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02 老婆の休日
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♡
鈍感なきよ子もついに気づいた。ここは浦安の遊園地ではない。行けども行けどもアトラクションも無いし日本語の看板もない。親切な女性と入ったカフェにも、日本人どころか東洋系と思われる人種は見当たらない。
(神隠しにあって、全然違う世界に来てしまった)
衝撃的すぎる結論に達した。とりあえず朝食セットを食べた。黒パンのサンドイッチと紅茶のようなお茶だ。食べ終わった後、持病の高血圧と関節痛の薬を持っていないことに気づいた。白内障の目薬も忘れた。きよ子はとたんに不安に襲われた。
「おばあちゃん。大丈夫?」
急にきよ子が黙ったので、向かいに座るジュリアが心配そうに訊いた。
「…大丈夫よ。多分」
なるようになるだろう。3人の息子らもそれぞれ家庭を持った。きよ子の帰りを待つ人間はもういないのだ。老女は深く考えるのを止めた。
きよ子はカフェを出てジュリアと別れた。幸先良く優しい娘さんに会えた。この世界でも生きていける気がする。腹も満たされて元気になった彼女は、街を探検することにした。
◆
口入れ屋の窓口に変な老女が来た。歳は80。外国人で保証人もいない。小柄だから出来る仕事は限られる。軽作業専門の係が受け持った。
「どんな仕事ができるの?おばあちゃん」
係の男は職歴を訊いた。老女はスラスラと答えた。
「試食販売とか、宝くじ売り場とか。若い時はウェイトレスとかもしたけど。今は無理かしらね」
まあ座って何かを売るのが良さそうだな。係は分厚い求人票をめくった。
「良いのがあるよ。屋台の売り子だ」
主が急病で店番を求めている。老女もそれで良いと言うので、屋台までの地図と紹介状を渡した。ついでに安い宿はないかと訊かれた。
(住むところも無いのか)
哀れに思った係の男は系列の簡易宿泊所を紹介した。相部屋だが1泊銀貨1枚だ。老女は笑顔で礼を言って去った。品が良い。上流階級の奥方だったのかもしれん。それから度々、老女は仕事を求めて口入れ屋に来た。回した仕事はどれも評判が良かった。数ヶ月もすると『キヨ』は人気の売り子となっていた。
♡
きよ子は久しぶりの労働を楽しんでいた。菓子でも土産の人形でも、きよ子にかかれば即日完売だ。口入れ屋のジェームズ・ディーンに似た青年がコツを訊いてきたが、特に無い。ただニコニコして座っているだけだ。
仕事が無い日は街を観光している。行ったことはないがヨーロッパの古都みたいだ。美しい建物や彫刻が並ぶ。電気も自動車も無い世界。道ゆく人を見ているだけで飽きない。
薬を飲んでいないのに健康だ。ストレスが無いからだろう。以前は住まいも年金もあったのに、常にお金に汲々としていた。今の方がよっぽど貧乏だ。でも幸せだ。
(ジュリアもできたし。売り上げが良いとお客さんも喜んでくれるし)
さあジェームズに仕事をもらいに行こう。きよ子は足取り軽く口入れ屋に向かった。
◇
緘口令を敷いていたのに、召喚の失敗が漏れてしまった。城中の者たちが噂をしている。
「で、瘴気対策はどうする?もう1回召喚をするのか?」
騎士団もできることは全てしている。副団長は今日も城壁外の研究所に行った。そこで対魔物の武器開発をしている。打ち合わせを終えると、彼は気分転換に市場を通って帰った。
(再召喚は無いな。金がかかり過ぎる)
ゆっくり馬を進めながら、やはり考えてしまう。副団長は屋台広場まで来た。そこにあの時の老婆がいた。笑顔で飴を売っている。
(飴屋の店主だったのか)
老婆は副団長の視線に気づいた。驚いたように口に手を当ててから、深く頭を下げた。副団長も頷いて返事をした。飴屋には客が並んでいる。繁盛しているようで何よりだった。
♡
きよ子は偶然見かけたグレゴリーに頭を下げた。あの金貨があったから、身なりを整えてジュリアに礼をすることが出来たのだ。いつか恩を返せたら良いな。返す前にお迎えが来るかもしれないけど。飴を完売し、売上金を店主に納めると、きよ子は宿に戻った。
一休みした後、今日は銭湯に行った。水が貴重な世界なので入浴料は銅貨5枚。まあまあ高い。きよ子は丁寧に髪を洗った。その時、ふと気づいた。
(あら。灰色になってる)
髪の色が変わっていた。ストレスが減ると白髪も治るらしい。グレイヘアに逆戻りだ。まあいいか。普段は結ってボンネットを被っているし。老女は深く考えずに洗い終えた。ゆっくりと湯船に浸かり疲れを取る。そのうちに髪色のことは忘れてしまった。
鈍感なきよ子もついに気づいた。ここは浦安の遊園地ではない。行けども行けどもアトラクションも無いし日本語の看板もない。親切な女性と入ったカフェにも、日本人どころか東洋系と思われる人種は見当たらない。
(神隠しにあって、全然違う世界に来てしまった)
衝撃的すぎる結論に達した。とりあえず朝食セットを食べた。黒パンのサンドイッチと紅茶のようなお茶だ。食べ終わった後、持病の高血圧と関節痛の薬を持っていないことに気づいた。白内障の目薬も忘れた。きよ子はとたんに不安に襲われた。
「おばあちゃん。大丈夫?」
急にきよ子が黙ったので、向かいに座るジュリアが心配そうに訊いた。
「…大丈夫よ。多分」
なるようになるだろう。3人の息子らもそれぞれ家庭を持った。きよ子の帰りを待つ人間はもういないのだ。老女は深く考えるのを止めた。
きよ子はカフェを出てジュリアと別れた。幸先良く優しい娘さんに会えた。この世界でも生きていける気がする。腹も満たされて元気になった彼女は、街を探検することにした。
◆
口入れ屋の窓口に変な老女が来た。歳は80。外国人で保証人もいない。小柄だから出来る仕事は限られる。軽作業専門の係が受け持った。
「どんな仕事ができるの?おばあちゃん」
係の男は職歴を訊いた。老女はスラスラと答えた。
「試食販売とか、宝くじ売り場とか。若い時はウェイトレスとかもしたけど。今は無理かしらね」
まあ座って何かを売るのが良さそうだな。係は分厚い求人票をめくった。
「良いのがあるよ。屋台の売り子だ」
主が急病で店番を求めている。老女もそれで良いと言うので、屋台までの地図と紹介状を渡した。ついでに安い宿はないかと訊かれた。
(住むところも無いのか)
哀れに思った係の男は系列の簡易宿泊所を紹介した。相部屋だが1泊銀貨1枚だ。老女は笑顔で礼を言って去った。品が良い。上流階級の奥方だったのかもしれん。それから度々、老女は仕事を求めて口入れ屋に来た。回した仕事はどれも評判が良かった。数ヶ月もすると『キヨ』は人気の売り子となっていた。
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きよ子は久しぶりの労働を楽しんでいた。菓子でも土産の人形でも、きよ子にかかれば即日完売だ。口入れ屋のジェームズ・ディーンに似た青年がコツを訊いてきたが、特に無い。ただニコニコして座っているだけだ。
仕事が無い日は街を観光している。行ったことはないがヨーロッパの古都みたいだ。美しい建物や彫刻が並ぶ。電気も自動車も無い世界。道ゆく人を見ているだけで飽きない。
薬を飲んでいないのに健康だ。ストレスが無いからだろう。以前は住まいも年金もあったのに、常にお金に汲々としていた。今の方がよっぽど貧乏だ。でも幸せだ。
(ジュリアもできたし。売り上げが良いとお客さんも喜んでくれるし)
さあジェームズに仕事をもらいに行こう。きよ子は足取り軽く口入れ屋に向かった。
◇
緘口令を敷いていたのに、召喚の失敗が漏れてしまった。城中の者たちが噂をしている。
「で、瘴気対策はどうする?もう1回召喚をするのか?」
騎士団もできることは全てしている。副団長は今日も城壁外の研究所に行った。そこで対魔物の武器開発をしている。打ち合わせを終えると、彼は気分転換に市場を通って帰った。
(再召喚は無いな。金がかかり過ぎる)
ゆっくり馬を進めながら、やはり考えてしまう。副団長は屋台広場まで来た。そこにあの時の老婆がいた。笑顔で飴を売っている。
(飴屋の店主だったのか)
老婆は副団長の視線に気づいた。驚いたように口に手を当ててから、深く頭を下げた。副団長も頷いて返事をした。飴屋には客が並んでいる。繁盛しているようで何よりだった。
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きよ子は偶然見かけたグレゴリーに頭を下げた。あの金貨があったから、身なりを整えてジュリアに礼をすることが出来たのだ。いつか恩を返せたら良いな。返す前にお迎えが来るかもしれないけど。飴を完売し、売上金を店主に納めると、きよ子は宿に戻った。
一休みした後、今日は銭湯に行った。水が貴重な世界なので入浴料は銅貨5枚。まあまあ高い。きよ子は丁寧に髪を洗った。その時、ふと気づいた。
(あら。灰色になってる)
髪の色が変わっていた。ストレスが減ると白髪も治るらしい。グレイヘアに逆戻りだ。まあいいか。普段は結ってボンネットを被っているし。老女は深く考えずに洗い終えた。ゆっくりと湯船に浸かり疲れを取る。そのうちに髪色のことは忘れてしまった。
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