
 そう言って彼は有吉の横に、金目の上体のほうに立つと、その身をスッと折って彼女の耳に口を寄せた。
 そして何かをつぶやいた。
 彼が体を起こすのと、金目の瞼が開いたのが、ほぼ同時だった。彼女はうつろな瞳を天井に向けたまま動かなかった。
 まだ現実世界に戻ってきてないのだろう。
「おはよう」
 エステノレスは彼女に声をかけた。
 彼女は少し頭を彼の方へ傾けた。
「久しぶりだね。私はバーシスの長官で、エステノレスっていうんだけど、わかる?」
 金目はほんの小さく、頷く。
「自分の名前は言える?」
「……金目、まどか」
 その声は掠れていた。
「鳳乱は……?」
 彼女は一も二もなく訊いた。
「鳳乱とは、マンチャ・カタルヤで別れただろ? 覚えている?」
 強張った顔に、はっきりと落胆の色が浮かんだ。青い顔が、一瞬で白くなる。何か言いかけた唇は、震えている。
「でも……今、彼の声がしたんです。『起きなきゃ、まどか。起きてシャムと話をしなさい』って……」
「そうか。じゃあ、彼が夢の中で金目に語りかけたんじゃないかな。丁度いい。私も君に話があったんだ。制服を持って来させるから、着替えて食事をしたら、私の所へ来なさい。有吉、君がいたら彼女は着替え辛いだろうから、一緒に出よう」
 そこで始めて、彼女は有吉の存在に気がついたようだ。何か言いたそうに口を開きかけたが、言葉は出て来なかった。

 廊下には数人のシスターが静かに行き交っていた。
 歩きながら、有吉は隣を歩くエステノレスに聞いた。
「一体、彼女に何を言ったんです?」
「本当に、彼女の言葉のままだよ」
「あ、じゃあ」
「何だい?」
 彼の見せる笑みは、友達同士のそれのようだった。
「長官は、声帯模写が出来るとか」
 あはは。と彼は笑った。
「そんな特技は生憎持ってないんだけど、でも石なら持ってる」
 そう言って、えんじ色の柔らかいドレープの流れるフレアパンツから、小さな石を取り出して見せた。
 その艶やかな灰色は、鳳乱の髪を思い起こさせた。
「これに、鳳乱のエネルギーが入っているんだよ。石が彼のエネルギーを記憶している。こいつに頼むんだ。『力を貸してくれ』って。そうすると、彼の声なり、雰囲気なり、彼が得意としていたことが、自分の力として使える。まあ、長く持っていればその効力が薄れるけど、それでも使わなければ四、五十年もつ」
「すごいですね」
「いや、こっちでは結構普通に、家族同士や親友同志、持ってるよ。まあ、お守りみたいなものか。そういうの、お前達の所でもあるだろう?」
「ええ、まあ」
 それと比べたら、そう実用的ではないけど。
「そうだ、今から金目とも話すけど、君たちそろそろ入りたいチームに入って勉強や訓練をしなきゃだめだよ。昼食を食べたら君は仲間を集めて、ミケシュの所へ行って。詳しい説明は彼女がするから」
「はぁ……」
 階段の所で有吉とエステノレスは別れた。彼は軽く手を振って上へ行き、有吉は下に。
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