雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

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能面課長と思いがけない笑顔

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「か……かちょお?」

 素っ頓狂な声が出た。
 いや、それも仕方ない。突然課長と対面なんてしたら、私じゃなくても驚くと思うの。

 だってこの人の表情能面なんだもの。
 ……それでも今この場に居てくれるのはちょっと有難いけど。

 驚きはしたけど、知っている顔だったせいかなんだか安心していた。

 にしても、何か用事でもあるのかしら。

 恐る恐る課長の様子を伺うと、彼は表情はいつもの能面のまま、眼鏡の奥の視線を私に向け頷いた。

「いや……君が、大丈夫かと思って」

 ……?

 ……今、何と?

 課長の言葉がイマイチ理解できなくて、つい首を傾げてしまう。

 なんだか……まるで私の事を心配してくれたみたいな台詞が聞こえた気が……。いやまさか。

 でも今「大丈夫かと思って」とか聞こえたわよね?
 幻聴じゃないわよね?

 訝しむ私を見て、本庄課長が小さくこほんと咳をした。

「君、この地下倉庫嫌いだろう。いつも避けていたのに、失念していた」

 少しも悪かったと思っていないように聞こえる口調だけれど、それより思いもしない人から思いもしなかった事を謝罪されて、私の頭が一気に混乱した。

 頭の中を疑問符が駆け巡る。

 え? え?
 えええ?
 なんで?

 私が倉庫嫌いなのバレてるの?

 しかもなぜか、謝られてるんだけど。
 なんで? なんでーっ?

「か、課長、気づいてらしたんですか……」

 そう言うと、彼は指先で銀色眼鏡のブリッジに少し触れた。

 蛍光灯の反射で一瞬、彼の瞳が見えなくなる。

「……白沢さん、ここに来る時はいつも誰かと一緒に来てるだろう。一人で来るのは避けて、時間をずらしてでも他の社員達と一緒になるようにしていた」

「……はい。その通りです……」

 的確で簡潔に指摘されて、私は情けない返事を返すしか術がなかった。

 ば、バレバレだったわ。……これじゃあ、しらばっくれても意味が無い。

 ちょっとしょんぼりしながら、私は課長に頭を下げる。

「いい大人なのにすみません……。閉所と暗所恐怖症で、ここの倉庫は地下だし薄暗いので苦手で……でも誰にも気づかれて無いと思ってたので、課長がご存知で驚きました」

 なるべく丁寧に謝罪する。課長の目に付く位だし、もしかしたら他の人にもバレてるのかもしれない。

 恥ずかしさと情けなさを感じながら顔を上げると、じっとこちらを見下ろしている課長の瞳と目が合った。

 細いシルバーフレームの眼鏡から見える目に感情は見えず、呆れているようにも見える。 

 確かにこんな馬鹿らしい理由、何やってんだと言われても仕方がない。
 
 極度の恐怖症だろうが、仕事にそれは通用しないのに。

「別に叱っているわけじゃない。誰でも苦手な事はある。恐らく、気づいているのも俺だけだ。嫌な場所に一人で来させて、悪かった」

 無表情のまま、予想外の事を言われて驚いた。

 え、今、謝られたの?

 私。本庄課長に?
 なんで?

 しかも、誰でも苦手な事はあるって……。

 目をぱちくり、と瞬かせていると、本庄課長は私の反応を待っているのかじっと視線を向けたまま動かない。

 なので私も慌ててもう一度ばっとお辞儀した。

 なんというか、彼とこんなに話しをしたのは初めてだ。

 「嫌な場所に一人で来させて悪かった」なんて……謝るべきなのは、私の方なのに。

 本庄課長って……顔の表情は乏しいけど、実は結構良い人……?

 普通ならこんなこと、無視する人もいるだろうに、心配してくれたみたいだし。

「いえっ。そんな……私の方こそ、手間をかけさせてしまいすみませんでした。でも……そう言っていただけると助かります。あと、気を遣っていただいてありがとうございます」

 彼は私が恐がっているんじゃないかと思って、わざわざ地下倉庫まで足を運んでくれたんだ。そう思うと、なんだか気持ちが暖かくなった。

「でも本当、他の人が気づいてないなら、課長はすごいですね。最近いらしたばかりなのに」

 勤務して七年間ごまかせてきたのに、彼だけが気づいた。

 なんでだろう? と私は内心首を傾げる。

「……見てたら気づく」

 課長が私の顔をじっと見て言った。私の、傾げていた首がそのまま固まる。

 ……今なんて言ったの、この人。 
 誰が、誰を???

 み、見てた……?

 今さっき、この地下倉庫に来た時とはまた違ったドキドキが、胸に響く。

 いや、今のは上司が部下をチェックしてたって意味よね?

 ほんのり赤くなったような自分の顔を俯いて隠しながら、能面課長なのに何を意識しちゃってるんだ私は、と自分を叱咤する。相手はあの本庄課長なのだ。表情が無くて、ちょっと恐くて、だけどもしかしたら……優しい人、かもしれなくて。

「資料は見つかったか?」

 課長はいつもと変わらない声で私の手元を見て告げた。

「え? あ、はいっ。ここに」

 慌てて手元の資料をぱっと見せる。

「それじゃ、もう行こう」

 言葉を言い切らないうちに、課長はくるりと踵を返して部屋を出て行こうとした。

 視線が離れて、彼の広いスーツの背中がこちらを向く。

「は、はい!」

 置いていかれてはたまらないので、慌てて返事をして課長を追いかけた。

 今のって、一体……?

 まさかね。

 私にそんな色っぽい話があるわけないし。
 相手はこの能面課長だし。

 そりゃ上司なんだから部下のこともある程度チェックしてるだろうし、それで気づかれたんだろうな、きっと。

 頭でそう納得し、言葉の意味を聞き返さなかった自分に感謝した。

 子供っぽい上に自意識過剰なんて思われたらたまらないもの。

 コツコツと、廊下に二人分の足音が響く。

 無言なのは気まずいけど、さっきよりは何倍も気持ちが軽い。
 今は課長が居てくれることに感謝かも。

 ただ、ちょっと違うのは、さっきの言葉が気になって、どうしてもドキドキしてしまうってこと。
 意味はなんにも含まれていないとわかっていても。

 そもそも、課長が紛らわしい言い方をするから悪いのよ、

 なんて人のせいにしてみる。
 だって異性と二人きりって、誰でも緊張するじゃない。

 ええいっ。
 変な考えなんて追い払っちゃえ!

 そう思い直して、前を歩く課長を後ろから観察する。こんな時じゃないとまじまじと見る機会なんて無いものね。

 うーん。やっぱり他の女子社員が騒ぐだけあって、背も高いし……なんか、体も引き締まってる感じだわ。スーツの上からでもなんとなくわかる。

 何かスポーツでもやってたのかしら?

 あ、課長なら弓道とか似合いそう……なんていうかこう、静かな雰囲気が。

 あの眼鏡の奥の鋭い眼が、的を正確に、確実に射抜きそうだ。

 弓道着とか、着たら格好良いだろうなぁ……。

 そんなことをぼけっと考えていたせいか、資料を持っていた手が一瞬緩んだ。

 その途端。

 ばっさーーーっっ!

「っぎゃ!?」

 手から滑り落ちた資料が通路一面に広がった。それはさながら、白い絨毯(じゅうたん)のごとく。
 その惨状に絶句する。

 こ……これは……バインダーに入っていた物までリングから抜けてばらばらになってる……。

 うわ……さ、最悪......! 何このありえないドジ!

 ばっとしゃがんで慌てて拾いはじめると、課長も振り向いて手伝ってくれる。

「大丈夫か」

「す、すみません……っ」

 恥ずかしさと居心地の悪さで顔が熱い。

 ああもう。何なのこの失態……倉庫嫌いはバレてるし、その上ドジっ子の定番みたいな事してるし……ほんと、穴があったら入りたい……。

 半分泣きそうになりながら、散らばった書類を拾う。

 私は課長を見上げて、消え入りたい気持ちでもう一度すみません、と謝った。

 すると彼は、地面に片膝をつくようにして姿勢を低くした。それからふと私を見る。

 乙女な思考はあまり好きじゃないけれど、課長のその仕草がまるで騎士が姫にかしずくようで、私は思わず見惚れてしまった。たんに、書類を拾ってくれようとしているだけなのに。

 なんでこんな馬鹿な事を考えているの、私。と思ったところで、目線が同じ高さになった課長と目が合う。

 ―――え?

「いや……案外、そそっかしいからな。君は」

 課長がそう言って、ふっと笑った。

 一瞬の、笑顔。大人の男の人の、優しい笑顔。

 まるでぱっと花が、小さな桜が一輪、咲いたような、そんな微笑。

 私の鼓動が、再び大きく跳ねた。

 こ、これは……っ。
 反則っ。

 ……って、ええ!? 

 笑った!?

 能面課長と言われるこの人が……!?

 嘘。

 見惚れた後にきたのは驚愕だった。

 驚きのせいか、課長の見せた笑顔のせいか、心臓が早鐘のように鳴り響く。釘付けになった私の口が、勝手に言葉を紡いだ。

「か……課長って、笑えるんですね……」

 あ、言っちゃった。

 ヤバイ、と思った時には後の祭り。慌てて自分の口を押さえたけれど、出てしまった言葉が引っ込むはずも無くて。

 目の前には、ぴきりと固まる課長の顔があった。
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