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能面課長と添えられた手
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わ、私の口……っ。
どうして言ってしまうかなっ……!
「課長って、笑えるんですね」なんて、つい口が滑って言ってしまった。
やだ、これじゃまるで課長がロボットみたいじゃない。
いくら何でもあんまりよ。
書類を拾っていたせいで、私と向かい合わせになっている課長は、いつもの能面顔で固まったまま、私の顔をじっと見ている。
何秒間、沈黙が続いただろうか。
う……せめて何とか言って……。
その顔でじっとしてられたらますます恐い……。
まだ怒られたほうがマシだわ。
怒ったところなんて、見たことないけど。
「あ、あの課長……?」
沈黙に耐えきれず、とりあえず声をかけた。
失礼な事を言ってしまったし、謝らないと。
そう思って、課長の様子を伺ったものの、帰ってきたのは予想外の返答だった。
「……苦手なんだ。思いを表情に出すのが」
ぽつり、と彼は口にした。
いつもの能面顔のまま。
だけど心なしか、瞳の中に揺らぎがあるように見える。
え……困ってる……? のかしらこれ。そんな感じに、見えるんだけど……。
まあ、普段の様子から喜怒哀楽の表現が出にくい人なんだろうなとは思っていた。
それは本人も認めるところらしい。
突然の彼の暴露に戸惑いつつも、私は感心していた。
しかし、この場合私はなんと返事すればいいんだろう。
「そ、そうなんですか」
どう答えていいかわからず、とりあえず一言だけ返す。
女性同士なら、苦手なことについての相談にのったりもするけど、相手は上司である本庄課長だ。
男性だからといって避けるつもりはないけれど、目上の人相手に自分が良いアドバイスができるとはあまり思わない。それに彼の場合、生まれつきというか、苦手だと認識している分、ほとんど性分のようなものだろうし。
営業の人間ならまだしも、そうじゃないから特に仕事に支障があるわけじゃなし……。
うーん。
何か言った方がいいのかしら。私。
でも、男性に悩み相談なんてされたことがないから、うまい言い方が見つからない。
けれど地下倉庫が苦手な私を心配してくれた彼に、何か小さなお返しができたらいいなと思う。
あ、でもそうだわ。
感情が出ない人って利点もあるのよね。喜怒哀楽が激しい人よりもずっと良い利点が。
職場の空気が引き締まるとか、手抜きしちゃう社員が課長がいるだけできっちり仕上げてくれて私は助かってるとか、そういうのが。
別に威圧感を与えてほしいわけじゃないけれど、ある程度の「引き締め役」は必要だと思うのだ。
なのでむしろそれは利点だと、そう、私が口を開きかけた時。
「君は、よく笑ってるな……」
……はい?
予想外のセリフに、一瞬きょとんとなる。
言葉の意味を理解するのに、数秒かかったような気がした。
その間も、課長はじっと私を見ていて、まるで答えを待っているみたいに見える。
ええと。私が、よく笑ってる?
仕事中にへらへら笑ってるなんて、不真面目極まりないけれど、そういう意味で言ったわけじゃないのはわかる。だからといって彼の意図も組めないのだけど。
よくわからないままぽかんとしていると、課長がまた柔らかい笑顔でふっと笑った。
思いを表情に出すのが苦手だと言ったばかりなのに今、ふんわりと。
眼鏡の奥の瞳が、優しい光を湛えて私を見ている。
「君が笑うと、ほっとする……」
「っ……」
はにかむように言った彼の表情は、普段能面課長と噂されている人とはまるで別人に見えた。
いつもは恐いと思えるくらいの切れ長の瞳は、今は全く違って穏やかに和らいで、私をまっすぐ見つめている。
『君が笑うと、ほっとする』
課長が今口にした言葉が、まるでエコーみたいにもう一度頭の中で響いて、私の胸の奥にまで、すうっと届いた気がした。
今の、って。
褒められた……の?
私の笑顔、ほっとするって……課長が?
「あ、ありが、とう……ござい、ます?」
照れと恥ずかしさと混乱で、顔が赤らんでいるのが分かる。
この歳になって、自分の笑顔を男性から褒められるとは。
しかも相手が課長だなんて。
意外というか、思ってもいなかった人だから、余計に気恥ずかしいことこのうえない。
私が一人照れていると、課長がふわりと笑んだまま少しだけ首を傾げる。ほんの少し困っているみたいな表情だ。
「君と一緒に居ると、癒される」
まるで仕方ないんだ、とでもいうような表情で、初対面の時には冷たく感じた筈の課長が微笑む。その表情に、また私の心臓が大きく跳ねた。
課長にドキドキしちゃうなんて……なんで。
絶対、変よ。
おかしいわよ。
だって……でも、この顔は、かなりまずい。
課長の笑顔は反則かも……。
ぶわわ、と上がってくる熱の感覚に、思わず私は顔を伏せてしまった。
だって絶対、今の私は顔が赤くなってるもの。
自分でわかるもの。
だけど考えてもみてほしい。
普段はシャープな印象の顔立ちにシルバーフレームの眼鏡姿で、一切の感情をそぎ落としたような冷たい切れ長の瞳が、自分を見て今まで見たことのないような表情で微笑んでくれたりなんかしたら。
誰だってドキドキしちゃうってば―――!
他の女子社員達に見せた日には、課長はたちまち注目の的になると思う。
今でさえ、整った容姿で話題になってるっていうのに、この素敵紳士スマイルがばれたりしたらどうなることか。
普段の表情が無いからこそ、余計ギャップになって反則なのよ。
なんだかずるいわ。課長ってばっ。
「……白沢さん?」
私がぐだぐだ考えていたところに、課長の声がして正気に戻る。
い、いかんいかん。混乱し過ぎて思考が変な方に……。ああ、ほら課長が困ってる。
「あ……いえっ。あの、課長って笑うと雰囲気が優しくなってすごく素敵だなと思って……っ!」
つい先ほどまで考えていた「無表情であることの利点」なんてどこかに吹き飛んで、なぜか笑顔の褒め合いという、まるで中学生みたいな感想を述べてしまった。
だって本当に素敵だったのだ。
言葉にしないと、惜しいほどに。
だけど、この顔を他の人に見せるのはなんだかもったいない気がした。
ってあら。もったいないって何かしら。私。
一瞬浮かんだ自分のよくわからない感情に蓋をして、課長の反応を窺う。
彼は表情を出すのは苦手だと、私に打ち明けてくれた。
だから、私も素直に気持ちを伝えたいと思ったのだ。
顔が熱いのを我慢して課長を見ると、彼はほんの少し眼鏡の奥の瞳を見開いていた。
驚いているとか、そんな感じに見える。わかりにくいけど。
それから、さきほどまでの笑顔をふっと消して、真面目な顔……というか普段通りの能面顔でまたじっと私に視線を向ける。
私の倉庫嫌いを見抜いたこともだけど、彼はこうしてよく人を見ているのかもしれない、とその強い視線を感じながら思う。
だってこんな風に、視線を逸らせないほど見られてしまったら、全て見透かされてしまいそうだもの。
私は彼の目に捕らわれたように、そのまま動けなかった。
すると、視界の横からすうっと彼の手が伸びてきて、そっと私の頬に触れた。
「っ」
突然頬に感じた他者の温度に、私の体がびくりと震える。
なん、で―――っ?
声にならない言葉を、目で訴える。だけど本庄課長はじっと私を見つめたまま、大きな手にある少しかさついた指先で私の頬を包み込んでいた。
動作の意図が。わからないんですが……っ!?
「……恐がらないでくれ」
ずっと、ずっとドキドキしている心臓が、今度は大きくドクンと跳ねた。
課長……やっぱり、違う……。
今日は違う。いつもの本庄課長とは。
普段ならありえない距離に戸惑いつつも、でも不思議と、触れられていることが嫌ではなかった。
じっとしていると、頬に添えられていた手がふっと離れていく。無くなった暖かさのかわりに触れたのは、冷たい空気。
あ……れ?
私、今寂しいとか、思った?
「……変な話をして悪かった。時間、かなり過ぎてしまったな。急いで戻ろう」
触れられた余韻に浸っていた私を、課長の声が引き戻す。
あれ?
いつもの課長に、戻った?
彼は立ち上がり、先ほどまでの表情が嘘だったように、普段通りの能面顔で言った。
一瞬で、いつもの本庄課長の表情に戻ってしまった。
「は、はいっ」
そのことに少し残念さを感じながらも、私はかろうじて返事を返し、課長と二人で地下倉庫を後にした。
どうして言ってしまうかなっ……!
「課長って、笑えるんですね」なんて、つい口が滑って言ってしまった。
やだ、これじゃまるで課長がロボットみたいじゃない。
いくら何でもあんまりよ。
書類を拾っていたせいで、私と向かい合わせになっている課長は、いつもの能面顔で固まったまま、私の顔をじっと見ている。
何秒間、沈黙が続いただろうか。
う……せめて何とか言って……。
その顔でじっとしてられたらますます恐い……。
まだ怒られたほうがマシだわ。
怒ったところなんて、見たことないけど。
「あ、あの課長……?」
沈黙に耐えきれず、とりあえず声をかけた。
失礼な事を言ってしまったし、謝らないと。
そう思って、課長の様子を伺ったものの、帰ってきたのは予想外の返答だった。
「……苦手なんだ。思いを表情に出すのが」
ぽつり、と彼は口にした。
いつもの能面顔のまま。
だけど心なしか、瞳の中に揺らぎがあるように見える。
え……困ってる……? のかしらこれ。そんな感じに、見えるんだけど……。
まあ、普段の様子から喜怒哀楽の表現が出にくい人なんだろうなとは思っていた。
それは本人も認めるところらしい。
突然の彼の暴露に戸惑いつつも、私は感心していた。
しかし、この場合私はなんと返事すればいいんだろう。
「そ、そうなんですか」
どう答えていいかわからず、とりあえず一言だけ返す。
女性同士なら、苦手なことについての相談にのったりもするけど、相手は上司である本庄課長だ。
男性だからといって避けるつもりはないけれど、目上の人相手に自分が良いアドバイスができるとはあまり思わない。それに彼の場合、生まれつきというか、苦手だと認識している分、ほとんど性分のようなものだろうし。
営業の人間ならまだしも、そうじゃないから特に仕事に支障があるわけじゃなし……。
うーん。
何か言った方がいいのかしら。私。
でも、男性に悩み相談なんてされたことがないから、うまい言い方が見つからない。
けれど地下倉庫が苦手な私を心配してくれた彼に、何か小さなお返しができたらいいなと思う。
あ、でもそうだわ。
感情が出ない人って利点もあるのよね。喜怒哀楽が激しい人よりもずっと良い利点が。
職場の空気が引き締まるとか、手抜きしちゃう社員が課長がいるだけできっちり仕上げてくれて私は助かってるとか、そういうのが。
別に威圧感を与えてほしいわけじゃないけれど、ある程度の「引き締め役」は必要だと思うのだ。
なのでむしろそれは利点だと、そう、私が口を開きかけた時。
「君は、よく笑ってるな……」
……はい?
予想外のセリフに、一瞬きょとんとなる。
言葉の意味を理解するのに、数秒かかったような気がした。
その間も、課長はじっと私を見ていて、まるで答えを待っているみたいに見える。
ええと。私が、よく笑ってる?
仕事中にへらへら笑ってるなんて、不真面目極まりないけれど、そういう意味で言ったわけじゃないのはわかる。だからといって彼の意図も組めないのだけど。
よくわからないままぽかんとしていると、課長がまた柔らかい笑顔でふっと笑った。
思いを表情に出すのが苦手だと言ったばかりなのに今、ふんわりと。
眼鏡の奥の瞳が、優しい光を湛えて私を見ている。
「君が笑うと、ほっとする……」
「っ……」
はにかむように言った彼の表情は、普段能面課長と噂されている人とはまるで別人に見えた。
いつもは恐いと思えるくらいの切れ長の瞳は、今は全く違って穏やかに和らいで、私をまっすぐ見つめている。
『君が笑うと、ほっとする』
課長が今口にした言葉が、まるでエコーみたいにもう一度頭の中で響いて、私の胸の奥にまで、すうっと届いた気がした。
今の、って。
褒められた……の?
私の笑顔、ほっとするって……課長が?
「あ、ありが、とう……ござい、ます?」
照れと恥ずかしさと混乱で、顔が赤らんでいるのが分かる。
この歳になって、自分の笑顔を男性から褒められるとは。
しかも相手が課長だなんて。
意外というか、思ってもいなかった人だから、余計に気恥ずかしいことこのうえない。
私が一人照れていると、課長がふわりと笑んだまま少しだけ首を傾げる。ほんの少し困っているみたいな表情だ。
「君と一緒に居ると、癒される」
まるで仕方ないんだ、とでもいうような表情で、初対面の時には冷たく感じた筈の課長が微笑む。その表情に、また私の心臓が大きく跳ねた。
課長にドキドキしちゃうなんて……なんで。
絶対、変よ。
おかしいわよ。
だって……でも、この顔は、かなりまずい。
課長の笑顔は反則かも……。
ぶわわ、と上がってくる熱の感覚に、思わず私は顔を伏せてしまった。
だって絶対、今の私は顔が赤くなってるもの。
自分でわかるもの。
だけど考えてもみてほしい。
普段はシャープな印象の顔立ちにシルバーフレームの眼鏡姿で、一切の感情をそぎ落としたような冷たい切れ長の瞳が、自分を見て今まで見たことのないような表情で微笑んでくれたりなんかしたら。
誰だってドキドキしちゃうってば―――!
他の女子社員達に見せた日には、課長はたちまち注目の的になると思う。
今でさえ、整った容姿で話題になってるっていうのに、この素敵紳士スマイルがばれたりしたらどうなることか。
普段の表情が無いからこそ、余計ギャップになって反則なのよ。
なんだかずるいわ。課長ってばっ。
「……白沢さん?」
私がぐだぐだ考えていたところに、課長の声がして正気に戻る。
い、いかんいかん。混乱し過ぎて思考が変な方に……。ああ、ほら課長が困ってる。
「あ……いえっ。あの、課長って笑うと雰囲気が優しくなってすごく素敵だなと思って……っ!」
つい先ほどまで考えていた「無表情であることの利点」なんてどこかに吹き飛んで、なぜか笑顔の褒め合いという、まるで中学生みたいな感想を述べてしまった。
だって本当に素敵だったのだ。
言葉にしないと、惜しいほどに。
だけど、この顔を他の人に見せるのはなんだかもったいない気がした。
ってあら。もったいないって何かしら。私。
一瞬浮かんだ自分のよくわからない感情に蓋をして、課長の反応を窺う。
彼は表情を出すのは苦手だと、私に打ち明けてくれた。
だから、私も素直に気持ちを伝えたいと思ったのだ。
顔が熱いのを我慢して課長を見ると、彼はほんの少し眼鏡の奥の瞳を見開いていた。
驚いているとか、そんな感じに見える。わかりにくいけど。
それから、さきほどまでの笑顔をふっと消して、真面目な顔……というか普段通りの能面顔でまたじっと私に視線を向ける。
私の倉庫嫌いを見抜いたこともだけど、彼はこうしてよく人を見ているのかもしれない、とその強い視線を感じながら思う。
だってこんな風に、視線を逸らせないほど見られてしまったら、全て見透かされてしまいそうだもの。
私は彼の目に捕らわれたように、そのまま動けなかった。
すると、視界の横からすうっと彼の手が伸びてきて、そっと私の頬に触れた。
「っ」
突然頬に感じた他者の温度に、私の体がびくりと震える。
なん、で―――っ?
声にならない言葉を、目で訴える。だけど本庄課長はじっと私を見つめたまま、大きな手にある少しかさついた指先で私の頬を包み込んでいた。
動作の意図が。わからないんですが……っ!?
「……恐がらないでくれ」
ずっと、ずっとドキドキしている心臓が、今度は大きくドクンと跳ねた。
課長……やっぱり、違う……。
今日は違う。いつもの本庄課長とは。
普段ならありえない距離に戸惑いつつも、でも不思議と、触れられていることが嫌ではなかった。
じっとしていると、頬に添えられていた手がふっと離れていく。無くなった暖かさのかわりに触れたのは、冷たい空気。
あ……れ?
私、今寂しいとか、思った?
「……変な話をして悪かった。時間、かなり過ぎてしまったな。急いで戻ろう」
触れられた余韻に浸っていた私を、課長の声が引き戻す。
あれ?
いつもの課長に、戻った?
彼は立ち上がり、先ほどまでの表情が嘘だったように、普段通りの能面顔で言った。
一瞬で、いつもの本庄課長の表情に戻ってしまった。
「は、はいっ」
そのことに少し残念さを感じながらも、私はかろうじて返事を返し、課長と二人で地下倉庫を後にした。
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