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似ている親子
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がっ、という何かがぶつかる音が聞こえた。
けれどいつまで経っても予想していた痛みが訪れないことに恐る恐る両目を開くと、目の前には黒い長袖Tシャツの腕があった。課長だ、と気付いた時、ぽたりと雫が落ちるのが聞こえ目を向けた。
絨毯に、赤い血が一滴落ちている。
「尚人さん、怪我をっ……!」
「———他人の生い立ちを暴いたうえに、無関係の彼女まで傷つけようとするとは。君は自分が何をしているのか、わかっているのか」
慌てて彼の腕を取ろうとした私ですら凍り付くような、冷徹な声に場の空気が凍結した。驚いたまま課長を見上げると、彼は硬質な硝子の向こうから視線で兼崎さんを突き刺していた。
課長から、底冷えなどという言葉では形容できない絶対凍土の怒りを感じる。こんな風に心の底から怒りを露わにする課長を見たのは初めてだ。松田さんから助けて貰った時の灼け付くようなものとは全く違う。
「あ、あた、し……」
課長の迫力に気圧されているのか、兼崎さんは顔を真っ青にしながら揺れるバッグを片手に視線を泳がせ怯えていた。彼女の細い足が震えている。怒りの沸点を過ぎて、やっと冷静になれたのだろう。
「お嬢さん、君に尚人君の相手は無理だ。清隆のように自分の意のままになる男が欲しいなら他を当たりなさい。既に尚人君のことは世間に露見しないよう私が手を打った。これ以上君が騒ぎ立てるようなら、こちらも非情にならざるを得ないよ」
「っ……」
しんと静まり返った部屋に、低い、けれど恐ろしく冷たい声が響く。現代の権力者の声だった。視線が一斉に声の方へ集まる。
荒井会長はゆっくりと諭すように、けれど容赦のない凍った声音で彼女に断言した。最後の言葉に兼崎さんの身体がびくりと強張る。カイズ・エリアルという巨大企業の実質的な長、荒井会長の衰えぬ鋭さを前に、彼女の顔がより一層青褪めていく。
冷やりとする怒りの色が、課長が見せたものとよく似ていた。
「清隆。彼女を連れて外に出なさい。自分の尻拭いくらいはできるだろう。終わったら家に戻っていろ。お前とも今後の話をせねばならん」
「そ、それはっ」
「つべこべ言わず早くしろ。これ以上、私を失望させるな」
「はい……っ」
荒井会長に怒鳴られて、清隆社長が兼崎さんの手を引っ張るように玄関の方へと連れていく。見送るべきか一瞬迷ったけれど、私は構わず課長に向き直った。
「尚人さん、怪我の手当てをっ」
そうっと彼の手を取ると、手の甲に斜めに切り傷が走っていた。深くはないものの、浅く削り取られた傷は大きく、滲んだ血が痛々しい。
「少し当たっただけだ、気にしないでいい」
「駄目ですっ! 救急箱はどこですか!」
怒る私に、課長はくすりと笑みを漏らした。見上げると、優しい瞳が眼鏡越しにこちらを見ていた。
先程の冷たい怒りは消えていて、いつもの彼の表情に戻っている。それにほっと安堵した。私は課長に救急箱の場所を聞き出し、彼を椅子に座らせてからそのまま手当てを始めた。部屋を出て行った清隆社長も兼崎さんのことも気になったけれど、今はそれどころではない。荒井会長も申し訳ないが放置だ。
「ごめんなさいっ、私を庇ったせいで、怪我を……」
「そもそも巻き込んだのは俺なんだ。謝らないでくれ」
理由はともあれ兼崎さんの怒りの矛先は私だった。その私を庇ったせいで怪我をしたというのに、課長は逆に自分のせいだと言わんばかりだ。
彼は私を巻き込んだと思っているようだけど、それは違う。課長には何の非も無いのだ。ただ生まれてきただけで、本来の父から隠すようにされ、今度は勝手に暴かれた。言うならば彼は被害者でしかない。だというのに。
忘れた振りをしていた私の心の傷に気付いてくれたような優しい彼が、どうしてそんな目に合わないといけないのかと、理不尽さに怒りで涙が滲んだ。亡き母親にも、私にも、こんなにも優しい人がなぜ、こんな思いをしなければいけないのだろう。
「……それを言うなら、巻き込まれたのは尚人さんの方じゃないですか。貴方は何も悪くないのに、ただ生まれてきただけなのに」
手当てを終えて、救急箱の蓋を閉めながら俯いて告げた。小さく名を呼ばれた気がして顔を上げると、困ったような顔の課長がいた。
「尚人君は、良い女性(ひと)を見つけたなぁ」
その穏やかな声にはっとして、課長と私は同時に振り向いた。見れば、荒井会長が小さな桜の鉢植の前に立っていた。
彼は少し距離があるその場所から私達二人を眺めている。
荒井会長の瞳には先程兼崎さんへ向けた冷たい怒りは残っていない。今はまるで凪いだ海のような静かな優しさが滲んでいる。
彼は一度足元の一才桜に目を向けて、それから再び私達に視線を戻した。
「彼女の言う通りだ。尚人君は私達に巻き込まれただけなんだよ」
「っ……」
荒井会長の言葉に、課長がぐっと息を詰まらせたのがわかった。傷を負っていない方の彼の手をそっと握り締めると、彼が一度私を見て、それから静かに目を戻す。
「話を、聞かせてください。母と貴方の……過去を」
「勿論だ」
絞り出すように言った課長に、荒井会長はふわりと微笑んで、それから嬉しそうに頷いた。それから彼はまた足元の一才桜に目を落とした。
愛おし気に桜を見つめる会長の瞳は、時々課長が私に見せてくれるものにとてもよく似ている気がした。
けれどいつまで経っても予想していた痛みが訪れないことに恐る恐る両目を開くと、目の前には黒い長袖Tシャツの腕があった。課長だ、と気付いた時、ぽたりと雫が落ちるのが聞こえ目を向けた。
絨毯に、赤い血が一滴落ちている。
「尚人さん、怪我をっ……!」
「———他人の生い立ちを暴いたうえに、無関係の彼女まで傷つけようとするとは。君は自分が何をしているのか、わかっているのか」
慌てて彼の腕を取ろうとした私ですら凍り付くような、冷徹な声に場の空気が凍結した。驚いたまま課長を見上げると、彼は硬質な硝子の向こうから視線で兼崎さんを突き刺していた。
課長から、底冷えなどという言葉では形容できない絶対凍土の怒りを感じる。こんな風に心の底から怒りを露わにする課長を見たのは初めてだ。松田さんから助けて貰った時の灼け付くようなものとは全く違う。
「あ、あた、し……」
課長の迫力に気圧されているのか、兼崎さんは顔を真っ青にしながら揺れるバッグを片手に視線を泳がせ怯えていた。彼女の細い足が震えている。怒りの沸点を過ぎて、やっと冷静になれたのだろう。
「お嬢さん、君に尚人君の相手は無理だ。清隆のように自分の意のままになる男が欲しいなら他を当たりなさい。既に尚人君のことは世間に露見しないよう私が手を打った。これ以上君が騒ぎ立てるようなら、こちらも非情にならざるを得ないよ」
「っ……」
しんと静まり返った部屋に、低い、けれど恐ろしく冷たい声が響く。現代の権力者の声だった。視線が一斉に声の方へ集まる。
荒井会長はゆっくりと諭すように、けれど容赦のない凍った声音で彼女に断言した。最後の言葉に兼崎さんの身体がびくりと強張る。カイズ・エリアルという巨大企業の実質的な長、荒井会長の衰えぬ鋭さを前に、彼女の顔がより一層青褪めていく。
冷やりとする怒りの色が、課長が見せたものとよく似ていた。
「清隆。彼女を連れて外に出なさい。自分の尻拭いくらいはできるだろう。終わったら家に戻っていろ。お前とも今後の話をせねばならん」
「そ、それはっ」
「つべこべ言わず早くしろ。これ以上、私を失望させるな」
「はい……っ」
荒井会長に怒鳴られて、清隆社長が兼崎さんの手を引っ張るように玄関の方へと連れていく。見送るべきか一瞬迷ったけれど、私は構わず課長に向き直った。
「尚人さん、怪我の手当てをっ」
そうっと彼の手を取ると、手の甲に斜めに切り傷が走っていた。深くはないものの、浅く削り取られた傷は大きく、滲んだ血が痛々しい。
「少し当たっただけだ、気にしないでいい」
「駄目ですっ! 救急箱はどこですか!」
怒る私に、課長はくすりと笑みを漏らした。見上げると、優しい瞳が眼鏡越しにこちらを見ていた。
先程の冷たい怒りは消えていて、いつもの彼の表情に戻っている。それにほっと安堵した。私は課長に救急箱の場所を聞き出し、彼を椅子に座らせてからそのまま手当てを始めた。部屋を出て行った清隆社長も兼崎さんのことも気になったけれど、今はそれどころではない。荒井会長も申し訳ないが放置だ。
「ごめんなさいっ、私を庇ったせいで、怪我を……」
「そもそも巻き込んだのは俺なんだ。謝らないでくれ」
理由はともあれ兼崎さんの怒りの矛先は私だった。その私を庇ったせいで怪我をしたというのに、課長は逆に自分のせいだと言わんばかりだ。
彼は私を巻き込んだと思っているようだけど、それは違う。課長には何の非も無いのだ。ただ生まれてきただけで、本来の父から隠すようにされ、今度は勝手に暴かれた。言うならば彼は被害者でしかない。だというのに。
忘れた振りをしていた私の心の傷に気付いてくれたような優しい彼が、どうしてそんな目に合わないといけないのかと、理不尽さに怒りで涙が滲んだ。亡き母親にも、私にも、こんなにも優しい人がなぜ、こんな思いをしなければいけないのだろう。
「……それを言うなら、巻き込まれたのは尚人さんの方じゃないですか。貴方は何も悪くないのに、ただ生まれてきただけなのに」
手当てを終えて、救急箱の蓋を閉めながら俯いて告げた。小さく名を呼ばれた気がして顔を上げると、困ったような顔の課長がいた。
「尚人君は、良い女性(ひと)を見つけたなぁ」
その穏やかな声にはっとして、課長と私は同時に振り向いた。見れば、荒井会長が小さな桜の鉢植の前に立っていた。
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彼は一度足元の一才桜に目を向けて、それから再び私達に視線を戻した。
「彼女の言う通りだ。尚人君は私達に巻き込まれただけなんだよ」
「っ……」
荒井会長の言葉に、課長がぐっと息を詰まらせたのがわかった。傷を負っていない方の彼の手をそっと握り締めると、彼が一度私を見て、それから静かに目を戻す。
「話を、聞かせてください。母と貴方の……過去を」
「勿論だ」
絞り出すように言った課長に、荒井会長はふわりと微笑んで、それから嬉しそうに頷いた。それから彼はまた足元の一才桜に目を落とした。
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