自宅の鍵を失くした魔王が合鍵を取りにダンジョン攻略する話~ツンデレの友人を添えて~

千間井鰯

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7.だーれだ

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 ヘルトルがその手斧を見たとき、思い出したのは、シェルムトートの言葉だった。
『そうだな……先ほど述べた魔導士ドゥーエルだったら、強化魔法を活かすために、武器や低級魔族を多く用いたダンジョンを作るだろうし、人魚の魔導士ヴェレベルだったら、水を巧みに使ったダンジョンを作るだろうな』
 この手斧は、ドゥーエルの子孫だと名乗る、ヘーレグリフがヘルトルを仕留めるため、巨剣の次に投擲してきた武器だ。ヘーレグリフがもし、自身にのみ強化魔法をかけていたのなら、彼の巨剣はとっくに粉々になっているに違いない。ということは、この手斧にも、強化魔法がかけられているのでは?
 そのことに思い当たってしまえば、使わないという選択肢はなかった。


 目の前で蹲り、呻きながら胸を抑えるヘーレグリフの姿を見て、ヘルトルは一番初めに、失敗したな、と思った。
 元々、ヘルトルは手斧を、ヘーレグリフの首に当てるつもりだった。頸動脈を切ることができたら出血死が狙えるし、呼吸がまともにできなくなれば、彼はヘルトルを殺すほどの活力を持てないに違いない、と考えたからであった。
 だが結局、ロクに狙いを定めないまま放った手斧が当たったのは、ヘーレグリフの胸部であった。しかもあの様子では、心臓に突き刺さったわけではないだろう。
 手斧はしっかりヘーレグリフに確保されてしまい、もうヘルトルには彼に致命傷を与える手段はない。
 完全なる詰みだ。
 そう判断すると、ヘルトルはすぐさま、突き出した岩々のある壁に向かって走り出した。自分が入ってきた方の入口の先は、地形の変動により、行き止まりだ。ならば、何があるか分からなくとも、希望が残された穴のどれかに入るしかない。
 だが、どうやらこのダンジョンは、そんなヘルトルの甘い考えを野放しにしておくほど、優しくはないらしい。
 ぐらり、と地面が揺れる。その感覚に、ヘルトルは覚えがあった。
 轟音と共に、地面が波打ち、穴の手前でせり上がる。下から上へと、順々に閉じられていく逃げ道を、ヘルトルは最下層で見ていることしかできなかった。
「……逃ゲられると、思ウな」
 頭上の鉱石の光によって照らされた、大男の影が揺らめいた。
 視線は冷ややかで、開いた口の隙間から覗く牙は鋭い。胸に刺さった手斧は抜かれることなく、その存在を強烈に示している。凶悪に歪められたその相貌からは、格下を相手にしているという油断は、欠片も存在しなかった。
 遠くに落ちている長剣の刃は粉々にされており、ヘルトルの手元に残った武器は種も仕掛けもない短剣のみ。ここからジャイアントキリングに持ち込めるかと問われれば、黙って首を横に振るしかない状況だ。
 だがそれでも、ヘルトルは死ぬわけにはいかなかった。
 絶望へと押し流されそうな頭を叱咤して、無理やり回転させる。鞄の中には何が入っていたか、確か、食料、水、傷薬、包帯、裁縫道具……。一つ一つ上げ連ねてはみるが、どれもこれも悲惨な状況を打開できるかというと疑問が残るものばかりだ。
 そういえば、シェルムトートがランプを持ってきていたので忘れていたが、松明と火打石を持ってきていたような気がする。ヘーレグリフの服に火でも点けることができたのなら、勝ち目はあるかもしれない。
 多少無理があっても、とりあえず実践してみるのがヘルトルの信条だ。ヘーレグリフの攻撃を避け、どうにかして荷物を取りに行こう、とそちらの方を見やる。
 そこで、ようやく気付いた。――荷物がない。
 ヘルトルはもう一度、ヘーレグリフ、正確には彼の手の辺りを見る。

 予想通り、彼は右手で巨剣を軽々と持っていて、左手には、ヘルトルの荷物が握られていた。

「……」
 緊迫した空気の中ではあるが、あまりの最悪さにヘルトルはその場で地団駄を踏みたくなった。
 どうしろってんだ、こんなの!
 こうなってしまえば、もうどうしようもない。往生際悪く逃げ回りながら、荷物を奪い返す方法を模索するしか、今のヘルトルのできることはなかった。
 しかし、いい加減、体力も底が尽きそうだ。
 荒い呼吸の音が、洞窟内に響く。足はもつれ、うっかりすれば転んでしまいそうだった。追う側であるヘーレグリフは一歩一歩が大きく、体力の消耗が少ない。
 いつの間にか、彼の巨剣が届く距離に、ヘルトルは追い詰められていた。
「終わリだ」
 短い言葉と共に、巨剣がヘルトルの後ろから振り下ろされる。
 避けられない。ヘルトルは、直感的にそう感じると、せめてもの悪あがきだと、短剣を自身の頭を守るかのように翳した。

 ――だが、覚悟していた衝撃はいつまでもやって来ることはなく、代わりに大きな爆発音が聴覚を支配した。

 一体、何が起こったというのか。
 痛む耳からそろそろと手を離し、振り返って様子を確認しようとする。だがそうする前に、ヘルトルの視界が、生温かい感覚と共に黒く染まった。
「だーれだ」
 甘やかな低めの声が、至近距離で耳に注ぎ込まれる。思わずぞわりと肌を粟立たせたヘルトルの口からは、混乱のあまり皮肉を言うこともできず、思ったことが正直に飛び出した。
「シェ、ルムトート……?」
「ふふ」
 小さな吐息が、やけにはっきりと聞こえた。少し経って、手のひらの温度が瞼から遠ざかり、光に照らされた洞窟の景色が見えてくる。
 ヘルトルは勢いよく、後ろを振り返った。そうして、見えたのは。
「やっと、私の名前を呼んでくれたな。ヘルちゃん」
倒れ伏したオーガの青年と、うんざりするほど綺麗な笑みでこちらを覗き込んでいる、シェルムトートだった。


「いや~、ずっとアンタ呼びだったから、一回ぐらい本名で呼ばれたくて堪らなかったんだ。絶好の機会を得ることができて、私は幸運だ!」
 声が形を成していたなら、シェルムトートのそれは、今まさに大はしゃぎしてあちこちを飛び跳ねていることだろう、とヘルトルはどこか頭が痛い心地になった。
 助けてもらったことは、ありがたい、本当にありがたい、のだが。
「なあ、ヘルちゃん。もう一回呼んでくれないか? 返礼として、私も君の名前を呼ぶから」
 ……台無しにもほどがある。
「それ俺にとってなんのメリットもないですよね?」
「え、でもヘルちゃん前言ってなかったか? 親から貰った大事な名前だって。そんな名前を正式名称で私に呼んでもらえるんだぞ。メリットしかないだろう」
 どうしてこの男は都合よくそんなことを覚えているんだ。しかも自己評価が異様に高い。
 命の恩人と言っても差し支えない相手だが、ヘルトルは素直に従う気になれず、ため息をついた。
 押し問答を繰り広げていると、不意にシェルムトートの後ろの方から、「うぅ……」という呻き声と、服と地面が擦れる音が聞こえた。ヘルトルが咄嗟に短剣に手を掛けると、シェルムトートが「大丈夫だ」とヘルトルの肩を軽く叩いた。
 倒れているヘーレグリフをまじまじと見たヘルトルが、問いかけた。
「生きてるんですか?」
「ああ。というか、そうじゃないと困るんだ」
 生かしておいて平気なのか、そうじゃないと困るとはどういう意味なのか。
 そんなヘルトルの心情を視線から正しく読み取ったのか、シェルムトートはゆっくりとヘーレグリフの元に歩み寄りながら、説明する。
「ヘルちゃんも体感したと思うが、このダンジョンには地形変動する仕組みが備わっており、侵入者を惑わせるのに大いに貢献している。何も知らない冒険者を追い出すという点では素晴らしい仕組みだ。解析したところ、魔王の血を継ぐもののみが、正しいルートに進めるらしい、が」
「それって、おかしくないですか? だって……」
 その地形変動により、ヘルトルとシェルムトートは引き離されたのだ。れっきとした魔王であるシェルムトートに対して反応するのは、欠陥としか思えない。
 そこまで考えたヘルトルは、気づいた。シェルムトートは先程、魔王の血を継ぐもののみが、正しいルートに進めると言った。ということは。
「私はあの地形変動の後、何やら仰々しい扉の前に辿り着いた。恐らく、あそこが正しいルートなのだろう。……しかし、そこに君はいなかった」
 ダンジョンの機構は正しく機能し、部外者のみを、強敵の待ち受ける闘技場へと放り出した。今回は手遅れになる前に、シェルムトートが割り込んできたのでどうにかなったが、もし、あと一歩遅かったら、と考えると、ヘルトルはぞっとした。
「全く、酷いダンジョンだ。先へ進むためには二人用の謎を解かないといけないというのに。最奥には一人しか行かせるつもりがないなんて」
 シェルムトートは不服そうに、口を尖らせる。ヘルトルは彼の言葉に、内心同意した。恐らく、魔導士ドゥーエルはかなり性格が悪かったのだろう。
 ヘルトルは大人しくシェルムトートの話を聞いていたが、そこでふと、あることが気になった。
「目的の品は、手に入ったんですか」
 ぶっきらぼうな態度で、ヘルトルはシェルムトートに尋ねた。
 シェルムトートが一足先に正しいルートに行けたということは、彼はその先まで進んだうえで、ヘルトルを探しに来たのだろう。そう考えたうえでの発言だった。
 しかし、

「いいや。扉の中には入らず、手当たり次第、壁を破壊してここまで来た」
「は?」

 思わぬ答えが返ってきて、ヘルトルは硬直した。
 意味が分からない。シェルムトートの第一目標は合鍵を手に入れることであり、ヘルトルの存在はあくまでおまけにすぎないはずだ。目の前に正解らしき道があるというのに、そちらに進まない道理がない。
 もしや、何か不都合でもあったのか。
 ヘルトルはぱちくりと目を瞬かせ、シェルムトートの表情をさっと窺った。
「分かってないな、ヘルちゃん」
 シェルムトートが呆れたような口調でそう言う。だが、彼の表情はどこまでも穏やかに見え、気まずくなったヘルトルは思わず目線を逸らした。
 そんなヘルトルを咎めるように、シェルムトートはヘルトルの両手を握り、真っ直ぐに視線を合わせてくる。
 近くで見る赤色の瞳は、こちらが焼け尽くされてしまうのではないかと思うほどに、鮮烈だった。熱くて鬱陶しくて堪らないのに、ヘルトルはどうしても、目を離すことができない。
 シェルムトートの薄い唇が、ゆっくりと、それでいてはっきりと開かれる。

「私は、君とダンジョン攻略したいんだ」

 一人で、だなんて味気ないじゃないか。そう言い聞かせるように告げるのと同時に、シェルムトートがぎゅっと握った手に力を込めた。
 臆面のない、堂々とした言葉だった。


「――それで、目的を達成するために、彼の力が必要になるんだ」
 するり、と手が離され、ヘルトルはハッとした。眠気の残る頭を無理やり覚醒させられたような、そんな感覚に陥った。
「斧が胸に突き刺さっているにもかかわらず、ヘルちゃんを追い詰めることができるオーガなんて、どう考えても普通じゃない。魔導士ドゥーエルの子孫かなんかで、こっそり伝えられた強化魔法でも使ってると考えるのが自然だ」
 シェルムトートは悠然とした足取りで、ヘーレグリフの方へと向かう。
「だとしたら、伝わっているのはそれだけじゃないかもしれないだろう?」
 ヘーレグリフの傍まで近づいたシェルムトートはしゃがみ込むと、彼の頬をぺしぺしと叩いた。すると、気絶していたヘーレグリフの瞼が徐々に開かれるのが、ヘルトルにも遠目で分かった。
 ヘーレグリフは薄く口を開け、焦点はぼんやりとしているようであったが、自身の視界に入ってきた、見るからに一筋縄ではいかなさそうな黒髪の魔族を認識すると、驚愕の表情を浮かべた。
「魔王……」
「うんうん。意識はちゃんとしているようだな。なあ、オーガの子よ。少々聞きたいことがあるんだが」
 シェルムトートはいつもの胡散臭げな笑顔を形作ると、呆然としているヘーレグリフに尋ねた。

「君はダンジョンにおける、地形変動の操作権を持っているか?」

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