海底の放課後 -ネットの向こうの名探偵と、カリスマ・アカウントの謎を解く -

穂波晴野

文字の大きさ
51 / 67
第三章 瑞凪少女誘拐事件

47.ジンロウゲーム

しおりを挟む

 あきらの結論はすでに話してある。危険性は低いはずだ。
 万が一、犯人が姿を現すことがあるならば、乙戸辺に期待するしかない。

 二手に分かれて、ひとりで階段を登る。昼間よりも足音が大きく響く校舎のなかで、夜陰にまぎれて息を潜めていると、どことなく悪いことをしている心地がした。下校時刻を超えた校舎に忍び込むなんて、不良学生そのものだ。たしか、許可のない居残りは校則で禁じられていたはず。部活動の無断延長も同様。

 三階廊下のつきあたりに、美術室は待っていた。扉は半分だけ開いている。

 そしてその先に。小さな背中が見える。
 懐中電灯の明かりで切り抜くと、相手は暗闇に溶けた。深呼吸をして、扉を向ける。

「ここにいると思った」

 美術室のなかは荒廃していた。
 作業机は不規則に並び、木製の椅子がいくつも倒されている。積み木でつくったお城を壊したあとみたいだ。奥にはひっそりと寝袋や漫画が用意されていた。金曜日からずっと、ここで寝泊まりしていたのだろう。


「なぁんだ。みつかっちゃったか」
「……探したよ、真木」


 名前を呼ぶ。ライトを照射すると、制服のままの真木は、あどけない表情で尋ねてきた。



「どうして、あたしがここにいるってわかったの?」
「誘拐事件なんて狂言。動画で〈テラリウム〉を湧かせるだけで、身代金の要求や脅迫はなし。ならあれは、かくれんぼのヒント。…………見つけて欲しかったんでしょう、ジェスター様」
「んー。もうちょい説明ちょうだい? 聞いときたいな、あきらの推理」

 真木が茶化すように手をたたく。
 そして作業机に頬杖をついて、あきらを見上げていた。こうもお膳立てされると、かえってやりにくい。

「確信を得られたのは、今日投稿された二本目の動画。あれでようやく……自分の目が信じられた。あの動画の撮影場所はここ――美術室だよね」

 二本目の動画は後半にさしかかった段階で、右方から光がさしこんできていた。明度をあげた状態で、動画の全容をよく観察すると、廃墟にみえていた背景がフェイクだとわかった。

 腐敗した木材ではない。――古びたイーゼルだ。
 ひび割れた床材ではない。――汚れた画板だ。
 少女が座る椅子は、工作椅子を加工したもの。

 裏山の廃校舎をモデルにして、美術室を即席のスタジオに仕立て上げたのだ。

「はじめは、私も瑞凪周辺の廃屋のどこかなんじゃないかって思ったよ。でも、ジェスター様なら――錯視錯覚までもをあやつって、盲点をついてくるはずだ」

 虚をつくように、ヒトがみたいものを魅せる。
 だからこそ〈テラリウム〉のカリスマとして君臨していた。

 事件発生が発覚する直前まで、真木は鯨坂高校付近に潜んでいたはずだ。
 そしてあきらたちが下校したあとに、堂々と学校へ訪れた。理由をつけて職員室で鍵を借りて、美術室の扉を開錠し、準備室に隠れてみまわりをやりすごす。

 鍵は教卓の上にでもおいておけば、用務員が施錠時に発見して返却してくれるはずだ。
 生徒がうっかり施錠を忘れたとしても、金曜日であれば見過ごされる。顧問をとおして美術部の部員にお咎めがあるとしたら、それは月曜日になってからだ。

「あっはは! すごいね! お見事なりー! ね、どうだった? 楽しんでくれた?」
「……楽しいわけない。ずいぶん遠まわりしたし、みんなに助けられながら調べたよ。漫研のこと。家のこと。……真木はだれかに、告発したかったの?」
「そう、なのかな。よくわかんないんだよね」
「自分のことなのに?」

 真木の面差しから笑顔が消える。
 寂しげな色がふっと浮かんで、くらい瞳から侮蔑を投げかけてくる。

「…………あきらには、わかんないよね。漫画読んでて家庭崩壊してる子が出てきたとき、ああ……これ、うちだって……あたしだ……って、重い感情もっちゃうイタいやつのこと」

 少女の視線が迷う。追いかけると、美術室の後方へとたどりついた。
 世界の名だたる名画のポスターが貼りめぐらされた一角。

 ミケランジェロの聖母が、ゴッホの向日葵が、葛飾北斎の浮世絵が、いびつな物の怪のように額縁のなかで暴れている。放課後に出会うすがたとはちがう。もっと冷たく不気味で、ことさら毒々しい。

「漫画が好き。アニメが好き。だれかの描いた世界が好き。でもさ……あたしの好きって気持ち、みんなとぜんぜんちがった。なにひとつ、同じじゃなかった。……みんなはさぁ、画面の向こうの悲喜劇として喜ぶの。現実で醜いアヒルの子が白鳥になるはずも、灰かぶり姫が王子様にみそめられるはずもない。けど、ふつうの子って、そもそも自分がドブまみれだなんて、思わないんでしょ?」

 いつも饒舌に語りかけてくるその口が、きょうは虚空へと朗読するようだった。

「ふつうの子はさ……毒親の子じゃないから」
「それが、漫研辞めた理由?」

 返事はなかった。真木はすべてを拒むように背を向けて、壁際まで歩き去っていく。
 そっけない態度には構わず、声をかける。

「ちがったらごめん。そのときは、真正面から否定して」

 前置きをして。それから、解を明かす。

「真木はいつも、寄り道しようって誘ってくれたよね。やる気もないくせに美術室にいた。それってさ……ただ、家に帰りたくなかっただけ?」

 真木の顔はくしゃりと歪んでいた。

「……ごまかせないなぁ」

 気の抜けた言葉に重ねて、彼女はゆっくりと話しはじめた。

「あたしさ……承認欲求こじらせてるだけだよ。愛されたいし、すごいねって褒められたい。いつもそう……だから描いてた。べつにあたし自身を見なくていいから、あたしの絵だけでも見てよって、ほんとはみんなに言いたい」

 上履きがリノリウムの床を打つ。
 夜空から降り注ぐわずかな星明かりを探すように、真木は窓の外を見ていた。掌がこわばって、スカートにぐしゃりと皺が寄る。

「なのに……! 友達だとおもってたのはあたしだけで、自分のばかさ加減に失望して、でもだれにも話せない! ……そんなときに、あのひとが見つけてくれた」

 あのひと――。
 それは、だれなのだろう。

「……あたしには、あのひとだけだった。けど、もう、だれもいない。あんたのせいで、あたしだけまたひとりだ」
「……どういうこと?」
「とぼけないでよ。あきらが奪ったんじゃん。あのひとの心、あのひとの興味、あのひとのぜんぶ……名鳥さんがいるのに」
「真木。落ち着いて。なんで光梨の名前が出てくるの」
「……あたしにはいないから、特別なひと。……ひとりも」

 まったくついていけていなかった。

 あきらが焦れば焦るほど、目前の少女は激昂するようだった。
 歯噛みしたかと思いきやすぐさま口を開く。
 懐中電灯だけが頼りの暗闇のなかでも、顔の赤さがよくみえた。

「なんでも持ってる子たちがみんな嫌い。だから、いいよね、傷つけても。名鳥さんはあきらが助けてくれるから! あきらは名鳥さんのヒーローだから!」

 真木の慟哭が、冷たい校舎に響いていく。

「あの子も、あんたも、孤立すればいいんだ。あたしのときは……だれも助けにきてくれなかった」

 怨嗟。憎悪。嫉妬。
 どんな言葉をかえせば、その感情の奔流をとめられるのだろう。
 剃刀のように斬りつけてくる怒声に一方的に圧倒されて――。場違いにも、真木の汚れた制服に浮かぶ斑点模様が、どこかアンフォルメルな絵画のようだとすらおもう。

「漫画も、楽しいから描いてた。好きだから描いた。友達が褒めてくれるから。いいねがつくから。なのに……描けば描くほど、不幸になった。みんなすごいねって言ってくれてたのに……そのうちお母さんに嫌われて、それから漫研のみんなに嫌われた」
「ちがう、きっと嫌ってたんじゃ……」
「じゃあなんで、去年の文化祭、だれもあたしに会いにきてくれなかったの?」

 去年の文化祭……。乙戸辺の報告書によると、真木は漫研の部誌に掲載できなかった漫画を、ひとりで製本して頒布したらしい。そんなこと、去年のあきらは知らなかった。

「あたしが絵を描くことを、絵を描くあたしを、だれも愛してくれないの? あたしの絵って、あたしの漫画って、そんなに魅力ないのかなぁ……! 誰でもいいから振り向いて欲しいの、認めてほしいの、クロガネが、ララくんが、タカフジ先生の作品が、あたしに刺さったみたいに、あたしの好きが、刺さるだれかがいて欲しい……!」

 どれほど切実に叫んでいても。
 どれほど痛烈に痛んでいても。
 知らなければ、なにひとつ見えなかった。

「ねえ、それって、欲張ってる? 凡才のくせにイキってるクソガキってこと? ねえ、なんで……なんで、ひとりぼっちにならなきゃいけなかったの?」
「真木、それは……」
「あたし……漫研にいちゃいけなかった? ねえ、あきら。頭いいんでしょ? なんとかしてよ……助けてよ」

 それはできない。
 ――そう、無責任に諦観するのは簡単だった。

 起こってしまった出来事に、過ぎてしまった悲劇に対して、自分はいつも無力だ。つまずくたびに慎重であろうとして臆病になる。せめて悲劇が起きないようにと、リスクを避けて危険因子を排除する。

 真木のいう人狼ゲームだ。
 わたしはオオカミじゃありません。あいつがオオカミです。責任のなすりつけあいをして、うまくたちまわれたひとが勝者。けど、そんなことばかり続けていたって、最後にひとりになるだけだ。

 覚悟を決めて、息を落とす。
 まったくうまくいかない。喧嘩も言い争いもしたくないのにトラブルばかり降ってくる。

「ひとりぼっち……か。私には、そうは見えなかった」
「…………どこが?」

 尋ねられて思い出すのは、なぜだか遠く感じる教室の風景だ。

 いつも眺めている側だった。
 どうせ気づかないからなんとなく。
 教科書のテキストを追いかける途中に、ひそかにセーラーカラーの後襟をぼんやりと見ていた。

「真木はいつもだれかといる。友達がたくさんいてキラキラしてて、楽しそう。教室でも体育祭でも、真木に声をかける子はたくさんいたよね。人気者だって認められてるみたいでさ。そういう真木が、うらやましかったよ、ずっと」

 そんなこと、伝えなくていいと思っていた。
 理解してはもらえないから。目には映らず、後世には残らない一瞬は、過ぎては儚く消えていくから。

 言葉におきかえるとやっぱり足りない。
 それでも胸のつかえが、すこしだけ軽くなったような気がした。

「……表面だけだよ。まわりにあわせて笑ってるの、得意だもん」
「……そういうの、私はうまくできないから。だから……真木がクラスにいると、うるさくてかなわない」
「はあ?! さっきからこっち怒らすことばっか……!」
「口数多いし。明るくて、賑やかで、席が遠くても真木の笑い声はきこえてくるし」
「わ、わるかったなあ……!」
「うん。だから……真木がいる教室がいい」
「……。支離滅裂じゃん……」

 去年は真木と友達じゃなかった。春先の美術室ではじめて会話をして、部活仲間としていっしょに過ごしてきた。ほかのクラスメイトは気にならないのに、いつからか真木の声はききとりやすい。

 言葉足らずな気持ちはまだうまくいえない。伝えられるとしても、筆と色彩がなければもどかしい。

「冗談が不得手でごめん。……これだと思うなにかをきっと、私はゆずれないから」

 だからといって、謎めいた絵画の奥にすべて秘めてしまえるほど、聡明ではないのだ。

「月曜日には学校で会おうよ。美術室でもっと、くだらないこと話そう。私、ずっと――あなたに居ていいって伝えたいだけなんだ」

 凛として、真木から視線はそらさない。
 それから半歩距離をつめて手を伸ばす。おどけてばかりでするりと逃げる冷たい手首を、こんどこそ捕まえた。


「そういうこと、そういうことを……」


 肩がこわばり、膝が震えて、真木が叫ぶ。




 
「なんでこっちの目をみて言うかなぁ…………!」




 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...