ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 17-2

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 獅子王とまどかは並んで立ち、その前にはエステノレス長官が大きなデスクに軽く手を組み、エメラルドの瞳でじっと二人を見ていた。
 強いオレンジ色の西日は、調節された遮光ガラスを通して入り込み、長官の顔の輪郭を色濃くしていた。

 まどかは前に進み出ると、デスクの上に獅子王に関しての書類一式を置いた。
 長官は書類を、それからまどかを一瞥し、おもむろに立ち上がると右手を差し出して握手を求めた。彼の目元には、微かに微笑が刻まれていた。
 まどかはその手を取った。
「任務、ご苦労だったね。何も問題はなかったかな?」
 まどかは一瞬、視線を泳がせた。『あれ』は問題と言う程のことではないはず。
 再び長官を見つめる。エメラルドの輝きは、全てを見透かしているように感じさせた。
「いえ、特に問題はありませんでした」
 彼はまだ手を握ったままだ。挨拶や労いの類いにしては、やや長過ぎる感があるのは気のせいか。
「そうか。それならいいんだ。……実を言うとね、私は君が手ぶらで帰ると思っていたんだよ。だから内心、驚いたんだ。一体どうやってこの強情な男を連れて帰れたのかって」
 彼はもう一方の手でまどかの手をすっかり包んだ。
 心臓がドクンと跳ねる。本当に心を読まれているのか。そう思った直後、彼はきゅっとその手に力を込め、やっとまどかを開放した。
「まあ、いい。とにかく良くやってくれた。私はこれから彼と話があるから、君は下がっていいよ」
「は、はい」
 まどかが再び獅子王と並び、一瞬獅子王を見上げると彼と目が合った。
 探るようなそれから逃げるように、視線を再び長官に向けて「失礼します」と、敬礼して踵を返した。
 スライドしたドアがゆっくりと閉まるその隙間から、長官の声が漏れてきた。
「たった二ヶ月で帰って来るとはね。遠足に行って来たようなものだろう」
 獅子王がそれに何と答えたかは、ドアに隔たれたこちら側にいては知る術が無い。

 一人、獅子王の部屋に帰ったまどかはパルスを出して、みちるにコールした。
 動画で通信でもいいが、今の顔を見られたくないので、音声を選ぶ。
 時差はあってもこの時間ならもう訓練が終わっているはずだ。
 すぐに懐かしい声が聞こえてきた。
「あれー? まどか。どうしたの。元気?」
 その声で一瞬、ユランの真っ青な空が目に浮かんだ。
「一応、元気。みちるは本当に元気そうね」
「まーね。訓練は厳しいけど、空気は美味しいし天気も良いし、仲間達も愉快でね。あ、今はゼルペンスじゃないんだけど」
「そうなんだ。有吉も元気?」
「あはー! あいつから元気を取ったら何が残る!? 大丈夫。生きてるよ。なんか、女子に密かに人気があるのが納得いかないんですけど」
「まあ、イケメンだし、マメな男ならどの世界でもモテるんじゃない?」
「じゃあ女子の、理想の男平均値つーのは、どこも同じってことね」
「うーん、まあ、そういうことなのかなあ……あ、みちる、じつはその有吉のことなんだけど……」
 まどかは、親に内緒で彼氏と外泊するためのアリバイ工作を頼むような、そんな気持ちで切り出した。
「なに?」
「あのね……実は、今、獅子王と一緒に住んでるの。今っていうか、昨日からなんだけど」
 パルスの調子が悪くなったのか、と思わせる程の沈黙が流れた。
「み、みちる? 聞こえる?」
「ええええええええ!! なんで!?」
「うーん、話は少し複雑なので、またの機会にお願いしたいのですが。それをね、有吉に超遠回しに言って欲しいの。世間話の間に挟む感じで」
 まどかは壁際まで行き、暗くなって来た部屋の明かりを点けた。獅子王はまだ帰る気配がない。
「ていうか、『なんで』って聞かれたらどうするの。当然、聞くでしょうけど」
「多分、多分だけど、彼は理由を言わなくてもわかってくれる気がする。ただ、今の状況を知らせないわけにはいかないだけで。事実だけでいいの。ね?」
「でも、なんで自分で言わないの」
「これも、多分だけど……激怒される気がする……」
 再びしばしの沈黙。そして、長いため息が聞こえてきた。
「まどか、あんた、有吉のことホントにわかってないね? まどか、あんたって子は……ねえ、あたし今までに、有吉があんたを怒る所一回も見たことが無いんだけど。これからもそんな事があれば是非見てみたいくらいに思ってるわ。いつもバカみたいにあんたを甘やかして。いい? そういう大事なことほど、他人から聞いて不快に思うことって無いわよ。大体、獅子王と一緒に暮らすことだってまどかが決断したんでしょ? じゃあ、なんで怒られるのよ。私にはあんたのしたことが微妙に理解出来ないけど、ちゃんとした理由があるんでしょ。なら、後ろめたく思わなくてもいいじゃない。それともやっぱり後ろめたいことがあるの?」
 彼女の的を得た言い分に圧倒され、ついかぶりを振った。
「ないよ……」
「じゃ、自分で言いなさい。有吉も久々にまどかの声聞いたら喜ぶと思うよ」
「内容がこんなでも?」
「あー、まどかなら何でもいいんじゃない? あいつのことだから」
「何言ってんの」
 つい、忍び笑いが漏れてしまう。
 長椅子に座り、傍らにあるクッションの房を指で弄ぶ。
「まあ、でもまどか、自分を追いつめているわけでも無さそうだし」
「うん、皆の御陰で自暴自棄にならなくて済んだ。ありがとう」
 また、近々そっちに行くわ。と、みちるは最後に言って、通信を切った。
 みちるの言葉を後ろ盾に、自分の決心が萎えないうちに、まどかはすぐに有吉に連絡した。
「まどか! 何かあったのか!?」
 すぐにパルスから響く彼の声に唖然としながらも、苦笑した。
「お、落ち着いてよ有吉。大したことじゃないんだから」
(あれ? 大したことじゃなかったか?)
 まどかはふと自問した。
「だって、おまえが連絡してくるなんて始めてじゃん。冷てえ女」
 落ち着いた彼の声音に、不満がはっきり聞こえる。
「ま、いいか。まどかが連絡してきたんだし。どうした?」
 くるくると忙しく変わる声のトーンがすごく懐かしく感じた。
「え、あ…………実は……うーーん」
「なに? そんなに言い難いこと? じゃあ、アレやろう。……」
 何? と聞くよりも先に彼は続ける。
「1.彼氏が出来た 2.彼氏が出来た 3.彼氏が出来た 4.有吉の声が聞きたかっただけ」
「あははは。でた! マークシート! 好きよね、それ」
「うるさい。で、どれ?」
「どれでもない」
「うわ! せつな過ぎ! 普通、4ていうだろう! 飲み屋のねーちゃんだったら、絶対いうぞ! 4て!」
「なんでそんなこと知ってんのよ」
「いや、まあそれは……」
 言葉を濁す有吉だが、今のマークシートで緊張の糸がかなり緩んだ。
「有吉、実は……今、獅子王と暮らしてる。私が、彼を連れて帰って来た」
 沈黙。
「あ、有吉?」
 あまりにも続く空白に耐えかねて彼を呼ぶ。
「それ、長官の命令?」
「……うん、あ、ううん。私が連れて帰りたいって頼んだの」
「ガチで?」
「うん」
「ふうん。おまえ、気持ち的には大丈夫なの? 喰えてんの? 寝てんの?」
「大丈夫」
「それなら、別にいいけど」
「うん」
 言うべきことを言ったら後は何も出て来なかった。少し血色の悪い爪をじっと見つめながら、有吉の言葉を待った。
「で、もうヤられたの?」
「えっ!?」
 すぐには彼が何の話をしてるのかわからなかった。でも、すぐにあのことだと思い当たる。何故すぐに汲み取れなかったのだろう。
「や、ヤられてない……」
(最後までは)
 胸中で付け足した。
「だろうね」
「ど、どうして……?」
 まどかは驚き、思わずパルスを見た。
「オレが今の獅子王の立場にいたら、絶対おまえとなんかできないね、幸か不幸か。それに、オレの直感だけど、あいつはあの山頂で全ての運と気力を使い果たした気がする」
「どうしてわかるの?」
「おまえとできないってこと? それは、オレが男だから。ま、いーや。近いうちにそっちにいくし。今は取りあえずそんなに危険が迫ってないみたいだけど、長期戦になったら、やばくなるかもしれないしな」
 有吉はのんきな声音で言った。
「また連絡するよ。とにかく元気そうでよかった。それと、報告サンキュ」
 やっぱり、みちるの言う通りだ。ちゃんと伝えられてよかった。まどかはほっと胸をなでおろした。
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう。あと、あんまり女の子と遊んでちゃダメだよ」
 ゲッ、どうしてそれを……と彼はおどけて言い、二人は笑って通信を終えた。
 丁度そこに、獅子王が腕いっぱいに買い物の袋を抱えて部屋に入って来た。
「おい、おまえも手伝え」
 キッチンに入る前に、彼はまどかに声をかけた。
「あ、ごはん? 手伝う手伝う」
 まどかは長椅子から勢いよく立ち上がる。なんだか心が少し軽い。久々に友達と話したからだろうか。
「おまえもオレも、痩せて貧相だからな。とりあえず、太ろうぜ」
「お手柔らかにお願いします」
 彼は、また以前のポストに付くことになった、と短く報告した。そして二人で簡単な夕食を作り、食べた。
 まどかはまた、彼の心音を聞きながらその腕の中で眠る。
 取りあえずここにいれば怖い夢は、見ない。……おそらく、今のところは。
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