アダムズコード

青山惟月

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第一章、三百年前

1、イヴという名

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 仮想十八世紀ー
 スペイン中央部のとある農村

 その日は人々が神に祈りを捧げる、聖なるクリスマスの前日。寒暖差が厳しいこの土地は、夜にふらつくのはいささか寒過ぎる。地面はうすく雪化粧をしていた。気温は5度。白い息は空を切る。 

「うへぇー、全く辺鄙な場所に出張命令だこと」
 ぶつぶつと無駄口を叩きながら、重い足取りで森の奥へと進む一人の若い男性牧師。
 赤髪に丸い伊達眼鏡、少し幼い顔立ちだが、神に誓いを立てた者にしてはいささか不似合いに見える不真面目な顔つき。
 胸から下げた十字架のペンダントは某教団の一員の証だ。

 古くから黒苺が繁るというその森にあまり地元の民は寄り付かない。
 この地には噂があった。

 ―日が落ちたら森へ入ってはならない。吸血鬼に殺されてしまう―

 そんな吸血鬼話がまことしやかにささやかれ始めたのは三十年程前から。
 村人の要請を受けて何人ものヴァンパイアハンターが森に入っていったが、戻ってこなかったという。

 「臭いものには蓋かよ」

 誰もいないのに一人で突っ込みをいれながら、  牧師は午後八時のほの暗い茂みを掻き分けていく。

 森に入って二時間、何も手がかりは得られなかった。日頃運動不足な牧師は疲労感からとても不機嫌だった。
 気がつけば周囲は真っ暗で月の光も雲に遮られ届かず、探し物どころではなかった。
 腐り横たわった大木に、仕方なし腰を下ろし、煙草に火をつけふかす。端から見ればとても聖職者と言えるような素行ではない。
 牧師が一息ついた頃、どこからともなく声がした。
 「ここは禁煙だ」
 「堅いこというねぇ」
 暗闇の中横から白い手が伸びて、彼から煙草を取り上げ握り潰した。火の消えた煙草が地面に落ちる。
 「熱くないの?」

 「さっさと出て行け、さもないと殺す」
 牧師の喉元に、黒くて鋭利なものが当たる。少し血が流れる。
 「うーん、俺もね、お仕事だからちょっと簡単に帰るわけにはいかないんだよね」
 「吸血鬼を退治してこいって言われてて」

 その時、月を隠していた雲がさぁっと晴れ、光が差した。
 そこにいたのは二十代半ば程の美しい金色の髪をした、赤目の女性だった。
 吸血鬼はみな見目麗しいと聞いていたが、牧師は一目で確信に変わった。

 「お姉さんお名前は?」
 「名などない」
 「そう、じゃあ俺がプレゼントしよう、そうだな……今日はクリスマスイヴだから、イヴかな」
 「適当に勝手につけるなっ」

 吸血鬼は黒く光る刃物を振った。
 彼女の算段では牧師の首を掻ききったはずだった。しかし、次に気がついた時には牧師に背面を取られ、利き手の右を塞がれ武器は下に叩き落とされた。
 「そこにいたのは幻影か……魔術は宗教上禁忌なのでは?」
 「いやね、うちの教団はちょっと特殊でね~。こんなのばかり囲ってるの。今のは影送りって言うんだよ。月の光がでたからできる術」
 「どおりで先程は血の臭いがしなかったわけだっ」
 今度の彼女の左手の平手打ちは見事に顔に入った。

 しかし、手が当たる瞬間、牧師の口元がにやけた。手と顔とが接触したその時、とても甘い匂いが漂った。

 その甘い匂いは彼女の臭覚を刺激し、一瞬で気持ちを高揚させた。
 彼女の指先に付いていたもの、それは血液だった。

 
 「汝、真名をイヴとし、この血をもって従の契約とする―」

 光が彼女を包み込んだ。
 
 「本当に名前がなかったんだな。結果オーライ。……ということで、今日からお前は俺の管理下なっ」
 牧師は皮肉に満ちた笑顔をしていた。
 彼の目の前にいる女性は先程までの美女ではなかった。
 あどけさが残る17歳くらいの金髪の少女。喉元には黒いチョーカーのように見えるアザ。片目は翡翠色。

 「鏡見てみる?」
 彼はとても満足げな表情で、呆然とする彼女にすかさず手鏡を差し出した。

 「………いやあああああっ!!」

 暗く静かな森に相応しくない悲鳴が響き渡った。
 「名前はね、存在を縛るものだから。よーく覚えておくと良いよ」
 「……殺してやるっ」
 本気で飛びかかるイヴ。
「イヴ、そこに正座」
 そのまま地面に叩きつけられるような勢いで身体が正座を強制された。
 「はいはいイヴは良い子だね。じゃあこれから契約条件を言うから大人しく聞いておくこと」
 やはりイヴの身体は自由に動かない。
「改めて俺は牧師のアベル。あ、これ仮名だから。ガト・ グリス教団の一員だ。ま、教団といっても実は宗教的要素は表向きの集団でな、俺個人は神様なんていないと思ってる」
 他の宗教なら即破門されるような発言にあっけにとられるイヴ。まして目の前に居るのは聖職者の「はず」なのに。
「今イヴに掛けた術は名前と血の契約。定期的に俺が血を与える代わりに、俺の言葉にはぜったい服従かつ、他人の血は飲めないってことな。ま、俺が死ぬ前には解除してやるよ」
 「姿が変わったのは吸血鬼の力が制限されたからだ。あと俺が許可しない限り、元の姿には戻れないから」
 「ということは…ボクはお前が術を解除するまで……」

「俺達は運命共同体だ」

 邪悪な笑顔を楽しそうに浮かべる牧師。絶望の表情で固まる吸血鬼。 
 イヴにとって、最悪のクリスマスプレゼントだった。
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