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エリス(4) -カシム視点-
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「エリス、イスカの村を出よう。あの村はお前を害する。俺の咎がすべてお前に向けられてしまう」
エリスが、二本目、三本目と外していく俺の手元を無言で見つめる。
四本目が最後の縄。俺はそれに短剣の刃を当てた。
「私は……行けない」
「! どうしてだ?」
思わず縄を切る手を止め、エリスの顔を見る。
かち合ったエリスの緑の瞳が一瞬揺れて、けれどそれが俺から逸らされることはなかった。
「水車は動かない、食料庫はネズミが大量発生、資材倉庫は湿気ってほとんどが駄目。長が機能を回復させるには、人工精霊の力を借りないといけないって。だから、ジラフ様の機嫌を損ねる真似は、これ以上できないって」
「いいんだ、もう! イスカもジラフも関係の無い場所へ行くんだ」
短剣を持たない方の手で、エリスの肩を掴む。
エリスを見つめる。
エリスも俺を見つめる。
けれど、そうした彼女は次には首を左右に振った。
「村には私を庇ってくれた人たちも、たくさんいたの。見捨てられない……」
「そんなもの」と開き掛けた口を閉じ、そのままグッと奥歯を噛む。エリスが言い出したら聞かないことなんて、身に染みるほど知っている。
「それにほら、私は足も不自由だし」
「お前一人くらいなら、おぶってどこまでだっていける」
こう返したところでやっぱり首を振るだろうことも、俺は嫌と言うほど知っていた。
「……勇者の一族なんかじゃなければよかった」
結局、口から出たのは、ただの弱音で。俺はそれ以上は口を噤んで、最後の縄を切る手元に集中した。
「私は勇者の一族で良かったと思ってるよ」
プツリと縄が切れたと同時に、それまで黙って見ていたエリスが口を開く。
「知っているんだから。昔、村の聖堂で目が覚めたことがあったでしょ? でもって、最近じゃ王都の教会に復活拠点を移したのよ。私にバレるとまずいから」
ぎょっとして顔を上げた俺の鼻先に、エリスが人差し指を当ててくる。不意打ちであからさまに狼狽えてしまった俺に、彼女はしてやったりといった顔をしていた。
「弱くは無いけど強くもないことなんて、知ってるんだから。生き返るだけで他は平凡なんだって」
「それは……」
痛い所を突かれ、エリスをつい恨みがましい目で見てしまう。
仕方ないだろう。先祖が伝説になっていたって、俺は普通に田舎暮らしをしていただけだ。
「そんな平凡なくせに、勇者カシムはいつだって私のことばかり」
すっかり固まってしまっていた俺に向かって、エリスが両手を伸ばしてくる。
その仕草はあまりに自然で。
だから俺は、
「でもそれは今度から、お兄ちゃんのお姫様になる人にしてあげてね」
だから俺は彼女は何をしたのか、理解が遅れた。
「…………は?」
俺に伸ばされたエリスの手は、片方は俺の手に添えられ、もう片方は俺の背中に。
何てことはない。エリスが甘えてくるときは、いつだってこんな感じだ。
いつだって、こんな感じで抱き着いてきて。そう、これはいつものそれで。
それなのに――
「エリ、ス……?」
どうして、
どうして俺の胸でなく短剣を持つ手の方に、彼女の身体の重みを感じるのか。
どうして、
今日はずっと晴れているのに、俺の手が濡れているのか。
『一族の犠牲を代償として、私は勇者の資格を得る』
誰かの声が聞こえた気がした。
いつかここで聞いた、『誰か』の声が。
「う、あ……あぁ……あ……」
俺の肩に乗せられた、エリスの顔。
耳元で大きく吐かれていたはずの彼女の息が、段々と小さくなっていく。
「エリス、エリスっ!」
短剣から手を離し、両手でエリスを抱き止める。
エリスの髪が、俺の頬をくすぐる。俺と同じ浅葱色をした、髪が。
エリスを抱き締める。
強く。
強く。
エリスもまた、俺の背を抱き締めた。彼女の爪が、食い込むほどに。
「お兄……ちゃ……ごめ…………ね」
ごめんね?
何が?
何を?
何、
何、
何。
「あ、あ、あ……ああああぁあああああああーーーっ!!」
そしてエリスの腕は――――俺から離れた。
エリスが、二本目、三本目と外していく俺の手元を無言で見つめる。
四本目が最後の縄。俺はそれに短剣の刃を当てた。
「私は……行けない」
「! どうしてだ?」
思わず縄を切る手を止め、エリスの顔を見る。
かち合ったエリスの緑の瞳が一瞬揺れて、けれどそれが俺から逸らされることはなかった。
「水車は動かない、食料庫はネズミが大量発生、資材倉庫は湿気ってほとんどが駄目。長が機能を回復させるには、人工精霊の力を借りないといけないって。だから、ジラフ様の機嫌を損ねる真似は、これ以上できないって」
「いいんだ、もう! イスカもジラフも関係の無い場所へ行くんだ」
短剣を持たない方の手で、エリスの肩を掴む。
エリスを見つめる。
エリスも俺を見つめる。
けれど、そうした彼女は次には首を左右に振った。
「村には私を庇ってくれた人たちも、たくさんいたの。見捨てられない……」
「そんなもの」と開き掛けた口を閉じ、そのままグッと奥歯を噛む。エリスが言い出したら聞かないことなんて、身に染みるほど知っている。
「それにほら、私は足も不自由だし」
「お前一人くらいなら、おぶってどこまでだっていける」
こう返したところでやっぱり首を振るだろうことも、俺は嫌と言うほど知っていた。
「……勇者の一族なんかじゃなければよかった」
結局、口から出たのは、ただの弱音で。俺はそれ以上は口を噤んで、最後の縄を切る手元に集中した。
「私は勇者の一族で良かったと思ってるよ」
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ぎょっとして顔を上げた俺の鼻先に、エリスが人差し指を当ててくる。不意打ちであからさまに狼狽えてしまった俺に、彼女はしてやったりといった顔をしていた。
「弱くは無いけど強くもないことなんて、知ってるんだから。生き返るだけで他は平凡なんだって」
「それは……」
痛い所を突かれ、エリスをつい恨みがましい目で見てしまう。
仕方ないだろう。先祖が伝説になっていたって、俺は普通に田舎暮らしをしていただけだ。
「そんな平凡なくせに、勇者カシムはいつだって私のことばかり」
すっかり固まってしまっていた俺に向かって、エリスが両手を伸ばしてくる。
その仕草はあまりに自然で。
だから俺は、
「でもそれは今度から、お兄ちゃんのお姫様になる人にしてあげてね」
だから俺は彼女は何をしたのか、理解が遅れた。
「…………は?」
俺に伸ばされたエリスの手は、片方は俺の手に添えられ、もう片方は俺の背中に。
何てことはない。エリスが甘えてくるときは、いつだってこんな感じだ。
いつだって、こんな感じで抱き着いてきて。そう、これはいつものそれで。
それなのに――
「エリ、ス……?」
どうして、
どうして俺の胸でなく短剣を持つ手の方に、彼女の身体の重みを感じるのか。
どうして、
今日はずっと晴れているのに、俺の手が濡れているのか。
『一族の犠牲を代償として、私は勇者の資格を得る』
誰かの声が聞こえた気がした。
いつかここで聞いた、『誰か』の声が。
「う、あ……あぁ……あ……」
俺の肩に乗せられた、エリスの顔。
耳元で大きく吐かれていたはずの彼女の息が、段々と小さくなっていく。
「エリス、エリスっ!」
短剣から手を離し、両手でエリスを抱き止める。
エリスの髪が、俺の頬をくすぐる。俺と同じ浅葱色をした、髪が。
エリスを抱き締める。
強く。
強く。
エリスもまた、俺の背を抱き締めた。彼女の爪が、食い込むほどに。
「お兄……ちゃ……ごめ…………ね」
ごめんね?
何が?
何を?
何、
何、
何。
「あ、あ、あ……ああああぁあああああああーーーっ!!」
そしてエリスの腕は――――俺から離れた。
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