ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 18-1

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「訊きたいことがあるんです。そろそろ、いいかと思って」
 一日の授業が終わり、なぜか研究チームのモイラが、まどかが出て来たばかりの研修室の前で待っていた。
 なんだろう、と思いながらもまどかはカンティーンのカフェで三人分のケーキを買い、切羽詰まった表情のモイラを、獅子王の部屋へ誘った。

 まどかは彼女を居間の長椅子に掛けるように勧め、用意したお茶とケーキを勧めた。
 そして、紺色の重厚な絨毯の上で、大きなクッションを引き寄せて座った。
「久しぶり、モイラ。元気そうね。それで? 何? 私に訊きたいことって」
 彼女は興味深そうに獅子王の部屋の様子を見回していたが、まどかが声をかけると、その青い瞳をきらりと光らせた。
「では、単刀直入に聞きますが、金目さんと、カネラ獅子王は恋人同士なんですか?」
(おお、来たか)
 まどかはゆっくりとお茶を一口飲んだ。
(いや、恋人同士には程遠い、強いて言えば『仮釈放者と保護観察官』かなあ……)
 喉まででかかった言葉をお茶と一緒に飲み込む。そして慌てずに、にっこりと作り笑いを添えて答えた。
「ううん。そうじゃないのよ。獅子王はね、私が鳳乱を失ったショックで神経がすり減っていた時に、長官の命令で私の生活をきちんと管理するように言われたの。食生活から、きちんと眠れるようにストレスを無くす為の…….そうね、普段の会話もカウンセリングみたいなものかな。だから、付き合ってるとかそういうのは全くないの。向こうも義務で仕方なくやっていることだし」
 これは、すでに獅子王と打ち合わせ済みである。
 この同棲生活について訊かれたら、お互い、必ずそう答える。恋人同士説は完全に否定する。
『オレは、おまえのものだから……おまえに迷惑かからないように何とでも言えばいいよ』
 そのとき彼は、まどかをじっと見据えてそう言った。
 いや、『おまえのもの』と言われても……少しそれは大げさな気がしたが、たぶん、彼は冗談で言ったのではないだろう。
 そもそも、この裏工作を用意したのは獅子王だった。
 バーシス中から集まる好奇の目『鳳乱の次に速攻、獅子王かよ?』からまどかを守る手段らしいが、当のまどかは、こんなせこい予防線を張るなんて大げさだ、杞憂に終わるだろうと、楽観視していたのだが、モイラが食いついてきた時点で、獅子王の読みは正しかったと認めるしかない。
「あれ……そうなんですか」
 肩すかしを食ったように、モイラがため息をついた。そして「いただきます」とケーキの皿に手を伸ばす。
「そうよ」
 まどかも胸をなでおろし、再びお茶のカップに口をつける。
「でも……噂とはなんか違うんですよね……」
「噂?」
 嫌な予感にまどかは眉をひそめた。モイラはのんきにケーキを食べて、言った。
「私たちの間では、カネラ獅子王が金目さんに猛アタックしたって噂で持ちきりなんですけど。略奪愛ってヤツですね! ていうか、とはいうものの、カネラ鳳乱は金目さんの心の中に存在し続けているわけで! それを承知の上でカネラ獅子王は熱い思いぶつけた、って。そうなってるんですけど、本当に違うんですね!?」
 まどかは初めて聞く噂に目を瞬かせたが、興奮気味のモイラに慌ててお茶を勧める。
「う、噂は噂。そんなことない、って当の私が言ってるんだから。第一、噂の出所だって怪しいじゃない」
「その出所なんですけどね……」
 また、間を持たせる……モイラの話術のパターンだが、今回はなんだか切り札を隠し持っているような、そんな雰囲気だ。
「私の彼が、カネラ獅子王からそれを直接聞いたみたいなんです……」
 ぶっ、と漫画なら茶を吹き出しているところだ。でも、まどかはごくりとそれを流し込んだ。なにか塊を飲み込んだような、喉を下りる感触。
「ど、どういうことかな……」
「彼が何度か、カネラ獅子王と金目さんが一緒にお部屋から出るのを見ていたので、カネラに直接訊いたんですって。あ、私の彼って、そういう所無邪気っていうか、好奇心押さえられないんですね。で、ただなんとなく興味本位で。『カネラ獅子王って金目さんと付き合ってるんですか?』って調子で。そしたら、カネラは『ああ、あいつはオレのものだから』って言ったらしいんですけど……で、まぁ、カネラ本人が言うならそうなのかな、って納得して、他の同僚がその話題を持ち出した時に、彼がカネラの言葉そのまま答えてたら、あ、そうですね……噂の出所は、カネラと言うか、うちの彼というか……どっちなのかな」
 種を明かして少し気まずいと思ったのか、モイラは言葉を濁したが、まどかはかなり動揺していた。
「いや、でも本当に何でもないのよ。獅子王とは。だって、獅子王は鳳乱の大事な友達だったんだし! 私があんまり酷い状態だったから、見かねて、ってそんな感じよ! 長官も!」
 まどかは慌てて一気に言い切ると、無理やり笑おうとした。
「そうなのかぁ」
 モイラは釈然としない様子で唇を尖らせたが、諦めたのか、納得したのか、ケーキを口に運びながら話題を自分のチームのことに切り替えた。
 しばらくすると、くだんの獅子王が帰って来た。
「あれ? 珍しい客だな。モイラ、元気?」
 モイラの顔にさっと緊張の色が浮かんだ。そして急にかしこまって、慌てて立ち上がった。
「あ……あ、カネラ獅子王……ご無沙汰しています! それじゃ、金目さん、私は失礼します。久々にお話し出来て楽しかったです」
「え、え? まだいればいいのに」
 まどかは中腰になって彼女を引き止めた。なんなら、ここで獅子王にちゃんと誤解を解いてもらったほうがいい。そう思ったにもかかわらず、モイラはぶんぶんとかぶりを振った。
「いえいえいえ! カネラもきっとお疲れでしょうし! 長々とすみませんでした。それでは、カネラ、失礼いたします!」
 敬礼し、ぺこりとお辞儀をした彼女は、まるで『撤退』の訓練のように静かに、そして素早く部屋を出て行った。
「なんだ、あれ? ……なんかあったの?」
 獅子王は、あたふたと出て行ったモイラを見送ると、まどかに首を捻った。
 まどかは再びクッションに腰を下ろし、獅子王を睨む。
「獅子王? どういうこと? なんで私があんたのものなのよ?」
 あぁ……と明後日の方に目をやりながら、彼は首に片手を回す。まるで、「窓どこか開いてる?」とでも言うように。
「ワリぃ。つい、口が滑った。不意打ちで聞かれてさ。打ち合わせと逆になっちまった、『あいつはオレのもの』だって。別に深い意味は無かったんだよ。なんか、言っちゃった手前、訂正面倒くさかったし」
 悪戯が見つかった子供のように、にっと歯を見せる。
「え~! 打ち合わせしていたことと180度違うじゃない! してよ! 訂正!」
「あ、ケーキ、オレのもある?」
 獅子王はまどかの食べかけを目ざとく見つけて、にじり寄る。
「あるけど、あげない!」
 皿に伸びた手から、素早くそれを遠ざける。すると相手は本気でムッとしたようだ。
 そんなにケーキが欲しいのか。
「ばあか。大衆の『疾(やま)しい妄想』におまえの『仮の真実』が塗りつぶされるなんて時間の問題だよ」
「それは、みんな私たちに関心を寄せているってこと?」
 正面であぐらをかく獅子王を見据える。
「そういうこと」
「でも、みんな自分の事で忙しそうでそんな風に見えないけど」
「振りだよ、振り」
「何の為に?」
「他人からどう見られるか、ってことを常に意識してるからじゃないの? 格好悪いじゃん、犬みたいに他人の尻を嗅ぎ回るってさ……なあ、ケーキ……」
「ごはん前でしょ」
 シッシッと、再び伸びて来た手を払う。
「おまえ、母親みたいなこと言ってるんじゃねー。こんな小さいケーキで腹膨れるわけないだろ」
「じゃあ、今日は獅子王が夕食作ってくれる?」
 おまえねー、カネラをそんなにこき使っていいのかねー、モイラを見習えよ……と言いながら、ひょいと皿をまどかの横から取り上げて、嬉しそうにケーキを頬張る。
「ねえ、獅子王……」
「何? まだなんかあるの?」
 ぺろりと彼は器用に口の周りに付いたクリームを舐めとる。
(あ、今のちょっとエッチ)
 そんな彼を見ると、まどかは何も言えなくなる。
 許したわけじゃない。でも、憎みきれないだけ。
(……私は弱い人間なのかな)
 まどかは不思議そうな目を向ける彼に、微笑した。
「ま、いっか……よかったら、まだ一つあるから」
「そうか、じゃあ半分こだな」
 彼は空の皿とソーサーを手に、キッチンに向かった。
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