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―― 第四章 ―― 反枕の夢
【048】狗尾草の玩具
食後は桜子の部屋へと行った。
桜子が言ったからだ。
「悩んでいるときは、癒やされましょう」
と。礼人は尋ねた。
「どうやって?」
「猫は最高の癒やしです」
にこやかに桜子は微笑した。礼人はその笑顔にこそ癒やされると思ったが、頷いたのである。
礼人の祖父の新商品、猫を楽しませるという狗尾草の形をした玩具を、礼人は手に持つ。
「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアア!」
バシン、と。愛猫カイは、礼人の手の甲に華麗に叩いた。
「カ、カイ!」
「っく」
焦る桜子の隣で、めげずに礼人は狗尾草の玩具を動かす。
しかしぷいっと顔を背けて尻尾を立てたカイは距離を取ると、威嚇姿勢で、背を丸くし、尻尾を太くし、毛を逆立てた。なおこれは、遊んで欲しいときにもやる体勢だが、その知識は、礼人にはない。
「ニャァ!」
びょーんとカイが礼人に飛びかかる。礼人は頭を抱えた。
「どうしたら癒やされますか?」
「うっ……」
桜子は困ってしまった。
「わ、私は! いつも抱っこして撫でています」
「なるほど」
礼人は仏頂面で頷くと、玩具を放り投げた。それは桜子の寝台の上に落下し、そちらにカイは飛び乗った。礼人は桜子に歩み寄る。そして、桜子の頭を撫でた。
「あ、礼人様」
「確かに癒やされますね」
「……」
桜子が頬を染める。その愛らしい姿には、礼人でなくとも癒やされるだろう。
ひとしきり桜子を撫でてから礼人が言う。
「本当に癒やされました」
「よ、よかったです……」
桜子がおずおずと頷いた。
――黒椿女学院が始まったのは、その数日後のことである。
「行って参ります」
今年度は通うことにしているので、玄関でぺこりと桜子は頭を下げた。今日は礼人はお休みだ。桜子は御者の山辺が開けてくれた扉から中に乗りこみ、雪道を馬車で進む。だいぶ溶けたから難は無い。
学び舎に入り、教室へと向かう。首元の、礼人がくれたマフラーにそっと触れながら中に入ると、薫子が待ちかまえていた。
「礼人先生が伯爵様だったなんて! 玉の輿! そうでなくとも、あんなに素敵な殿方、おめでとうございます、もぅ、仰って下さったらよかったのに。桜子さんったらぁ」
薫子が暗に夜会のことをいう。教室中の視線が集まったものだから、桜子は赤くなって俯いた。朝の挨拶を返してから、足早に自分の席に着くと、尋子が頬杖を突いている。
「素敵で良いですね、桜子さん」
「ひ、尋子さんまで……」
「私も好きな殿方と添い遂げたいものです」
「……」
よりいっそう桜子は真っ赤になった。その時始業の鐘がなり、先生が入ってくる。新学期から新しい先生がくるという知らせだったが、新任は女性の先生だったので、皆は、そこまで興味を持たなかった。まだまだ配偶者の男性によって人生が決まる時代である。
その日の授業は恙なく終わった。
「そうだ、桜子さん。遊びにいらっしゃらない?」
帰り際、薫子が言った。嘗ては、天羽家の暗い事情で遊びになど行けなかった。行けばなにをされるか分からなかったのだが、今は違うのだと桜子は思った。薫子のほうも、結婚して落ち着いたと分かっているのではないかと思う。友人達は天羽の実家について詳しく詮索するようなことはしなかったが、いつもどこか心配そうな顔をしてくれていた。ただ、今日は急だ。まだ一度も、女学院の帰りに遊びに行ったりしたことはないのだし、と、桜子は思う。
「今日は、帰ります」
「そう、残念。今度は、機会があったら、遊びに来て下さる?」
「ええ」
桜子が頷くと、薫子が両頬を持ち上げた。鞄には白地に赤い糸で刺繍がされたお守りがついている。小さすぎて、どんな刺繍なのかはよく見えない。
「では、また明日。ごきげんよう、桜子さん」
「ごきげんよう、薫子さん」
こうして薫子と別れて馬車に乗る。そして帰宅して部屋に行くと、礼人がこりずにカイに狗尾草の玩具を向けていた。カイは唸っている。
「桜子さん、まったく懐いてくれません。どうしたらいいですか?」
「う……私は、本当にいつも撫でていたりするだけで……」
「撫でるのは桜子さんのことだけでいいよ。どう考えてもその方が癒やされるからね」
そんなやりとりをしてから、礼人がきちんと立って、桜子を見た。
「そうだ、前に餡ドーナツが好きだったみたいだから」
「はい」
「今日近くまで散策に出たから、買っておいたよ」
「わぁ」
「お茶にしようか」
その後二人は、お茶を楽しんだ。礼人が買ってきてくれた餡ドーナツは非常に美味だった。
桜子が言ったからだ。
「悩んでいるときは、癒やされましょう」
と。礼人は尋ねた。
「どうやって?」
「猫は最高の癒やしです」
にこやかに桜子は微笑した。礼人はその笑顔にこそ癒やされると思ったが、頷いたのである。
礼人の祖父の新商品、猫を楽しませるという狗尾草の形をした玩具を、礼人は手に持つ。
「ニャァアアアアアアアアアアアアアアアア!」
バシン、と。愛猫カイは、礼人の手の甲に華麗に叩いた。
「カ、カイ!」
「っく」
焦る桜子の隣で、めげずに礼人は狗尾草の玩具を動かす。
しかしぷいっと顔を背けて尻尾を立てたカイは距離を取ると、威嚇姿勢で、背を丸くし、尻尾を太くし、毛を逆立てた。なおこれは、遊んで欲しいときにもやる体勢だが、その知識は、礼人にはない。
「ニャァ!」
びょーんとカイが礼人に飛びかかる。礼人は頭を抱えた。
「どうしたら癒やされますか?」
「うっ……」
桜子は困ってしまった。
「わ、私は! いつも抱っこして撫でています」
「なるほど」
礼人は仏頂面で頷くと、玩具を放り投げた。それは桜子の寝台の上に落下し、そちらにカイは飛び乗った。礼人は桜子に歩み寄る。そして、桜子の頭を撫でた。
「あ、礼人様」
「確かに癒やされますね」
「……」
桜子が頬を染める。その愛らしい姿には、礼人でなくとも癒やされるだろう。
ひとしきり桜子を撫でてから礼人が言う。
「本当に癒やされました」
「よ、よかったです……」
桜子がおずおずと頷いた。
――黒椿女学院が始まったのは、その数日後のことである。
「行って参ります」
今年度は通うことにしているので、玄関でぺこりと桜子は頭を下げた。今日は礼人はお休みだ。桜子は御者の山辺が開けてくれた扉から中に乗りこみ、雪道を馬車で進む。だいぶ溶けたから難は無い。
学び舎に入り、教室へと向かう。首元の、礼人がくれたマフラーにそっと触れながら中に入ると、薫子が待ちかまえていた。
「礼人先生が伯爵様だったなんて! 玉の輿! そうでなくとも、あんなに素敵な殿方、おめでとうございます、もぅ、仰って下さったらよかったのに。桜子さんったらぁ」
薫子が暗に夜会のことをいう。教室中の視線が集まったものだから、桜子は赤くなって俯いた。朝の挨拶を返してから、足早に自分の席に着くと、尋子が頬杖を突いている。
「素敵で良いですね、桜子さん」
「ひ、尋子さんまで……」
「私も好きな殿方と添い遂げたいものです」
「……」
よりいっそう桜子は真っ赤になった。その時始業の鐘がなり、先生が入ってくる。新学期から新しい先生がくるという知らせだったが、新任は女性の先生だったので、皆は、そこまで興味を持たなかった。まだまだ配偶者の男性によって人生が決まる時代である。
その日の授業は恙なく終わった。
「そうだ、桜子さん。遊びにいらっしゃらない?」
帰り際、薫子が言った。嘗ては、天羽家の暗い事情で遊びになど行けなかった。行けばなにをされるか分からなかったのだが、今は違うのだと桜子は思った。薫子のほうも、結婚して落ち着いたと分かっているのではないかと思う。友人達は天羽の実家について詳しく詮索するようなことはしなかったが、いつもどこか心配そうな顔をしてくれていた。ただ、今日は急だ。まだ一度も、女学院の帰りに遊びに行ったりしたことはないのだし、と、桜子は思う。
「今日は、帰ります」
「そう、残念。今度は、機会があったら、遊びに来て下さる?」
「ええ」
桜子が頷くと、薫子が両頬を持ち上げた。鞄には白地に赤い糸で刺繍がされたお守りがついている。小さすぎて、どんな刺繍なのかはよく見えない。
「では、また明日。ごきげんよう、桜子さん」
「ごきげんよう、薫子さん」
こうして薫子と別れて馬車に乗る。そして帰宅して部屋に行くと、礼人がこりずにカイに狗尾草の玩具を向けていた。カイは唸っている。
「桜子さん、まったく懐いてくれません。どうしたらいいですか?」
「う……私は、本当にいつも撫でていたりするだけで……」
「撫でるのは桜子さんのことだけでいいよ。どう考えてもその方が癒やされるからね」
そんなやりとりをしてから、礼人がきちんと立って、桜子を見た。
「そうだ、前に餡ドーナツが好きだったみたいだから」
「はい」
「今日近くまで散策に出たから、買っておいたよ」
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その後二人は、お茶を楽しんだ。礼人が買ってきてくれた餡ドーナツは非常に美味だった。
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