自宅の鍵を失くした魔王が合鍵を取りにダンジョン攻略する話~ツンデレの友人を添えて~

千間井鰯

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8.どうして許されないんだ?

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 シェルムトートは闘技場の壁を破壊して乗り込んできたと言っていたが、その痕跡はきれいさっぱり残されていなかった。恐らく、二人でもめているときに、自動的に修復されたのだろう。
 ヘーレグリフが指し示した正解の道は、彼とヘルトルが戦っている最中に塞がれた穴のうちの一つだった。
 岩の上に乗ったヘーレグリフが巨剣を頭上に掲げる。その剣身が淡い光に包まれた、次の瞬間。
 岩壁が崩れ、溶けるように地面に沈み込んでいき、元々そこにあった穴が改めて現れた。
「なるほど。その剣が操作権となっているのか」
 シェルムトートが現れた穴をしげしげと眺め、感嘆の声を上げる。その内容を聞いたヘーレグリフが、ぼそぼそと小さな声で、独り言のように呟いた。
「剣ダけ持っていても駄目ダ。特定の条件ヲ満たしていナければ、何も起こらなイ」
 どういうことか聞く前に、ヘーレグリフはさっさと穴の中に入っていってしまった。


 穴の中に足を踏み入れると、光る鉱石がないためか、かなり暗い。幸い、シェルムトートがランプを点けてくれたので、ぼんやりとではあるが、視界を確保することができた。
 先頭をヘーレグリフ、続いてシェルムトート、最後尾にヘルトルという順番で、通路を進んでいく。ヘーレグリフは無言であったが、シェルムトートが隙あらばヘルトルにちょっかいをかけてきて、非常に喧しい。
 シェルムトートの相手をしながら前を進んでいれば、時間はあっという間に過ぎていった。
「……ここダ」
 ヘーレグリフが立ち止まる。前方に立ち塞がった両開きの扉を見て、シェルムトートがおお、と声を上げた。
「そうだ、これだ。私が見た仰々しい扉は」
 シェルムトートが仰々しい、というだけあって、その扉は実に絢爛豪華で、気品に溢れていた。しかも、以前シェルムトートとヘルトルが謎解きをした扉とは違い、その前に立つ者を怖気づかせるような、圧がある。
 ただの人間ならば、この扉の向こう側にあるものは至上の宝にせよ、おどろおどろしい化け物にせよ、自分に見合ったものでは決してないだろうと早々に見切りをつけ、引き返すに違いない。

 しかし、今扉の前にいるのは、ただの人間ではなく、魔族の頂点に立つ魔王だ。

 シェルムトートが扉の持ち手に手を掛ける。ヘルトルは、扉とシェルムトートが並ぶのを見ると、不思議と完成した一枚の絵を見たときのように、しっくりとした感覚に駆られた。
 ああ、間違いなくこの先にあるのは、――この男の持ち物なのだ。
 ぎぃ、と重い音を響かせて、扉は開け放たれた。
 その先を見て、ヘルトルが真っ先に抱いた感想は。

「……暗いですね、それに」
「ごちゃごちゃしているな」

 よっと、という掛け声とともに、シェルムトートが中に入る。彼の持っているランプに照らされて、部屋の様子が露わになった。
 室内に所狭し、と敷き詰められた物、物、物。よくよく見れば、金塊だったり、宝石で彩られたアクセサリーだったり、怪しげな雰囲気を放っている書物だったりするそれらは、こうして乱雑に置かれていると、とても貴重なものには見えなかった。
 どれが合鍵なんですか、とシェルムトートに問えば、彼は困ったように首を横に振った。
 ヘルトルは、これからの面倒のことを考えると、非常に暗澹たる気持ちになった。


 ダンジョンの最奥まで来て、やることが掃除とは。
 何故今まで片づけていなかったのか、そんな非難を込めて、ヘーレグリフを睨みつければ「まさカ本当に魔王が合鍵を取りにクるとは思わなかったんダ」と気まずそうに返された。
「そレに、こんナ高価そうなものだらけの部屋なンて、片ヅける気になれなイ」
 それは、――正直分かるかもしれない。ヘルトルだって、もし今手に持っている壺を落としでもしたら、どれだけの損失が生まれるのか、とひやひやしながら移動しているのだ。これらの宝は、かつての魔王のものなのか、魔導士ドゥーエルのものなのか、それとも他の誰かのものなのかはヘルトルには判断がつかなかったが、下手に扱わない方がトラブルのもとにならずに済む。ヘルトルは、極めて慎重に整頓を行った。
 一方で、シェルムトートはあまり気後れせず、せっせとあちこちを動き回っていた。汚れを拭いたり、埃を取ったりといった細かいことは着手せず、とりあえず邪魔なものを退かそうという方針なので、腰を下ろす時間は一秒たりともない。時折、床に落ちている宝物を踏みそうになっているのを見ると、ヘルトルは胃が絞られる心地がした。
 シェルムトートの足元に鎖で繋がれた銀色の指輪が二つ落ちているのを見て、ヘルトルはぎょっとした。慌てて、手を伸ばし、さっと拾い上げる。金属特有の冷たさを、肌に感じた。
「ちょっと! アンタ、金目のものに無頓着なのは別にいいですけど、どういう因縁をつけられるかも分からないんだから、もう少し丁寧に……」
 文句を言いながら手元を見やって、ヘルトルは気づく。
 その二つの指輪は揃いのもののようで、どちらも宝石がついておらず、装飾も地味な、簡素なつくりをしていた。上質なものではあるが、この部屋にあるにしては控えめな代物だ。それに、片方はサイズがやけに大きい。もう少し大きさがあれば、ヘルトルは腕輪と勘違いしていただろう。
 側面には、それぞれ小さく文字が彫り込まれているが、今人間界や魔界で使われている文字ではないようで、ヘルトルにはどんな内容なのか読み取れなかったが、背後から覗き込んできたシェルムトートが、これは、と驚嘆の声を漏らした。
「これ、なんて書いてあるか分かるんですか?」
 ヘルトルは、振り返って、すかさずシェルムトートに尋ねた。シェルムトートはああ、と頷く。
「分かる、が……そうだったとは、知らなかったな……」
 一人で何かを納得したようにぶつぶつと呟くシェルムトートに、ヘルトルは若干機嫌を損ねた。同時に、シェルムトートの感情を揺り動かしたそれに、興味を引かれる。
「何が分かったって言うんです?」
 もう一度強めに問いかけると、シェルムトートはハッとして、ヘルトルに向き直った。
 シェルムトートは告げた。
「ヘルちゃん。これは恐らくだが、結婚指輪だ。書いてあるのは、どちらも名前で……」
――ドゥーエル、エーデクセ、と。

ヘルトルは一瞬、それが何を指しているのかが分からなかった。
だが、直後。ヘルトルはどちらの名前も、聞き覚えがあることに気がついた。
魔導士ドゥーエルは言わずもがな。そして、エーデクセの方は――。

『リザードマンの魔導士エーデクセだったら、構造の変わるダンジョンとかかもしれない』

 どん、と重たい音が、部屋の隅から聞こえた。
 そちらの方を見れば、オーガの青年、ヘーレグリフが持っていた箱を丁度地面に置いたところであった。埃が手に付着したのか、ぽんぽんと手を払っている。
 思わずその様子をまじまじと見ていると、視線に気がついたのか、ヘーレグリフが顔を上げた。ヘルトルと目線がかち合うと、ヘーレグリフはうんざりとした様子ではあったが、思いのほかはっきりとした声色で、彼の出自を明かした。
「ああ、そウだ。俺は完全なオーガではなイ。リザードマンの血も僅かながら入ってイる」
 もウだいぶ薄いだろうが、とヘーレグリフは口の端を歪めた。暗い部屋の中で見た彼の瞳孔は、闘技場で見たときよりも、格段に大きく開いていた。

 思い返してみれば、不自然なことは多々あった。
 壁が動いたり、地面が消えたりする、というのはダンジョンではよくある仕掛けであるが、それにしても地面が水のように流動的に動く、というのは相当高度な魔法が使われていないと無理な話だ。
 今までヘルトルはそれを強化魔法の応用だと考えていたのだが、このダンジョンの土は非常に柔らかいというわけでもなく、むしろ洞窟にしては珍しく、水はけの良い、乾いたものであった。魔法で性質が強化されるとしたら、柔らかさではなく、固さの方になるだろうし、あのように自由自在に動きはしないだろう。
 また、オーガは脳の構造上なのか、言語能力が他の上級魔族よりも低く、ヘルトルが以前戦ったオーガも例に漏れずそうだったのだが、ヘーレグリフはそのオーガよりも、ずいぶんと流暢に話せていることに、ヘルトルは違和感を持っていた。イントネーションこそおかしい部分はあるが、話し方は理路整然としていて、こちらの伝えたいことも正しく伝わっている。魔導士ドゥーエルは、オーガであるにもかかわらず、強化魔法を極めたという話が強く印象づいていたため、子孫も知性が高いのか、と驚いたものだったが、人間と同じくらいの言語能力を持ったリザードマンの血を受け継いでいるのなら、不思議な話ではない。
 それに何よりも、ヘルトルはヘーレグリフの目のことが気になっていた。通常のオーガの目は、白目の占める面積が高いこと以外は、人間とほとんど同じのはずだ。だというのに、ヘーレグリフの目は白目がなく、黄褐色の丸い瞳に、猫のような細い瞳孔を持っていた。しかも、ヘルトルが全く周囲の様子を掴めなかった闘技場の穴の中に、彼は灯りを持たずに入り、そこから巨剣や手斧を投擲してきたのだ。リザードマンの中には、夜でも昼のように周りの状況を把握することができる目を持った者がいるという。恐らく、ヘーレグリフの祖先がそうだったのだろう、とヘルトルは予測していた。
 故に、魔導士ドゥーエルと魔導士エーデクセが結婚しており、ダンジョンを共同制作しただけでなく、子供まで儲けていたというのは、驚きこそあれ、納得感のようなものをヘルトルにもたらした。

 しかし、ヘルトルにとってそれは、信じがたい事実であった。

「十本指にまで名を馳せた魔導士同士が、リスクがあると分かっていて、混血の子供を産んだんですか……?」
 魔族は、魔界に住む非常に様々な特徴を持つ種族の集まりだが、ドゥーエルとエーデクセのように、異なる種族同士でも子を成せる場合が、稀にある。これは一見して、たとえ異種族同士の恋愛でも、望みがあるという話に思えるが――現実は、そう単純ではなかった。
 第一に、異種族の血が混じった子を孕むのは、物理的に苦しみを負う可能性が高い。魔族の資料が豊富ではない人間界でさえも、角のない胎生の魔族が、角のある魔族の子を孕んだ際、子宮に角が刺さり、大量出血を引き起こした事例が報告されているくらいだ。オーガは胎生で、リザードマンは卵生。どちらが産んだにせよ、出産の際に多大な困難があったことは容易く想像できる。
 第二に、混血の子はどちらの親の種族からも、異端として扱われやすい。人間界と繋がる前は、魔族同士で争うことが主であり、今は仕事上の付き合いとして表面上は仲良くできるようになった種族が大半だが、それでも過去の恨みは依然として残っているのだ。自分たちのテリトリーの外側にいるのなら見逃すが、内側に入ったのならそうはいかない、という立場を取っている種族は、思っているよりも多い。下手すると、子供が生まれたと気づかれるやいなや、家族全員が殺されるかもしれないのだ。
 これらの理由で、できるといっても異種族同士の婚姻はなかなかなく、子づくりなんてものはタブーと言っても過言ではないのだ。
 ヘーレグリフがそのせいで、決して愉快ではない目にあってきただろうことは、表情の暗さから簡単に読み取れた。彼は大きな手で、小さな角が生えた頭をがしがしと掻いた。
「俺だって分からなイ。どうシて祖先はそんな……」

「愚かな真似を、と思うか?」

 突然、静かな声が割り込んできて、ヘルトルとヘーレグリフはぎょっとした。図星だったのか、威圧感に気圧されたのか、ヘーレグリフは閉口した。
 ただ、ヘルトルは別にシェルムトートが怒っているわけではないことを視線から読み取り、彼にはただ何か聞きたいことや、伝えたいことがあるのだろうということを理解すると、ヘーレグリフの代わりに口を開いた。
「思うでしょう。だって、何故わざわざ愛する人の子供を不幸にするんです? 本当に相手のことが好きなら、身を引くか、そうじゃなければただ連れ添うだけで済ませたはずです」
 きっぱりと告げた、心からの言葉。
 ヘルトルには理解できなかった。人の心にも、社会にも、踏み越えてはいけない線が存在する。その線を越えれば、何もかもがめちゃくちゃになるというのに、自分だけでは飽き足らず、大切な人にも越えさせるというのは、無責任にもほどがないだろうか。自分だったら、そんなことはしないし、もし大切な人が越えようとしていたら、全力で止める。
 それこそ、あの時のように。
「君は本当に手厳しいというか、純真というか……」
 ヘルトルの答えを聞いて、シェルムトートは苦笑した。何を分かった口振りで、と思うが、仰ぎ見たシェルムトートの表情が思いのほか柔らかで、息が詰まった。かろうじてヘルトルが発することができたのは「アンタは違うんですか?」という一言だった。
 シェルムトートは曖昧な笑みを浮かべながら、首を振る。
「いや、違わない。私だって馬鹿だな、と思うさ。誰のためにもならない、無益かつ有害な行いだとさえ思う。だが、――気持ちは分からなくもないんだ」
 シェルムトートが伏せた瞼を、そっと上げる。

「だって、そうだろう? お互いに愛し合っていることを分かっているにもかかわらず、異種族同士である、その一点だけで、どうしてできることを我慢しなくちゃいけないんだ? どうして同族なら許される触れ合いや愛を形に残すことを、自分たちは許されないんだ?」

 身の内から湧き出る苦悩をありったけ込めたような訴えだった。だが、それを滔々と言い連ねるシェルムトートの表情は、――無だ。声に抑揚はなく、これは彼の本心から来る言葉なのか、それとも過去の亡霊たちの代弁をしているだけなのか、判断がつかない。

 言葉を失うヘルトルに気がついているのか、いないかは定かではないが、シェルムトートは言葉を切ると、ふ、と微かな息を漏らした。その瞬間、場の緊張が緩んだのが、ヘルトルにははっきりと分かった。自身の肩から力が抜けるのを感じて、ヘルトルは思っていたよりも自分が緊張していたことを悟る。
 直後、シェルムトートはいつもの飄々とした態度で、二人に向かって言った。
「まあ、実際には、自分たちだけの問題じゃないから許されないわけだが。……でも、理解不能、まではいかないだろう?」
「……あア。勝手なことニは、変わりなイが」
 ヘーレグリフは何やら納得した様子を見せていたが、ヘルトルはいまいちピンと来なかった。
 シェルムトートが言ったのは、つまるところ、いけないことだと分かっていたとしても、強い感情によって割り切ることができず、押し流されることはままある、という話なのだろう。
 ――だが。ヘルトルは思う。
 自分や大切な人を取り巻く全てをぶち壊してでも叶えたい欲望なんて、本当に存在するのだろうか。存在するにしても、果たしてそれは愛と地続きのものなのだろうか。


 作業を再開して、十数分後。
「それと、混血というのはなにも悪いことだらけではない」
 空き箱に細々としたものを詰め込みながら、シェルムトートは思い出した、と言わんばかりにヘーレグリフにそう言った。脈絡のない言葉に、ヘーレグリフは眉を顰めはしたが、無言でシェルムトートに続きを促した。
 これ幸いと、シェルムトートは減らず口を叩く。
「それぞれの種族の悪いところばかり受け継いでいたら悲惨だが、今までの様子を見る限り、君は純血のオーガよりもずっと賢い。強化魔法によって、刃一つ通さないその身体と合わせれば、最強の戦士になれるかもしれないぞ」
 ――どうだ? ここから出て、私の部下になるというのは。給料がたんまり出るし、力を示せば、どんな生まれだろうと賛美されるぞ。
 シェルムトートはいけしゃあしゃあとそんな妄言を言い放った。
 ヘルトルは口こそ挟まなかったが、内心「これはヘーレグリフにぶん殴られても仕方ないな」と思った。上から目線と余計なお世話のセット売りは、プライドの高い者にとってはゴミを投げつけられるのと相違ない。
 だが、予想に反して、ヘーレグリフは激高することなく、それどころか、体格に似合わないささやかな笑い声さえ上げた。
「おかシな王だな、お前は」
「よく言われるな」
 シェルムトートの返しに、ヘーレグリフはますます笑みを深めた。
 これはもしや、とヘルトルは目を瞬かせる。提案を呑むのだろうか。突然ダンジョンにやって来たかと思えば、こんなわけの分からないことを言う魔王の?
 自身の深い事情について話したとはいえ、いささか流されやすすぎるのではないか、というヘルトルの心配は、直後、あっさりと消え失せた。
「あリがたい申し出ダが、――断る」
「ほう? 理由を聞いても?」
 ヘーレグリフは頷いた。

「俺は俺を生んでクれた父や母が好キだし、禁忌を侵したこトに思うところはあれど、偉大な功績を残シた魔導士ドゥーエルやエーデクセのことも、嫌イではない。一族に細々と伝ワってきた、ダンジョンの守護の役割は、魔王城の合鍵とイう最も重要な宝がなくなっテも、続けたイ」

 そう断言したヘーレグリフの表情は、先程の翳りが嘘のように、晴れ晴れとしたものだった。
 ヘルトルは、ヘーレグリフが誘いを断った理由を意外に思った。人間とは価値観が異なる魔族だとしても、祖先が残した太陽の光が射さないダンジョンに閉じこもって、言葉の通じない残忍な低級魔族たちに囲まれながら生活したいとは思わないだろうと考えていたのだ。
 そのため、ヘルトルは別の理由で、シェルムトートの勧誘を突っぱねると予想していたのだが。
 予想が外れたヘルトルであったが、不思議と悪い気持ちはしなかった。それどころか、ヘーレグリフが確固たる意志を持って自身と戦っていたことを知り、胸を涼風が通り抜けたような清々しささえ感じた。
 ふとシェルムトートに視線をやれば、いたく満足そうな顔をしていて、「ああ、彼も同じ気持ちになったのか」と嬉しいような気恥しいような、とにかく妙な感情に襲われ、ヘルトルは再び手を動かし始めた。
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