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大港美波の尾行①

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 最近、兄の様子がおかしい。と、大港美波は今日も思う。
 私の兄は、勉強も出来なければ運動も出来ない。おまけにイケメンでもない。妹の私からみても頼りないダメな兄である。最近までは高校卒業間近にも関わらず就職先が見つからず、父と母に心配かけていた。私だってやきもきしたくらいだ。
あぁ、兄はこのままニートになるんだろうな。長男じゃ大港家は任せられない、長女である私がしっかりしなきゃ。そう思っていたのに、卒業まで残り一週間という間際で知り合いが紹介してくれたという職場で働くことになったのだ。え? 就職先が見つかって良かった? まぁ、父と母も胸のつかえが取れて安心しただろうし、兄もニートにならずに済んで良かったっちゃ良かったけど……。けど、かなり怪しくない?
 だって、兄に仕事を紹介してくれた知り合いって誰? って訊いたら目を泳がせてごにょごにょと何を言っているのかわからないし、どんな仕事をしているの? って訊いたら目を逸らして別の話にすり替えるのだ。
 それってきっと人には言えない仕事をしているんじゃないの? 私はそう結論付けた。
 きっと、兄が困っていることをいいことに悪い奴らが言葉巧みに兄を騙して犯罪の片棒を担がされているに違いない。
 ニートと犯罪者だったら、まだニートの方がマシである。妹の私が兄を、大港家を守らなければならない。
「おはよう美波」
 支度を終えた兄がリビングに入ってきた。私は兄を一瞥する。
「今日は土曜日なのに仕事なんだ?」
「え? うん、まぁ……兄ちゃんの仕事は休みが不規則だからな」
 兄は動揺しているのか、牛乳を持つ手が震えている。ほぅら、やっぱり怪しい。きっと今から何やら悪いことをするんじゃないでしょうね。
 兄が仕事へと出掛けていく。私はこっそり兄を尾行することにした。

 俺、大港大和は今日は仕事が休みであって休みでなかった。え? 意味がわからないって? うん、そうだと思う。俺は今日、別の仕事を頼まれているのだ。
 電車を乗り継ぎ、徒歩十五分。俺の目の前に現れたのは大きなショッピングモールだった。
「大和くん、こっちこっち」
 俺を呼び、物陰から手招きするのは本多だ。本多はサングラスにハットを目深に被っていた。
「本多さん、いくら何でもやりすぎじゃないですか」
 大仰な本多の姿に呆れる俺。
「どこで誰が見ているかわからないんだから、これくらいしないと僕だってバレちゃうでしょう! はい、これ大和くんの分だから。トイレで着替えてきて」
 俺は本多から渡されたボストンバッグを受け取る。
「てか、本当にこんなことして大丈夫なんですか。バレたら大変なことになりますよ」
「正体が僕だってバレた時の方が大変だから! 大和くんならまだバレない可能性あるし。さっ、早く支度して」
 俺は本多に背中を押され急かされる。
 あぁ、どうしてこうなったんだろう。全てのことの始まりは昨日に遡る。

    昨日

 その日、百瀬はやけに機嫌が良かった。終始ニコニコ笑っていて鼻歌まで歌っている。
「百瀬さん、今日はすごく機嫌がいいですね」
「えーわかる? 実は明日、サイン会に行く予定なの」
「へー、サイン会って誰のですか?」
 訊くと百瀬はふふふと含み笑いをする。
「私の大大大好きで憧れの作家……ぴんくすとろべりぃ先生のサイン会よ!」
「ぴ、ぴんくすとろべりぃ?」
 そんな名前の作家、初耳である。
「そう! 私のお気に入りのTL小説の作家。TL小説は性描写がある恋愛小説で、ぴんくすとろべりぃ先生の書く小説は繊細な心理描写と切なくて胸キュンな恋愛模様がウリで大人気なのよ~」
 さすが大好きなことだけあって、百瀬は饒舌である。
「へ、へぇー」
 しかし、何も知らない俺は相槌を打つことしかできないのであった。
「きっと素敵な女性なんだろうなぁ」
 憧れの王子様を想像するかのように百瀬は胸に手をおき、恍惚な表情を浮かべる。
「そ、それは楽しみですね」
 これ以上、話題を広げられない俺は百瀬から離れるように事務所へ逃げ込むと、
「はぁぁぁぁ」
 そこには机に肘をつき頭を抱えている本多が溜息をついていた。
 うわ、ドキワクしている百瀬と違ってこっちはすげー落ち込んでいるよ……。
 やはり、こんな姿を見たら声を掛けざるを得ない。俺は、ややこしくない話であることを願いながら本多に声を掛けた。
「本多さん、何か悩みでもあるんですか」
 本多ははっと顔を上げると、まるで現れた救世主に助けを求めるかのように俺の足にすがりついてきた。
「大和くんっ、お願いがあるんだけど! これは君にしかお願いできないことなんだっ」
「な、何ですか一体」
「明日、僕になって欲しい」
「は?」
 全然話が見えないんだけど。すると本多は声を小にしてひそひそと話を始める。
「桃華くんが明日サイン会に行くって話、フロントでしていたでしょ?」
「えぇ。ぴんくすとろべりぃ先生のサイン会に行くみたいです」
 釣られて俺も声を小にして話す。
「それ、僕なんだ」
「えぇ⁉」
 思わず叫ぶと本多が、しぃーっ‼ と声量を落とすよう口に人差し指を当てる。
「え⁉ 本多さんがぴんくすとろべりぃ先生なんですか⁉」
 小声で、でも興奮気味に言うと、本多が頷いた。
「実は去年、ストレス発散で書いた作品を試しに賞に送ったら大賞をとってしまって、あれよあれよという間にデビューすることになったのさ」
 す、すげぇ。人はどんな才能が眠っているのかわからない。
「大和くん、この前きららさんが視察に来た時、執筆部屋に迷い込んだでしょ」
「あっ、もしかしてあの部屋は百瀬さんじゃなくて本多さんだったんですか?」
 俺が百瀬に執筆部屋の話をしようとしたら本多が話に割り込んできて話題を変えたことを思い出した。
「実は今連載中の『私の上司は私を恋愛臆病にした元カレで』の最新巻発売記念イベントでサイン会を開催することになって……僕は顔出しするのは嫌だって言って断ったんだけど担当の編集者さんが強引に予定を組んじゃってさ」
「は、はぁ」
 やばい。小説のタイトルで本多の話に集中できない。てか、その小説って前に執筆部屋で読んだやつだよな? 普段本を読まない俺でさえ気になって、ついつい読み進めてしまったのだ。さすが大人気TL小説家。
「ファンはぴんくすとろべりぃが男性とは思っていないだろうし、まさか桃華くんまで来るだなんて……! ぴんくすとろべりぃが僕だと知ったら桃華くんはショックで仕事を辞めるかもしれない!」
「そ、それは困りますね」
「そこで! 大和くん、君だよ! 君がぴんくすとろべりぃになりきってサイン会に参加して欲しいんだ!」
「えぇ⁉ 無理ですって! 俺だって男だしバレますよ」
「いや。女装すれば大丈夫だって」
「なら本多さんがすればいいじゃないですか!」
「こんなモサい僕が女装なんかしたら悲惨なことになるだけだし。ただの不審者だし」
 あ。本多さん自分がモサいって自覚あるんだ。
「第一、俺、明日は轟さんと仕事だし」
「よし休館しよう」
 おいおいおい。さらりと言う本多に心の中でツッコむ俺。
「ここのホテルのことはオーナーから全て一任されているし大丈夫だよ。今はホテルよりサイン会の方が大事だし」
「今の言葉、オーナーが聞いてたら本多さん即刻クビですよ」
「とっ、とにかく明日お願いだよ。困っている僕を助けると思って!」
「うっ」
 そんなふうに言われたら俺は本多を助けざるを得ないではないか。なぜなら俺の就職先が決まらず困っていたところを、ホテルの副支配人だった本多が助けてくれた(俺が思っていたホテルとは違ったけど)からだ。
「はぁ、わかりましたよ。ただし今回だけですからね」
「ありがとう大和くん!」
 本多は俺に顔を近づけると手を握りしめた。
「それにぴんくすとろべりぃの正体がモサいおっさんということを知ったファンが幻滅して本の売上が下がったりでもしたら大変だし」
 うおーい、そっちの理由はちょっと不純じゃないか? 俺が冷ややかな目線を送っていると、本多が気付いた。
「いや、僕には養わければならない妻と娘がいて……本の売上は大切な収入源になるから」
 しどろもどろに説明する本多。まぁ、今回だけだからいいか……。


 ということで俺は本日、本多の代わりにぴんくすとろべりぃになりきるという仕事をしなければならなかった。
 本多から受け取ったボストンバッグを開けると女物の服に靴、そしてカツラが入っていた。
「最後の仕上げにこれを付けるのを忘れないでね」
 そう言って渡されたのはピンク色の口紅だった。
「ぴんくすとろべりぃだからやっぱり口紅もピンクがいいかなって思ってさ」
 上手いことを言ったかのように一人、照れ笑いする本多。上司に気を遣って笑うべきなのだろうが、俺は笑わなかった。


 私は決定的瞬間を目撃した。
 兄がサングラスをした、見るからに怪しい男からボストンバッグを受け取ったところをこの目で見てしまったのだ。
きっと、ボストンバッグの中身は非合法な白い粉が入っているに違いない。
 兄は犯罪に手を染めている。確信した私はわなわなと怒りがこみ上げてきた。私達家族のために父が汗水垂らしながら働いてお金を稼ぎ、母は私達のことを一番に考え、毎日美味しい料理を作ってくれる。そんな両親の大きな愛を知らずにいるのか忘れたのか、私の兄は人の道を外れてしまった。
 兄の不徳は妹が正さなければ。今から兄は取引現場へ向かうはずだ。兄だけでなく、私まで危険な目に遭うかもしれない。でも私の意志は強かった。何が何でも兄を止めて見せる。私は危険を顧みず、兄が入っていったビルに足を踏み入れた。


 サイン会が行われる書店は七階にあった。俺は人に見られないよう四階の男子トイレの個室に入ると服を着替え始めた。
 本多が用意した服はザ・女子アナとでもいうかのような誰が見ても嫌味がなく、無難で清楚系な服だった。カツラも服に合わせて黒髪ロングかと思いきや、ゆるふわパーマがかかったダークブラウンのセミロングであった。
「カツラは茶髪を選んだんですね」
トイレの入り口で待っていた本多に声を掛ける。
「清楚系ファッションに黒髪だと狙っているようだから敢えて茶色を選んだんだ」
「はぁ……なるほど」
 全く意味がわからないが、とりあえず相槌を打つ。
「それにしても大和くん、なかなか似合うじゃないか!」
 本多が俺の頭から爪先までまじまじと見つめる。
「やめてくださいよ、恥ずかしいんですから」
「あ。大和くん、唇に髪の毛が付いてる……」
 本多は俺の頬を優しく撫でると髪の毛を取ってくれた。
「サイン会が始まるまで一時間ちょっとか……その前に担当の編集者さんに会いに行こう」
 俺と本多はエレベーターに乗り込むと担当がいる七階へ向かった。
 エレベーターの扉が開くと、目の前が書店だった。本多は我が物顔でスタッフルームに入ると、控え室の扉を叩いた。
「深山くん、僕だよ」
「先生っ! どこに行ってたんですか!」
 まるで、びっくり箱から飛び出すかのように勢い良く一人の女性が控え室から出てきたではないか。
「って……え?」
 深山はサングラスをしている本多と女装している俺を交互に見ると、訳が分からないとでも言うかのように、牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡のエッジをクイクイっと軽く持ち上げた。
「深山くん。この人が今日僕の代わりにサイン会をする大和くんだよ」
「はい? 何言っているんですか先生」
 どうやら俺が替え玉としてサイン会をするという話は、担当編集者の深山の耳に入れてないらしい。寝耳に水かのように、目をぱちくりさせる深山。え、俺、女装までしたのにどうなるの。
「だって僕、サイン会やりたくないって言ったじゃん。ファンに幻滅されたら困るし。だから今日のサイン会は僕の知り合いの大和くんが代わりにやりまぁす」
「はああああああ⁉」
 深山の叫び声がスタッフルームいっぱいに響く。いや、スタッフルームを超えて売り場にも届いているはずだろう。
 俺は驚いた。深山の叫び声にじゃなくて、食べ物から得た栄養分がちゃんと摂取されていないのではないかと思うほどガリガリで、寝不足からか生気のない深山にでも大声が出せることに、だ。
「そんなこと許可できるわけないじゃないですか⁉ バレたら先生だけでなく私までこの業界から追放されますよ! それにこの人は先生のサインを本物通りに書けるんですか⁉」
 ぎろりと俺を睨みつける深山。
「それは今から練習させるよ」
「え⁉」
 俺と深山は同時に声が出た。サインの練習とか聞いてないんですけど。てっきりサインが書かれた本を渡すだけかと思っていたんだけど。
「あ、貧血が……」
 ふらつき倒れる深山を慌てて支える俺。
「よし。深山くんがダウンした今がチャンスだ。サインの練習をしよう、大和くん」
「アンタは鬼か!」
 担当編集者が貧血で気を失っているというのに、これをチャンスだという本多が恐ろしい。
「大丈夫大丈夫! 深山くんは大声をあげたらいつも貧血で倒れちゃうから」
 この野郎、わざと深山に大声を出させたな。そして、この手を使ったのは一度や二度じゃないはずだ。
「ほら、時間もないしサインの練習!」
 机を叩き俺を急かす鬼。
 ごめんなさい深山さん……!
 俺は心の中で深山に謝罪すると、ソファーに寝かせサインの練習を始めるのであった。
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