謎喰い探偵の事件簿

界 あさひ

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謎喰い探偵の事件簿 前編

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「『謎』を解き、『謎』を喰らうことを至上の喜びとする探偵がいる」

 ―――噂曰く、この大学の学生で、謎を解くことを生きがいとして、趣味で探偵をしている男がいるとか。
 その男は推理力や洞察力に優れ、目の前の謎を瞬く間に解いてしまうという。
尤も、探偵といっても依頼者がお金を払うことはないらしい。寧ろ、その探偵が謎を提供してくれたことに対する感謝の気持ちとして、謎1つに対して5千円を依頼者に払っている、というのが専らの噂であった。

「謎を解く天才にして、謎に執心している変態だよ、あれは…」
四之宮 梨杏しのみや りあんは大学の学生食堂で昼食のパンを食べつつ、横で探偵気取りの大学生の噂話をする友人を一瞥し、頭の中で悪巧みを始める。
「あっ、まーた悪い事考えてる顔してる!さすが、りあん!」
声を弾ませ、褒めているのか褒めていないのか定かでないことを言った友人の渡真利 結とまり ゆいを尻目に、長く綺麗な黒髪に端正な顔をしている梨杏は口角をグッと上げてほくそ笑み、いかにも性格の悪そうな顔をしてみせた。

その日の講義終了後、「大学のD棟4階の隅の一室、416号室の部屋に行けば会える筈」という結のあやふやな情報を頼りに、梨杏はその部屋の扉の前に立ち、ノックした。今から昼間の悪巧みを実行に移すのだ。
「はーいどうぞ、開いてます」
部屋の中から、男の低い声が返事をした。梨杏はフーッと長い息を吐いてやる気を入れ、ガラガラと扉を開けた。
狭い部屋の中では、声の主と思われるスタイルの良い男が、椅子に腰を掛けて本を読んでいた。
長い前髪の隙間から精悍な顔付きを覗かせるその男は、読んでいた本から目線を上げて梨杏を見上げた。蛇の様な目付きに思わず梨杏は竦みかけるが、負けるものかと、正に今から練り上げた悪巧みをぶつける目の前の男を見据えた。
フフフ…騙されることも知らないで…お前は可哀想なカモだ!せいぜいお金を落としていけよ!と、心の中で梨杏は悪態を付きまくっていた。
梨杏の悪巧みの計画は、安直な物であった。探偵に対して簡単な嘘のでっちあげの依頼をすることで、「謎料」の5千円を頂戴する。簡単ではあるが「錬金術」になり得る悪巧みであった。
「どんなご依頼でしょう?」
男が口を開いた。梨杏は先ほどまでの悪巧みをしていた時の表情とは一転してか弱そうな、不安げな表情を作り、
「実は…最近ストーカーに付きまとわれてるようで…」
「なるほどストーカーですか…面白い。」
何が面白いのかはサッパリ分からなかったが、梨杏は取り敢えず無視して話を続けた。
「そのストーカー男を突き止めて欲しいのと、ストーキングを辞めさせて欲しいんです…」
「ふむ。良いでしょう。」
二つ返事で依頼を受諾した目の前の事象探偵の胡散臭い男を、梨杏はチョロ過ぎ♡と心の中で嘲笑う。
「あぁ、自己紹介がまだでしたね。」
そう前置きをした男は、自身を一条 秀一いちじょう しゅういちと名乗った。

「それで、ストーカーに気付いたのはいつ頃ですか?」
一条と名乗った自称探偵がズカズカと質問をしてくる。
「二週間位前からです。大学への通学路やバイトの帰り道とか、ストーカーに付きまとわれてると思うんです。あ、あと、二日前には、休み時間にお手洗いへ行っていた間に、講堂に置いていたペンケースと文庫本がなくなってて…それも多分、ストーカーが取ったんじゃって。」
一拍おいて一条はまた質問する。
「…どのようにして、君はストーカーされていると分かったんですか?」
「えっ…?」
梨杏が想定していなかった質問であった。動揺したのが表情に出てたのが梨杏自身にも理解できた。咄嗟にカバーしなければと焦る。
「あ、あぁ、何となく、付けられてるな、とか。視線を感じたり。ほら、男性には分からないかもですけど、女子って視線に敏感ですから…」
ハハ…と愛想笑いで誤魔化すことを試みる。梨杏自身でも酷い応答であったとは思ったが仕方ない。実際に梨杏もそのような視線には敏感な方である、などと自分の発言を肯定して自分を勇気づけた。
「なるほど、そうかもしれないですね。」
自称探偵はそう言って頷いた。何とか誤魔化せているようである。梨杏は「助かったー!」と心の中で喜んだ。やはりこの自称探偵、「探偵」なんて名ばかりで実際は私の手で転がせる程度の人間だ。梨杏は自称探偵を見つめ、改めてそう感じた。
「では、君はストーカーを実際に見たことはないのですか?」
「はい」
「…では、なぜそのストーカーを男だと断定したのですか?」
「えっ?」
「君は初めに依頼を聞いた時、『ストーカー男を突き止めて欲しい』と言っていたので。ストーカーを見ていない、視線を感じた程度で、なぜ男であると思ったんですか?」
ヤバい…!そんなこと言ったっけ…!?知らねえよ…!!梨杏は頭の中で考えを巡らせるが、自身の詰めの甘さと目の前の胡散臭い探偵気取りに対する恨み言しか浮かんでこない。
「そ、それは…女の私にストーカーっていったら…男、なのかなって…勝手に、想像して…」
しどろもどろな応答である。
恐る恐る探偵気取りに目を向けると、黙りこくった彼の蛇の様な目と目が合った。思わず、蛇に睨まれた蛙が如く、全身が竦む錯覚に陥る。冷や汗が頬を伝う感覚がある。確かに整合性の取れていない応答もあったのは確実であるにせよ、まだ目の前の探偵気取りにこれが悪巧みであるとバレたわけではない。次の一瞬、彼が何を言うのか、はたまた自身はどのような行動を取るべきなのか、逡巡したが。梨杏の思考が終わる前に彼が口を開いた。
「…たまに、いるんです。お金欲しさに嘘の謎をでっちあげる人。」
梨杏はゾクッと自分の体が仰け反ったのが分かった。
自称探偵は、目敏くも梨杏のその反応を見落とさなかった。
「あれ…鎌をかけたんだけど、まさかの『当たり』ですね」
クソっ!鎌かけたのかよコイツ!最低だな!人を信用する気が無いのかよお前!クソカス!梨杏は自分のことは完璧に棚に上げた上で、声に出さないまでも悪態を付きまくった。肝が据わりまくっているとは友人評であるが、実際にこの場面で梨杏はもはや開き直っていた。
「元々幾つか怪しい節はありましたが…」
自称探偵の謎解きショーを梨杏は聞かざるを得ないと察して、更に嫌そうな顔を隠しもしなくなった。
「ストーカーをどのように確認したかや、見ていないストーカーを男だと断定したことなどの整合性の拙さは何より怪しかったが、その他にも君の怪しさを補強する要素があった。」
自称探偵は気分良さげに饒舌に謎を紐解いていく。初めは敬語であった彼の言葉ももはやぶっきらぼうな常体になっている。これまでになく楽しそうで興奮している様子な男を前に、梨杏は「ほんとに変態だ…」と少し引いた。
しかしそんなことには気にも留めずに謎解きは続く。
「人間は嘘を付いたり、何か引け目がある話をする時、往々にして饒舌になりやすい。
君はこちらの質問に答えすぎだ。いつからストーカーに遭っていたのかを僕が聞いた時に、ストーカーにペンケースや文庫本を取られた、なんて情報を君が付け足したのは、嘘を取り繕うための無意識かな」
ウキウキで言葉を紡ぐ自称探偵とは裏腹に、自身の思わぬミスを指摘された梨杏は「そんなの知るか」と彼に聞こえるようにぼやいた。
「しかし―――」
自称探偵はそれまでの声色から調子を変えた。
「あながち今のストーカーの話が全て噓とも考えにくい。」
「ぇ」と、目を見開いた梨杏の口から小さい音が漏れた。梨杏の思考は停止した。
「上手い嘘の付き方に、一部分に真実を混ぜるというのがある。
例えば、先ほどの話のペンケースや文庫本を盗まれた、という箇所なんかは妙に説得力があった。そこだけは真実であるんじゃないか?君の眼の下のクマ、最近上質な睡眠を取ることを拒む何かが、あるんじゃないのか?」
―――ドキリ。先ほどまでの悪態からは一転、梨杏は黙った。
まさかこんな胡散臭い探偵如きに、私の悪巧みが見破られた挙句、本当の困りごとさえも見透かされるなんて。
プライドが底なしに高い梨杏は、元来、自分の困りごとは弱みと感じられ、友人や家族にも相談できない性格であった。
そんな性格が故に隠していた自らの弱みが、まさか初対面から30分程度の男に看破されるというのか。
「…何が…言いたいの」
「簡単なことさ。
嘘ででっちあげられた謎なんてつまらない。本物の、関わる人のそれぞれの思惑や意図や行動や不条理などによってこそ産まれる謎を、僕に差し出せ。」
探偵は、不敵に笑みを浮かべて続ける。
「拒否権はない。何しろこの僕を騙して、謎もないのに金だけ奪い取ろうとしたんだ君は。」
「今時、強引な男はモテないぞ変態」
梨杏はもはや探偵から逃れることを諦めた。確かに探偵としてのウデは凄いのかもしれない。どうせならコイツを利用して自分を取り巻くトラブルを解決してしまおう。そう、私はコイツを利用するだけ!私が利用するの!
「私は謎にさえモテていればそれで満足だよ」
至って当然かの様に言った探偵に、梨杏は「キッショ…」と返した。

梨杏が言葉を発した。
「発端は二カ月前、大学から帰ると、鞄の中に「大学に来るな、死ね」って書かかれた紙が入ってて。まぁこんな性格だから敵を作ることも多いし、最初は特に気にしてなかったんだけど」
「さすがだね」
「紙に「死ね」とかって書いてあるのが鞄に入ってることが多くなって。次第に、さっき言ったようにペンケースや文庫本がなくなってたり、気のせいかもしれないけど、誰かに後を付けられてる気もしてて…」
それまでの梨杏の話を探偵がまとめる。
「…脅迫、がメイン…かな」
梨杏は頷いて
「多分。で、二日前に私が住んでるアパートの部屋の窓に石を投げ入れられて、窓が割れちゃって」
「ほう、警察には?」
「一応。でもまだ何も」
「フフフ、やっぱり面白い、美味しそうな謎だ」
梨杏はこの探偵が何を言っているのか一体全体理解出来なかったが、やはり無視することにした。
「犯人に心当たりは?」
「全く分からん」
「どこかで誰かに恨み買ってるなんてことは?」
「めちゃくちゃ色んなとこでめちゃくちゃ色んな人から恨み買いまくってるから、参考にもならないね」
テヘ、と可愛い仕草をした梨杏に、探偵は「流石だね」と呆れつつ答えた。
「ふむ、とりあえず、より客観的な君の周辺情報が欲しい。家族や仲の良い友人、距離の近い人から話を聞きたい」
「パッと思いつくのは、私の弟と、友人、頻繁に相談してる教員と、アパートのお隣さん、辺りかな…」
「よし、まずはその教員に話を聞こう!」
おもむろに探偵は立ち上がり、いかにも探偵風なトレンチコートにサッと袖を通した。
梨杏はこの変態と弟や友人、教員らを会わせたくないと心の底から辟易したが、今更何を言おうとも未来は変わらなそうだなと考え、本日二度目となる腹を括った。
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