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―― 第一章 ―― 黒薔薇の刻印
【012】腕の温もりとホットワイン
誰かの温かく強い腕の感覚。
そうだ、これは礼人様のものだ、と、桜子は寝台に下ろされた時おぼろげに思った。目を開ければ懊悩するような礼人の顔が、自分を覗き込んでいた。端正な顔の眉間には皺が刻まれている。険しい緑色の瞳は、だというのに美しい。
「お願いです……お医者様は呼ばないで……」
そう繰り返した桜子は、再び意識を落とすように寝入ってしまった。
なにかが足元に飛び乗ってきた気がしたけれど、もう瞼を開けることはできなかった。
次に目を覚ますと、周囲が暗かった。わずかに開いた白いレースのカーテンの向こうから、月明かりが差し込んでくる。瞬きをした桜子は、ゆっくりと体を起こす。だいぶ楽になっていた。そしてハッとした。見ればカイが、己の足元に丸まっていた。その元気そうな様子に、思わず涙ぐむ。片手で唇を覆い、何度も何度も確認するようにカイを見る。無事を確認してからほっと息をついて、ゆっくりと室内を見渡し、目を丸くした。猫の餌と水の用意がしてある。
驚いて床に降りてそちらへ近づくと、そばのテーブルに紙片があり、書き置きがなされているのが分かった。
『急なあやかし討伐があるから、数日は帰れません。養生して下さい。桜子さんの考えを尊重して主治医は呼ばなかったけれど、自分の意思で必ず医師に診てもらって下さい』
そう書かれていた。安心して胸に手を当てる。ありがたく温かな気遣いに胸が満ちる。なにも返せないのが苦しい。
「でも、お医者様に見てもらうわけにはいかない」
なにせ――もう、腕に傷はない。浄癒の力で既に注射針の痕は綺麗に消えている。医師を必要とする者は多いだろうから、無用な受診は控えるべきだろう。そばには銀色のベルがある。温かいものが飲みたい気分だったが、使用人の手を煩わせるのも躊躇われる。そう考えていると、ノックの音がした。ビクリとしてから、顔を向けて声をかける。
「はい」
『桜子様、お目覚めですか?』
「は、い」
『酒精を飛ばしたホットワインをお持ち致しました。温まります。いかがですか?』
桜子付きの女中だという詩乃の声だった。
「お願いします」
おどおどしながらそう答えた時、ゆっくりと扉が開いて、詩乃が入ってきた。
そしてランプをそばに置くと、カップを桜子に差し出す。両手で受け取った桜子は、窓辺の椅子に座る。
「礼人様は明日にはお帰りになります」
「数日は帰れないと」
「桜子様は丸一日眠っておいででしたので。僭越ながら、病院には――」
「ありがとうございます、お気遣いだけで」
「そうですか。差し出がましいことを申しました」
詩乃はそれ以上はなにも言わなかった。桜子は軽く首を振り、感謝の言葉を思案する。
そうしながら口に含んだホットワインは、初めて飲むものだったのだが、ほどよく甘く、そして苦かった。口当たりがよく、体が芯から温かくなっていく。
「ありがとうございます」
「いいえ、桜子様」
そうして夜が更けていった。
そうだ、これは礼人様のものだ、と、桜子は寝台に下ろされた時おぼろげに思った。目を開ければ懊悩するような礼人の顔が、自分を覗き込んでいた。端正な顔の眉間には皺が刻まれている。険しい緑色の瞳は、だというのに美しい。
「お願いです……お医者様は呼ばないで……」
そう繰り返した桜子は、再び意識を落とすように寝入ってしまった。
なにかが足元に飛び乗ってきた気がしたけれど、もう瞼を開けることはできなかった。
次に目を覚ますと、周囲が暗かった。わずかに開いた白いレースのカーテンの向こうから、月明かりが差し込んでくる。瞬きをした桜子は、ゆっくりと体を起こす。だいぶ楽になっていた。そしてハッとした。見ればカイが、己の足元に丸まっていた。その元気そうな様子に、思わず涙ぐむ。片手で唇を覆い、何度も何度も確認するようにカイを見る。無事を確認してからほっと息をついて、ゆっくりと室内を見渡し、目を丸くした。猫の餌と水の用意がしてある。
驚いて床に降りてそちらへ近づくと、そばのテーブルに紙片があり、書き置きがなされているのが分かった。
『急なあやかし討伐があるから、数日は帰れません。養生して下さい。桜子さんの考えを尊重して主治医は呼ばなかったけれど、自分の意思で必ず医師に診てもらって下さい』
そう書かれていた。安心して胸に手を当てる。ありがたく温かな気遣いに胸が満ちる。なにも返せないのが苦しい。
「でも、お医者様に見てもらうわけにはいかない」
なにせ――もう、腕に傷はない。浄癒の力で既に注射針の痕は綺麗に消えている。医師を必要とする者は多いだろうから、無用な受診は控えるべきだろう。そばには銀色のベルがある。温かいものが飲みたい気分だったが、使用人の手を煩わせるのも躊躇われる。そう考えていると、ノックの音がした。ビクリとしてから、顔を向けて声をかける。
「はい」
『桜子様、お目覚めですか?』
「は、い」
『酒精を飛ばしたホットワインをお持ち致しました。温まります。いかがですか?』
桜子付きの女中だという詩乃の声だった。
「お願いします」
おどおどしながらそう答えた時、ゆっくりと扉が開いて、詩乃が入ってきた。
そしてランプをそばに置くと、カップを桜子に差し出す。両手で受け取った桜子は、窓辺の椅子に座る。
「礼人様は明日にはお帰りになります」
「数日は帰れないと」
「桜子様は丸一日眠っておいででしたので。僭越ながら、病院には――」
「ありがとうございます、お気遣いだけで」
「そうですか。差し出がましいことを申しました」
詩乃はそれ以上はなにも言わなかった。桜子は軽く首を振り、感謝の言葉を思案する。
そうしながら口に含んだホットワインは、初めて飲むものだったのだが、ほどよく甘く、そして苦かった。口当たりがよく、体が芯から温かくなっていく。
「ありがとうございます」
「いいえ、桜子様」
そうして夜が更けていった。
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