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第二章:別れの章 〜迷走するルート〜

第二十一話 ひとり

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 ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーばーーーん!  ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、ばん、ばん、ばん、ばん。  ぱら、ぱら、ぱら、ぱら、ぱら。

 僕は空高く大きく打ち上げられた、きれいな花火を見つめていた。  そう……。  一人で。

   ***

 朝、目が覚めた。静かな朝だ。  窓から夏の日差しが差し込む。エアコンは快適な温度を保っている。  もう少し寝ていても良いはずだ。ベッドの中で起きるべきか否か考え込み、いつの間にかまた微睡(まどろ)んでいた。

 どうしてだろう、何かを忘れている気がする。  あまりに静かな朝。エアコンの送風音と、冷蔵庫のファンが回る音だけが、耳に障るほどはっきりと響いた。

 シャワーを浴びる。鏡に映るのは、ボサボサの髪にくたびれた顎髭を蓄えた男。  洗面台には、歯ブラシとコップが二つ。  歯を磨き、丁寧に畳まれたフカフカのバスタオルで顔を拭う。

 朝食は納豆、インスタントの味噌汁、そして冷えた麦茶。  ぼそっと、独り言のように「いただきます」と呟く。

 テレビをつけると、夏の甲子園が映し出された。  歓声と応援の音が部屋を駆け巡る。今年の千葉県代表はどこなのだろうか。四年間、研究所にいたときには気にも留めなかったことだ。

 研究所の中には、季節感がない。  何月何日なのかも、外が晴れているのか雨なのかも分からない。密閉されたクリーンルーム。室温二十二℃、湿度四十%固定。  あれから、四年が過ぎた。  夏。八月。

 朝だというのに、外の気温はすでに三十℃を超えている。  洗濯をしなくてはならない。ドラム式の洗濯機に衣類を詰め、洗剤と柔軟剤を入れる。  以前は一つにまとまったタブレットタイプが楽だと思っていたが、今は別々に使う良さを知っている。柔軟剤は素晴らしい。肌触りがよく、香りもいい。  籠の中にあった湿った洗濯ネットをセットし、スイッチを入れる。  洗濯機の駆動音が、静かな部屋によく聞こえた。

 ――コンビニへ行こう。  缶ビールとおつまみを買い込み、戻ってまた甲子園を観る。昼間から酒を飲みながらの観戦。  昼食もコンビニの弁当。焼酎を炭酸水で割り、氷をたっぷり入れる。

 動画配信サービスで映画を探してみるが、どれもしっくりこない。今観たいものが、どうしても見つからないのだ。

 静かだった。  お酒を飲んだから、車の運転はできない。  取り込んだ洗濯物は、この暑さですぐに乾いていた。ミリの狂いもなく丁寧に畳む。我ながら完璧な仕上がりだった。

 パソコンを立ち上げても、特に調べるべきこともない。  ふと見ると、部屋の隅の埃が気になった。ダイソンのハンド掃除機を手に取る。  掃除機をかけた後のフローリングを素足で歩くと、塵が取れた実感が伝わってくる。

 掃除機の音さえ、この部屋では貴重な刺激だった。

 仕事は休暇中のため、やるべきことは何もない。  ジャーキーを齧り、焼酎をおかわりする。  テレビの内容には特に興味も湧かず、夕方になると再び甲子園を眺めながらビールを開けた。

「お風呂が沸きました」  五分前のお知らせが部屋中に響く。

 夕食もコンビニの弁当だ。昼がパスタだったから、夜は米がいい。ハンバーグ弁当と炭酸水の補充。  キッチンの隅にある、使われることのない食洗機が視界に入った。

 弁当を食べ終え、ゴミをまとめ、風呂に入る。  また、あのフカフカのバスタオルを使う。

 風呂上がりの一杯が旨い。買う前に冷凍庫へ放り込んでおいた缶ビールだ。  シャーベット状になる寸前のキンキンに冷えたタイミング。これが絶妙なのだ。

 一日中、酒を飲んでいる。  芋焼酎を水割りで、麦焼酎を炭酸で。ひたすら飲み続けた。

 何かアニメでも観ようか。  お気に入りリストの中から、観た記憶のあるような、ないような作品を再生する。  画面を眺めながら、またグラスを傾けた。

 酒で起きて、酒で寝る。  それが当たり前のような、ひっそりとした、静かな毎日。  いつの間にか、また意識を失うように眠っていた。

 朝がやってきた。  暗闇から一瞬にして光が差し込み、朝五時前、日差しが「起きなさい」と急かしてくる。

 それが当たり前だと思っていた。  当たり前の日々だと。

   ◇

 ――いや、違う。  確かに、違う。  僕は、何かを忘れている。

 何をだろう。とても、とても大事なことを、忘れている。

「来年も、来ようね」  そんな声が聞こえた気がした。

 来年も……?

 思い出さなくてはならない。  笑顔で約束したはずなのだ。  笑顔。約束。

 大事なことなのに、思い出せない。

 ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーばーーーん。  ひゅーーーーーーーーーーーーーーーーーーばーーーん、ばーん、ばーーーん。

 僕は、空高く打ち上がる大きな、大きな花火を。

 一人で見ている。  もう、居ない……。

 部屋は、エアコンの音のみが響き、どこまでも静かだった。  静かだった。

 部屋に、ひとり。
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