雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

文字の大きさ
3 / 52

能面課長と地下倉庫

しおりを挟む
「お、お待たせしました……っ」

 課長のデスクへ小走りで駆け寄ると、彼がパソコンの画面から顔を上げて私を見た。

 その無表情に、思わず緊張して背筋が伸びる。

 うわ……ほんと能面みたい。だから恐いんだってば。それ。

 待たせた事を怒っているのだろうかと一瞬不安になる。けれど用事を済ませてくるとは事前に言っておいたのだし、課長の要件の方が後からなのだから私に非は無い、と思う。

 文句を言われる筋合いは無いはずだ。

 そう言い訳しながら課長の言葉を待っていると、彼が机から大きな紙束を取り出した。

「では、これを。去年と一昨年のデータに関しては地下倉庫に資料がある。解除キーは俺のを使ってくれ」

「……はい」

 むすーーーっとした顔で渡された書類と、ずっしり重い鍵束を手に、私は内心ぎょっとしていた。

 思っていたより多い。厚みは五センチ以上はありそうだ。
 その上、地下倉庫にまで行って資料を持ってきてそれも纏めないといけない。

 かなりめんどくさそうな量に初っ端からうんざりする。

 なんでも営業課の方で割と大きな取引が纏まりかけているらしく、連日の会議が続いているそうだ。

 会社としては喜ばしい事だけれど、こうなってくると素直に喜べないなと思うのは私だけだろうか。

「二時半からの会議で使うから、それまでに仕上げてくれ」

 間髪入れずに非情な追い込みをかけられる。時計に目をやると針は十二時半過ぎを差していた。
 つまり約二時間がタイムリミットだ。それで納得した。

 なるほど。
 確かにこの量じゃ、休憩の後にやり始めたんじゃ間に合わないわ。

 しかも、倉庫にまで行かなきゃいけないし。

 私が仕事をしているフロアは四階。しかし地下倉庫にまで行くとなると結構急がないとぎりぎりだ。

 うちの倉庫は入り組んでいてわかりづらいから余計だろう。

 にしても地下倉庫かー……暗くてじめっとしてて、苦手なんだけどなぁ。

 暗い地下倉庫の光景を思い出し憂鬱な気分になる。
 あそこは地下だから窓がない。
 それなのに蛍光灯は経費削減のため通常の半分しかセットされていないのだ。

 過去の業績データなどのファイルが高い棚にぎっしり詰め込まれ、まるで図書館みたいにずらりと並んでいるのに、上から三段目くらいまでしかはっきり見る事ができない。一番下の段になるとスマホのライトを点けないと無理だ。

 現在データ化が進められている真っ最中なものの、本社が割と古くからある会社なため年配の重役達の腰が重く、様式の変更に時間がかかってしまったらしい。

 なので正直うちの会社はかなり時代遅れだと思う。だからこそ最近業績が悪化していたのだろう。

 確かデータ化が中々はかどらない理由も、役職のある人しか鍵を持っていないからだっけ。

 大抵は部署の責任者が持っているから、それを貸りて倉庫を使うのだ。

 たまにそれを利用して、お偉いさんが美人な女性社員を口説くのに私的利用しているという噂もある。

「……できるか?」

 銀色フレームの眼鏡から目線を向けて、課長が聞いてきた。

 時間に間に合うかどうかってことね。まぁ、これならなんとかなるだろう。

 ……でもその視線なんとかして下さい。恐いって。

 そんな目で見られて、出来ないなんて答えられるわけがない。
 いやできるからできるって言うんだけど。

「大丈夫です。では、今から倉庫に行ってきます」

「ああ」

 本庄課長のごく短い返事を聞いてから、小さく会釈して地下倉庫へ向かう。気は進まないけど仕方ない。これも仕事だ。腹を括らねば。

 いい歳して恥ずかしいけど、閉所恐怖症と暗所恐怖症というダブル恐怖症を持っている私は、ここの地下倉庫にはなるべく近寄らないようにしていた。

 そうなったのは、子供の頃の出来事がきっかけで……と、それはさておき。

 恐いといっても仕事上どうしても行かなければいけない時はあったので、その時はなるべく他の女子社員をさりげなく誘い、一緒に行ったりしていた。

 恐怖症で行けないんです、なんて子供みたいなこと、恥ずかしくて言えないし。

「あーあ、でも今はみんな休憩中だしな……」

 廊下を歩きながら、ぽつりと呟く。

 さすがに誰かについてきてもらうわけにもいかない。唯一知ってる律子だって休憩中だし。こんなことで迷惑はかけられない。

 はあ……仕方ないか。

 エレベーターに乗って地下へ行く。

 ごうん……という音と、身体の重心が下がっていく感覚に憂鬱さが増していく。

 あー嫌だ。
 ほんとやだ。

 チン、と音がして扉が開いたものの、目の前には上の階よりはるかに薄暗い廊下が伸びていた。

 外は真昼間ですこぶる良い天気だというのに、ここはまるで夜になる寸前みたい。

 うちの会社のビルは、下の階全てが地下倉庫になっており、小さく分けられた部屋毎に種類別で資料が保管されている。

 各部屋は小さめに作ってあるが、その分数が多く廊下は迷路みたいになっていた。

 これが恐いのよね……。

「うう……やっぱり恐いし……」

 情けない独り言を漏らしつつ、お目当ての資料がある部屋へと向かう。

 部屋には番号が割り当てられていて、私の行くべき部屋はAの十三番。Aの列だから比較的前の方の部屋で少しだけほっとする。

 これで奥の部屋だったらどうしようかと思ってたわ。

 えーっと、Aの十三番は……と。

 自分の体をぎゅっと抱えながら辺りを見回す。奥の方は薄暗さが増しているので見ないように気をつける。

 あー……ほんと、何か出そう。
 いや、居てもおかしくないよう……。

 変なほうに考えが向く寸前で、お目当ての部屋が見つかった。

「あっ! あった! Aの十三番っ!」

 ついつい大きな声になってしまった。

 だって仕方ないわよ。恐いんだから。せめて声でも出して明るくしないと震えそうなんだもの。

 課長から貸りた鍵を使いドアを開けて中に入る。にしてもやっぱり暗い。電気を点けても全然暗い。

 経費削減だかなんだか知らないが、これだけは勘弁してもらいたい。
 こんな所、とっとと出るに限る。

 暗くて不便ではあるものの、きちんと整頓されているおかげで資料はすぐに見つけることが出来た。なるべく長居はしたくないから良かった。

 私は探し出した資料を手に、ドアへと踵を返した。そしてノブに手を伸ばそうとしたその時―――思いがけない事が起こった。

「きゃあっ!!」

 ふわりと、目の前で開いた扉と共に室内の空気が一瞬揺らぐ。驚きで上げた私の悲鳴が、大きく部屋に木霊した。

 な、何っ!?

 開いた目に飛び込んできたのは、すらりとした長身。スーツを着ているのを見て、人だと安心すると同時に相手の顔を見上げた。

「すまない。驚かせて」

 聞き覚えのある、低く落ち着いた、それでいてはっきりした声。

 顔を上げると、そこには本庄課長がいつもの能面顔で立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お前、頬を叩いた詫びに婚約者になれ」 上司で社長の彪夏と秘書の清子はお似合いのふたりだと社内でも評判。 御曹司でイケメンの彪夏は女子の憧れの的。 清子はどこぞのご令嬢と噂され、男女問わず視線を集めていた。 ……しかし。 清子には誰もが知らない、秘密があったのです――。 それは。 大家族のド貧乏! 上は高校生、下は生まれたばかりの五人弟妹。 おっとりして頼りにならない義母。 そして父は常に行方不明。 そんな家族を支えるべく、奮闘している清子ですが。 とうとう、彪夏に貧乏がバレたまではよかったけれど。 子持ちと間違われてついひっぱたいてしまい、償いに婚約者のフリをする羽目に。 しかも貧乏バラすと言われたら断れない。 どうなる、清子!? 河守清子 かわもりさやこ 25歳 LCCチェリーエアライン 社長付秘書 清楚なお嬢様風な見た目 会社でもそんな感じで振る舞っている 努力家で頑張り屋 自分がしっかりしないといけないと常に気を張っている 甘えベタ × 御子神彪夏 みこがみひゅうが 33歳 LCCチェリーエアライン 社長 日本二大航空会社桜花航空社長の息子 軽くパーマをかけた掻き上げビジネスショート 黒メタルツーポイント眼鏡 細身のイケメン 物腰が柔らかく好青年 実際は俺様 気に入った人間はとにかくかまい倒す 清子はいつまで、貧乏を隠し通せるのか!? ※河守家※ 父 祥平 放浪の画家。ほぼ家にいない 母 真由 のんびり屋 長男 健太(高一・16歳)服作りが趣味 次男 巧(高一・15歳)弁護士になるのが目標 三男 真(小五・10歳)サッカー少年 四男 望(保育園年中・5歳)飛行機大好き 次女 美妃(保育園児・五ヶ月)未知数

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に

犬上義彦
恋愛
『御更木蒼也(みさらぎそうや)』 三十歳:身長百八十五センチ 御更木グループの御曹司 創薬ベンチャー「ミサラギメディカル」CEO(最高経営責任者) 祖母がスイス人のクオーター 祖父:御更木幸之助:御更木グループの統括者九十歳 『赤倉悠輝(あかくらゆうき)』 三十歳:身長百七十五センチ。 料理動画「即興バズレシピ」の配信者 御更木蒼也の幼なじみで何かと頼りになる良き相棒だが…… 『咲山翠(さきやまみどり)』 二十七歳:身長百六十センチ。 蒼也の許嫁 父:咲山優一郎:国立理化学大学薬学部教授 『須垣陸(すがきりく)』 三十四歳:百億円の資金を動かすネット投資家 ************************** 幼稚園教諭の咲山翠は 御更木グループの御曹司と 幼い頃に知り合い、 彼の祖父に気に入られて許嫁となる だが、大人になった彼は ベンチャー企業の経営で忙しく すれ違いが続いていた ある日、蒼也が迎えに来て、 余命宣告された祖父のために すぐに偽装結婚をしてくれと頼まれる お世話になったおじいさまのためにと了承して 形式的に夫婦になっただけなのに なぜか蒼也の愛は深く甘くなる一方で ところが、蒼也の会社が株取引のトラブルに巻き込まれ、 絶体絶命のピンチに みたいなお話しです

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちだというのに。 入社して配属一日目。 直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。 中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。 彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。 それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。 「俺が、悪いのか」 人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。 けれど。 「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」 あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。 相手は、妻子持ちなのに。 星谷桐子 22歳 システム開発会社営業事務 中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手 自分の非はちゃんと認める子 頑張り屋さん × 京塚大介 32歳 システム開発会社営業事務 主任 ツンツンあたまで目つき悪い 態度もでかくて人に恐怖を与えがち 5歳の娘にデレデレな愛妻家 いまでも亡くなった妻を愛している 私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?

求婚されても困ります!~One Night Mistake~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」 隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。 歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。 お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。 鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。 ……唇を奪われた。 さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。 翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。 あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ! 香坂麻里恵(26) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業 サバサバした性格で、若干の世話焼き。 女性らしく、が超苦手。 女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。 恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。 グッズ収集癖ははない、オタク。 × 楠木侑(28) 内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長 イケメン、エリート。 あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。 仕事に厳しくてあまり笑わない。 実は酔うとキス魔? web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。 人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「俺はただの……ただのおじさんだ」 それは、私を完全に拒絶する言葉でした――。 4月から私が派遣された職場はとてもキラキラしたところだったけれど。 女性ばかりでギスギスしていて、上司は影が薄くて頼りにならない。 「おじさんでよかったら、いつでも相談に乗るから」 そう声をかけてくれたおじさんは唯一、頼れそうでした。 でもまさか、この人を好きになるなんて思ってもなかった。 さらにおじさんは、私の気持ちを知って遠ざける。 だから私は、私に好意を持ってくれている宗正さんと偽装恋愛することにした。 ……おじさんに、前と同じように笑いかけてほしくて。 羽坂詩乃 24歳、派遣社員 地味で堅実 真面目 一生懸命で応援してあげたくなる感じ × 池松和佳 38歳、アパレル総合商社レディースファッション部係長 気配り上手でLF部の良心 怒ると怖い 黒ラブ系眼鏡男子 ただし、既婚 × 宗正大河 28歳、アパレル総合商社LF部主任 可愛いのは実は計算? でももしかして根は真面目? ミニチュアダックス系男子 選ぶのはもちろん大河? それとも禁断の恋に手を出すの……? ****** 表紙 巴世里様 Twitter@parsley0129 ****** 毎日20:10更新

処理中です...