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第六章
第52話
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ここの階段もそんなに広くはないから、お姫様抱っこじゃぶつかっちゃう……
ってことはあるかもしれないけど。
うーん。
ヒースがわたしを担いでるのは、やっぱり怒ってるからかなあと、ヒースの背中を眺めながら考えていた。
ちょっとだけお腹が圧迫されてるけど、頑張って体を起こしておけばいい。
腹筋力を試されているだけだ。
ただいまわたしはヒースの肩の上にお腹が乗っかっているのである。
いわゆる荷物担ぎだ。
でもそんな腹筋力試験も、ほんの数分。
食堂から階段上がって寝室までの旅だ。
この離宮は宮殿という扱いだけど、ただの二階建てのカントリー風ハウスなので、移動に時間がかかったりしない。
転移するまでもない距離だって言えばそうだけど、ヒースは転移を距離で決めないなあって思うから、やっぱり魔法使う時と使わない時の差がわからない。
あ、でも、怒ってる時は魔法使わないかも……
そんなことを考えてるうちに、寝室の前まで着いてしまった。
今回は担がれてるので戸を開けるのに困ることもなくヒースはさくっと開けて、さくっと閉めて、わたしをベッドに置いた。
「ヒース」
抗議するってつもりじゃない。
ただちょっと、訴えたいなって気持ちでヒースを呼んだ。
「サリナ」
応えるヒースはさっきほど怒っているようには見えなかった。
どちらかと言えば、困っているように見えた。
隣に座ったヒースの手が、わたしを抱き締める。
それはちょっとだけ震えている気がした。
その震えを止めたくなって、ぎゅっと抱き締め返す。
「……あのまま、森で、君だけといられればよかったのに」
それは半分真実で、半分嘘だって、わかってる。
あの森の中の塔にいて、ヒースは遠くから王宮を見つめて、辛かったはずだから。
でもあそこにいれば、二人きりでいられたことは事実だった。
ここまで出てきてしまったから、二人きりの理屈ではいられない。
ヒースもそれはわかっていて、葛藤してるんだろうなあと思う。
「サリナ。女神は外に、人の前に出さないのです。それはこの国……いえ、この世界の多くで決まり以前の、当たり前のことなんですよ」
もうヒースは震えていなかった。
外に出さないのは、ヒースの言う通り当たり前だと思う。
出したら悲劇が起こるのだから。
「私は王宮を出る前には、この国に残っていた女神の記録を遡れるところまで遡って調べたし、他国の女神の記録も手に入る限り手に入れました。神殿は保護した女神とその扱いを秘匿するけれど、記録という意味で見たならば、今この国では私以上に数々の女神とその力に詳しい者はいないでしょう」
それも、思ってた。
ヒースは研究者のように女神のことに詳しい。
それは最初からだ。
比較できなかったから、最初はわからなかったけど。
それは女神を帰すための世界を越える魔法の研究でもあったんだろうし、あるいは逆にそれが女神を調べていく研究の中の一つだったのかもしれない。
「この国では、と言わなくてはならないですが、私ほど女神の力を正しく理解している者は他にいないのです」
確かに、ミルラも手枷で女神の力を抑えていられるのはヒースが『正しく指定』できているからだと言ってた。
「だからこの国では、女神の力に抵抗できるのは私一人でしょう」
……ん?
だから?
正しく理解できてるから?
「ヒース、それって」
「何? サリナ」
わたしは顔を上げて、ヒースを見た。
間近で、見つめ合う形になったけど……色っぽい雰囲気はない。
「ヒースに女神の力が効きにくいのって、生まれつきとかじゃないの?」
最初は、女の人にその気にならないからだって言われた。
でも実は、わたしにはその気になる。
それは……他の人はともかく、わたしには疑う余地はない。
それでも、ヒースはダダ漏れ分の女神の力に振り回されたりはしない。
してない。
それはたまたまちょうど良い塩梅に女神の力が効いて、上手くヒースのそれが治り、かつ女神の力が効かないままなのかと思ってたんだけど。
……実は、意識的に抵抗してるの?
「……最初以外にこういう話をしたことはありませんでしたね……あの時の話には、一部嘘がありました。確かに、女神の力が効かなかったのは、私が役立たずだったことも一因だと思います。サリナが意図的に女神の力を使おうとするまでは、防げていましたから」
あ、しまった。
藪蛇だった。
その節はすみません……
「国々の中には女神の力に抵抗する術を探したところもあって、一部の国の一部の者に秘術として受け継がれているのです。各国とも、女神を保護する方法には試行錯誤しているのですよ。女神に生きていてほしいから……そこには女神から豊穣を得るための打算と欲があるけれど、助けられないのはそうしたいと思っているからじゃない。ただ助けられないだけなんです」
それは、聞いた。
知ってるし、わかってるつもり。
嫌だなんて思わないし、そりゃ頑張るよねって思うし、頑張ってほしい。
「他国のそれは秘術だから、教えてはもらえませんでした。だから同じではないかもしれませんが、私なりにどうすればいいかを探したのです」
これを見てください、と、ヒースは手首を出した。
ヒースの手首を巡るこの煌めきに、見覚えがある。
あの森の塔で、ヒースの服の袖口から見えていたことがある。
「君の手枷と同種の魔法です。女神の力を遮断します。最初にかけたのは君を見つけた時でした。その後、調整して、何度かかけ直しています。君の力に負けた、あの時とか」
本当にすみません……
「……じゃ、本当にこの国では、ヒースだけなんだね」
「多分」
ヒースはわたしの髪を撫でて、頭の上にキスをした。
「ずっと理論だけで、自己流だから、完全ではないのかもしれません。何か欠けているか、力不足なのかは判断できませんが、ある意味君の力に負けて私は治ったのだろうし、同様に完全に封じることもできなかったのでしょう。いずれにせよこの国は、女神の力を理解するという方法をとらなかったのです。この手枷のように、いや、もっとちゃんと女神の力を封じる国もあると、話したこともありますよね」
「うん」
逃げようとする前に聞いたと思う。
「抵抗するにも封じるにも、女神の力を理解していなくてはならないのです。ミルラはそれさえ把握さえできれば、きっと完璧に封じられるでしょう」
ミルラは女性だから男性とは感じ方が違うって言ってた。
てことは、ミルラはミルラなりにわたしから漏れてる力を感じてるんだと思う。
でもそれじゃ完璧に感じられてないって思っているのかも。
……自分の力がさっぱりわからないわたしには、それが正解かどうかもさっぱりわからないけど。
「さっきも言いましたが、ミルラができないなら禁止の陣を用いる手は使えません。そうすると、本当に檻を使うことになるんです」
うん……それはさっき聞いた。
そして覚悟もした。
でも駄目だって、ヒースは怒ったよね……
「何度も言うけれど、私は反対です」
ヒースの碧の瞳がわたしを間近に映す。
「女神を外に出さないのは、事故を防ぐためです。女神を深く研究はしなかったこの国も、反省はあるんですよ。過去の記録には、外を求めた女神もいて……」
そして事故があったんだろう。
自分は大丈夫だと思ってしまったのか、今のわたしのように出なくてはならない事情が発生してしまったのか。
そっか。
過去に犯した過ちを繰り返すことはしたくないね。
ちょっと納得して、気持ちがしゅーんと沈んでいく。
俯きそうになったわたしの両頬に、ヒースの手のひらが触れた。
包むように触れた手で、顔を上げさせられる。
慰めるような、触れるだけのキスが通りすぎていく。
でも続いた言葉は、慰めとは逆の方向へわたしを追い詰めた。
「あちらは要求に応じられないことで私の立場を追い詰めるだけが目的じゃないのです。兄の本意を知らない者なら、事故を起こして女神を喪わせても私を追い詰められると思っているでしょう」
女神を人前に晒すことで期待するのが、どんな事故か。
今更ながらに血の気が引いていく感じがした……
ってことはあるかもしれないけど。
うーん。
ヒースがわたしを担いでるのは、やっぱり怒ってるからかなあと、ヒースの背中を眺めながら考えていた。
ちょっとだけお腹が圧迫されてるけど、頑張って体を起こしておけばいい。
腹筋力を試されているだけだ。
ただいまわたしはヒースの肩の上にお腹が乗っかっているのである。
いわゆる荷物担ぎだ。
でもそんな腹筋力試験も、ほんの数分。
食堂から階段上がって寝室までの旅だ。
この離宮は宮殿という扱いだけど、ただの二階建てのカントリー風ハウスなので、移動に時間がかかったりしない。
転移するまでもない距離だって言えばそうだけど、ヒースは転移を距離で決めないなあって思うから、やっぱり魔法使う時と使わない時の差がわからない。
あ、でも、怒ってる時は魔法使わないかも……
そんなことを考えてるうちに、寝室の前まで着いてしまった。
今回は担がれてるので戸を開けるのに困ることもなくヒースはさくっと開けて、さくっと閉めて、わたしをベッドに置いた。
「ヒース」
抗議するってつもりじゃない。
ただちょっと、訴えたいなって気持ちでヒースを呼んだ。
「サリナ」
応えるヒースはさっきほど怒っているようには見えなかった。
どちらかと言えば、困っているように見えた。
隣に座ったヒースの手が、わたしを抱き締める。
それはちょっとだけ震えている気がした。
その震えを止めたくなって、ぎゅっと抱き締め返す。
「……あのまま、森で、君だけといられればよかったのに」
それは半分真実で、半分嘘だって、わかってる。
あの森の中の塔にいて、ヒースは遠くから王宮を見つめて、辛かったはずだから。
でもあそこにいれば、二人きりでいられたことは事実だった。
ここまで出てきてしまったから、二人きりの理屈ではいられない。
ヒースもそれはわかっていて、葛藤してるんだろうなあと思う。
「サリナ。女神は外に、人の前に出さないのです。それはこの国……いえ、この世界の多くで決まり以前の、当たり前のことなんですよ」
もうヒースは震えていなかった。
外に出さないのは、ヒースの言う通り当たり前だと思う。
出したら悲劇が起こるのだから。
「私は王宮を出る前には、この国に残っていた女神の記録を遡れるところまで遡って調べたし、他国の女神の記録も手に入る限り手に入れました。神殿は保護した女神とその扱いを秘匿するけれど、記録という意味で見たならば、今この国では私以上に数々の女神とその力に詳しい者はいないでしょう」
それも、思ってた。
ヒースは研究者のように女神のことに詳しい。
それは最初からだ。
比較できなかったから、最初はわからなかったけど。
それは女神を帰すための世界を越える魔法の研究でもあったんだろうし、あるいは逆にそれが女神を調べていく研究の中の一つだったのかもしれない。
「この国では、と言わなくてはならないですが、私ほど女神の力を正しく理解している者は他にいないのです」
確かに、ミルラも手枷で女神の力を抑えていられるのはヒースが『正しく指定』できているからだと言ってた。
「だからこの国では、女神の力に抵抗できるのは私一人でしょう」
……ん?
だから?
正しく理解できてるから?
「ヒース、それって」
「何? サリナ」
わたしは顔を上げて、ヒースを見た。
間近で、見つめ合う形になったけど……色っぽい雰囲気はない。
「ヒースに女神の力が効きにくいのって、生まれつきとかじゃないの?」
最初は、女の人にその気にならないからだって言われた。
でも実は、わたしにはその気になる。
それは……他の人はともかく、わたしには疑う余地はない。
それでも、ヒースはダダ漏れ分の女神の力に振り回されたりはしない。
してない。
それはたまたまちょうど良い塩梅に女神の力が効いて、上手くヒースのそれが治り、かつ女神の力が効かないままなのかと思ってたんだけど。
……実は、意識的に抵抗してるの?
「……最初以外にこういう話をしたことはありませんでしたね……あの時の話には、一部嘘がありました。確かに、女神の力が効かなかったのは、私が役立たずだったことも一因だと思います。サリナが意図的に女神の力を使おうとするまでは、防げていましたから」
あ、しまった。
藪蛇だった。
その節はすみません……
「国々の中には女神の力に抵抗する術を探したところもあって、一部の国の一部の者に秘術として受け継がれているのです。各国とも、女神を保護する方法には試行錯誤しているのですよ。女神に生きていてほしいから……そこには女神から豊穣を得るための打算と欲があるけれど、助けられないのはそうしたいと思っているからじゃない。ただ助けられないだけなんです」
それは、聞いた。
知ってるし、わかってるつもり。
嫌だなんて思わないし、そりゃ頑張るよねって思うし、頑張ってほしい。
「他国のそれは秘術だから、教えてはもらえませんでした。だから同じではないかもしれませんが、私なりにどうすればいいかを探したのです」
これを見てください、と、ヒースは手首を出した。
ヒースの手首を巡るこの煌めきに、見覚えがある。
あの森の塔で、ヒースの服の袖口から見えていたことがある。
「君の手枷と同種の魔法です。女神の力を遮断します。最初にかけたのは君を見つけた時でした。その後、調整して、何度かかけ直しています。君の力に負けた、あの時とか」
本当にすみません……
「……じゃ、本当にこの国では、ヒースだけなんだね」
「多分」
ヒースはわたしの髪を撫でて、頭の上にキスをした。
「ずっと理論だけで、自己流だから、完全ではないのかもしれません。何か欠けているか、力不足なのかは判断できませんが、ある意味君の力に負けて私は治ったのだろうし、同様に完全に封じることもできなかったのでしょう。いずれにせよこの国は、女神の力を理解するという方法をとらなかったのです。この手枷のように、いや、もっとちゃんと女神の力を封じる国もあると、話したこともありますよね」
「うん」
逃げようとする前に聞いたと思う。
「抵抗するにも封じるにも、女神の力を理解していなくてはならないのです。ミルラはそれさえ把握さえできれば、きっと完璧に封じられるでしょう」
ミルラは女性だから男性とは感じ方が違うって言ってた。
てことは、ミルラはミルラなりにわたしから漏れてる力を感じてるんだと思う。
でもそれじゃ完璧に感じられてないって思っているのかも。
……自分の力がさっぱりわからないわたしには、それが正解かどうかもさっぱりわからないけど。
「さっきも言いましたが、ミルラができないなら禁止の陣を用いる手は使えません。そうすると、本当に檻を使うことになるんです」
うん……それはさっき聞いた。
そして覚悟もした。
でも駄目だって、ヒースは怒ったよね……
「何度も言うけれど、私は反対です」
ヒースの碧の瞳がわたしを間近に映す。
「女神を外に出さないのは、事故を防ぐためです。女神を深く研究はしなかったこの国も、反省はあるんですよ。過去の記録には、外を求めた女神もいて……」
そして事故があったんだろう。
自分は大丈夫だと思ってしまったのか、今のわたしのように出なくてはならない事情が発生してしまったのか。
そっか。
過去に犯した過ちを繰り返すことはしたくないね。
ちょっと納得して、気持ちがしゅーんと沈んでいく。
俯きそうになったわたしの両頬に、ヒースの手のひらが触れた。
包むように触れた手で、顔を上げさせられる。
慰めるような、触れるだけのキスが通りすぎていく。
でも続いた言葉は、慰めとは逆の方向へわたしを追い詰めた。
「あちらは要求に応じられないことで私の立場を追い詰めるだけが目的じゃないのです。兄の本意を知らない者なら、事故を起こして女神を喪わせても私を追い詰められると思っているでしょう」
女神を人前に晒すことで期待するのが、どんな事故か。
今更ながらに血の気が引いていく感じがした……
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