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―― 第一章 ―― 黒薔薇の刻印
【008】祓魔七環
しおりを挟むビクビクしながら立ち寄った天羽家では、特に何事もなく学用品を渡された。馬車で黒椿女学院についたのは、始業ギリギリのことだった。
午前中はそうして過ぎ、昼食は四峰家で持たされたお弁当を取り出す。すると、薫子が桜子の席へと歩み寄ってきた。
「桜子さん!」
「は、はい」
驚いて顔を上げると、にんまりと笑った薫子が目に入る。
「今日乗っていらした豪華な馬車! 素敵でしたわ!! あれは? 一体?」
「あ、あの……」
「もしかしてもしかして、もしかして、殿方のお宅の?」
「ええと……婚約したんです。祝言はまだ先で……」
か細い声で桜子が答えると、集まっていた教室中の視線の持ち主達が一度沈黙し、それから大歓声が上がった。お祝いの言葉が乱舞する。
「おめでとうございます、桜子さん」
尋子も実に嬉しそうな顔だ。その後ろにいた舞子は、ニヤリと笑って桜子を見ている。あまり笑わないから珍しい。
その後、午後の授業を終えてからは、馬車でまっすぐ四峰家へと帰宅した。礼人は書斎にいるという。桜子は帰宅の挨拶に行くことにした。
執事に案内してもらい書斎に入る。
すると礼人は、なにやら難しい顔をしていた。
「どうかしたんですか?」
「してるように見えるの? おかえりなさい」
「た、ただいま戻りました。その、はい」
桜子は率直に頷いた。抵抗すると殴られる日々だったので、他者の顔色を読むのが得意になってしまった。
「……俺、さ。ただの無表情だと言われることが多いから、正直驚いてる。ちなみに『どうか』というか、なんというか」
「はぁ」
「祓魔七環って知ってる?」
「いえ」
「一条・二葉・三吉・俺達の四峰・五桐・六角をそれぞれ頂点とした六芒星と、その六家が守護する中央の環央家。これを祓魔七環と言うんだけどね」
「はい」
「その連中に、嫁を紹介しろと言われてる。祝言には呼ぶと言ってるのにね」
「はあ……」
「個性的な人達なんだ。そのうち紹介するよ」
少し疲れたように礼人は笑った。
その後私室に風呂敷を置き、桜子は着替えた。夕食までの時間は教科書を読んでいた。平安時代の恋の和歌を目で追いかけていた。
『秋の田の穂の上霧らふ朝がすみ何方の方にわが恋ひやまむ』
そんな和歌だ。祝言を挙げたら、自分もこの和歌のように『秋の朝、稲穂の上に霞がたなびくように、私の恋心はどこへも行かず、貴方だけを思ってただよっています』と想うのだろうか? 桜子はなんとはなしにそんなことを考えた。
夕食は、胃に優しそうな小鉢がいくつも並んでいた。礼人の方は普通だが、桜子の方は食べやすいおかゆに近かった。早速の気遣いが嬉しくも、申し訳ない。
「女学院はどうでしたか?」
礼人は箸の使い方も完璧に見える。桜子も箸を手にとる。
「それも親睦を深めるための会話ですか?」
「うん、そう」
「婚約を、お祝いしてくれました」
桜子の声に、礼人が流すように何気なく視線を向ける。
「そっか。桜子さんも喜んでる? 嬉しい気分?」
「礼人様」
「うん」
「私はまだよくわかりません。ただ、嫌じゃありません」
桜子はそう言うと、まっすぐに礼人を見る。緑色の瞳と目が合う。
「初めて道で倒れたのを助けて頂いたあの時から、私は礼人様は素敵だと思ってます。だから……」
桜子は真っ赤になって思わず俯く。
「だから?」
「だっ、だから……嬉しいです……」
頬が熱い。恥ずかしさから、目が潤んでくる。その場に沈黙が降りた。変に思われているのだろうかと、俯いたままより真っ赤になってしまう。
それからこらえきれなくなって、桜子はちらっと視線を上げた。そして真っ赤なままで目を丸くする。礼人は──同じく真っ赤で、片手を口に当て横を向いていた。それから礼人もちらっと桜子の方を見た。お互い真っ赤だ。二人そろってオロオロしては、また目を合わせる。
「礼人様、桜子様、お飲み物のおかわりはいかがですか?」
そこにいつもと同じ冷静な執事の遠藤の声がした。二人がそちらを見る。すると壁際にいた他の女中頭の小春や女中達は笑みを噛み殺していた。初々しい二人に執事が気を使って声をかけたのだが、礼人を意識しすぎていっぱいいっぱいだった桜子は気づかない。
「俺はお願いするよ。これと同じものを」
「わ、私もお願いします」
こうしてこの日の夕食は、過ぎていった。
──そのように数日が過ぎた。
桜子は、殴られない毎日とは、こういう日々なのだと知った。
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