雨に濡れた桜 ~能面課長と最後の恋を~

國樹田 樹

文字の大きさ
47 / 52

父と息子

しおりを挟む
 荒井会長の秘書という方から連絡を受けて、インターホンの電源を入れた途端、鳴り出した呼び出し音に私は思わず身構えた。

 けれどスピーカーから流れてきた落ち着いた声は上品で、無遠慮に他人の人生を暴こうとする記者とは雰囲気が違っていた。

 小さな画面に、渋い枯茶色のスーツを着た男性の姿が映し出されている。

 受けた印象は、ああこの人が課長のお父様なのだなというものだった。それほどよく似ていた。男性の後ろには二人分の人影がある。映っているのは足元だ。一人は同じく男性で、もう一人は女性。女性が履いているリボン付きパンプスには見覚えがあった。

「突然すまない。荒井だ。君の、戸籍上の父親にあたる」

「っ、……そうでしたか。わかりました。今開けます」

「ありがとう」

 課長は荒井会長の声を聞いて一瞬驚いたようだった。けれどすぐに眉根を顰めると、初めての親子の会話を終わらせていた。

 隣に立つ課長の顔を見上げると、彼はもう何も映し出していないインターホンの画面をじっと見つめていた。

 無言の横顔に表情はなく、それが余計に課長の複雑な心情を物語っているように思える。

「大丈夫ですか?」

「……ありがとう。大丈夫だ。ただ、声を知っていただけだ」

「え?」

 玄関のチャイムが鳴り会話が途切れた。声を知っていたというのはどういう意味なのか聞きたかったけれど、課長が玄関に向かったので聞けなかった。

 私も一緒に出迎えに行くため彼に続く。歩きざま、手を伸ばし課長の手を握ると、何も言わずに困ったように微笑まれた。声にしていないのに謝られた気がして、感情を出すのが苦手になってしまった課長がこんな時に笑っていることに、私の胸が締め付けられる。

「どうぞ中へ」

「……失礼する」

 がちゃりと開いた扉の先には三人の人間が立っていた。三人が順番に部屋に上がっていく。

 一人目は先程インターホンの画面で見た枯茶色のスーツを着た老年の紳士だ。六十も半ばを過ぎている筈なのにすらりとした長身には衰えが見えず、白髪交じりの髪は上品に後ろに撫でつけられている。穏やかな目の端には年齢相応の深い皺が刻まれていて、瞳の形や鼻筋の流れ、顔立ち全体が課長の血縁だと物語っていた。

 まるで、年齢を経た未来の彼を見ているようだ。

 カイズ・エリアル社会長の顔を見たのは始めてだったけれど、彼がそうなのだとわかる。

「ど、どうも……」

 二人目は薄青のスーツを着た課長と同年代位の男性だった。彼が荒井清隆社長だ。確か年齢は三十五歳だったはず。

 若くして社長職を継いだことで一時期話題になり、ニュースや新聞で顔を見たので覚えている。彼は中肉中背の普通の男性といった風貌で、何か気になるのか周囲に視線をきょろきょろと巡らせ自信なさげにしていた。あまり人の容姿について言いたくはないけれど、正直なところ荒井会長には似ていないと感じた。清隆社長はお母さん似なのだろうか。

「お邪魔します……っ白沢、さん」

 最後は兼崎さんだった。彼女も普段と同じ仕事着のままで、けれどなぜか怯えたようにバッグを両腕で抱えていた。

 緊張しているのか硬い顔だ。しかし彼女は最後に入って来るなり、私を見て表情を歪ませていた。そしてじろりと睨みつけると、忌々し気な顔をする。

 ———え?

 彼女になぜそんな顔をされるのか理由がわからず反応に困った。

 どうして兼崎さんは、私をまるで恨んでいるような目で見るのだろう。

「ひとまずこちらへ。順を追って説明していただけますか」

「っ、全ては僕が結衣に話したからだ!! すまなかった!!」

 課長が三人をリビングの方へ促す。けれど次の瞬間放たれた台詞に、歩き出そうとした課長と私の動きが止まった。

 まだ廊下だというのに清隆社長がその場でばっと膝を折り、頭を床につけていた。つまり、土下座の姿勢だ。

「話した、とは兼崎さんにですか。で、それを彼女が吹聴したと」

 課長の言葉に、兼崎さんの肩がびくりと震える。

「そうだ……彼女と僕は、その……ここ数カ月間、金銭的な援助関係にあった」

 清隆社長が気まずげな声で答えた。彼は床に頭を擦り付けるようにしている。

 兼崎さんは俯いてしまって、表情が見えない。

「……清隆、ひとまずあちらで話を聞いてもらえ。こんな場所では逆に迷惑だ。それに、お前が頭を下げたところで何の価値もありはせん」

「お、お父さんっ、お願いですから、僕を見放さないでくださいっ! 役目を降ろさないでくださいっ!」

 冷たい声が空気を切り裂き、土下座している清隆社長の全身が強張った。清隆社長は顔を上げ、悲痛な表情で荒井会長に懇願していた。その社長を、荒井会長は冷徹に見下ろしている。課長とよく似た目には嫌悪の色が浮かんでいた。

「黙れ、私を父と呼ぶな。早く立たんか!」

 荒井会長は清隆社長の腕を引っ張り上げて無理矢理立たせると、投げ捨てるように社長の手を離しそれから課長に向けて白髪交じりの頭を下げた。

「私に名を呼ばれるのは嫌だろうが……尚人君、きみには最初から今までのことを……事実をすべて話したい。晶子、きみのお母さんのこともだ。このような者達に囲まれて気分は悪いだろうが、暫し時間を貰いたい」

「……元よりそのつもりです。どうぞ頭を上げてください。謝罪は話の後でいくらでも。受け取る気はありませんが」

「聞いて貰えるだけ有難いよ。君はやはり優しい子だな。……彼女に、よく似ている」

「っ……」

 荒井会長の懐かしむような声に課長の表情が僅かに変化した。

 私は咄嗟に彼の手をぐっと握り締め、どうか心が落ち着くようにと願いを込める。

「……長くなりそうですから、何か淹れましょう。リビングの方でお待ちください」

「こちらです。お三方とも珈琲で大丈夫ですか?」

「君が白沢茜さんだね。専務から話は聞いているよ。ありがとう、大丈夫だよ」

 問いかけると荒井会長は先程とは打って変わって穏やかに微笑み頷いてくれた。

「荒井社長と兼崎さんもよろしいですか?」

 二人が頷くのを確認してから、私は課長の代わりに三人を案内した。そして課長の後を追うようにキッチンへと入る。

 荒井会長と、課長、そして清隆社長。三人は父子であるはずなのに、会長の態度には大きな温度差がある。

 その理由が気になりながらも、私は緊張した面持ちでキッチンに立つ課長の傍に寄り添った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

恋は襟を正してから-鬼上司の不器用な愛-

プリオネ
恋愛
 せっかくホワイト企業に転職したのに、配属先は「漆黒」と噂される第一営業所だった芦尾梨子。待ち受けていたのは、大勢の前で怒鳴りつけてくるような鬼上司、獄谷衿。だが梨子には、前職で培ったパワハラ耐性と、ある"処世術"があった。2つの武器を手に、梨子は彼の厳しい指導にもたくましく食らいついていった。  ある日、梨子は獄谷に叱責された直後に彼自身のミスに気付く。助け舟を出すも、まさかのダブルミスで恥の上塗りをさせてしまう。責任を感じる梨子だったが、獄谷は意外な反応を見せた。そしてそれを境に、彼の態度が柔らかくなり始める。その不器用すぎるアプローチに、梨子も次第に惹かれていくのであった──。  恋心を隠してるけど全部滲み出ちゃってる系鬼上司と、全部気付いてるけど部下として接する新入社員が織りなす、じれじれオフィスラブ。

愛が重いだけじゃ信用できませんか?

歩く魚
恋愛
【ヤンデレと戦えるのは遊び人である】 古庵瑠凪は、大学内における、いわゆる「何でも屋」に相当するサークルに所属している。 生徒を助け、浮かれたように遊び、大学生の青春を謳歌する、そんな毎日。 しかし、ある日「お見舞い」が自宅のドアにかけられていたことを皮切りに、彼の平穏な日々に変化が訪れる。 「好きだからです。世界中の誰よりも好きで好きでたまらないからです」 突然の告白。ストーカーの正体。 過去の一件から恋人を作らないと決意した瑠凪は、さまざまな方向に「重い」ヒロインたちのアプローチから逃れることができるのか?

【完結】恋は、友とビールとおいしい料理と

桜井涼
恋愛
大学時代からの親友、香奈子と理子。婚約破棄から始まる香奈子の恋は失恋旅行で何かをつかんだ。 転職から始まった理子の恋は、転勤でどう動く?それぞれの恋と友情の物語。

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】 その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。 片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。 でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。 なのに、この呼び出しは一体、なんですか……? 笹岡花重 24歳、食品卸会社営業部勤務。 真面目で頑張り屋さん。 嫌と言えない性格。 あとは平凡な女子。 × 片桐樹馬 29歳、食品卸会社勤務。 3課課長兼部長代理 高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。 もちろん、仕事できる。 ただし、俺様。 俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?

清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お前、頬を叩いた詫びに婚約者になれ」 上司で社長の彪夏と秘書の清子はお似合いのふたりだと社内でも評判。 御曹司でイケメンの彪夏は女子の憧れの的。 清子はどこぞのご令嬢と噂され、男女問わず視線を集めていた。 ……しかし。 清子には誰もが知らない、秘密があったのです――。 それは。 大家族のド貧乏! 上は高校生、下は生まれたばかりの五人弟妹。 おっとりして頼りにならない義母。 そして父は常に行方不明。 そんな家族を支えるべく、奮闘している清子ですが。 とうとう、彪夏に貧乏がバレたまではよかったけれど。 子持ちと間違われてついひっぱたいてしまい、償いに婚約者のフリをする羽目に。 しかも貧乏バラすと言われたら断れない。 どうなる、清子!? 河守清子 かわもりさやこ 25歳 LCCチェリーエアライン 社長付秘書 清楚なお嬢様風な見た目 会社でもそんな感じで振る舞っている 努力家で頑張り屋 自分がしっかりしないといけないと常に気を張っている 甘えベタ × 御子神彪夏 みこがみひゅうが 33歳 LCCチェリーエアライン 社長 日本二大航空会社桜花航空社長の息子 軽くパーマをかけた掻き上げビジネスショート 黒メタルツーポイント眼鏡 細身のイケメン 物腰が柔らかく好青年 実際は俺様 気に入った人間はとにかくかまい倒す 清子はいつまで、貧乏を隠し通せるのか!? ※河守家※ 父 祥平 放浪の画家。ほぼ家にいない 母 真由 のんびり屋 長男 健太(高一・16歳)服作りが趣味 次男 巧(高一・15歳)弁護士になるのが目標 三男 真(小五・10歳)サッカー少年 四男 望(保育園年中・5歳)飛行機大好き 次女 美妃(保育園児・五ヶ月)未知数

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

貧乏大家族の私が御曹司と偽装結婚⁈

玖羽 望月
恋愛
朝木 与織子(あさぎ よりこ) 22歳 大学を卒業し、やっと憧れの都会での生活が始まった!と思いきや、突然降って湧いたお見合い話。 でも、これはただのお見合いではないらしい。 初出はエブリスタ様にて。 また番外編を追加する予定です。 シリーズ作品「恋をするのに理由はいらない」公開中です。 表紙は、「かんたん表紙メーカー」様https://sscard.monokakitools.net/covermaker.htmlで作成しました。

処理中です...