21 / 70
―― 第一章 ―― 黒薔薇の刻印
【021】黒揚羽と楓
桜子が次に目を覚ますと、もう見知った天井の部屋にいた。ここは、四峰家の自分の部屋だ。ふかふかの寝台、寝心地の良い枕。左手に温もりを感じて視線を向けると、己の手を握り、うとうとしている礼人が見えた。
「あ」
桜子が声を出すと、ビクリとしてすぐに礼人が目を覚ました。
「目が覚めた?」
「は、い」
「そう。よかった」
優しい顔で、礼人が笑う。温かい眼差しだ。
「なにか、食べられそう?」
「ん……はい」
「それはよかった。岡崎が江戸由来の卵ふわふわを得意としているんだけど、前々から桜子さんに食べさせたいと話していたんだよ」
どんな料理だろうかと、ぼんやりと考える。そうしながら起き上がると、両手でより強く、礼人が桜子の左手を握った。
「助けられて良かった」
「礼人様」
「きみが、俺に助けてと言ってくれて嬉しかった」
「……はい」
「これからも、生涯俺は、きみを助けるよ。きみが困っていたらね」
「私も同じ気持ちです」
そう桜子が言うと、小さく二度、礼人が頷いた。
視線を合わせる。そしてどちらともなく破顔した。
それから部屋を出て、食堂へと向かう。出てきた卵ふわふわに目を丸くしてから、桜子は味わった。美味しい。
「だいぶ顔色は良くなったけど、気分はどう?」
「もう平気です」
「そう。歩けそう?」
「はい」
「じゃあ、少し庭を散策しようか」
そんなやりとりをして朝食を終えてから、二人で外へと出る。すると礼人が桜子の手を握った。
「その……転ばないように」
「ありがとうございます」
こうして手を繋いで庭に出ると、紅葉が朱く色づき、銀杏が黄色真っ盛りで、それらが池の上に浮かんでいた。ほぉっと見惚れて息を吐き、桜子は瞬きをする。
「綺麗ですね」
見合いのときとは違い、純粋に綺麗だと思った。それだけ、緊張が解れている。隣にいると。
「そうだねぇ」
頷いた礼人が、果実がすでに落ちた無花果を見る。視線で追いかけた桜子は、そこにとまる黒揚羽を見た。この季節にいないとは言わないが、夏くらいが多い蝶々だ。不思議に思って首を傾げる。
「今年の秋は暑いというわけでもないのに、珍しいですね」
「――そうだね。異常気象の象徴、とも言えるかな」
「え?」
「ううん。桜子さんは、虫は好き?」
「……嫌いです」
「俺も嫌いだけど、理由は?」
「私は……すぐに死んでしまうから」
「そう。俺は単純に気持ちが悪くて」
礼人が苦笑した。少しずつ、礼人は感情豊かになっていく気がする。
そんな変化が桜子は嬉しい。俯いて、握られた手に、自分もまた力を込めてみる。
――言っても良いのだろうか。お慕いしています、と。迷惑になるだろうか。考える。
「桜子さん?」
「はい」
「髪に葉っぱがついたよ」
「あ」
「今取るから動かないでもらえる?」
屈んだ礼人が、桜子の髪に触れる。そうして少しすると、赤い楓が礼人の手にあった。
「楓の髪飾りも似合うけれどね」
楽しげに柔らかく笑った礼人に、今はもう少し、この恋心を秘めていても、許されるかもしれないと、桜子は思う。機会が無くなってしまう恐怖は知ったけれど、でも、今は平和が許された。だから、もう少し。
「礼人様にも楓は似合いそうです。今度、ハンケチに刺繍をしてもよいですか?」
「刺繍が出来るの?」
「女学院で習いました」
「そう。期待してる」
穏やかな笑顔を向け合い、その日はそうして、穏やかな時間を過ごしたのだった。
「あ」
桜子が声を出すと、ビクリとしてすぐに礼人が目を覚ました。
「目が覚めた?」
「は、い」
「そう。よかった」
優しい顔で、礼人が笑う。温かい眼差しだ。
「なにか、食べられそう?」
「ん……はい」
「それはよかった。岡崎が江戸由来の卵ふわふわを得意としているんだけど、前々から桜子さんに食べさせたいと話していたんだよ」
どんな料理だろうかと、ぼんやりと考える。そうしながら起き上がると、両手でより強く、礼人が桜子の左手を握った。
「助けられて良かった」
「礼人様」
「きみが、俺に助けてと言ってくれて嬉しかった」
「……はい」
「これからも、生涯俺は、きみを助けるよ。きみが困っていたらね」
「私も同じ気持ちです」
そう桜子が言うと、小さく二度、礼人が頷いた。
視線を合わせる。そしてどちらともなく破顔した。
それから部屋を出て、食堂へと向かう。出てきた卵ふわふわに目を丸くしてから、桜子は味わった。美味しい。
「だいぶ顔色は良くなったけど、気分はどう?」
「もう平気です」
「そう。歩けそう?」
「はい」
「じゃあ、少し庭を散策しようか」
そんなやりとりをして朝食を終えてから、二人で外へと出る。すると礼人が桜子の手を握った。
「その……転ばないように」
「ありがとうございます」
こうして手を繋いで庭に出ると、紅葉が朱く色づき、銀杏が黄色真っ盛りで、それらが池の上に浮かんでいた。ほぉっと見惚れて息を吐き、桜子は瞬きをする。
「綺麗ですね」
見合いのときとは違い、純粋に綺麗だと思った。それだけ、緊張が解れている。隣にいると。
「そうだねぇ」
頷いた礼人が、果実がすでに落ちた無花果を見る。視線で追いかけた桜子は、そこにとまる黒揚羽を見た。この季節にいないとは言わないが、夏くらいが多い蝶々だ。不思議に思って首を傾げる。
「今年の秋は暑いというわけでもないのに、珍しいですね」
「――そうだね。異常気象の象徴、とも言えるかな」
「え?」
「ううん。桜子さんは、虫は好き?」
「……嫌いです」
「俺も嫌いだけど、理由は?」
「私は……すぐに死んでしまうから」
「そう。俺は単純に気持ちが悪くて」
礼人が苦笑した。少しずつ、礼人は感情豊かになっていく気がする。
そんな変化が桜子は嬉しい。俯いて、握られた手に、自分もまた力を込めてみる。
――言っても良いのだろうか。お慕いしています、と。迷惑になるだろうか。考える。
「桜子さん?」
「はい」
「髪に葉っぱがついたよ」
「あ」
「今取るから動かないでもらえる?」
屈んだ礼人が、桜子の髪に触れる。そうして少しすると、赤い楓が礼人の手にあった。
「楓の髪飾りも似合うけれどね」
楽しげに柔らかく笑った礼人に、今はもう少し、この恋心を秘めていても、許されるかもしれないと、桜子は思う。機会が無くなってしまう恐怖は知ったけれど、でも、今は平和が許された。だから、もう少し。
「礼人様にも楓は似合いそうです。今度、ハンケチに刺繍をしてもよいですか?」
「刺繍が出来るの?」
「女学院で習いました」
「そう。期待してる」
穏やかな笑顔を向け合い、その日はそうして、穏やかな時間を過ごしたのだった。
あなたにおすすめの小説
契約彼女は冷徹エリートの甘く過激な恋に溺れたい
白石さよ
恋愛
職場の上司・東条に失恋した奈都は、ヤケになって入ったバーで出会った男性・佑人と一夜を過ごしてしまう。数日後、職場で彼とまさかの再会。なんと佑人は、組織改革のために赴任してきた人事コンサルタントだった! 佑人を避けているのに、なぜか行く先々で彼と遭遇してしまう奈都。ついには彼から、東条を振り向かせるために期間限定で恋人のふりをすることを提案され――その日から、佑人の恋愛指南が始まる。揶揄われているだけと思っていたのに、佑人は意外にも甘く迫ってきて…!? 白石さよの名作『さよならの代わりに』が新たな形で蘇る!
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在
唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話
中山加恋(20歳)
二十歳でトオルの妻になる
何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛
中山トオル(32歳)
17歳の加恋に一目ぼれ
加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する
加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる
会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
カモフラ婚~CEOは溺愛したくてたまらない!~
伊吹美香
恋愛
ウエディングプランナーとして働く菱崎由華
結婚式当日に花嫁に逃げられた建築会社CEOの月城蒼空
幼馴染の二人が偶然再会し、花嫁に逃げられた蒼空のメンツのために、カモフラージュ婚をしてしまう二人。
割り切った結婚かと思いきや、小さいころからずっと由華のことを想っていた蒼空が、このチャンスを逃すはずがない。
思いっきり溺愛する蒼空に、由華は翻弄されまくりでパニック。
二人の結婚生活は一体どうなる?
【完結】転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。