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第一章 人造乙女殺害事件
1.リアルタイム
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扉の前では女生徒が立ち尽くしている。胸元のスカーフを両手でおさえて躊躇するような仕草をとりつつも、上目遣いにうったえかける彼女の瞳は貪欲だった。女生徒は、訴求する。あきらに向けて。目もそらさずに。
「あのっ! 撮らせてもらってもいいですか?」
はあ、とため息をつきたくもなる。今週で五人目だ。たしかにこの学園――鯨坂高校でも有数の美形ではあるが、なぜこうも突如として注目を浴びるにいたったのか。
あきらがうんざりするのを知ってだろうか、相手は無垢そのもののに見える表情を崩さない。仮に断ったところで、長丁場になるのはわかりきっていた。これまでそうしてきたように、不承不承に承諾する。
「どうぞ。部活の邪魔にならない範囲でお願いしますね」
「ありがとうございます、美波先輩!」
言うが早いか、女生徒はあきらの脇をすり抜けて美術室の奥へと駆けだした。
待ち受けるそれに喜々として走りだす背中を見送って、あきらは制服の上にエプロンを着ける。それから腕まくり。ついでに高校に入学してからずっと伸ばしている長い黒髪を、もういちどヘアゴムで束にしておく。
――準備完了。
突然の訪問者のおかげで、手がとまってしまっていた。ふたたび筆を握りしめ、意識を研ぎ澄まそうと試みる。
と、窓際でクロッキー帳に鉛筆を走らせていた少女が、呆れ顔をしてつぶやいた。
「またきたか。ジェスター様効果おそるべし」
真木百合枝。セーラー服の袖口が汚れるのも気にも留めず、作業机にもたれかかる女子生徒。
胸元には二年の学年色である群青をあしらった記章が煌めいている。今年の春にあらたに入部した彼女も、美術部の部員だった。
「ジェスター様、ね。みんな好きだよね。怪談とか、占いとか、おまじないとか」
あきらが声をひそめて応じると、真木は絵本に出てくるチェシャ猫のようににんまりと笑った。
「片田舎の女子高生なんて、きほん娯楽に飢えているからね。あきらも試してみたら?」
「興味ない」
「あそ。超然としよってからに……。あ、更新きてんな」
真木が手にもつスマートフォンには、SNSのホーム画面が映りこんでいる。放課後や休み時間にツイッターやインスタグラムに入り浸る学生は多いが、真木はもっぱら〈テラリウム〉の住人だ。
ツイッターやフェイスブックなどの全世界と境界線なくつながる各種SNSとは異なり、〈テラリウム〉は閉鎖的なコミュニティだ。
メンバーからの招待を受けなければ加入できない会員制のウェブサービスで、利用者は十代の学生に限られる。利用登録時に学生証を提出して身分を証明しなければならない規則があるのだ。
できることは、他の類似のサービスと変わらない。
リアルタイムでつぶやきを共有したり、写真や日記を投稿したり、タグづけで仲間をつのったり……。
しいていえば、社会から隔絶されているだけあって、どこか現実らしさの希薄なつくりものめいた空間ではあった。
群青を基調としたサイトデザインは、たとえるのなら、ひるなかの水族館のように清潔で静かだ。モラトリアムを享受する生き物たちが安穏と過ごすためにしつらえられた、優しい箱庭。そんな印象を受ける。
サイト内では過激な投稿や暴言は禁止。荒らし行為は徹底して排除されているようで、きっと運営者の管理が行き届いているのだろう。
真木が見ている〈テラリウム〉のユーザーページには、ペストマスクをかぶった怪人のアイコンが表示されていた。
「それ、ジェスター様……」
「熱心なファンじゃなくてもつい追っかけちゃうよね。〈テラリウム〉ではめずらしく、有名人だし」
真木はミーハーなのだ。流行に敏感でいちはやく取り入れる感性の持ち主で、そういう機敏さがあきらからするとすこしまぶしい。
「きたきた。ジェスター様からの指令!『美術室にてピエタ石膏首像と自撮りを。好きな人のイニシャルを添えて〈テラリウム〉に投稿したまえ。君の切なる恋路はかならず報われる。』……うっはぁ! こら、たまらんね」
「どういう『たまらん』?」
「ドン引きと敬意を表したたまらん。実際、ジェスター様からいいねがきた〈テラリウム〉住人から、片想いが実った報告もあるのよ。ほれほれ、これ見てみ?」
真木が指差すのは、自撮り写真の投稿だ。投稿時刻は二十ニ時間前、つい昨日の夕方に撮影されたものらしい。
被写体として写っているのは鯨坂高校の学生だとわかった。投稿にはアカウント主からのコメントが添えられている。
@botanyuki
Title:ジェスター様! 大好き❤️
ずっと好きだったあのひとと付き合うことになりました! ジェスター様効果すごすぎん? むこうから告白されちゃった❤️
はにかむように目を伏せた女生徒の背景にはまさしく、ピエタ石膏首像。
全体の色味はアプリでビビットに加工されているが、美術室で撮影した写真でまちがいなさそうだ。
「この子、先週来てた子だ。友達にのせられて……って風だったけど。本気で信じてた?」
「いや、冗談半分じゃん? この投稿もジェスター様信者っていうよりは、お祭りを楽しんでるかんじ」
「お祭り?」
「〈テラリウム〉にもトレンドがあるでしょ。運営がまとめたりはしないから、流れるままではあるけど。今の〈テラリウム〉にはなんとなくずっと、ジェスター様礼賛の空気があるもん」
あきらにも真木の言おうとすることは察知できた。
朝のニュースが報じる、ここではないどこか大きな街の人気店。予約殺到の限定品。それはきっと、夏休みに家族総出でディズニーランドに出かけるようなものだ。たくさんのひとに承認された価値には、前例のある正しさという力が宿る。
「……そうか。みんなやってるから、ね」
「ま、そういうこと。危なそうな橋、みんなで渡ればこわくもないのさ。あきらはやってみたくならない?」
非難の色がにじむ口調で質問を投げられ、あきらはむっつりと黙り込む。ややもすると答えに窮する質問だ。たとえ真木には悪気がないのだとしても。
心に積もる弁解をどう表明したものか、あきらが考えをまとめていると、
「遅くに失礼いたします!」
美術室の扉が開いた。
「あのっ! 撮らせてもらってもいいですか?」
はあ、とため息をつきたくもなる。今週で五人目だ。たしかにこの学園――鯨坂高校でも有数の美形ではあるが、なぜこうも突如として注目を浴びるにいたったのか。
あきらがうんざりするのを知ってだろうか、相手は無垢そのもののに見える表情を崩さない。仮に断ったところで、長丁場になるのはわかりきっていた。これまでそうしてきたように、不承不承に承諾する。
「どうぞ。部活の邪魔にならない範囲でお願いしますね」
「ありがとうございます、美波先輩!」
言うが早いか、女生徒はあきらの脇をすり抜けて美術室の奥へと駆けだした。
待ち受けるそれに喜々として走りだす背中を見送って、あきらは制服の上にエプロンを着ける。それから腕まくり。ついでに高校に入学してからずっと伸ばしている長い黒髪を、もういちどヘアゴムで束にしておく。
――準備完了。
突然の訪問者のおかげで、手がとまってしまっていた。ふたたび筆を握りしめ、意識を研ぎ澄まそうと試みる。
と、窓際でクロッキー帳に鉛筆を走らせていた少女が、呆れ顔をしてつぶやいた。
「またきたか。ジェスター様効果おそるべし」
真木百合枝。セーラー服の袖口が汚れるのも気にも留めず、作業机にもたれかかる女子生徒。
胸元には二年の学年色である群青をあしらった記章が煌めいている。今年の春にあらたに入部した彼女も、美術部の部員だった。
「ジェスター様、ね。みんな好きだよね。怪談とか、占いとか、おまじないとか」
あきらが声をひそめて応じると、真木は絵本に出てくるチェシャ猫のようににんまりと笑った。
「片田舎の女子高生なんて、きほん娯楽に飢えているからね。あきらも試してみたら?」
「興味ない」
「あそ。超然としよってからに……。あ、更新きてんな」
真木が手にもつスマートフォンには、SNSのホーム画面が映りこんでいる。放課後や休み時間にツイッターやインスタグラムに入り浸る学生は多いが、真木はもっぱら〈テラリウム〉の住人だ。
ツイッターやフェイスブックなどの全世界と境界線なくつながる各種SNSとは異なり、〈テラリウム〉は閉鎖的なコミュニティだ。
メンバーからの招待を受けなければ加入できない会員制のウェブサービスで、利用者は十代の学生に限られる。利用登録時に学生証を提出して身分を証明しなければならない規則があるのだ。
できることは、他の類似のサービスと変わらない。
リアルタイムでつぶやきを共有したり、写真や日記を投稿したり、タグづけで仲間をつのったり……。
しいていえば、社会から隔絶されているだけあって、どこか現実らしさの希薄なつくりものめいた空間ではあった。
群青を基調としたサイトデザインは、たとえるのなら、ひるなかの水族館のように清潔で静かだ。モラトリアムを享受する生き物たちが安穏と過ごすためにしつらえられた、優しい箱庭。そんな印象を受ける。
サイト内では過激な投稿や暴言は禁止。荒らし行為は徹底して排除されているようで、きっと運営者の管理が行き届いているのだろう。
真木が見ている〈テラリウム〉のユーザーページには、ペストマスクをかぶった怪人のアイコンが表示されていた。
「それ、ジェスター様……」
「熱心なファンじゃなくてもつい追っかけちゃうよね。〈テラリウム〉ではめずらしく、有名人だし」
真木はミーハーなのだ。流行に敏感でいちはやく取り入れる感性の持ち主で、そういう機敏さがあきらからするとすこしまぶしい。
「きたきた。ジェスター様からの指令!『美術室にてピエタ石膏首像と自撮りを。好きな人のイニシャルを添えて〈テラリウム〉に投稿したまえ。君の切なる恋路はかならず報われる。』……うっはぁ! こら、たまらんね」
「どういう『たまらん』?」
「ドン引きと敬意を表したたまらん。実際、ジェスター様からいいねがきた〈テラリウム〉住人から、片想いが実った報告もあるのよ。ほれほれ、これ見てみ?」
真木が指差すのは、自撮り写真の投稿だ。投稿時刻は二十ニ時間前、つい昨日の夕方に撮影されたものらしい。
被写体として写っているのは鯨坂高校の学生だとわかった。投稿にはアカウント主からのコメントが添えられている。
@botanyuki
Title:ジェスター様! 大好き❤️
ずっと好きだったあのひとと付き合うことになりました! ジェスター様効果すごすぎん? むこうから告白されちゃった❤️
はにかむように目を伏せた女生徒の背景にはまさしく、ピエタ石膏首像。
全体の色味はアプリでビビットに加工されているが、美術室で撮影した写真でまちがいなさそうだ。
「この子、先週来てた子だ。友達にのせられて……って風だったけど。本気で信じてた?」
「いや、冗談半分じゃん? この投稿もジェスター様信者っていうよりは、お祭りを楽しんでるかんじ」
「お祭り?」
「〈テラリウム〉にもトレンドがあるでしょ。運営がまとめたりはしないから、流れるままではあるけど。今の〈テラリウム〉にはなんとなくずっと、ジェスター様礼賛の空気があるもん」
あきらにも真木の言おうとすることは察知できた。
朝のニュースが報じる、ここではないどこか大きな街の人気店。予約殺到の限定品。それはきっと、夏休みに家族総出でディズニーランドに出かけるようなものだ。たくさんのひとに承認された価値には、前例のある正しさという力が宿る。
「……そうか。みんなやってるから、ね」
「ま、そういうこと。危なそうな橋、みんなで渡ればこわくもないのさ。あきらはやってみたくならない?」
非難の色がにじむ口調で質問を投げられ、あきらはむっつりと黙り込む。ややもすると答えに窮する質問だ。たとえ真木には悪気がないのだとしても。
心に積もる弁解をどう表明したものか、あきらが考えをまとめていると、
「遅くに失礼いたします!」
美術室の扉が開いた。
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