12 / 27
12 北の砦
しおりを挟む
◇
1ヶ月前。突然、マリオンは兵部に異動となった。余りに急だったので書置き一つ残せなかった。出発直前に、口の悪い隠密さんが事情を教えてくれた。
「ステラ嬢が親に泣きついたんだと。あ、陛下から伝言な。『死んだら、今後クレイプ国からの人質は免除する』だってよ。安心して死んで来いや」
やっぱり陛下の逆鱗に触れていた。マリオンは泣く泣く頷き、鞄一つだけを持って馬車に放り込まれた。何日もかけて北上し、着いたのは雪に埋もれた砦だった。
帝都の暖かさに慣れてしまったので、とても寒い。毛皮でできたコートやブーツ、手袋が支給された。それを持って砦の司令官に挨拶した。
「人質の王子?皇宮はここを流刑地か何かと思ってるな。兵士が欲しいんだ。こんなモヤシみたいな小僧じゃない。それで、何ができるんだ?弓か?剣か?それとも槍か?」
司令官は神経質そうな若い男だった。マリオンは小さくなって答えた。
「すみません。どれもできません」
「使えないな。王子なら武芸くらい磨いとけ。じゃあ、雑用係だ。空き部屋も無いな。婆さんと相部屋だが我慢しろ」
と言われ、あっという間に仕事が決まった。マリオンは芋の皮剥きから、掃除洗濯、荷運びまで何でもやった。柔らかかった手は、またガサガサに荒れた。それでも敵と戦えと言われるより何倍もマシだ。
夢中で働いているうちに、寒さにも人にも慣れてきた。下働きの人々は外宮の庭師達と同じで、良い人もいれば嫌な人もいる。幸い、同室のお婆さんは優しい女性だった。
「マリちゃん。お菓子食べるかい?」
と、孫のように可愛がってくれた。マリオンも亡き祖母に会えたようで嬉しかった。
兵士とは配膳の時しか会話しない。下働きの女の子は兵士に人気だが、背の高い男は煙たがられている。たまに絡まれても、お婆さんや中年女性たちが助けてくれた。
(大丈夫。口の悪い隠密さんが、数年頑張れば戻れるって言った。ああ。でもアンリやアオキに手紙も出せなかった。心配するだろうな…)
兵の服を繕いながら、マリオンは物思いに沈んだ。ふと、雑な並縫いのイニシャルを見つけて、綺麗に刺繍し直してみた。「良いじゃん。ありがとよ」と好評だったので、繕い物がある度に直した。すると評判を聞いた司令官が仕事を頼んできた。
「このハンカチに私のイニシャルを入れてくれ。銀貨5枚でどうだ?」
「2枚で良いですよ。簡単ですから」
「いや。うんと豪華に飾りを入れてほしい」
都の友人たちが、女性からの贈り物を自慢するらしい。悔しいので見返したいそうだ。正直な人だ。感心したので、気合を入れてクレイプ模様で文字を刺した。司令官は大層喜んで銀貨をもう2枚くれた。
(そういえば、殿下に差し上げるハンカチ、隠密さんに渡せなかった…)
夢のような記憶だけを支えに、マリオンは厳しい冬を耐え続けていた。
◆
ヴィクターはありとあらゆる手段でマリオンを探したが、一向に見つからない。不安と焦りだけが蓄積してゆき、最近の彼は常に不機嫌だった。
乙女の宮など意地でも行くものか。ヴィクターは無言の抵抗を続けた。
「嫌ね。反抗期?コージィ。よく似たメスのウサギはいない?」
久しぶりに会った母に嫌味を言われた。今日は皇后・皇太子で剣術大会を観戦している。背後に控えるコージィは母に何か耳打ちした。すると、
「それもそうね。じゃあ、私は戻るわ。後はよろしく」
と言って母は貴賓席から出て行った。ヴィクターはコージィに訊いた。
「何を言ったんだ?」
「殿下が成長している証です。今はそっと見守りましょう、と」
子供扱いに腹が立つ。しかし母と話したくなかったので良しとした。決勝戦に意識を戻すと、やっと決着がついたところだった。
「殿下。メダルの授与をお願いいたします」
ようやく皇太子の出番だ。ヴィクターはアリーナに降りて、優勝した剣士に黄金のメダルを渡した。その後、祝賀パーティーに移動、上位入賞者らと歓談して公務は終了する。
「見事な連続技に感心したぞ。ペルティエ卿」
「ありがとうございます。皇太子殿下。突き技では誰にも負けません」
優勝者は直立不動で答えた。剣術の名門ペルティエ家の息子だ。何がなんでも優勝者を出したい兵部が、わざわざ遠方の任地から呼んだらしい。ご苦労なことだ。
他の出場者も適当に激励し、ヴィクターは会場を後にしようとした。だが背後から聞こえた会話に足を止めた。
「相変わらず、強いなお前。彼女無しのくせに」
「失礼な。見ろ、このハンカチを」
「おお!見事だ。イニシャルが花模様なんだな。どんな娘に貰ったんだ?名前は?白状しろよ」
振り向くと、ペルティエ卿が若い友人達にハンカチを見せている。
「白金の髪に薄緑の瞳の美人さ。名はマリ。もう良いだろ。返せよ」
1ヶ月前。突然、マリオンは兵部に異動となった。余りに急だったので書置き一つ残せなかった。出発直前に、口の悪い隠密さんが事情を教えてくれた。
「ステラ嬢が親に泣きついたんだと。あ、陛下から伝言な。『死んだら、今後クレイプ国からの人質は免除する』だってよ。安心して死んで来いや」
やっぱり陛下の逆鱗に触れていた。マリオンは泣く泣く頷き、鞄一つだけを持って馬車に放り込まれた。何日もかけて北上し、着いたのは雪に埋もれた砦だった。
帝都の暖かさに慣れてしまったので、とても寒い。毛皮でできたコートやブーツ、手袋が支給された。それを持って砦の司令官に挨拶した。
「人質の王子?皇宮はここを流刑地か何かと思ってるな。兵士が欲しいんだ。こんなモヤシみたいな小僧じゃない。それで、何ができるんだ?弓か?剣か?それとも槍か?」
司令官は神経質そうな若い男だった。マリオンは小さくなって答えた。
「すみません。どれもできません」
「使えないな。王子なら武芸くらい磨いとけ。じゃあ、雑用係だ。空き部屋も無いな。婆さんと相部屋だが我慢しろ」
と言われ、あっという間に仕事が決まった。マリオンは芋の皮剥きから、掃除洗濯、荷運びまで何でもやった。柔らかかった手は、またガサガサに荒れた。それでも敵と戦えと言われるより何倍もマシだ。
夢中で働いているうちに、寒さにも人にも慣れてきた。下働きの人々は外宮の庭師達と同じで、良い人もいれば嫌な人もいる。幸い、同室のお婆さんは優しい女性だった。
「マリちゃん。お菓子食べるかい?」
と、孫のように可愛がってくれた。マリオンも亡き祖母に会えたようで嬉しかった。
兵士とは配膳の時しか会話しない。下働きの女の子は兵士に人気だが、背の高い男は煙たがられている。たまに絡まれても、お婆さんや中年女性たちが助けてくれた。
(大丈夫。口の悪い隠密さんが、数年頑張れば戻れるって言った。ああ。でもアンリやアオキに手紙も出せなかった。心配するだろうな…)
兵の服を繕いながら、マリオンは物思いに沈んだ。ふと、雑な並縫いのイニシャルを見つけて、綺麗に刺繍し直してみた。「良いじゃん。ありがとよ」と好評だったので、繕い物がある度に直した。すると評判を聞いた司令官が仕事を頼んできた。
「このハンカチに私のイニシャルを入れてくれ。銀貨5枚でどうだ?」
「2枚で良いですよ。簡単ですから」
「いや。うんと豪華に飾りを入れてほしい」
都の友人たちが、女性からの贈り物を自慢するらしい。悔しいので見返したいそうだ。正直な人だ。感心したので、気合を入れてクレイプ模様で文字を刺した。司令官は大層喜んで銀貨をもう2枚くれた。
(そういえば、殿下に差し上げるハンカチ、隠密さんに渡せなかった…)
夢のような記憶だけを支えに、マリオンは厳しい冬を耐え続けていた。
◆
ヴィクターはありとあらゆる手段でマリオンを探したが、一向に見つからない。不安と焦りだけが蓄積してゆき、最近の彼は常に不機嫌だった。
乙女の宮など意地でも行くものか。ヴィクターは無言の抵抗を続けた。
「嫌ね。反抗期?コージィ。よく似たメスのウサギはいない?」
久しぶりに会った母に嫌味を言われた。今日は皇后・皇太子で剣術大会を観戦している。背後に控えるコージィは母に何か耳打ちした。すると、
「それもそうね。じゃあ、私は戻るわ。後はよろしく」
と言って母は貴賓席から出て行った。ヴィクターはコージィに訊いた。
「何を言ったんだ?」
「殿下が成長している証です。今はそっと見守りましょう、と」
子供扱いに腹が立つ。しかし母と話したくなかったので良しとした。決勝戦に意識を戻すと、やっと決着がついたところだった。
「殿下。メダルの授与をお願いいたします」
ようやく皇太子の出番だ。ヴィクターはアリーナに降りて、優勝した剣士に黄金のメダルを渡した。その後、祝賀パーティーに移動、上位入賞者らと歓談して公務は終了する。
「見事な連続技に感心したぞ。ペルティエ卿」
「ありがとうございます。皇太子殿下。突き技では誰にも負けません」
優勝者は直立不動で答えた。剣術の名門ペルティエ家の息子だ。何がなんでも優勝者を出したい兵部が、わざわざ遠方の任地から呼んだらしい。ご苦労なことだ。
他の出場者も適当に激励し、ヴィクターは会場を後にしようとした。だが背後から聞こえた会話に足を止めた。
「相変わらず、強いなお前。彼女無しのくせに」
「失礼な。見ろ、このハンカチを」
「おお!見事だ。イニシャルが花模様なんだな。どんな娘に貰ったんだ?名前は?白状しろよ」
振り向くと、ペルティエ卿が若い友人達にハンカチを見せている。
「白金の髪に薄緑の瞳の美人さ。名はマリ。もう良いだろ。返せよ」
73
あなたにおすすめの小説
助けた騎士団になつかれました。
藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。
しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。
一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。
☆本編完結しました。ありがとうございました!☆
番外編①~2020.03.11 終了
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~
卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」
絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。
だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。
ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。
なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!?
「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」
書き溜めがある内は、1日1~話更新します
それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります
*仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。
*ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。
*コメディ強めです。
*hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~
イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。
王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。
そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。
これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。
⚠️本作はAIとの共同製作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる