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6.考え事か?
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洞窟のダンジョンに続く、緩やかな山道を登っている最中だった。
「魔王城建設に携わった、十本指の魔導士たちについて聞きたい?」
シェルムトートが聞き返すように言った言葉に、ヘルトルは「はい」と首肯した。
「魔王城の合鍵があるダンジョンならば、彼らが関わっている可能性は十分にある。無事に攻略できるよう、なるべく多くの情報を知りたいんです」
ヘルトルの真剣な声色に、シェルムトートはなるほど、と腑に落ちたように呟く。
シェルムトートはヘルトルの先を歩いているため、ヘルトルは彼の表情を窺うことができない。しかし、シェルムトートの足取りは見るからに軽く、愉しげにしていることは明らかだ。「ヘルちゃんは真面目だな」と子供を褒めるかのような物言いに、ヘルトルはむっとした。
「とはいえ、私も彼らについてはそんなに詳しくない。なにせ、二千年以上も前のことだ。当時の文献は大部分が消失してしまったし、口伝で伝わった内容も、真偽が怪しいものばかりだ」
「それでも人間の俺よりは知っているでしょう。与太話でも構わないので、教えてください」
ヘルトルが構わず食い下がると、シェルムトートはそれ以上もったいぶるつもりはないようで、微笑ましそうな声色で「分かった」と一言告げた。
「……人間の魔導士というのは、魔法の発展のために、後世の者たちに自らの知識を伝えることを惜しまないそうじゃないか。そのおかげで、魔法学校で講義を受けたり、書物を読んだりして学んだ魔導士は、幅広い魔法を扱うことができる」
シェルムトートの切り出した話に、ヘルトルは覚えがあった。
ヘルトルにも魔導士の知り合いがおり、魔法をいくつか見せてもらったことがある。彼の魔法は、雷を落としたり、人を眠らせたり、花を咲かせたりと一貫性がなく、実に多彩であった。それこそ、できないことなどないのではないかと思ったぐらいだったが、それを直接彼に言えば、「こんなのは魔法学校で習えば誰にでもできることだ」と笑って返されたものだった。
「……その言い方からすると、魔族の魔導士は違うんですか?」
「魔族というのは、基本的に自分本位な生き物だ。自らのしたいことをするために、魔法を学んだり、創造したりするが、その成果を他者に分け与えようとはしない。自身の子に引き継ぐことさえ稀だ。必然的に、知識には偏りができ、個々によって扱える魔法は異なる」
そこでヘルトルは、シェルムトートの部下、クーアラインのことをふと思い出した。そういえば彼は回復魔法の腕前はかなりのものだったが、その他の魔法となると、人間界では初歩的なものとして扱われている、蝋燭に火をつける魔法さえ使えないという有様だった。
あれは彼だけの特性だと思っていたのだが、シェルムトートの言うことが本当ならば、他の魔族も似たり寄ったりなのかもしれない。
しかしそうなると、疑問点も出てくる。後代に知識を受け継がないとなると、いくら強力な魔法を編み出してもその場限りのものとなり、いつまで経っても魔族の魔法の習熟度は上がらないのではないだろうか。
実際には、人間界の魔導士たちは度々攻め込んでくる魔界の魔導士たちの対処に苦心しており、実力に差があるとは到底思えない。独学でそのような境地に達するなど、本当にできるのだろうか、とヘルトルは首を捻った。
そんなヘルトルの疑念を感じ取ったのか、シェルムトートがくすり、と密やかな笑みを溢す。
「それでも魔族の魔導士が人間の魔導士に劣らないのは、魔族の方が持っている魔力が大きいこと、上級魔族の寿命が長いこと、自身の興味のあることに対してはひたむきであるということなどなど、色々と理由はあるのだが……話が脱線したな」
シェルムトートが足を止める。気がつけば、シェルムトートとヘルトルの距離が僅かに開いていた。シェルムトートは身長が高い上に足も長いので、油断すると置いて行かれる羽目になる。
ヘルトルが急いで距離を詰めると、シェルムトートは何でもないかのように再び歩き出した。
「まあ、つまり、魔界で十本指に入るような魔導士というのは、それぞれが一部分に特化したエキスパートだということだ。かつて魔王城建設に立ち会った魔導士たちも、それは例外ではない。だが」
シェルムトートは一旦そこで、言葉を区切った。
「面白いのは、魔族の中でも魔法が得意な種族、不得意な種族は分かれているはずなのに、当時の十本指の魔導士たちは、全員が異なる種族だった、ということだ。エルフ、竜人、夢魔、リザードマン、人魚等々、全くもって統一性がない。特に、オーガの魔導士ドゥーエルなど、オーガの知能の低さでどうやってそこまで魔法を極めることができたのか、謎にもほどがある」
これにはヘルトルも目を瞠った。オーガと言えば、その巨躯と筋力から、魔法というよりも、単純な力比べで勝負する印象が強い。言語を介することはできるが拙いところがあり、人間界では低級魔族に分類されがちな種族だ。そんなオーガが魔導士を志したというだけで驚嘆すべき事実だというのに、十本指まで成り上がったとは。
「しかし、生育環境がバラバラであったためか、それぞれの興味のベクトルは見事に被らなかった。それ故に、魔王城の防衛魔法は普通なら組み合わせようと思わない魔法、それも一級品同士が混じり合い、異様な様相を呈した」
今の十本指が同じことをしても、再現することはできないだろう、とシェルムトートはしみじみと言った。
「そんな彼らがダンジョンを作るとしたら、どのようなものを作ると思いますか?」
「そうだな……先ほど述べた魔導士ドゥーエルだったら、強化魔法を活かすために、武器や低級魔族を多く用いたダンジョンを作るだろうし、人魚の魔導士ヴェレベルだったら、水を巧みに使ったダンジョンを作るだろうな。リザードマンの魔導士エーデクセだったら、構造の変わるダンジョンとかかもしれない。夢魔の魔導士リッペトラオムだったら……うん、まあ……」
急に饒舌だったシェルムトートの語り口がしぼんでいったが、夢魔、と聞けばどうしてそうなったかは容易く想像がついた。
しかし、かの偉大な魔王シェルムトートが、そういう話に対して尻すぼみになるのは意外だ。てっきり千人切りくらい達成しているものだと思っていたが。
ヘルトルの生温かい視線に居心地が悪くなったのか、シェルムトートはこほん、と咳払いすると、黙って足を進めた。残りの魔導士たちの考察も聞いてみたいとヘルトルは思ったが、今追求するのも酷かもしれないと思い、大人しくその後ろをついていった。
どおん、と巨剣が地面に叩きつけられる。そこに残った大きな罅が、巨剣に込められた力の大きさを如実に示しており、もしまともにくらったら、と考えると寒気がした。
だが、いくら強力な攻撃でも、当たらなければいいだけの話だ。ヘルトルは素早く闘技場を動き回り、相手に狙いを定める余裕を与えない。
ヘーレグリフは身体が大きく、持っている武器も重い。そのためか、ヘルトルよりも動きが緩慢で、攻撃の前後の動作も大きい。その隙を窺えば、ヘルトルはいくらでも一振りを入れることができる、のだが。
「くっ……!」
がん、という音を立てて、長剣がヘーレグリフの身体にぶつかる。――およそ剣の刃が生き物に当たったとしては、不自然な音だ。
堪らず剣をヘーレグリフの身体から引き離す。
距離を取って、ヘーレグリフの様子を確認してみれば、彼の破けた服から覗く肌には、切り傷こそ残ってはいたが、傷口は浅く、血の一滴さえ出ていない。その事実に、ヘルトルの気分は重くなる。
相手の攻撃は自分に当たらない。逆に、自分の攻撃は何度でも相手に入る。しかし、実際に追い詰められているのは自分の方だと、ヘルトルはひしひしと感じていた。
ヘルトルは以前、オーガに会ったことがある。――戦ったことも。
しかし、その時はこのように剣が通らないということはなく、問題なく勝つことができた。
――ならば、この事態は恐らく。
「考え事カ?」
随分と余裕ナようだ、という言葉と共に、巨剣が振り下ろされる。間一髪でそれを躱したヘルトルは、乱暴な舌打ちを奏でた。
抉れた地面を横目で見やる。
強化魔法。人や物の持つ固さや重さなどの元々ある特性を、強める魔法。人間の魔導士は、強化魔法を武力に優れた者にかけて、魔族を倒させたり、力仕事をさせたりするのに活用している。――シェルムトートの話によれば、魔導士ドゥーエルが得意としていた魔法だ。
元々オーガは身体能力に特化した種族ではあるが、それでもここまでの威力を出すことができるとは。真か嘘かは不明だが、子孫を名乗るだけある。
いくら速さではヘルトルの方が勝っているとはいっても、体力は無尽蔵ではない。長期戦になれば、多く動いている分、ヘルトルの方が不利だ。現に、ヘルトルの呼吸は段々と速くなり始めていた。
どうにかして、攻撃を通す方法を見つけなければ。
ヘルトルは逃げ回りながら、辺りを見渡す。何か、突破のヒントになるようなものはないか――。
「……ん?」
そこでふと、あるものがヘルトルの目に留まった。ヘルトルが邪魔だとその辺に放った荷物の傍に、それはあった。
こんなもの、あっただろうか。ヘルトルは、闘技場にやって来てからのことを一つ一つ思い返す。――そして、すぐにその正体について悟った。
ああ、そういえば。あの時、自分はかなり必死で、音が聞こえてもそちらの方など見向きもしなかった。
気づくやいなや、ヘルトルはそれを、さっと拾い上げ、懐に隠した。ヘルトルは、魔法が使えず、身体が強固なものに効く毒も持ち合わせていない。ならば、生きるため、僅かな可能性でも縋るしかないのだ。
ヘーレグリフが後ろから追ってくる。今自分が持っているものに、彼はまだ気がついていないだろう。
勝負は一発で決まる。切り札は適切なタイミングで用い、外さないようにしなければならない。
ヘルトルは自分の頭にそう言い聞かせると、長剣を掲げ、――近づいてきたヘーレグリフに向かって、投擲した。
ヘーレグリフが目を大きく見開いた。ありえない、と思っているのだろう。有効打を与えられない敵に向かって、自ら主力武器を手放す真似をしたのだから。もしかすると、血迷ったか、とさえ思っているかもしれない。
案の定、長剣はヘーレグリフに当たりはしたが、固い壁に激突したかのように、呆気なく地面に落ちる。ヘーレグリフが思わず長剣に視線がつられたところで、ヘルトルは外套の合わせ目に手を突っ込んだ。
ヘーレグリフはしまった、という表情を咄嗟に浮かべたが、直後、明らかに顔の筋肉が弛緩したのが見て取れた。それもしょうがない、とヘルトルは思う。なにせ、以前ヘルトルが彼の前で外套の中から取り出したのは、何の変哲もない短剣だったのだから。
だが、今回中から出てくるのは、短剣ではない。
ヘーレグリフが油断している間に事を進めないといけないので、しっかり狙いを定めている暇はない。ヘルトルは相手が自身の持っているものを認識する前に、手に持っているものを素早く放った。
ひゅん、と風を切ってそれは飛んで行く。
目の前まで迫って来てようやく、ヘーレグリフはそれの正体に気がついたのだろう。慌てて身をよじるのが分かったが、生憎なことに、オーガは動きが遅い。
――次の瞬間、ヘーレグリフの胸元に、強化魔法がかけられた手斧が深々と食い込んだ。
「魔王城建設に携わった、十本指の魔導士たちについて聞きたい?」
シェルムトートが聞き返すように言った言葉に、ヘルトルは「はい」と首肯した。
「魔王城の合鍵があるダンジョンならば、彼らが関わっている可能性は十分にある。無事に攻略できるよう、なるべく多くの情報を知りたいんです」
ヘルトルの真剣な声色に、シェルムトートはなるほど、と腑に落ちたように呟く。
シェルムトートはヘルトルの先を歩いているため、ヘルトルは彼の表情を窺うことができない。しかし、シェルムトートの足取りは見るからに軽く、愉しげにしていることは明らかだ。「ヘルちゃんは真面目だな」と子供を褒めるかのような物言いに、ヘルトルはむっとした。
「とはいえ、私も彼らについてはそんなに詳しくない。なにせ、二千年以上も前のことだ。当時の文献は大部分が消失してしまったし、口伝で伝わった内容も、真偽が怪しいものばかりだ」
「それでも人間の俺よりは知っているでしょう。与太話でも構わないので、教えてください」
ヘルトルが構わず食い下がると、シェルムトートはそれ以上もったいぶるつもりはないようで、微笑ましそうな声色で「分かった」と一言告げた。
「……人間の魔導士というのは、魔法の発展のために、後世の者たちに自らの知識を伝えることを惜しまないそうじゃないか。そのおかげで、魔法学校で講義を受けたり、書物を読んだりして学んだ魔導士は、幅広い魔法を扱うことができる」
シェルムトートの切り出した話に、ヘルトルは覚えがあった。
ヘルトルにも魔導士の知り合いがおり、魔法をいくつか見せてもらったことがある。彼の魔法は、雷を落としたり、人を眠らせたり、花を咲かせたりと一貫性がなく、実に多彩であった。それこそ、できないことなどないのではないかと思ったぐらいだったが、それを直接彼に言えば、「こんなのは魔法学校で習えば誰にでもできることだ」と笑って返されたものだった。
「……その言い方からすると、魔族の魔導士は違うんですか?」
「魔族というのは、基本的に自分本位な生き物だ。自らのしたいことをするために、魔法を学んだり、創造したりするが、その成果を他者に分け与えようとはしない。自身の子に引き継ぐことさえ稀だ。必然的に、知識には偏りができ、個々によって扱える魔法は異なる」
そこでヘルトルは、シェルムトートの部下、クーアラインのことをふと思い出した。そういえば彼は回復魔法の腕前はかなりのものだったが、その他の魔法となると、人間界では初歩的なものとして扱われている、蝋燭に火をつける魔法さえ使えないという有様だった。
あれは彼だけの特性だと思っていたのだが、シェルムトートの言うことが本当ならば、他の魔族も似たり寄ったりなのかもしれない。
しかしそうなると、疑問点も出てくる。後代に知識を受け継がないとなると、いくら強力な魔法を編み出してもその場限りのものとなり、いつまで経っても魔族の魔法の習熟度は上がらないのではないだろうか。
実際には、人間界の魔導士たちは度々攻め込んでくる魔界の魔導士たちの対処に苦心しており、実力に差があるとは到底思えない。独学でそのような境地に達するなど、本当にできるのだろうか、とヘルトルは首を捻った。
そんなヘルトルの疑念を感じ取ったのか、シェルムトートがくすり、と密やかな笑みを溢す。
「それでも魔族の魔導士が人間の魔導士に劣らないのは、魔族の方が持っている魔力が大きいこと、上級魔族の寿命が長いこと、自身の興味のあることに対してはひたむきであるということなどなど、色々と理由はあるのだが……話が脱線したな」
シェルムトートが足を止める。気がつけば、シェルムトートとヘルトルの距離が僅かに開いていた。シェルムトートは身長が高い上に足も長いので、油断すると置いて行かれる羽目になる。
ヘルトルが急いで距離を詰めると、シェルムトートは何でもないかのように再び歩き出した。
「まあ、つまり、魔界で十本指に入るような魔導士というのは、それぞれが一部分に特化したエキスパートだということだ。かつて魔王城建設に立ち会った魔導士たちも、それは例外ではない。だが」
シェルムトートは一旦そこで、言葉を区切った。
「面白いのは、魔族の中でも魔法が得意な種族、不得意な種族は分かれているはずなのに、当時の十本指の魔導士たちは、全員が異なる種族だった、ということだ。エルフ、竜人、夢魔、リザードマン、人魚等々、全くもって統一性がない。特に、オーガの魔導士ドゥーエルなど、オーガの知能の低さでどうやってそこまで魔法を極めることができたのか、謎にもほどがある」
これにはヘルトルも目を瞠った。オーガと言えば、その巨躯と筋力から、魔法というよりも、単純な力比べで勝負する印象が強い。言語を介することはできるが拙いところがあり、人間界では低級魔族に分類されがちな種族だ。そんなオーガが魔導士を志したというだけで驚嘆すべき事実だというのに、十本指まで成り上がったとは。
「しかし、生育環境がバラバラであったためか、それぞれの興味のベクトルは見事に被らなかった。それ故に、魔王城の防衛魔法は普通なら組み合わせようと思わない魔法、それも一級品同士が混じり合い、異様な様相を呈した」
今の十本指が同じことをしても、再現することはできないだろう、とシェルムトートはしみじみと言った。
「そんな彼らがダンジョンを作るとしたら、どのようなものを作ると思いますか?」
「そうだな……先ほど述べた魔導士ドゥーエルだったら、強化魔法を活かすために、武器や低級魔族を多く用いたダンジョンを作るだろうし、人魚の魔導士ヴェレベルだったら、水を巧みに使ったダンジョンを作るだろうな。リザードマンの魔導士エーデクセだったら、構造の変わるダンジョンとかかもしれない。夢魔の魔導士リッペトラオムだったら……うん、まあ……」
急に饒舌だったシェルムトートの語り口がしぼんでいったが、夢魔、と聞けばどうしてそうなったかは容易く想像がついた。
しかし、かの偉大な魔王シェルムトートが、そういう話に対して尻すぼみになるのは意外だ。てっきり千人切りくらい達成しているものだと思っていたが。
ヘルトルの生温かい視線に居心地が悪くなったのか、シェルムトートはこほん、と咳払いすると、黙って足を進めた。残りの魔導士たちの考察も聞いてみたいとヘルトルは思ったが、今追求するのも酷かもしれないと思い、大人しくその後ろをついていった。
どおん、と巨剣が地面に叩きつけられる。そこに残った大きな罅が、巨剣に込められた力の大きさを如実に示しており、もしまともにくらったら、と考えると寒気がした。
だが、いくら強力な攻撃でも、当たらなければいいだけの話だ。ヘルトルは素早く闘技場を動き回り、相手に狙いを定める余裕を与えない。
ヘーレグリフは身体が大きく、持っている武器も重い。そのためか、ヘルトルよりも動きが緩慢で、攻撃の前後の動作も大きい。その隙を窺えば、ヘルトルはいくらでも一振りを入れることができる、のだが。
「くっ……!」
がん、という音を立てて、長剣がヘーレグリフの身体にぶつかる。――およそ剣の刃が生き物に当たったとしては、不自然な音だ。
堪らず剣をヘーレグリフの身体から引き離す。
距離を取って、ヘーレグリフの様子を確認してみれば、彼の破けた服から覗く肌には、切り傷こそ残ってはいたが、傷口は浅く、血の一滴さえ出ていない。その事実に、ヘルトルの気分は重くなる。
相手の攻撃は自分に当たらない。逆に、自分の攻撃は何度でも相手に入る。しかし、実際に追い詰められているのは自分の方だと、ヘルトルはひしひしと感じていた。
ヘルトルは以前、オーガに会ったことがある。――戦ったことも。
しかし、その時はこのように剣が通らないということはなく、問題なく勝つことができた。
――ならば、この事態は恐らく。
「考え事カ?」
随分と余裕ナようだ、という言葉と共に、巨剣が振り下ろされる。間一髪でそれを躱したヘルトルは、乱暴な舌打ちを奏でた。
抉れた地面を横目で見やる。
強化魔法。人や物の持つ固さや重さなどの元々ある特性を、強める魔法。人間の魔導士は、強化魔法を武力に優れた者にかけて、魔族を倒させたり、力仕事をさせたりするのに活用している。――シェルムトートの話によれば、魔導士ドゥーエルが得意としていた魔法だ。
元々オーガは身体能力に特化した種族ではあるが、それでもここまでの威力を出すことができるとは。真か嘘かは不明だが、子孫を名乗るだけある。
いくら速さではヘルトルの方が勝っているとはいっても、体力は無尽蔵ではない。長期戦になれば、多く動いている分、ヘルトルの方が不利だ。現に、ヘルトルの呼吸は段々と速くなり始めていた。
どうにかして、攻撃を通す方法を見つけなければ。
ヘルトルは逃げ回りながら、辺りを見渡す。何か、突破のヒントになるようなものはないか――。
「……ん?」
そこでふと、あるものがヘルトルの目に留まった。ヘルトルが邪魔だとその辺に放った荷物の傍に、それはあった。
こんなもの、あっただろうか。ヘルトルは、闘技場にやって来てからのことを一つ一つ思い返す。――そして、すぐにその正体について悟った。
ああ、そういえば。あの時、自分はかなり必死で、音が聞こえてもそちらの方など見向きもしなかった。
気づくやいなや、ヘルトルはそれを、さっと拾い上げ、懐に隠した。ヘルトルは、魔法が使えず、身体が強固なものに効く毒も持ち合わせていない。ならば、生きるため、僅かな可能性でも縋るしかないのだ。
ヘーレグリフが後ろから追ってくる。今自分が持っているものに、彼はまだ気がついていないだろう。
勝負は一発で決まる。切り札は適切なタイミングで用い、外さないようにしなければならない。
ヘルトルは自分の頭にそう言い聞かせると、長剣を掲げ、――近づいてきたヘーレグリフに向かって、投擲した。
ヘーレグリフが目を大きく見開いた。ありえない、と思っているのだろう。有効打を与えられない敵に向かって、自ら主力武器を手放す真似をしたのだから。もしかすると、血迷ったか、とさえ思っているかもしれない。
案の定、長剣はヘーレグリフに当たりはしたが、固い壁に激突したかのように、呆気なく地面に落ちる。ヘーレグリフが思わず長剣に視線がつられたところで、ヘルトルは外套の合わせ目に手を突っ込んだ。
ヘーレグリフはしまった、という表情を咄嗟に浮かべたが、直後、明らかに顔の筋肉が弛緩したのが見て取れた。それもしょうがない、とヘルトルは思う。なにせ、以前ヘルトルが彼の前で外套の中から取り出したのは、何の変哲もない短剣だったのだから。
だが、今回中から出てくるのは、短剣ではない。
ヘーレグリフが油断している間に事を進めないといけないので、しっかり狙いを定めている暇はない。ヘルトルは相手が自身の持っているものを認識する前に、手に持っているものを素早く放った。
ひゅん、と風を切ってそれは飛んで行く。
目の前まで迫って来てようやく、ヘーレグリフはそれの正体に気がついたのだろう。慌てて身をよじるのが分かったが、生憎なことに、オーガは動きが遅い。
――次の瞬間、ヘーレグリフの胸元に、強化魔法がかけられた手斧が深々と食い込んだ。
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