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亡国の姫君編

第65話 狂気の境界

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大自然が作り出した湖に、湯船のアヒルの様に不自然に浮かべられた灰色の鉄塊が見える遠くの山に俺達はいた。
当然幼馴染の言葉通り少女達の関係は膠着状態を維持したまま、魔王が指定した山頂の草木が開けた広場にテレビの中継車のような車が停まっている。
100年前の異世界で怪しげな魔王の様子を乗せた毒電波を垂れ流すわけではなく、王女様が提案した電子戦を行うための準備なのだ。

「コウよ。もう少し・・・右じゃ・・・そっちのほうが感度が良さそうじゃ。」

「魔王、どうだ?」

電子戦で索敵を行うためにはイージス艦では不十分で各地の山脈にこのような中継車を設置する必要があった。
その設置作業を分担した後、俺はタブレット端末を操作しながら車の屋根に設置されたアンテナの調整を行っていた。

「おっ!!いい感じに入ってきておる!良い良い!」

「お前が言うと変な意味に聞こえるんだが・・・。」

「な、なんじゃ!電波のことじゃが!?・・・至って真面目な、アンテナの細かな調整ではないか!」

「そうかなぁ・・・。」

「ついでにワシの調整もするのかのう・・・」

「いや、やめておくよ。」

魔王は車の内部で電波状況の確認と細かな設定を行っているのだが・・・時折右耳のイヤホンから雑音がこの様に入ってくる。
当然アンテナの調整というものはこの世界では転生者を除いて王女ぐらいしか出来ないのだが、事前に相談したら即答された。

「いやですっ!」

「何でだ・・・。」

「私は王女なのでそういった過酷な肉体労働は難しいかと、貴方と一緒であれば別ですが・・・」

「過酷って、鉄の板を少し動かすだけだろ・・・」

「そうですが・・・あなたと魔王様を一緒にすると色々と困るんですっ!」

「まぁ俺も困ってるところだ。」

あのセクハラ魔王の対応にはどうやら俺だけでなく王女も手を焼いているようであった。
歴戦の戦士であるグラスを易易と打ち負かし、奇想天外な性格と天才ハッカーという才能を持った彼女が生み出す混沌は予測不可能に近い。
これほどまで気まぐれな少女の動向は森羅万象を司るシステムでも予測できないような気がしてくる・・・。

「何じゃ!!据え膳を出しておるのにどれも冷めきっておるではないか!!」

「出されすぎて、食いきれねえんだよ!」

確かに繊細なアンテナの角度を調整するだけの作業なのだが、なぜかこの少女といると作業が捗らない。

「はぁ・・・。そう言えば魔王。」

「何じゃ?今此処で食べる・・・いや、世継ぎを作る気になったかのう?」

並べられた食事をスルーして俺は会話を続けた。

「・・・アカシックレコードの掌握してないのか?」

「アレの侵入はワシでも無理じゃ。未来予知で全ての侵入口は防がれておるからな。読み取れたのは痕跡だけじゃ」

「だよなぁ・・・。って痕跡から辿って行ってたどり着いたのか・・。」

「そうじゃ!それほどまでにワシを惚れさせたのじゃぞ!!」

どうやら魔王はアカシックレコードが使用した通信を保持しているサーバーをハッキングして俺達までたどり着いたようだ。
分かりやすく言えば、気の遠くなるような道に付けられた人の足跡を一つずつ鑑定していく作業といえば分かるだろうか。

「ちょっと、見直したよ・・・。」

「惚れんでもよいよい。お主同様、常人が狂気と呼ぶラインは既に超えておる。」

「だろうな・・・。」

この業界、いや人間による活動にはある線引き・・・狂気の境界ラインというものが存在すると思っている。
それは精神が耐えうる限界のラインであり、ある種、熟練者と達人の違いを指し示すものである。
おそらくは、常人の限界と狂人への入り口に存在する狭間、そこを超えた瞬間、世界が一変する。
超越したような全能感と高揚感、ゾーンとも呼ばれる状態、全身から麻薬を超えるほどの快楽物質が吹き出るのだ。

「うむ。狂人同士お似合いじゃのう・・・」

「最悪のお似合いだな・・・。」

俺はアカシックレコードの開発でそのラインは易易と超えてしまっていた。
膨大な資料を読み漁り、文字のように数式を並べプログラム化して織物の様に結合、それを何万層に並べた物を更に繋ぎ合わせることでシステムの一片が完成する。
少しでも違えば動作すらしないような半導体を超える超精密部品の集合体があのシステムである。
仕事で他人のプログラムを見るというのはまた違った話にはなるが・・・。

「まぁ、あのシステムも苦労したな・・・。」

「この際じゃ、システムの詳細について聞かせてもらおうかのう・・・。この後、車内で待っておるぞ!」

この狂人の領域に存在し続ける事で一線を画す力が手に入るのは事実だが当然リスクが存在する。
一変しすぎた世界に魅了され、リアルに飽きてしまうのだ。
アカネが出会った当時から怠そうにしている理由、俺がこの変態魔王やモニカの誘いに動揺しない理由もそれである。

「いや、行かないけどな・・・」

「何故じゃ!?」

「どうせ、それ以外のことがメインだろ。」

「そうじゃが?」
今や供給過多となった据え膳をスルーしながら、俺は過去に起こったシステム障害の原因を探る。
破壊と創造に対峙した時、何者かの手によってシステムが掌握され絶体絶命の状況下に置かれたのだ。

「はぁ・・・。なら何であの時、お前ですら侵入不可のシステムが乗っ取られたんだ・・・」

「おそらくは貴様の会敵した創造によるものだとは思うが、それをあのアカネが予知できなかったとは思えぬ。」

「そうだよな・・・。お前以上のハッカーがいるとも考えにくいし・・・。」

「うむ。まぁ心当たりがあるのじゃが・・そこら辺に落ちてるとも考えにくいのう。」

それは魔王すら出来なかった・・・もはや原理的に不可能なことを可能にする程の力を持った敵がいることを暗示していた。
「これだけ転生アイテムが落ちてるんだ、転生者ぐらい落ちてそうだがな・・・。」

「まさかな・・・。ワシはお主におち・・・」

魔王がその言葉を言い放とうとした時、俺はイヤホンを外し立ち上がり背伸びをした。

「さて、調整も終わったし休憩にするか。」

嵐の前の静けさを指し示すかのように青空をゆっくりと雲が流れていく。
そよ風が注ぎ、優しい陽だまりに包まれる。まさにピクニック日和だろう。

「ちょうどですね!」

良いタイミングで王女が飲み物とクッキーが並んだ皿を持って車の屋根に登ってきた。

「王女様・・・フィオナか・・・。」

「えぇ、二人っきりですので・・・どうぞ。」

「あぁ、ありがとう。」

クッキーを頬張ると香ばしさが歯から伝わり、バニラの香りが口いっぱいに広がる。

「やはり美味しいな・・。」

「そう言ってていただけると嬉しいですね。私も・・。」

飲み物で口を潤した後、お互い沈黙を保ったまま、何か言いたそうに雲を眺めていた。

「今夜・・・決行だな・・。」
「はい、上手く行くとは思いますが・・・・その・・。」

「これ限りでお別れだな・・・。」

「えぇ。名残惜しいですけど。」
そう言いながら王女はこちらの手を握ってきた。
周りが徐々にあの夜のような雰囲気に包まれていく。

「フィオナ・・・。」

「コウ様・・・。」

俺と王女はお互いに見つめ合い次第に顔を近づけていく。

・・・

その時、何処かの学園の風紀委員が手を叩きながら間に割って入ってきた。
「はーい、二人共。不純異性交遊はダメですからねー。」

「リン!?」

「はい。油断も隙もありませんね。」

「あのリンさん?私は学生ではありませんし、コウさんと同じ様に十分に責任を取れますけれど・・・。」

大事な弟を守る様に、赤い髪の姉が抱きついてくる。
「コウさんが学生ですから!ダメなものは、ダメなんですっ!!」

「リン・・・お前が抱きついてくるのは良いのか?」

「風紀委員なので大丈夫です!」

「あらあら?風紀が乱れてますね。」

「そうにゃ!」

「ロモ!?」
「こんな所で乳繰り合ってるんじゃないにゃ!」

「別にそんな事は無いと思うが・・・。」

「女2人に抱きつかれてるやつが言うセリフじゃないにゃ。」

「ロモもどうだ?」

「はぁ・・。次の作業が控えてるから移動するらしいにゃ。」

「あぁ、移動しようか・・・。二人共離れてくれ・・。」

「仕方ないですね・・・。」
「えぇ。」

その後、俺達は数箇所のポイントに電子戦に必要となる設備を設置し終えた。
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