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第一章「袖振り合う世の縁結び」
3.神様に良縁を祈願してみよう!
しおりを挟む週末。予定どおり、夕刻から太洲神社に訪れていた。
すっかり西日が沈むころにもなると、祭りの宵もしだいに終わりに近づいて、真夏の夜のけだるい熱気に、高揚と寂寥感が混じって名残惜しい心地がする。
太洲夏祭りの行事も手筒花火の打ち上げを残すのみとなっており、太洲神社の敷地内は見物客でごった返していた。
芋の子洗いもかくや、隣県のジャンボ海水プールの客入りにも引けをとらないだろう。
出店を冷やかして、ベビーカステラを一袋買ってから、寺の裏手で友人を待つことにした。
スマートフォンで連絡を寄越してから数分、ほどなくして一眼レフを首からさげた友人が現れる。夕方にようやく家を出た出不精の僕とはちがい、彼は昼間から撮影に勤しんでいたようだ。
「完全に出遅れたな。こりゃあ参拝どころじゃねぇなぁ。伏見はもう済ませたか?」
「まさか。ひとりで尻込みしてたところだよ」
手筒花火の打ち上げをおこなう広場にはすでに人だかりができている。
すでに打ち上げ開始時間は間近にせまっていた。
あたりを見渡したところ、本堂の正面階段を上った先の向拝には多少の余裕があるように見受けられる。見物客のうちいくらかは本堂の軒下に溜まっていた。広場からは多少は離れるが、どうやらほかに目ぼしい場所はない。
僕らふたりも彼らにならうことにした。
「やべ、腹の虫が……」
階段を上る途中、友人がうめき声をあげた。
どうして今ごろ……と呆れたくもなるが、間の悪いやつなのだ。おおかた撮影に夢中になって食事を忘れていて、昼も夜も胃にろくなものを入れていないのだろう。
「なにか買ってきなよ。まだすこしは時間あるしさ」
場所とりを請け負うと友人の顔が華やいだ。
「恩に切る!」と仰々しく手を合わせて、小走りで駆け降りていく。
彼に背を向けて、先へ進むことにした。最上段までたどり着き、向拝に上がる。
参拝もせずに場所を間借りするのは居心地が悪かった。人だかりを掻きわけ、本堂の前に立つ。
賽銭箱に五十円を入れて、合掌する。
まぶたを閉じて、願い事を思い浮かべる。
たしか縁結びの効果があるのだったか。
神様を祀る社の前で、恋人が欲しいとか、有名人と知り合いたいとか、私利私欲に走るのもいかがなものだろう。しばらく思案してから、妥協点をみつけた。
殊勝な願いであれば、神様も聞き届けてくれるかもしれない。
心の中で手短に唱えておく。
――あわよくば、この世界にとって良き縁に恵まれますように。
さて。参拝を終えてから見物客にまぎれるようにして、欄干の手前に居場所を確保すると、眼下に広場のようすがうかがえた。
ここからなら手筒花火の打ち上げもほどよく見えそうだ。
友人を待ちあぐねているあいだに、太鼓の演奏が始まった。
演目のうちわけは手筒花火と囃子太鼓の競演である。特設ステージには大小の数々の和太鼓が並び、お囃子隊がバチを振りまわしながら、トンカラリンと小気味のいい音を奏でている。
広場に設置された筒の手前に、花火職人とおぼしき青年たちが待機しているようすから察するに、演奏の途中で打ち上げがはじまるのだろう。
「遅いなあ」と悪態を吐きそうになるのを察知してか、手に持ったスマートフォンがバイブレーションを刻む。連絡が届いていた。
――『からあげ屋、激混み』。
『花火、はじまったよ』とメッセージを送る。既読表示に切り替わるが、返信はない。
薄情なつれは放っておいて、手筒花火の打ち上げにそなえよう。
そう心を決めたはずが、液晶画面から目線を上げたとたんに視界に入ってきた存在に気を削がれる。
意識を奪われた、と表現するほうがより正確だ。
いつの間にか、背の高い男がすぐそばに立っていたのだ。
刺子縞の浴衣に柳のような痩身。提灯の薄明かりに淡く照らされた面立ちは、一目して、美形だとわかった。しかし、どうにも視線を外しがたい独特の雰囲気がある。
宵の暗闇にことさらに際立つ、男の顔は不健康なほど青白い。ただ肌が白いだけではなく、瞳も髪も、全体的な色素が薄いのだ。
幽玄とでも表現すればいいだろうか、鷹揚に構えた物腰からどことなく気品が感じられる。ここが霊験あらたかな社寺だからか、それとも祭りの夜の高揚感がそう感じさせているのか。
まるで鬼にでも行き合ったような心地がした。
なぜ、鬼のようだなどと連想したのか。
――特筆すべきは彼のまなざしの鋭さだ。無骨で冷淡な印象を与える面差しのなかで、青磁色の瞳はひときわ異彩を放っている。嶮しく眇められたまなこは、仇敵を見つけた密林の蛇のように広場をながめていた。
僕はどうしてか、がらにもなく緊張していた。
どっと跳ねる心臓は、地響きのように轟く太鼓の音に誘われてか、それとも。
手筒花火の打ち上げが始まった。
広場に並んだ青年たちが抱えた大筒から勢いよく火の粉が飛び、あたりでは歓声があがる。黒煙を放ちながら燃え盛り、夜空へ向けて噴射する火柱は、まるで天を目指して暴れる飛龍のようだ。
男は両目をかすかに細めるようにして、爆ぜる火花を眺めている。
僕は息をひそめていた。隣に異様な男の気配をひしと感じながら微動だにできず、ただ呆然と花火を見つめる。
「……外れだな」
ぼそりと、つぶやく声を聞いた。
手筒花火はまだ始まったばかりだというのに、男はふらりと背を向けて向拝から去っていく。思わず振りあおげば、あっという間に人波に揉まれて消えた。見失ってしまった。
ふっと肩の力が抜けた。
――何だったのだろう。今の、不可思議な引力は。
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