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はじまり
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お母さんは2時から4時までいない。
おしごと。
華子穂は「薄暗い」部屋の時計を見る。
2は3と似ている。3と6も。7は3と。5は8と似ている。
じっくり見れば見るほど、それぞれが「歩み寄って」違いが分からなくなる。
華子穂は数字を形で覚えていない。「2」という雰囲気、「3」という雰囲気。「5」にまつわる記憶、「8」にまつわる記憶、そういうもので覚えている。
1は分かり易い。だけど、しばらく見ていると「歩み寄って」4的なものに感じる。
華子穂にはほとんど数字の判別はつかない。
濃く長いまつ毛の生えた瞼、硬質な眼差しを放つ瞳。
長い針が「2回」上に来たら、お母さんのおしごとは終わりだ。
「2回」は分かってしまう不思議。
お母さんには内緒だけれど、華子穂はこの時間が大好きだった。
お母さんといるときよりも。
華子穂にとっては、すべてがおんなじなのだ。
誰かと一緒だって、どこにいたって。すべてはおんなじく「孤独」だ。
華子穂にとって、この世界のすべてに共通点はなく、たとえばお母さんという生き物、お父さんという生き物、「わたし」という生き物なのだ。
そうして、すべてが孤独に生きている。それが当たり前だった。「孤独」なんて言葉が不必要なくらい。
孤独は幾つも一緒にいると、胸のなかに雷雲が育って放電するのであっという間に身体が傷だらけになる。華子穂は消えない傷に疲れきっていた。
でも、独りになれるこの時間だけは違う。やっと癒されるのだ。
お母さんが嫌いなわけではなかった。胸のなかに雷雲が育った時、どうやるのかは分からないけど、お母さんに張り付くと吸い取ってくれるのだ。
ただ、雲が育つのはお母さんといるからだ。
独りのときは絶対にない。
初夏の庭は暴力的なくらい雨の匂いがした。午前中降り続いた雨はあがり、晴れたからこそ。
華子穂は保育園が好きじゃない。(実は華子穂の通っているのは保育園ではなくて、発達支援センターなのだが、お母さんからは保育園だと聞かされている)
そこで物の名前を言ったり、数を数えたりしていると、喉が乾く。地球規模で、宇宙規模で喉が乾く。
それで、華子穂は泣くしかなくなる。救いなんて、どこにもないから。
ガラガラと音をさせてバケツを運ぶ。中には赤いシャベルと黄緑の熊手、シャボン玉みたいなビー玉たちや、顔のついた石なんかが入っている。
お母さんがハーブを育てているプランターのそばにしゃがみこむ。プランターはずっとここにある。三つ並びの白い(いまは砂と泥で汚れているけど)プランターには、いつも何かハーブや野菜が植えられている。
岩みたいに頑ななそれのそばには蟻の巣の出入口がある。蟻が出歩かなくなる季節を除けば、必ず。
それをビー玉越しに眺める。
逆さまの青い景色を忙しなく蟻が歩く。
ふと生け垣に目を向ける。
今日もいる。華子穂はそれを確認し、また視線を足元へ落とす。
最近、ずっと「へんなの」がいる。
それはほとんど隙間などない生け垣の間(生け垣はいつも半分くらいが枯れている)から器用に顔を出し、こちらをじっと眺めている。
色はない。形もない。でも、周りと雰囲気が違う。丸めたバスタオルくらいの大きさで、二つの目がついてるだけ。
華子穂は気にしなかった。気にならなかったのだ。
それは考えると奇妙なことだと感じた。お母さんすら一緒にいると傷つくのに、それに見られていても構わないということは。
同時にそれは当たり前のことだった。猫が見ていて、雀が見ていて、気になることはない。
傷つくのは人間に見られている時だけ。
空に雲が浮かぶ、風が髪を撫でる、春になると蟻が巣穴から出てくる。華子穂に何かを求めることはない、全ては無関係であって、それでいて、無関係だからこそ密着したひとつの宇宙。
そこには内とか外とか、他とか自というものはない。
「へんなの」はそれだった。
そして、華子穂は動物としてごく当たり前にそのことを知っていた。ほんの百四十億年ほど昔から。
おしごと。
華子穂は「薄暗い」部屋の時計を見る。
2は3と似ている。3と6も。7は3と。5は8と似ている。
じっくり見れば見るほど、それぞれが「歩み寄って」違いが分からなくなる。
華子穂は数字を形で覚えていない。「2」という雰囲気、「3」という雰囲気。「5」にまつわる記憶、「8」にまつわる記憶、そういうもので覚えている。
1は分かり易い。だけど、しばらく見ていると「歩み寄って」4的なものに感じる。
華子穂にはほとんど数字の判別はつかない。
濃く長いまつ毛の生えた瞼、硬質な眼差しを放つ瞳。
長い針が「2回」上に来たら、お母さんのおしごとは終わりだ。
「2回」は分かってしまう不思議。
お母さんには内緒だけれど、華子穂はこの時間が大好きだった。
お母さんといるときよりも。
華子穂にとっては、すべてがおんなじなのだ。
誰かと一緒だって、どこにいたって。すべてはおんなじく「孤独」だ。
華子穂にとって、この世界のすべてに共通点はなく、たとえばお母さんという生き物、お父さんという生き物、「わたし」という生き物なのだ。
そうして、すべてが孤独に生きている。それが当たり前だった。「孤独」なんて言葉が不必要なくらい。
孤独は幾つも一緒にいると、胸のなかに雷雲が育って放電するのであっという間に身体が傷だらけになる。華子穂は消えない傷に疲れきっていた。
でも、独りになれるこの時間だけは違う。やっと癒されるのだ。
お母さんが嫌いなわけではなかった。胸のなかに雷雲が育った時、どうやるのかは分からないけど、お母さんに張り付くと吸い取ってくれるのだ。
ただ、雲が育つのはお母さんといるからだ。
独りのときは絶対にない。
初夏の庭は暴力的なくらい雨の匂いがした。午前中降り続いた雨はあがり、晴れたからこそ。
華子穂は保育園が好きじゃない。(実は華子穂の通っているのは保育園ではなくて、発達支援センターなのだが、お母さんからは保育園だと聞かされている)
そこで物の名前を言ったり、数を数えたりしていると、喉が乾く。地球規模で、宇宙規模で喉が乾く。
それで、華子穂は泣くしかなくなる。救いなんて、どこにもないから。
ガラガラと音をさせてバケツを運ぶ。中には赤いシャベルと黄緑の熊手、シャボン玉みたいなビー玉たちや、顔のついた石なんかが入っている。
お母さんがハーブを育てているプランターのそばにしゃがみこむ。プランターはずっとここにある。三つ並びの白い(いまは砂と泥で汚れているけど)プランターには、いつも何かハーブや野菜が植えられている。
岩みたいに頑ななそれのそばには蟻の巣の出入口がある。蟻が出歩かなくなる季節を除けば、必ず。
それをビー玉越しに眺める。
逆さまの青い景色を忙しなく蟻が歩く。
ふと生け垣に目を向ける。
今日もいる。華子穂はそれを確認し、また視線を足元へ落とす。
最近、ずっと「へんなの」がいる。
それはほとんど隙間などない生け垣の間(生け垣はいつも半分くらいが枯れている)から器用に顔を出し、こちらをじっと眺めている。
色はない。形もない。でも、周りと雰囲気が違う。丸めたバスタオルくらいの大きさで、二つの目がついてるだけ。
華子穂は気にしなかった。気にならなかったのだ。
それは考えると奇妙なことだと感じた。お母さんすら一緒にいると傷つくのに、それに見られていても構わないということは。
同時にそれは当たり前のことだった。猫が見ていて、雀が見ていて、気になることはない。
傷つくのは人間に見られている時だけ。
空に雲が浮かぶ、風が髪を撫でる、春になると蟻が巣穴から出てくる。華子穂に何かを求めることはない、全ては無関係であって、それでいて、無関係だからこそ密着したひとつの宇宙。
そこには内とか外とか、他とか自というものはない。
「へんなの」はそれだった。
そして、華子穂は動物としてごく当たり前にそのことを知っていた。ほんの百四十億年ほど昔から。
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