ELYSIUM

久保 ちはろ

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Part 21

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 フーアの研究室を訪れたのは、これが二回目。始めてイリア・テリオに来たときと、今日と。
 ここに五人が呼ばれたというのは、これから何をフーアから聞かされるか、彼が口を開く前に暗に全員の知るところだった。いや、全員が期待していた。
 部屋にはチームの同僚だろう、フーアより少し若い男性と他、男女四人がそれぞれの仕事場に就き、壁を覆うパネルに見下ろされながら作業に没している。フーアは五人を部屋の隅にある丸テーブルへ導いた。それを囲んでいる椅子に掛けると、彼はぐるりと五人を見回した。
 眼鏡の奥の青い瞳は、相変わらず溌剌と輝いている。そして今日はさらに、悪戯な色がそこに宿っていた。
「元気そうだな、お前さんたち」
「まあ、そうですね」
 山口が間髪を入れずに答えた。
「話を聞きたくてうずうずしていることだろう。それにもう、何事か見当がついているんじゃないかね」
「まあ、まとまって呼ばれるなんてそれ以外にないですからね」
 みちるはやや身を乗り出した。
「そういえば、お前さんたち、ユランで騒ぎを起こしたドイツ人達を覚えておるかね。まあ、お前さん達がここに来た元凶とも言うべきか」
 糸をたぐり寄せるかのように記憶を蘇らせる。
「ああ……」
 一同が揃って同じような声を漏らした。
「あいつらは、帰ったよ」
「ええ!!!!」
 一瞬の間があり、五人は同時に声を上げた。
「どうして!?」
「私たちよりも先に!?」
「いつ!?」
「ずるい!」
「成功したんですか?!」
 それぞれがそれぞれに言いたいことを言った。フーアはその角張った顎を撫でながら、にやにやと五人の動揺ぶりを見ていたが、おもむろに手を挙げて皆を制した。
「まあまあ。今からそれを説明するから、落ち着きなされ。まず、結果から話そう。ドイツ人達は、地球に帰った」
 一同、長い溜め息をついた。
「日時の誤差は設定したものからマイナス三十八時間。かなり設定に近いものだ。私は満足している。ただ、場所がな……彼らが希望したドイツのハンブルグではなく、ポルトガルに着いてしまってな。これはもう少し厳密に計算しなおさなにゃならん。日本は島国だからな、お前さんたちを海で溺れさせるわけにもいかんだろうに。……お前さん達を先に返さなかったのには理由がある。我々にはデータが少な過ぎたのだよ。だからどうしても実際に人間で試してみたいというのがあった。ドイツ人諸君には気の毒だが、つまり、実験台になってもらったわけだ。残念ながら彼らの勤務態度はあまり褒められたものではなかったんでな。長官の許可も出たことだし、と言うより、早いところ外に出したかったような気もしないでもなかったが……つまりそう言うわけだよ」
 フーアはかりかりと頭を掻いた。
「とにかく、あの重力の幕の秘密は何となくだが解ってきた。どうも皆既食と関係があるらしい。次の皆既食にもう一度最終調節を試みる。それが上手くいけば、次の皆既食にはお前さんたちは……」
 彼は大きく息を吸った。厚い胸が膨らんだ。そして低い声ではっきりと言った。
「帰れる」
 五人の視線はフーア一点に注がれていた。
「それはいつですか」
 吉野が静かに聞いた。
「四ヶ月後だ」
 フーアは肩をすくめた。これ以上話すことは無い、というよりも、まどかには『残念だがね』という言葉のほうがしっくりくる仕草に見えた。


 フーアの話を聞いた後、皆、それぞれがそれぞれに思うことがあるらしく、部屋の前で別れた。
「長い事、会いに来れなくて悪かったな」と有吉は言い、街へ出ないかとまどかを誘った。
 有吉は陽に焼けて、少し痩せたようだった。引き締まった筋肉を纏った腕が、シャツから覗いていた。
 二人並んで、中心地から少し離れたオフィス街の路地を入る。そして彼は一つのカフェの前で立ち止まった。柔らかくまどかを見下ろし、慣れた様子でドアを開けて、まどかを先に通す。
 黒い木の床にカウンターとテーブルが数席の、カフェというより、喫茶店という方がしっくりくる小さな店内だった。長い時間をかけて作られた居心地の良さは、そこに座った人たちの日常の小さな緊張や疲れを和らげる。そんな懐の深さが滲みでていた。
 ぱりっとした白いノンカラーのシャツの袖をまくったおじさんが、カウンターの後ろでドーナツのたねを丁寧に熱い油の中に落としている。からからというドーナツが揚がる軽い音と、香ばしいかおりが満ちている。
「いいだろ、ここ」
 席に着き、おじさんによく似た、サービスの男性にコーヒーとドーナツを注文して、有吉は顔をほころばせた。
「うん」
「結構前に見つけて、こっちにいる時はちょくちょく来てたんだ。変なところだよな、アカルディルって。めちゃくちゃ近代化していると思えば、ちょっと道を入ったところにこんな店がある。路地がこんなに居心地がいいのはいい街って証拠だよ。大通りの喧噪から逃れたかったらすっと路地に入ればいい。そこにはこんな店があったり、感じのいい本屋や木陰が気持ちいい公園がある。自分を取り戻せる場所が、ちょっとでもリセット出来る空間があるんだ。それがあると無いとでは生活の質は全く違う。……なあ、渋谷、新宿の路地なんか酷いもんだぜ。人の落とした垢が路地に全て集積されてるって感じだな。それは腐敗して悪臭を放ち、その匂いを好むヤツや、そんな匂いに全く鈍感な奴らがそこら辺をフラフラ遊弋ゆうよくしているんだ。クラブから一歩外に出て眩しい朝日の中でそんな光景を見せられると、ギグした高揚が一気に落ちる。本当に、あそこは酷い。だから、オレは特にこんな清潔でレトロな路地が好きなんだ」
 まどかは彼の話に深く頷いた。
 まどかも日本にいた時、たまに都心に出ると人のにおいや何とも言い難い、街に染み付いたにおいにうんざりした。
 家に帰ると、べとついた手の平をすぐに石けんで洗い流す。電車や町中で、体が受けた他人の負のエネルギーは、手に集まる。だから手を洗うと、余分なものが落ちて、すごくさっぱりする。
 そういえば何かの雑誌で、心理学の実験の結果『「手を洗う」と、決断後に頭の中に残る葛藤や罪悪感をぬぐい去る効果があることが証明された』という記事を目にしたこともあった。
 手を洗えば自分の決断に、より確信が持てるということらしい。
 それなら、もし自分がここに残ったら、手を洗う回数は増えるのだろうか?
 頭の中でそんな連鎖が働き、結局『帰る』という思考に行き着いてしまう。
 これもフーアのせいだ。
 店員が来て、二人の間に漂う、倦怠をかき混ぜるような手つきで、コーヒーとドーナツの乗ったお皿が置いた。
 こんがりときつね色のリングが寄り添うように重なっている。まぶしてあるブラウンシュガーにシナモンの香りがふっと立ち昇る。
「た、食べてもいい?」
 なんだか勿体ないような気がして、つい、有吉に訊いた。テーブルに肘をついて拳でこめかみを支えている彼は、口の端を上げた。
「どうぞ。温かいうちにお上がり」
 まどかは、一つを指でつまんで、さくっとした生地に歯を立てる。温かくて、甘くて、中はほっこりしていた。
 つい、頬が緩んでしまう。もぐもぐ、と味わったところで湯気のたつコーヒーを飲む。
 コクのある液体がとろんと流れ込み、ドーナツの香りと一緒に喉を下りていく。
 ふと目をあげると、有吉の真っすぐな視線に合う。ゆるみきった心の一部始終を見られていたようで、恥ずかしくなった。
「ちょっと……人が食べるところ、そんなにじろじろ見ないでよ。有吉も食べて」
「だって、すっごくウマそうに喰ってるんだもん」
「だって、すっごくウマいんだもん」
 彼の口調を真似、二人は笑った。
 しばらく、お互い黙ってドーナツを食べていた。それは楽しい沈黙だった。
 空になった皿の前に一息つくと、有吉は言った。
「人間くらいだろうな、ものを喰うとき、緊張感が全くなくなるのって。自然界じゃ常に狙われてるわけだから、喰ってる時も緊張しっぱなしだうな……」
 有吉は「あ、」と口だけ軽く開いた。
「じゃあセックスする時も緊張しっぱなし、ってことかな」
「それは質問? ていうか、なんであなたと何か食べてる時っていつもそういう話になるの?」
 そういえばそうだな、と、彼は指でその細い鼻梁を軽く擦った。
「おまえといるから、じゃない?」
 何それ、とまどかはコーヒーを一口飲む。
 有吉はそれには答えずに、真顔になった。
「そういや獅子王は元気?」
「うん」
 有吉が獅子王について訊いてくるとは意外だったが、軽い挨拶程度のものだろう。
「うまくやってるの? おまえ達」
「うん……」
「嘘だろ」
 なんで分かるの、と思わず口から出かけたが、慌てて飲み込んだ。
 それじゃあ、まさに語るに落ちる、だ。
「その方がいいけどね。おまえ達が上手くいっててもこっちには不都合だ」
 まどかは、テーブルの上にこぼれた小さなドーナツの欠片を、指先で拾って皿に落とした。
「オレ、ユランで鳳乱と二人きりで話したことがあるんだ」
「え?」
 有吉と鳳乱が、二人きりで……? いつ……
「あの時。オレが吉野が女の所に行ってるって、バラしたあの夜」
(ああ……)
 思い起こせば、あの時の鳳乱は、なんだか話をはぐらかすような、彼らしくない様子だった。まさか有吉と二人きりで話していたなんて。
「話っていっても、鳳乱が一方的にオレに言ったんだよ。『僕の目の届かない所では、お前がまどかを見ていないと』てさ」
 そんな事を………なんだか、鳳乱は自分の身に何が起こるのか、知っていたかのような言葉ではないか。
 有吉はしばし窓の外に視線を泳がせていた。その夜の出来事を回想しているかのように。それからまどかに向き直る。
「おまえ、俺たちと一緒に帰るよな」
 突然何を言い出すのかと思った。
 不意を討たれ、そのうえなんだか尻尾を掴まれたような気がした。そして、降参の心持ちで、正直に、有吉にイルマ・ルイとの現状を打ち明けた。
 手を出されたとは、さすがに言えなかった。
 話を聞き終わった有吉は、一変して容赦ない眼差しでまどかを見つめた。
「何それ。訳が分からないんだけど。おまえはイルマ・ルイに好きだって言われた、って解釈していいわけ? だから、つまり獅子王と別れて、自分の所に来いって言ってるんだな?」
「いや、好きだって言われたわけじゃないし、むしろ、『好きとかそういう問題じゃない』って。ただ、とにかく早く獅子王と別れて欲しいって。今の関係が私と獅子王のために良くないって」
「それだけは同意だ。おまえと獅子王の関係は、なんか、好き合っている間のそれじゃないもんな。むしろ傷舐め合って生きてる実感を確かめてるって感じ」
 有吉までそんなことを言う。でも、イルマ教官や有吉の方が、確かに二人の関係がずっとよく見えているのかもしれない。
「でも、好きじゃないのに自分の所に来いって、理屈がわかんねえ。おまえ、それ、からかわれてんのよ。本気にしなくていいよ。早く獅子王と別れて、ちゃんと自分の足で立て。それでオレと地球に帰ることだけ考えろ。もう秒読みだぞ」
 有吉の言い分はもっともだ。教官のいうことよりもずっと筋が通っている。
「でも……」
 自分の気持ちがわからないでいた。
 正直なところ、教官がもっと近寄ってくること期待している自分に、最近気がついていた。
 彼が自分を「好きじゃなくても」いいから、側にいたいと思うときさえあった。
 彼に干渉されずとも全く構わない、と言えば嘘になる。
 何より、獅子王がイルマ・ルイの気配に気付くことが怖かった。
「でも、何?」
 言い淀んだまどかを、有吉は訝しげに見ていた。そしてハッとして、唸るように言った。
「まさか、おまえ、イルマ・ルイが好きだとか言い出すんじゃないだろうな。おまえ、勘違いしてるんじゃねえぞ。遊ばれてるんだってわからねえのか? 男ってのはな、いつも妙な競争心とか虚栄心を持ってるんだよ。大体、鳳乱、獅子王、イルマ・ルイ、エステノレスは昔からの馴染みだろ。おまえが『あの』鳳乱の女だったから、それだけで興味が出る。それで、その次が獅子王だ。あの二人の手に堕ちて、自分に堕ちないわけがない、って思うんだよ、普通。だから近づいただけだ。おまえ、そんな安い手に引っかかるなよ。思うツボじゃねーか。おまえはそんなに頭の悪い女じゃないはずだ」
「だって……」
「だってじゃねーよ!」
 有吉の声が高くなる。
「だって、なんだよ。オレはおまえをどれだけの間見てきたと思ってんだ。あいつらの比じゃねーぞ。おまえはオレが連れて帰る。地球に帰って、またもと通り暮らすのが、おまえにもオレにも一番いいんだよ!」
 有吉の気持ちも、それが皆にとって正論だと痛いほどわかる。でも、自分にとって正論か、その問いに不思議と答えを出せないでいた。
「分からないのよ……自分の気持ちが。自分がどこにいたいのか、何をしたいのか、何が出来るのか……誰といたいのか。誰ともいたくないのか。地球に帰ってまた、多少の不満を日々抱えながら、それでもなんとなく平穏に暮らしたいのか、自分を試して新しい出発点を踏み出したいのか……毎日、迷ってばかりなのよ……それでも、やっと何かを掴んだ気がしているのも本当……」
「いい加減にしろ! 『帰る』と決めれば他の選択肢は自然と消えるんだよ! イルマ・ルイだって関係ない。あいつはおまえを弄んで楽しんでるんだよ! それでもあいつの所に行くなら、もう勝手にしろ! オレはおまえがそれで幸せになれるって保証があるんなら、それ以上首を突っ込まない。特にこういうことは、世話を焼くだけバカを見るもんだからな」
 彼はいつになく感情的になっていた。
 まどかの、優柔不断で煮え切らない態度にとうとう愛想を尽くしたのだろう。
 まどかは項垂れた。有吉の顔をまともに見れない。
「ごめん……」
 その一言で、有吉は全てを悟った。
「オレは、おまえが一緒に帰ると思ってるからな」
 そう言うと、静かに立ち上がり、去って行った。

(イルマ教官に逢いたい)
 時間を経て明らかに変化を遂げた環境に、まどかは翻弄されることばかりだが、それだけは今、はっきりとしていた。
(イルマ教官の顔を一目、見たい)

 有吉と気まずい別れをした後、まどかはすぐにバーシスに戻った。
 正面玄関でシャトルから降りて、すぐに西棟に向かう。
ーー教官は今の時間ならまだきっと、図書館にいる。もう閉館時間が近いけど、少し寄るだけなら。
(何か映画でも借りてすぐに帰ろう……。何でも無いふうを装って「こんにちは」と言おう)
 図書館へ行くのに、理由を幾つも頭の中で考えることに不自然さを感じながら、図書館のドアの前に立つ。
 心臓がばくばくと早鐘を打っている。
 こんなに動揺する自分に驚いていた。

 図書館に入ると、すぐ右手にカウンターがある。
 そこに、いつものように教官がいた。返却されたデータを整理しているようだった。
 隣にアンドロイドが座っているんだから、稼働させればいいのに……
 普段から彼は大抵の事は自分一人で処理していた。誰か入って来る度に顔を上げることはせず、黙々と作業を続ける。
 もちろん、まどかも例に違わず、見向きもされなかった。
 それはむしろ、まどかをホッとさせた。
 カウンターの前に開放されている閲覧スペースには、閉館間近のせいか、ほとんど人がいなかった。
 目立たないよう、立ち並ぶ本棚の脇をすり抜けて、奥の視聴覚データのコーナーへ入る。
 それでも教官を密かに目の端に捉えることは忘れなかった。
 一目でも彼を見た喜びに頰が火照った。
 まどかは、視聴覚コーナーにある幾つかあるうちの一つの机の前に座り、パネルをタッチした。
 ここに全ての映画、オーディオのデータが収められ、簡単に検索できる。
 借りたいものは、一度ピースにコードを保存してカウンターでピースを渡せば、すぐに目当てのデータを手渡してもらえる。
(コメディかなぁ……。最近、思いっきり笑ってないし。でも、今コメディ見てもやっぱり笑えないかなぁ……)
 机に頬杖を付き、そんなことを考えながら次々とトレーラーを流し見ていった。

「入り口、閉めるぞ」
 急に声をかけられ、びくっと体が跳ねた。
 振り向くと、イルマ教官がゆっくりと近づいて来る所だった。
「あ、すみません。すぐに出ます」
 慌てて席を立つ。
 別に、本当に映画を見たかったわけじゃない。また今度借りに来よう。そう思って、彼の横をすり抜けようとしたとき、「もう、誰もいないからゆっくりしていけよ」彼はまどかの手首を掴んだ。
 まどかは息を飲む。
「それに、せっかく来たんだから、キスくらいさせろよ」
 せっかく来たんだから、お茶でも飲んで行けよ、とは大分違う。
 まどかは顔を上げ、彼を睨んだ。
「もう、からかうのは止めてください。私みたいに、煮ても焼いても食えないような女が心動かされているのを見て楽しんでいるみたいですけど、そんなの、人として最低です!」
 突然大きな声を出したまどかに、彼は目を見開いた。
 すぐに手首が解放される。
 相手は胸の前で腕を組み、不思議そうに首を傾げた。
「心、動かしていた?」
「教官のように、男性の色香がこれでもかってほどダダ漏れな人に一度ならず誘われれば、普通の女性なら心惑わされるのは普通だと思いますけど。それとも、また『そんなつもりじゃないよ』なんて言うんですか?」
「いや……でも、それなら獅子だって、相当艶っぽい男だと思うけど?」
「獅子王とはもう、……ダメなんです」
 本音がするりと出た。
 きっと、もっと前から分かっていた。それでも言葉に出したら本当に、お終いだと思っていた。だから、誰にも言えなかった。
 それがよりによってこの男の前で……尾羽打ち枯らした姿を見られた気分だった。自分が、情けなかった。
「彼は、私を傷つけないように、すごく大事にするんです……私の前に立ちはだかって、盾になって、時にはその腕に抱いて、もう、私が傷つかないように守ってくれているんです。それが彼に課せられた唯一の務めであるかのように。矛盾してますよね、元はと言えば彼が私を傷つけたのに……。でも、そう言う関係は……常に守られていると言うことは、逆を返せば……獅子王の方から見れば、私の存在は、彼のしている事を正当化しているものでもあって、それは彼にとっては甘え以外の何でも無い。彼はそうやってどんどんずるくなってしまう。私を守る事で、鳳乱に対して誤摩化しているようで。でもそうさせているのは私で……もう、私にはそれが限界なんです。たとえ、彼の腕の中だと怖い夢を見ずに眠れることが事実だとしても」
 そう、先日獅子王が他の星に行って不在だった時も、一人で眠ればやっぱり、また鳳乱を夢に見たのだ。
 それは以前のようにドラマティックではなかったが、夢の中の彼はただ佇んで、少し悲しそうな顔をしてまどかを見ていた。
 イルマ・ルイは黙って、話を聞いていた。そして腕を組んだ姿勢を崩さずに、言った。
「じゃあ、試してみる? オレの腕の中で」
 今度は、まどかが目を瞠る番だった。
(ずるい)
ーーいつもは「別れろ」だの「来い」だのと絶対命令口調なのに、どうしてここで始めて、質問するの?
 どうして「オレの腕の中で眠れよ」って言ってくれないの? ーー
 彼の瞳から何かを読み取ろうと、じっと見つめた。が、彼の目は何も語らず、それでいて、美しい憂いを湛えていた。
「からかってないよ。一応、言っておくけど。……金目は、どうしたいの?」
 その言葉は、小箱の鍵穴に射込まれた鍵のようだった。その鍵が、かちっと音を立てて動いた。
 Dr.リウの言葉が箱からするりと出て来た。
『患者さんにはね、彼らの望みを聞いてあげることが一番大切なのよ』
(そうだ。私の望みって? ……一体、私はどうしたいの)
 まどかは、小さく息を吸った。
「……試して……みたいです」
 消え入りそうな声だったが、はっきりと答えた。
 下唇を噛んだ。悔しいようで、自分に腹が立っているような、様々なネガティブな感情が胸を渦巻いていた。
 しかし、一方の彼は満足げに微笑んだ。優越感のそれではなく、何か、安堵したような表情が相手の顔に広がる。
 そして、彼らしくない、慎重な手つきでまどかの手首を軽く自分の方へ引いた。
 その瞬間、自然に抱きしめられていた。
「今夜、迎えに行く」
 耳元で囁く、彼の掠れ声に一瞬、全身に鳥肌がたった。
 これは不安と呼ぶのだろうか、期待と呼ぶのだろうか。
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