海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

文字の大きさ
31 / 67
第三章 瑞凪少女誘拐事件

27.ハンニン

しおりを挟む
 三階の美術室から地上まで降りるのは骨が折れた。
 だが、学内で自販機が設置されているのは体育館裏の休憩スペースにかぎられる。不便な立地の部室を飛び出して、渡り廊下を歩いて目指した。

「さむー! そろそろコートださんとなぁ」

 休憩所に吹き込む風の冷たさに、真木が気の抜けた歓声をあげる。
 十一月にもなると、気候もいよいよ冬めいてきて、朝夕の冷え込みに凍える日が増えた。

「マフラーいるね。手袋も」
「やってられんわ、この寒さ。〈あったか~い〉しか勝たん」

 自販機のラインナップはすでに寒冷期仕様だ。真木はボスの微糖にするらしい。財布から小銭を出そうとする彼女の手をさえぎるようにして、あきらはポケットから小銭を出す。

「ジェスター様探し、付き合ってもらってるから。おごるよ」
「お、サンキュー。気が利くじゃん」

 ボタンを押して、缶珈琲とミルクティーを購入。
 甘さ控えめ派の真木には缶コーヒーを手渡して、ベンチへと誘う。

 カシュッ。プルタブをひねると小気味の良い音がした。
 真木が「ひとくちちょーだい」とねだるので、まわし飲みをしてから一口。

 自販機のなかで温められたスチール缶が、指先の感覚をじんわりと溶かしていくのを感じながら、何から話そうか思索をめぐらす。と、

「去年を思い出すかもなー」

 防球ネットのむこうをながめていた真木が、ふいに口を開いた。

「去年?」
「うん。あたしさ、美術部入ろうって決めたの、ちょうどこのくらいの時期だったんだ」
「初耳だけど……」
「言ってなかったし。前の部活やめてどうしようかなって、ちゅうちょして、背中おしてもらってようやく、ってかんじだから」

 歯切れの悪い言い草だった。

 そういえば、真木に入部理由を尋ねたことはなかった。あきらも夏織も、二年に進級するまでは彼女と面識がなかったのだ。
 それなのに――。四月初旬、渡り廊下を越えて。実習棟三階まで飛んできて。真木百合枝という少女は、軽々と扉を開けたのだ。まるで春風のように美術室にあらわれた。
 お調子者の新入部員は、気づけば輪のなかに溶け込んでいた。

「真木ってさ。どうして美術部入ろうと思ったの」
「うーん……とね、文化祭のとき、美術室で展示してたでしょ。それ見てて、楽しそうかなーって」
「楽しそう」

 そんなふうに見られていたとは……。

 美術部では毎年、文化祭に絵を展示する。美術室を展示会場に作り替えて、制作発表の場とするのだ。部員は最低一枚は文化祭にむけて新作をしあげるのが慣習になっていた。

 昨年の展示は、あきらにとっては苦い思い出だ。
 クラスの学祭委員に頼まれて、出し物の装飾やポスターづくりに精を出していたら、部活では満足のいく作品がつくれなかった。夏織の花鳥画と並ぶのにふさわしくない、中途半端な人物画になってしまった。

 あれを、真木にも鑑賞されていた――。
 友達がおおい彼女はきっと、だれかと並んでみにきたにちがいないのに。

「ほら、友達づくりのイロハって、共通の趣味と話題からじゃん。そういう同類探しなら、得意なんだけど。あたしのまわりの絵を描くやつらは、みんな闇抱えてた。そこに安心したし……みんなのことが好きだった」
「……好きならいっしょにいればよかったのに」
「好きだから居辛いじゃん。それがハリボテだって、分かったら、さ」
「好きなことに、ハリボテも何もない」
「あきらはそうでしょーよ。けどさ、世界って、他人って、もっと残酷よ」

 彼女は何が言いたいのだろう。
 あきらが黙っていると、真木はふっと寂しそうに白い歯をみせた。

「きれいなものばっかじゃない。どんなに信じても、ひとは簡単に裏切る」
「……そうだね。私も、そう思う」

 だからこそ、美しいものを知りたい。

 あきらにとって最初のそれは、螺科未鳴にしなみめいの絵だった。
 未鳴の絵を評価する大人たちは、どれも難解だと論じていた。たしかに、展示室で出会った瞬間にはわからない。理解を超えた凄絶さ。究明され尽くされた美。表面は抒情的でありながら、その裏面は計算づくの理知によって支えられている。

 矛盾もなく綻びもなく、洗練され完成された究極を、螺科未鳴にしなみめいは魅せてくれた。

 価値あるもの。信じるにたるもの。
 それはきっと、ほころびのない存在だけだ。

「真木。あなたがどうして美術部に入部したのかは、こだわらない。ただ、できれば話して欲しい。……光梨や、夏織を、傷つけずにはいられなかった理由だけは」
「……なにいってくれちゃってんの」
「教えてよ。――ジェスター様」

 指先を温めていたスチール缶が冷えていく。

 顔をあげれば、木枯らしが荒く吹きすさぶ。校舎の隙間を抜けてきた風に、木々が揺れて、ざわめきを落として裸になっていく。銀杏が散った。紅葉は色を失った。
 もうとっくに、季節は冬だった。

「……なにそれ」

 真木の顔は青ざめていた。風と外気に、体温を奪われたからじゃない。

「裏付けならある。ジェスター様のカードが置かれたタイミング。第一の〈人造乙女事件〉のとき、美術室の扉を開けたままにしようって言い出したのは、あなた。第二の〈リモナイト密室盗難事件〉のとき、最後まで美術室に居残っていたのも、あなた。それがいつもの真木だから、私たちは気にしなかった」

 どちらの事件でも、道化師のカードはひとりでに現れたように見えた。
 もし仮に真木がジェスター様なら、犯行現場にカードをおくのは簡単だ。あきらたちが目をはなした隙に、ポケットに隠しておいたカードを置いて、さもたったいまみつけたように、おおげさな演技で驚いてみせればいい。

「じつは、夏織とはもう話したんだ。私の見解に穴がないか確認してもらった。……真木、だよね。正直に話して。なにか事情があるなら」

 あきらの詰問をさえぎるように、真木はふっと笑みをこぼした。

「なぁんだ……結局、多数決なんだ」

 気の抜けた笑顔だった。
 真木は乾いた声のまま、いつものようにとぼけたふりをする。

「疑うなんてひどいなぁ。四月からずっと、いっしょに部活してきた仲間じゃん」
「だからだよ。いっしょに部活するなら、人狼ゲームはなし」
「あはは、そうきたかー。平和にいこうよ。あたし、ただの村人だってば」
「……なら、言葉遊びより、信じられる誠意を見せて」

 入部以来、目についた真木はずっと不真面目だった。眠ってばかりでやる気がない。遅刻が多くてだらしがないのに教室では人気者。トレンド好きで変わり身がはやくておしゃべりな道楽者。
 なのに、放課後の美術室では、ときたま抜群の集中力をみせつける。

 なにをおもっているのか。なにをかんがえてなのか。
 あきらたちを翻弄して。明るくて。愉しそうで。からりと乾いていて。

 ごまかし上手な笑顔に塗りつぶされて――。
 目の前にいるのに、すこしも彼女の素顔がみえない。

「いやいや。あたしは絵画とデッサンに青春かけてるわけじゃないし」
「じゃあ、真木にとってのそれはなに?」

 尋ねると、真木は鼻白んで、あきらから視線を外した。
 音もなく影が落ちて、まぶたが半分伏せられる。黒い瞳が湿った地面を見つめていた。


「……そんなの、そんなのないよ。いまが楽しければなんでもいいじゃん」


 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
ミステリー
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 2026年1月ジャンルを大衆文学→ミステリーに変更しています。

処理中です...