7 / 27
07 鞭打ち刑
しおりを挟む
◆
その頃、ヴィクターはマリオンの捕縛を知った。既に丸1日が経っている。執事長は震えながら報告が遅れた事を詫びた。
「申し訳ございません!休憩所まで目が届いておりませんでした!」
「…」
監察部が執事を通さずに乗り込んだらしい。皇后の命だと聞いた者がいる。
「コージィ。午後の予定は?」
「全てキャンセルします。皇后陛下のご予定も確認中です」
ヴィクターは数人の側近と護衛を連れて執務室を出た。よほど険しい顔をしていたのか、誰も話しかけて来ない。彼はそのまま皇妃宮に乗り込んだ。
◆
先触れもなく訪れたが、母は喜んで迎えてくれた。もう40代半ばのはずなのに艶やかな黒髪に白髪は見えず、つるりとした若々しい顔をしている。コージィに言わせると『美魔女』だそうだ。
「どうしたの?急に。もしかしてマリオン王子の件かしら?」
茶を飲みながら、母の方から切り出してきた。ヴィクターは己と同じ黒い眼を正面から見据えた。
「お返しください。彼は無実です」
「そうでしょうね。王子の方が格段に美しいもの。メリーの部屋に出入りしていたのは、エルメ伯爵の次男らしいわ。でもね、慣例で女性側の告発を疑うことはできないの」
「太公の腰巾着ですね。では、生まれた子が赤毛であれば、無実を証明できますか」
エルメ家は代々、炎のような毛色で有名だ。皇后は朗らかに笑った。
「ほほほ。先祖に赤毛がいたと言われたら、お終いじゃないの。今回は太公の勝ち。ほとぼりが冷めるまで、王子はそっとしておきなさい」
「…」
「あなた、早く結婚して世継ぎを設けたら?向こうは継承順位が下がるのが、一番痛いのよ」
それとなく話題をすり替え、息子に結婚を勧めてくる。ヴィクターは本題に戻した。
「分かりました。マリオンを私の宮の仕事から外します。だから、鞭打ち刑は止めてください」
「残念、もう終わったわ」
「!」
ガタッと彼は立ち上がり、笛を吹いて隠密を呼んだ。天井に気配がする。
「マリオンは今どこだ?」
「1時間ほど前、こちらから馬車が出ました。その中かと」
姿も見せずに報告する声に、母は眉を顰めた。ヴィクターは「失礼します」と言って辞そうとしたが、その背に母の嫌味が投げられた。
「その笛。王子に与えたそうね。自覚なさい。それが原因なんだから」
◇
鞭打ち100回の後、マリオンは外宮の小屋に戻された。トラはアオキと国に帰ってしまったので、もういない。監察部の男は、息も絶え絶えのマリオンをベッドまで運んでくれた。
「すみません…制服を…」
「分かった、分かった。皇太子宮の執事に返しておく」
「お願いします…」
1人残されたマリオンは、男が去ると演技を止めた。そろそろと起き上がり、鏡で背中の傷を確認する。鞭は表皮を破っただけで、肉には達していない。
トラが徹底的に仕込んだ、フジヤマ流護身術・身体強化だ。打たれる瞬間、氣と呼ばれる力で衝撃を吸収・分散させる。そして痛がるフリをして、相手が油断したら逃げ出せと教えられた。
(薬はまだあったかしら)
破れたシャツを脱ぎ、膏薬を布に塗って背中に貼ると、そのままベッドにうつ伏せになって寝てしまった。
◇
馬車が停まる音がして目が覚めた。誰かが寝室に入って来る。上半身裸だけどベタベタと布が貼ってあるから、まあ、いいか。疲れ切ってぼんやりとしていると、
「マリオン」
皇太子殿下のお声が聞こえた。途端に頭が冴えた。
「も、申し訳ございません。こんな格好で…」
シャツも着ていないので伏せたまま答える。恥ずかしくて死にそうだった。殿下は沈んだ声で詫びられた。
「すまない。これも太公の嫌がらせだ。あの人は私のものを奪うのが趣味なんだ」
「大丈夫です。すぐ治りますから。どうぞご心配なく」
元気そうに言ってみたが、どうにもお心は晴れないようで、大きな御手がマリオンの頭を撫でた。
「もう休め。復帰できるよう、手を尽くす」
「ありがとうございます…」
そのお言葉だけで充分だ。優しく頭を撫でられているうちに眠くなり、マリオンは再び寝てしまった。
◆
ヴィクターは彼を起こさないように、静かに部屋を出た。その手にはボロボロに破れた、血まみれのシャツが握られている。床に落ちていたのを何となく持ってきてしまった。
「食料と薬を届けさせろ」
馬車に乗り込みながら、待っていたコージィに命じた。
「はい。護衛もつけますか?」
「いや。必要ない」
白髪の護衛が木の影からこちらを見ていた。奴と隠密がいれば、この小屋にいる限りは安全だろう。あまり目立たない方が良い。だがコージィは座った目で復讐を提案した。
「とりあえず、侍女は実家ごと消しましょう。エルメ伯爵家の次男は簀巻きにして…」
「いずれな。先にマリオンの身分を変えたい。何とか俺の側近にできないか?」
「人質期間は何年なんでしょうね?大使に訊いてみます。短縮する方法も調べます」
「頼む」
「お任せください」
だが、クレイプ大使であったモロゾフ伯爵の病状は重く、話をする事もできなかった。他に詳細が分かる者も見つからず、マリオンの解放は宙に浮いたままだった。
その頃、ヴィクターはマリオンの捕縛を知った。既に丸1日が経っている。執事長は震えながら報告が遅れた事を詫びた。
「申し訳ございません!休憩所まで目が届いておりませんでした!」
「…」
監察部が執事を通さずに乗り込んだらしい。皇后の命だと聞いた者がいる。
「コージィ。午後の予定は?」
「全てキャンセルします。皇后陛下のご予定も確認中です」
ヴィクターは数人の側近と護衛を連れて執務室を出た。よほど険しい顔をしていたのか、誰も話しかけて来ない。彼はそのまま皇妃宮に乗り込んだ。
◆
先触れもなく訪れたが、母は喜んで迎えてくれた。もう40代半ばのはずなのに艶やかな黒髪に白髪は見えず、つるりとした若々しい顔をしている。コージィに言わせると『美魔女』だそうだ。
「どうしたの?急に。もしかしてマリオン王子の件かしら?」
茶を飲みながら、母の方から切り出してきた。ヴィクターは己と同じ黒い眼を正面から見据えた。
「お返しください。彼は無実です」
「そうでしょうね。王子の方が格段に美しいもの。メリーの部屋に出入りしていたのは、エルメ伯爵の次男らしいわ。でもね、慣例で女性側の告発を疑うことはできないの」
「太公の腰巾着ですね。では、生まれた子が赤毛であれば、無実を証明できますか」
エルメ家は代々、炎のような毛色で有名だ。皇后は朗らかに笑った。
「ほほほ。先祖に赤毛がいたと言われたら、お終いじゃないの。今回は太公の勝ち。ほとぼりが冷めるまで、王子はそっとしておきなさい」
「…」
「あなた、早く結婚して世継ぎを設けたら?向こうは継承順位が下がるのが、一番痛いのよ」
それとなく話題をすり替え、息子に結婚を勧めてくる。ヴィクターは本題に戻した。
「分かりました。マリオンを私の宮の仕事から外します。だから、鞭打ち刑は止めてください」
「残念、もう終わったわ」
「!」
ガタッと彼は立ち上がり、笛を吹いて隠密を呼んだ。天井に気配がする。
「マリオンは今どこだ?」
「1時間ほど前、こちらから馬車が出ました。その中かと」
姿も見せずに報告する声に、母は眉を顰めた。ヴィクターは「失礼します」と言って辞そうとしたが、その背に母の嫌味が投げられた。
「その笛。王子に与えたそうね。自覚なさい。それが原因なんだから」
◇
鞭打ち100回の後、マリオンは外宮の小屋に戻された。トラはアオキと国に帰ってしまったので、もういない。監察部の男は、息も絶え絶えのマリオンをベッドまで運んでくれた。
「すみません…制服を…」
「分かった、分かった。皇太子宮の執事に返しておく」
「お願いします…」
1人残されたマリオンは、男が去ると演技を止めた。そろそろと起き上がり、鏡で背中の傷を確認する。鞭は表皮を破っただけで、肉には達していない。
トラが徹底的に仕込んだ、フジヤマ流護身術・身体強化だ。打たれる瞬間、氣と呼ばれる力で衝撃を吸収・分散させる。そして痛がるフリをして、相手が油断したら逃げ出せと教えられた。
(薬はまだあったかしら)
破れたシャツを脱ぎ、膏薬を布に塗って背中に貼ると、そのままベッドにうつ伏せになって寝てしまった。
◇
馬車が停まる音がして目が覚めた。誰かが寝室に入って来る。上半身裸だけどベタベタと布が貼ってあるから、まあ、いいか。疲れ切ってぼんやりとしていると、
「マリオン」
皇太子殿下のお声が聞こえた。途端に頭が冴えた。
「も、申し訳ございません。こんな格好で…」
シャツも着ていないので伏せたまま答える。恥ずかしくて死にそうだった。殿下は沈んだ声で詫びられた。
「すまない。これも太公の嫌がらせだ。あの人は私のものを奪うのが趣味なんだ」
「大丈夫です。すぐ治りますから。どうぞご心配なく」
元気そうに言ってみたが、どうにもお心は晴れないようで、大きな御手がマリオンの頭を撫でた。
「もう休め。復帰できるよう、手を尽くす」
「ありがとうございます…」
そのお言葉だけで充分だ。優しく頭を撫でられているうちに眠くなり、マリオンは再び寝てしまった。
◆
ヴィクターは彼を起こさないように、静かに部屋を出た。その手にはボロボロに破れた、血まみれのシャツが握られている。床に落ちていたのを何となく持ってきてしまった。
「食料と薬を届けさせろ」
馬車に乗り込みながら、待っていたコージィに命じた。
「はい。護衛もつけますか?」
「いや。必要ない」
白髪の護衛が木の影からこちらを見ていた。奴と隠密がいれば、この小屋にいる限りは安全だろう。あまり目立たない方が良い。だがコージィは座った目で復讐を提案した。
「とりあえず、侍女は実家ごと消しましょう。エルメ伯爵家の次男は簀巻きにして…」
「いずれな。先にマリオンの身分を変えたい。何とか俺の側近にできないか?」
「人質期間は何年なんでしょうね?大使に訊いてみます。短縮する方法も調べます」
「頼む」
「お任せください」
だが、クレイプ大使であったモロゾフ伯爵の病状は重く、話をする事もできなかった。他に詳細が分かる者も見つからず、マリオンの解放は宙に浮いたままだった。
71
あなたにおすすめの小説
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる